(2020.9.9 Vatican News Christopher Wells)
教皇フランシスコは9日、水曜日恒例の一般謁見の「世界を癒やす」をテーマにしたカテキーシスで、「共通善」に関心を向けられた。
*「共通善」を共に追求する
教皇はまず、「皆が共通善を共に追求すれば、新型コロナウイルス感染による危機から、もっとよく立ち直ることが可能になります」とされたうえで、今、利己的な目的のために危機を利用しようとする人々による「歪んだ関心が生まれてきている」ことを嘆かれた。
そして「新型コロナ危機とその結果生じている社会・経済的な危機へのキリスト教徒の対応は、愛-特に私たちへの神の愛ーに基づくものです」と語られ、「(注:神が私たちを愛してくださったから)今度は、私たちがすべての人をー友人や家族だけでなく、敵でさえもー愛するように、求められています… それが難しいことは分かっていますですが、学べる、改善できる業なのです」と強調された。
・共通善とは、この場合、「世界の人々皆が、主が望まれるように、平和で安全に自由に生きることのできる、皆にとって善いもの」と解釈できる(「カトリック・あい」)
*「愛の文明」を築く
続けて教皇は、愛は、私たちが個人的関係を作るのを助けてくれるだけでなく、(注:聖人となったパウロ六世とヨハネ・パウロ2世の両教皇が愛された表現を使って)「社会的、文化的、経済的、そして様々な関係を活発にし、『愛の文明』を構築できるようにします」と語られた。
*国境を設けない愛
また教皇は、「現在の起きている危機は、人それぞれの善が全体として社会の共通善と結びついており、その逆も真であることを、私たちに教えている」と述べ、「障壁、境界、あるいは文化的・政治的な区別を認識しないウイルスは、障壁、境界あるいは区別のない愛に、必ず、直面する」とし、危機の解決策が身勝手さや自己中心主義に汚染されるなら、「新型コロナ危機から脱出できたとしても、新型コロナが明確にした人間的、社会危機から脱出できないのは確実… (そうならないように)すべての人、特にキリスト教徒は、共通善を促進するために働く義務があります」と説かれた。
*倫理に根ざし、愛で育てられる政治
教皇はさらに、政治にはしばしば芳しくない評判が立つが、それには理由がない訳ではない、とされ、それでも、「政治が、人間と共通善を果たすべき主たる義務とするなら、良い政治は実現可能… すべての人、特に社会的および政治的な約束と義務を持つ人々が、「倫理的原則に基づく」振る舞いをするようにし、「社会的、政治的な愛」をもって、それを伸長するように求められている、と強調。「キリスト教徒、一般の信徒は、ある特定のやり方で、その模範を示すように求められており、慈しみの徳のおかげで、固有の社会的な側面を育て、それを行うことができるのです」と語られた。
*私たちは社会的な愛を高めるように求められている
最後に教皇は、「私たち社会的な愛を、一人ひとりの参加で高めるべき時は、今です」と言明。「各々が自分の役割を、例外なしに果たす必要があります… そうして、私たちの振る舞いを通して、最も慎み深い者でさえも、自分が抱いている神の姿がいくらか見えるようになるでしょう。神は三位一体、神は愛だからです」と言われ、「共通善のために」皆が力を合わせれば、神の助けをもって「私たちは、世界を癒やすことができるのです」と訴えられた。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)