(2021.6.2 Vatican News Robin Gomes)
教皇フランシスコは2日、水曜恒例の一般謁見で「祈りについて」の講話をお続けになり、福音書からいくつかの例を挙げて「祈りは、イエスの弟子たちとの関係の基本」であることを説かれた。
*使徒を選ぶ前に父なる神に祈る
ルカ福音書では、「イエスが12人の使徒をお選びになる前に、山に登られ、夜を徹して神に祈られた」(6章12節)と書かれている。
教皇は、「父との対話であるこの祈りが、使徒を選ぶ基準ですが、最上のものとは思われません。とくに、裏切り者となるユダを選んだことについては」とされたうえで、「しかし、使徒たちの名前は、神の計画の中に書かれていたのです。使徒たちは時として、イエスの心配の原因になりますが、彼らが過ちを犯したときや、彼らが堕落したときでさえ、イエスは慈しみを持ち続けました」と指摘。
その理由は、「父から彼らを受け取ったからです。だから、使徒たちのための祈りは、イエスの生涯に繰り返し再現されるのです」と説明された。
*イエスは辛抱強く、回心を待つ
最後の晩餐でのペテロに対する接し方で明らかなように、イエスは弟子の回心を辛抱強く待っておられる(ルカ福音書22章31-34節参照)。イエスはペテロのために、「信仰がなくならないように」と祈り、「立ち直ったときには、兄弟たちを力づけてやりなさい」と彼に言われた。
教皇は 「イエスは、弟子の心が弱っている時にも愛され、その愛は止まることがなく、さらに激しいものとなる。私たちも、イエスの祈りの中心にいるのです」と語られた。
*転機での祈り
ルカ福音書9章18-20節は、弟子たちの信仰を確かめるために、イエスが一人で祈っておられる場面から始まる。集まって来た弟子たちに、イエスが「あなたがたは、私を何者だと思うのか」とお尋ねになると、ペトロは「神のメシアです」と答える。
教皇は「与えられた使命を果たす大き転機を前にして、イエスは毎回、熱心で長時間にわたる祈りを捧げられます」、そして、ペトロの答えを受ける形で、イエスはご自分の死と復活を予告されるが、「このような信仰の試練は、弟子たちにとって、新たな出発点となるもの。彼らと私たちの反発を本能的に呼び起こす、イエスのこのような予告の瞬間に、祈りこそが、光と力の唯一の源となるのです」と強調。「”歩む道が上り坂になる”たびに、私たちは、いっそう熱心に祈る必要があります」と付け加えられた。
*イエスの姿が変わる
ご自身の死と復活について予告されて八日ほど経った時、イエスの「変容」が起きる。ルカ福音書9章28-31節はそのことを伝えているーイエスは、ペトロ、ヨハネ、ヤコブを連れて、祈るために山に登られた。祈っておられる句碑に、イエスの顔の様子が変わり、衣は広く光り輝いた。モーセとエリアが、イエスがエルサレムで遂げようとしておられる最後のことについて、イエスと話していた…
「イエスの栄光のこの瞬間は、祈りの中で行われ、子は父との深い交わりの中で、愛と救いの計画を完全に受け入れました」と教皇は語られ、その祈りの中から、イエスの変容に立ち会った3人の弟子たちに対して、「これは私の子、私の選んだ者。これに聞け」(9章35節)という声がくだった、とされた。