(2018.10.24 バチカン放送)
教皇フランシスコは24日、バチカンでの水曜恒例の一般謁見で、モーセ「十戒」についてのカテケーシス(教会の教えの解説)を続けられ、今回は第6戒「姦淫してはならない」を取り上げられた。
まず、この戒めを「忠実を呼びかけるもの」とし、「いかなる人間関係も、誠実と忠誠なしでは、本物とは言えません」とされたうえで、「都合のよい間だけ愛する、ということはできません。愛は、無条件にすべてを与えてこそ、自分の利得を超えたものとなるのです」と強調され、「愛は決定的であるはずです。『とりあえず』ということはありえません」という「カトリック教会のカテキズム」( 1646項) の言葉を示された。
さらに、「忠実とは、自由で成熟した、責任ある関係に特徴づけられるもの。たとえば、友人も『どのような状況でも変わらない誠実さ』がなければ、友人とは言えません」と指摘され、「御父の無限の愛を生きるキリストは、その愛の力によって、私たちがたとえ過ちを犯しても見捨てず、たとえ我々がそれに値しない者であっても、私たちのためを、いつも思ってくださいます」と、キリストの中に真の愛の姿を見つめるよう招かれた。
また、「人間は『無条件に愛される体験』を必要とします。それを得られない者は、無意識のうちにある種の欠如感を自分の中に抱え、その空虚さを埋めるために、妥協し、安易で虚しい関係を受け入れてしまいます。危険なのは、そうして早まった未熟な関係を『愛』と呼んでしまうことです」と語られた。こうして時に肉体的な魅力が過大評価されることについて、「それ自体は神の贈り物ですが、人との真の誠実な関係を築く道へと導くためのものでなくてはなりません」と話された。
結婚生活への召命については、「2人の関係の質の十分な識別と、それを見極めるだけの婚約期間が必要」であり、結婚の秘跡にたどりつくまでに「『キリストの恵みによって、生涯、忠実を尽くす』と誓うことを可能にする『神の御手と導き』が2人の間に存在している、という確信を育てる必要があります」と説かれ、さらに「結婚は、神の忠実な愛という堅固な土壌を基礎とすべき」であり、そのためにも、「結婚の秘跡の前に、単なる形式だけで終わらない、充実した結婚準備講座が必要なのです」と司教や司祭たちにその責任を果たすことを求められた。
最後に教皇は「忠実さとは一つの生き方」であるとし、「忠実さで織りなされた生き方は、人生のあらゆる場面で、その人の誠実さと信頼性を浮き彫りにするでしょう」としつつ、「このような素晴らしい人生に至るには、私たち人間の力では足りない。神の忠実さが私たちの人生にもたらされ、私たちを感化する必要があります」とされ、「十戒」の第6戒は「私たちから不義の心を取り去り、忠実な心を与えてくださるキリストに眼差しを向けるようにと、招いているのです」と説かれた。
(編集「カトリック・あい」)