Pope Francis at the General Audience (Vatican Media)
(2020.12.16 Vatican News Christopher Wells)
教皇は16日の水曜恒例の一般謁見で、インターネットを通して「祈りについて」の講話を続けられ、今回は特に「執り成しの祈り」ー他の人に代わって願う祈りーに焦点を絞られた。
まず教皇は、「祈りを習慣としている人たちは、決して、この世に背を向けることをしません」とされ、祈りが人間の存在のあらゆる側面-喜びと悲しみ、希望と不安ーに関わっていない場合、「飾り物」の行為になる、と注意された。
*パンは裂かれ、分かち合われる
さらに、他の人のために祈る人々と聖体の中におられるキリストの類似性を指摘。 「祈りの中で、神は私たちを手に取り、祝福し、裂き、そして、すべての人の飢えを満たすために、与えます」と述べ、すべてのキリスト教徒は「神の手の中で、パンとなり、裂かれ、分かち合われるように、召されています」と説かれた。
*全ての人のために祈る
そして、「祈る男女は、いつも心の扉を開け放ちます。孤独と沈黙を求めている時でも、です」とされ、「彼らは、祈らない人、祈る方法が分からない人、そして『誤ちを犯し、道に迷った人』のために祈ります。孤独の中で祈る人は、「神において全てものと全ての人を再発見する、まさにそのために、全てのものと全ての人から自分自身を分け… 一人ひとりの、すべての人ために祈り、扉をたたく全ての貧しい人の中、物事の意味を見失ったすべての人の中に、キリストの顔を見るのです」と語られた。
また、教皇は、祈りは「本当に人間的」であり、人の心には「祈りに向かう傾向がある」が、それは「必ず、兄弟姉妹への愛を伴うもの」とされ、人間の経験は、「すべての祈りの中に存在しています。なぜなら、どんな過ちを犯しても、人は決して拒絶されたり、捨てられたりしてはならないからです」とも語られた。
*祈りの中で人を裁くな
さらに、「罪人のために祈りを捧げる時、裁いたり、非難したりしてはならない。祈る人は、すべての人のために、そして第一に自分自身のために祈ります。聖なる父は、まさにこの理由から、すべての人ができる祈りを示されました。それは『主よ、あなたの目で見て、誰一人、正しい者はおりません。私たちは皆、借金を抱えており、返済を終えていません。あなたの目で見て、誰一人、罪人でない者はおりません。主よ、私たちを憐れんでください!』という祈りです」とされた。
そして「神は、ご自分の民が罪を犯したにもかかわらず、誠実であり続けられ、手を汚すことを強いられても、羊飼いとしての奉仕をお続けになり、ご自分を苦しめた人々に対してさえも、心を閉じることをなさりません」と強調された。
*教会にも、執り成しの祈りを実践する使命
教皇は、「教会もまた、執り成しの祈りを実践する使命を持っています。そしてこの義務は、特に、他の人々に責任を持つ人々に課せられています。アブラハムとモーセのように、彼らは時として、自分たちに委ねられた人々を神の前で『守る』必要があります」と指摘。そして、神に祈ることで、「彼らは、神の目と心をもって、神と同じ無敵の思いやりとやさしさをもって、人々を守っているのです」とされた。
*私たちは同じ木に茂る葉
最後に教皇は「私たちは皆、同じ木に茂る葉です。散っていく葉の一枚一枚が、互いのための祈りの中で深い信仰を養われねばならないことを、私たちに思い起こさせます」と締めくくられた。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)