(2022.6.15 Vatican News By Benedict Mayaki, SJ)
教皇フランシスコは15日、水曜恒例の一般謁見で、「老年の価値と意味について」をテーマにした講話をお続けになり、年配の人たちに対して、”自分を脇に追いやる”誘惑に打ち勝つように求め、「主はあなたがたを捨てたりしない。奉仕する力を取り戻させてくださいます」と勇気づけられた。
この日の講話で、教皇はまず、マルコ福音書に書かれている、イエスが弟子のシモンの姑を癒やされた話(1章30-31節)を取り上げられた。
そして、「(シモンの姑は熱を出して寝ていた、と書かれているが)彼女の病が軽いものであったかどうか分かりません。しかし、高齢になると、単純な発熱でさえ、危険な場合があります」とされ、「年をとると、体が言うことをきかなくなります。ですから、何をすべきか、何をすべきでないかを選ぶのを学ばねばなりません」と指摘。
さらに、「年をとると、身体的な活力が衰え、心が求め続けても、あきらめざるを得なくなる。熱望を覚まし、忍耐し、体について、命について問うのを選ぶ ことを学ばねばならなくなるのです」と説かれた。
*病いと年配者
また教皇は、「病気は、青年や壮年の時とは違った新たなやり方で、年配者を圧迫します。高齢になってからの病気は、死期を早め、既に短くなっている”生きる時間”をもっと短くすると見なされ、 多くの年配者に『自分たちの病いは治らないという』という疑いをもたせ、将来への希望を失わせるかも知れません」。
そのような時、「マルコ福音書の(熱を出したシモンの姑を訪問する)箇所は、私たちに希望を待たせ、教訓を提供します。それは、イエスが病気の女性を、一人ではなく、弟子たちと一緒に見舞われた、ことです」とされ、「同じように、キリスト教信徒の共同体は、高齢の知人や友人の世話をせねばなならない」と語られた。
*キリスト教共同体と年配者
続けて教皇は「特に年配者が増えている今、彼らのところへの訪問を、多くの人が一緒になって、頻繁にする必要があります。孤独でいることの多い年配者を訪ね、祈りで彼らを主に向ける責任を感じるべきでしょう」と話され、「老い、障害や深刻な病気をかかえ、衰えていくときにおいてさえも、大事であるとということを認識するとき、社会は生き生きとしたものになるのです」と強調。
イエスは、熱を出して寝ているシモンの姑を見舞い、手を取って起こされ、癒された。「この愛の行為をもって、イエスは弟子たちに”最初の教訓”を与えます-『病気の人への気遣いを通して、救いは告げられ、いや伝えられ、そうして、自分に身をかがめて接してくださった神の優しさに対する感謝の気持ちで、彼女の信仰は光輝くのだ』ということを」と教皇は語られた。
*高齢者による奉仕
そして、イエスに癒された彼女は「一同に仕えた」(マルコ福音書1章31節)。このことが、「私たちに与えられた”二つ目の教訓”です。つまり、年配であっても、共同体に奉仕することができるし、そうすべきなのです。奉仕する責任を育み、”自分を脇に追いやる”誘惑を克服すべきなのです。なぜなら、主は、彼らを拒まれないどころか、彼らに奉仕する力を回復させるからです」と強調。
さらに、「自分たちの兄弟姉妹を癒し、慰め、神に執り成しをしようとする意欲を持ち続ける年配者たちは、おそらく、”信仰を伴う感謝の純粋さ”を示す最高の証人と言えるでしょう」とされ、「年配の人たちが、共同体に拒絶されず、活動から排除されず、皆の集まりの中心に置かれるなら、神への貴重な感謝の行為を彼らに促すことにつながる」と語られた。