・Sr.阿部のバンコク通信(55) 長引くコロナ禍の中でも「常に喜べ、絶えず祈れ…」

  長引くコロナ禍で、 危篤の方のお見舞い、亡くなられた方々の見送りができない状況が続いています。駆けつけたい気持ちが祈りに込められ、ミサを捧げ、遥か彼方より葬儀に臨む、何とも心が痛みますが、存分にできなくて満足いかない気持ちの底に格別の繋がりを感じ、不思議に思います。

 寂しい気持ちで過ごす病人や孤独な人々を訪問できないもどかしさもありますが、そうした中で、この事態を生きる知恵や工夫が生み出されている事実に、人間のたくましさ、優しさを感じます。

 98歳の母親を自宅で大事に介護しながら「状況が治るまで頑張って欲しいの」と友達が言ってました。人生で出会ったたくさんの方々に囲まれて、お母さんを見送ってあげたいのですよね。

 葬儀や墓といえば、タイ国では上座部仏教のしきたりで、通夜(3日から7日、偉い方は1か月から100日ないし1年)、葬儀、火葬、海山に散骨、という流れで死者の見送りが行われ、カトリック教徒などのようなお墓がないのです。

 「体は滅びても、魂は生まれ変わる」という輪廻転生を信じ、それぞれの人生と死が、死後の在り様を決定し、生まれ変わって生き続けるのです。火葬した遺体は「抜け殻」で墓所に保存しません。

 葬儀は寺院で、通夜、葬儀、火葬の全てが僧侶の祈りに伴われて行われます。遺骨は、骨壷に収められ山に、あるいは船をチャーターして川を下り、沖合で僧侶の祈りに伴われて家族の手で海に撒かれ、次いで花びらを撒いて見送ります。大自然に戻す見送りに、「安らぎさえ感じ、腑に落ちた」とは、ある日本人の体験談。

 以前、「私が死んだら火葬して。灰は自然の中に撒いてね」と言ったら、「だめよ、公害になるから」と姉妹と大笑い、「せめて堆肥に」と願ったのですが。

 バンコクも感染者が増え、復活祭後も緊張、自粛状況で、祈りに拍車がかかる日々、夕刻は聖体顕示をして交代で世界の状況を思い、コロナ感染で苦しむ方々のため祈りを捧げています。

 「常に喜べ、絶えず祈れ。何事にも感謝し奉れ」ー聖パウロの勧めに従って励み、安心して見送られ、うれしい旅立ちをしたい、と願っています。

(阿部羊子=あべ・ようこ=バンコク在住、聖パウロ女子修道会会員)

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2021年4月30日