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・菊地大司教の日記㊷連休中の出来事と5,6月の予定
5月6月の主な予定
5月
- 8日 ペトロの家司祭ミーティング (朝、ペトロの家)、平和旬間会議 (夕方6時、教区本部)
- 9日 常任司教委員会、東京神学院常任委員会 (全日、潮見)
- 10日 仙台教区サポート会議 (全日、仙台)
- 11日 新潟教区佐渡殉教地巡礼 (全日、佐渡島)
- 12日 堅信ミサ (清泉インターナショナル学園、午前中)
- 12日 世界召命祈願日ミサ (関口、午後2時半)
- 13日 司祭評議会など (教区本部、10時半)
- 14日 新潟教区司祭静修 (全日、新潟)
- 15日 アレルヤ会総会、ミサ (13時、イグナチオ)
- 17日 カトリック美術展 (有楽町マリオン、 午前中)
- 19日 フランス語共同体ミサ (聖心女子大学、10時半)
- 20日 HIV/AIDSデスク会議 (潮見、15時半)
- 21日 ロゴス点字図書館理事会 (潮見、14時)
- 22日 ペトロの家会議 (教区本部、15時)
- 23日~30日 国際カリタス総会 (ローマ)
6月
- 2日 成城教会ミサ (成城教会、14時)
- 3日 司祭月修 (教区本部、10時半)
- 4日、5日 新潟教区司祭の集い (全日、胎内市)
- 6日 常任司教委員会 (全日、潮見)
- 7日 日本聖書協会理事会 (11時)
- 8日 ロゴス文化教室 (講師:若松英輔氏、14時)
- 9日 聖霊降臨祭、教区合同堅信式 (14時半関口)
- 10日 教区司教顧問会 (午前中、教区本部)
- 11日 カリタスジャパン事務局会議 (午後、潮見)
- 12日 ロゴス点字図書館評議員会 (14時、潮見)
- 13日 カリタスジャパン会議 (全日、潮見)
- 15日 世田谷聖母幼稚園講演会 (午前中)
- 16日 吉祥寺教会ミサ
- 17日 臨時司教常任委員会 (午前中、潮見)
- 17日18日 日本カトリック老人施設協会関東支部研修大会 (全日)
- 19日~21日 カリタスアジア理事会引き継ぎ (バンコク)
- 22日 日本カトリック映画賞授賞式 (13時、なかのZERO)
- 23日 歴代教区長ミサ (9時半、築地教会)
- 23日 イグナチオ教会ミサ (15時半、麹町教会)
- 24日 司祭金銀祝のお祝い (10時半、関口)
- 26日 カリタスジャパン関連講演 (15時半、上智大学)
- 27日 聖心女子大学ミサ (12時半)
- 28日 仙台白百合大学、修養会 (全日)
- 29日 ペトロの家後援会ミサ (14時、ペトロの家)
- 30日 豊四季教会ミサ (10時)
- 30日 フィリピン共同体ミサ (市川教会、14時半)
休中の諸々の出来事から
10日間という連休が終わりました。その間には、すでにお知らせしたように、新潟教区では、現役の主任司祭(亀田教会と白根教会)であり園長でもある山頭神父様が亡くなられ、その通夜と葬儀がありました。山頭神父様は、昨年3月頃に体調を崩され、検査の結果は余命3ヶ月ほどと言われていましたが、その後の治療もあり、最後は在宅の緩和ケアで亡くなられました。5月3日の夜に新潟教会で通夜。5月4日に葬儀が行われました。
4月27日の土曜日には、上石神井のイエズス会黙想の家の設立70周年と、霊性センターせせらぎの20周年を祝うミサがありました。黙想の家の聖堂が一杯になるほど、関係者の方が多数集まってくださり、私が司式し、イエズス会のレンゾ・デ・ルカ管区長と、責任者の柳田神父様と一緒にミサを捧げました。またミサ後には、お隣にあるイエズス会の高齢会員施設であるロヨラハウスを訪れ、30分ほど大先輩の宣教師の皆さんにお話をさせていただく機会もありました。
黙想の家は、その昔、1979年の秋頃、神言会の修練者であった時分に、同級の修練者5名で、一ヶ月間の黙想に来たことがありました。一人を除いてまだ20代前半でしたので、まだまだ未熟な修道者であったわたしたちは、ろくに黙想も祈りもせずに過ごしておりましたが、最後の週に当時指導をしてくださっていたイリサリ神父様の逆鱗に触れ、追い出されそうになったことだけを覚えています。そこで追い出されては修練期が続かないので、必死でお願いして、追い出されずに済んだことを覚えています。建物は、当時は昔の旧カルメル会修道院で、今は新しくなりましたが、懐かしい場所です。その一ヶ月の黙想会にはシスター方も多数おられましたが、後に、司教になってから、ある修道院でそのとき一緒だったシスターに再会して、冷や汗をかいたこともありました。
4月28日の日曜日は、昼12時から、千葉中央宣教協力体の合同ミサが、鎌取にある聖母マリア幼稚園を会場に行われました。千葉中央宣教協力体に所属しているのは、西千葉、千葉寺、東金、茂原の各小教区です。
きれいに晴れ渡った空の下で、野外ミサでした。祭壇の向こうには、鯉のぼりもみえて、素晴らしい環境でした。
この日のミサでは、特に、復活の主日に発生したスリランカでの爆弾テロ事件の被害を受けられた方々に思いを馳せ、亡くなられた方々の永遠の安息を祈りました。この地域におられるスリランカ出身の方も数名ミサに参加してくださいました。
祈りのために集まった聖堂で、そのようなとんでもない事件に巻き込まれた方々の心にはどれほどの悲しみと恐怖が刻まれてしまったことでしょう。スリランカの教会のために、祈り続けたいと思います。そして、どのような理由があるにせよ、暴力的な方法でこのように人間の生命を奪うことは、決して許されることではなく、犯行に及んだ者たちのその暴挙を、あらためて強く非難します。
ミサ後には、それぞれの教会で木陰に席を設け、一緒に弁当の昼食会となりました。また教区の青年たちが、今年の9月に予定されているネットワーク・ミーティングの打ち合わせのために、ミサ後に合宿を行っておりました。よい企画が立てられることを期待しています。
連休中でもあり、また行きも帰りも事故があったようで、道路は凄まじい渋滞でした。
4月29日の月曜日は、昼過ぎから、JOC(カトリック青年労働者連盟)の日本での創立70年のお祝い行事が、東京隅田川の辺にある永代働く人の家で行われました。JOCのOBやOG中心に50名ほどの方が参加。青年たちによるコンサートあり、分かち合いの発表あり、同伴しているペラール師(パリ外国宣教会)の80歳の誕生祝いありと、楽しいひとときでした。
JOCは、例えばガーナなどではYCWとして知られていますが、ホームページによれば「20代前後の働く・働こうとする若者のグループです。“人を大切にする”という精神をもとに、それぞれの現状を分かち合いながら、仲間と共に成長していくことを目指します」とあります。
また、「個人の活動を助けるために毎週あるいは月2、3回程度の集まりをしています。 そこではお互いの生活や活動について分かち合い、「見直し」をしています。 仲間を広げたり、グループの仲間意識を育てるために、自分たちで楽しい行事を企画しています」ともあります。関心のあるかたは、JOCのホームページをご覧ください。
そして、5月5日には、六本木のフランシスカン・チャペルセンターで堅信式があり、32名のおもに子どもたちが堅信を受けました。
フランシスカン・チャペルセンターのミサは英語ミサで、東京近隣に在住する英語を使う様々な国籍の方々がミサに参加されています。しっかりとした聖歌隊には、3本のブラスの伴奏もついて、荘厳でした。海外に住む親族などのためでしょうか、堅信式の様子はインターネットで同時中継されていたようです。
千葉中央宣教協力体のミサでも、六本木でのミサでもお話ししたことですが、主の復活を見なければ信じないと言ったのは弟子のトマスでしたが、まさしく見なければ神など信じないと主張する世界の中で、わたしたちは信仰を生きています。そもそも現実の生活においては、様々な具体的価値観がもてはやされ、人生の中にあって大切だと思われているものは、何らかのレベルでの利益をもたらす具体的な事柄ばかりであって、目に見えない神を信じる宗教は、それほど重要な位置を占めてはいません。宗教に重要性があったとしても、例えば祈ればこれだけの効果があるとか、この神に頼ればこれこれの願いが叶うとか、そういった類いの具体的な出来事でもてはやされることはあっても、なかなかそれ以上ではありません。大げさに言えば、たくさんの神の存在を疑うトマスに囲まれてしまっています。
その中にあって、神を示すのは、わたしたち信仰者による共同体の存在そのものではないでしょうか。教会は社会の直中にあって、神によってもたらされる愛と希望と喜びの目に見えるしるしでありたいと思います。その共同体の存在を通じて、神の存在を実感させるような、愛と希望と喜びと、そして大切な霊性に満ちあふれた共同体でありたいと思います。小教区共同体を、そういった存在に育てていくことは、福音宣教の一つの道であると思います。
・Sr.阿部のバンコク通信㉜復活祭!信仰と希望の喜び、カテドラルで、郊外の女子刑務所で!
「キリスト者とは、希望を持って生きる者」-復活祭のローソクを囲み、感謝のミサに与りながら、友人司祭のこ の言葉を思い出しています。
バンコクの復活祭。聖木曜日の聖香油ミサの終わりに、祭壇に並んでいる復活ローソク を教区長の手から各教会、修道会代表に手渡されました。 カテドラルには満員の信徒、修道者、祭壇を囲む司祭団。 仏教国での荘厳な典礼に毎年感動し、栄光の賛歌、使徒信条を思わ ず精一杯の思いを込めて歌ってしまいます。因みに復活ローソクは 、毎年スポンサーがあり、贈呈されます。
聖土曜日の朝は、バンコク教区の洗礼志願者全員がカテドラルに集 い、「エッファタ」の式が行われます。 受洗式は各教会で行われすが、毎年200人前後の受洗者が参列し 、各教会の洗礼志願者と代父母が紹介され、直前の準備の式が行われ ます。
母なる教会共同体に、しっかり受け止められた実感、連帯を感 じる雰囲気です。朝食に始まり、昼食(各自¥290)まで用意された、素敵なエッファタの式です。私も、日本人求道者を伴い、幾度も参 加しました。 バンコク教区は、小教区74、信徒数12万1030人。バンコク都市圏の人口1374万8261人、11県を含みます。
復活祭翌々日には、ナコンラーチャシーマー県の女子刑務所で、復 活祭のミサと13人の洗礼式、1人の堅信式がありました。 空色の上衣、紺色の巻きスカート、所内の平素の服装ですが、満面 の喜びと輝く目…。刑務所の片隅は地上の天国さながらでした。
ミサ後、お弁当とケーキを配り、昼食、午後から受洗者の分かち合い を聞き、喜びを共にしました。キリストの復活の光が灯され、希望を 胸に生きる人々と喜びを噛み締めた復活祭でした。信仰と希望の喜 びを、愛読者の皆さんに!
(阿部羊子=あべ・ようこ=バンコク在住、聖パウロ女子修道会会員=写真は100年の歴史を持つバンコクのカテドラル・被昇天の聖母大聖堂で)
・三輪先生の時々の想い③平成が始まった日..
平成の大晦日にこれを書いている。
1989年1月8日、昭和が終わり平成が始まった朝まだき、そぼ降る雨の湘南辻堂海岸を、私は万感の想いを胸に、ひたすらハッシハッシと波打ち際を裸足で走っていた。
先の戦争で特攻死した長野県立松本中学校の先輩を悲しく思い起こし、哀れに想っていた。また敗戦と共に予科練から、白い飛行機乗りのマフラーを与太者風に巻いて教室に帰ってきていた、あまり出来のよくなかった同級生の事を想っていた。
銃後にいた僕ら中学3年生は、芝浦タービンが松本市の郊外、笹部の飛行場に隣接して新設した工場で、飛行機のための過給機を生産する一端を担っていた。昭和20年8月15日の正午、敗戦詔書の「玉音」放送を現在の安曇野市穂高有明の疎開先であった母の姉夫婦の赤沼医院で聞いた。
昭和天皇との「深い」関わりは、この終戦記念日と、裕仁天皇崩御の放送を聞いた時だった。その頃、私は海遊びのための部屋を、辻堂海岸へ100メートルぐらいの所に持っていた。絵を描いたり論文を書いたり、体を鍛えたりしていた。
天皇が亡くなられたのは昭和64年 1月7日のこと、勤務先の上智大学も年末からの冬休み中で、私はこの海辺のマンションの1室にいた。天皇崩御のニュースを聞いてから、この天皇の御代を昭和4年に誕生し、ちょうど還暦を迎える年回りになっていた昭和64年の私が、納得出来る弔い方が有る筈だった。
自分の気持の赴くままに海岸に出て漁師小屋の軒下で身包みすべてを脱ぎ捨て素っ裸になった。そして波打際をひたすら走った。禊のつもりであった。そぼ降る雨は、真冬の1月上旬としては、肌に優しく温もりさえ感じるほどだった。ハッシハッシ、ワッショイワッショイと走り続けた。
その営みは昭和の御代に対外戦争で命を落とした人々への鎮魂と、平和への燃えるような祈念の賜物であった。
(2019 年4 月30日記)
(三輪公忠=みわ・きみただ=上智大学名誉教授・元同大学国際関係研究所長)
・Dr.南杏子の「サイレント・ブレス日記」㉚理想の休暇の過ごし方-モンゴルへ!
昨年の夏、ある女性雑誌から次のような取材を受けた。「あなたにとって、理想の夏休みの過ごし方を教えてください」。
なかなか休みを取りづらい身としては、雲をつかむような問いだった。ただ、「ほお、おもしろい」とも感じたのは、その質問に、「たった1日の休み、1週末だけの休み、そして1週間の場合に分けて、それぞれ理想の過ごし方を教えてください」と注文がついていたことだった。私は次のように回答した。
理想の1日の夏休み=VRでバンジージャンプ体験:
「ひどい高所恐怖症なので、高い場所に立つだけでも怖くてたまりません。なのに、なぜかバンジージャンプにずっと挑戦したかった。そんな私なら都内で体験できるバーチャル・リアリティー(VR)がぴったりかなと。貴重な1日だけの夏休みは、井の頭線に揺られて渋谷に繰り出します。お目当てはバーチャル・リアリティーのテーパマーク。家族や友達など、なるべく大勢で行って、普段は全く出したことのない叫び声をあげれば、ストレスを発散してリフレッシュできそうです」
理想の1週末だけの夏休み=「変なホテル」への宿泊:
「星新一の世界に紛れ込んだように、受付はロボット、ルームサービスはAIというのを体験してみたい。どこでもいいのですが、浅草橋のローカルな街並みを経由して行くと、新旧のギャップが大きくて面白いかもしれません。いちばんの目的は異次元空間の体験というか、遊び心です。ただ、病院も宿泊施設の一種なので、未来の病院に役立つヒントに気づくかもしれないと期待しつつ、職場の友人と行ってみたいです」
理想の1週間の夏休み=モンゴルのゲルで暮らす:
「子供の頃、初めて『遊牧民』という言葉を聞いたとき、とても不思議な気持ちがしました。遊んで、牧畜する民、ですからね。毎日学校に行くのが当たり前、家は動かないのが当たり前、大人になるまで同じ町に暮らすのが当たり前、そんな生活をしていた小学生にとって、遊牧民として暮らす人々がいるというだけで、もう、文字通りのカルチャーショックというか、世界の広さを感じたものです。
その遊牧民の象徴のように思えるものが、私にとってはゲル(移動式住居)なのです。折りたたみ式の住居というだけで、もう、どんなふうになっているのか興味津々です。構造や素材なんかもしっかりと確認したいですね。『行きたいところ』というより、モンゴルでゲルに泊まれればどこでもいい。
『住んでいるように過ごす』ことで見えてくるものがあります。気分は『冒険』や『探検』なので、観光名所については、実はあまり興味がありません。家族でも友達でも、それを理解してくれる人といっしょに行きたい。本当はもっと長期の方がいいのでしょうが、とりあえず1週間のチャレンジから。
今のモンゴルの人々がどう生活しているのか、牧畜をしている様子や、普段の食事、日常の娯楽風景などを知りたい。気温や寒暖差、日差しの強さ、周囲の風景などの自然を体感したい。そして何よりも、移動日にいっしょにいさせてもらって、ゲルをたたんでロバ(?)に乗り、一家で暮らした地を離れ、また新たな安らぎの地を求めて草原を移動、再びゲルを建てるところまでをぜひとも見たいです。
固定した場所に順応する毎日から、移動しつつ順応できる場所に暮らす日々を過ごせば、世界の見え方が変わるかもしれない。日本に帰国したとき、自分の生活がどんなふうに見えてくるのか、新しい小説の発想にもつながる気がして、その変化がまた楽しみなのです」
夢のような休みをめぐるお話から約9か月。人生、ときに願いがかなうことがあるのだ、ということを実感している。平成から令和の改元に伴う10連休、私はモンゴル行きの機会を手に入れた。あす日本を発ち、ウランバートルを経由して、あこがれのゲル暮らしへ。
「草原の夏」というにはなお肌寒い季節に、1週間には少し足りぬ6日間のチャレンジである。まさしく珍道中になるだろう旅のご報告は、そんな機会があればまた。――それでは、行ってまいります。
(みなみきょうこ・医師、作家: 終末期医療のあり方を問う医療ミステリー『サイレント・ブレス―看取りのカルテ』=幻冬舎=が昨夏、文庫化されました。クレーム集中病院を舞台に医療崩壊の危機と医師と患者のあるべき関係をテーマに据えた長編小説『ディア・ペイシェント』=幻冬舎=も好評発売中)
・菊地大司教の日記㊶福島とともに-CTVCを社団法人化
復活の月曜日、4月22日の午後2時半から、福島県の南相馬市にある東京カトリックボランティアセンター(CTVC、責任者は幸田名誉司教)の支援拠点であるカリタス南相馬において、一般社団法人カリタス南相馬の設立社員総会が開催され、新しい法人が正式に立ち上がりました。
カトリック原町教会の敷地内にあるカリタス南相馬は、震災発生後から福島県内で様々な活動を展開してきたCTVCが、これからの長期的支援活動の拠点としてカリタスジャパンの援助の元に設置したもので、様々な女子修道会や地元などの団体からも人的な協力と支援をいただいています。
現在のカリタス南相馬所長は、聖心会のシスター畠中。これまでも長期にわたって、南相馬での支援活動を率いてこられました。
司教団は、2021年の3月末まで、全国の教会をあげての復興支援活動を継続することにしています。しかし同時に、これまでの活動を通じて、それぞれの教区や団体が築き上げた地元の方々との深い絆や関係もありますし、また現実を見るならば、地域によってはこれからもまだまだ支援活動が必要な場もあります。
とりわけ福島にあっては、主に浜通り(沿岸部)を中心に、震災と原発事故の影響はなくなったわけではなく、特に原発事故によってもたらされた地域共同体への影響には深刻なものがあります。この地にとどまる選択をした人、避難先から戻られた人、現在も避難生活を続ける人。それまでごく普通の生活を営んできた人たちは、震災とそれに伴う原発事故によって『普通』を失い、予期せぬ道を歩み始め、いまだその『普通』を回復できてはいません。
本来であればそのような状況で生活しているはずはない、すなわち自分たちに責任がないにもかかわらず、今どういう生き方をしているかで、様々な評価をされ、いらぬプレシャーを受けている方々もおられます。地域の共同体は、分断されて、それによって傷ついている方々が多くおられます。
そういう、外部要因によって予期せぬ生活に引きずり込まれた方々が、普通に生活ができるようになるまでは、やはり一緒に歩みをともにすることを止めるわけには行かない。そう判断して、10年後以降も歩みをともにする方法を模索しながら、その拠点として、カリタス南相馬を続けていくことにしました。
とはいえ、東京教区だけでその活動を支えることは難しく、カリタスジャパンからの継続した資金提供もまた難しく、さらには、地元である仙台教区の意向や将来計画もある中で、確実な歩みを続けるためにと、CTVCに関わる方々が検討を続けた結論が、法人化でありました。
今般の一般社団法人化に当たり、26名の方が設立時社員として名を連ね、私も幸田司教様とともに、社員に加わりました。また設立社員総会で、理事も承認され、責任者である代表理事には幸田名誉司教が就任することになりました。なお仙台教区の平賀司教様も理事に加わっておられます。
今後、地元の方々や行政とも連携しながら、長期的な歩みを続けていこうとするカリタス南相馬の活動にご理解とご支援を頂けましたら、幸いです。
なお、将来的には、CTVCを東京教区の災害ボランティア活動拠点として発展させていきたいと考えていますが、ちょうど、カリタスジャパンが東日本大震災を教訓に災害対応マニュアルを作成中で、それに基づいてのこれからの備えなどを考える担当に、豊島神父様を任命したところですので、今後、豊島神父様を中心に、整備していきたいと願っています。
さて、福島つながりで4月25日の夕方、きらきら星ネットの方々が、教皇謁見の報告のために教区本部を訪ねてくださいました。きらきら星ネットは、福島の原発事故以降、避難者、被災者を支援するための市民によるグループです。今回はきらきら星ネットが支援を続けている自主避難をしている方々を代表して、高校生の鴨下全生さんが、スタッフとご両親とともにバチカンで教皇様に謁見し、避難生活の実情を訴えたもので、一般紙にも報道されました。
事故があったからこそ避難することを選択したのに、避難先ではいじめに遭ったり、福島から来たことを隠さなくてはならなくなったりと、様々な困難に直面してきた鴨下さんは、教皇様に、原発事故が引き起こした地域共同体の分断とそれに伴う苦しみを訴え、教皇様に是非とも福島へ来てほしいと訴えました。
事故によって被害を受け、助けを求めて避難したところで差別されいじめられる。なんとも理不尽なことだと思います。原発事故によって分断された福島の方々の、心に負っている重荷は、忘れ去られて良いものではありません。
神が与えられた賜物である人間のいのち。そのすべてを愛され大切にされ、そしてその一つ一つが与えられた使命を十全に果たすことができる社会の実現。それを神様は望まれているのではないでしょうか。
教会全体として、様々なレベルでの、歩みをともにする活動を続けていくことができればと思います。
(菊地功=きくち・いさお=東京大司教、「司教の日記」よりご本人の了解を得て継続して転載しています)
・Sr.石野の思いであれこれ⑩志願者生活-ミサ、祈り、神学の勉強…鏡はご法度
シスターたちは志願者にいろいろ教えたくても言語障害が立ちはだ かる。そこで聖パウロ会のパウロ・マルチェリーノ神父さまや、グイド・パガニーニ神父さまが助けの手を延べてくだ さり、修道会の歴史や、聖書について講義をしてくださった。
また志願者は入会するとすぐに上智大学の神学講座に通って神学の 勉強をした。シスター・アウグスタのイタリア語のレッスンもあり、学生生活の続きのようで楽しかった。ミサや朝晩の祈りの他 に、日中一時間の祈りもあった。これは、シスターの指導によって行われた。
規律や日課、時間割などは、毎日繰り返されるので、一応説明され 実行しているうちに自然と身につく。朝は5時30分にシスターがたたく手の音で起床。身支度を整えたら廊下に整列して聖堂まで行く 。夜の祈りの後、翌日の朝食までは大沈黙。 必要なことだけをごく、ごく小さな声で話す。だから朝は沈黙のうちに身支度を整える。
と ころがここに大問題が横たわっていた。鏡を使うことは、シスターの卵たちには許されていなかった。「なぜ?」と,私たちは疑問を持ったが、ただ従がった。「目上には従順であること」と教えられていたから。でも、100パーセント受け入れることは出 来なかった。
さて、どうしよう?皆で頭をひねって考えた。その結果、名案が浮かんだ。日本家屋なので、雨戸を閉めて暗いまま で部屋に電気をつけ、障子を開けると雨戸の内側にあるガラス戸に姿が写る。大発見と喜んだ私たちは、毎朝、支度が整うまで、雨戸とガ ラス戸を閉めたまま、そこに姿を映して、髪を梳き支度を整えた。
それを知ったシスターからお目玉頂戴。そのうち、私たちも鏡な しで、難なく支度ができるようになった。
( 石野澪子=いしの・みおこ=聖パウロ女子修道会修道女)
・菊地大司教の日記㊵28日、復活節第二主日のミサで、スリランカの兄弟姉妹のために祈ろう!
2019年4月23日 (火) 復活の主日なのに
4月21日は復活の主日でありました。私たち、キリストの信仰に生きる者にとっては、クリスマスとともに、いや、クリスマス以上に大切な日ですし、主の復活は私たちの信仰の原点でもあります。同時に、主イエスがその言葉の通り、罪の枷を打ち砕き、死に打ち勝って新しい生命へと復活された勝利の日でもあり、喜びの日でもあります。
そのような日に、スリランカでは大きな爆発テロ事件が発生し、多くの方が生命を奪われ、また負傷されました。攻撃を受けたのは教会やホテルです。喜びであるべき日にこのような悲劇に直面された多くの兄弟姉妹の心に受けた衝撃を思うとき、また愛する人を失った悲しみを思うとき、ただただ悲しくて、なんと言えばよいのか言葉が見つかりません。どのような理由があるにせよ、このようなかたちで尊厳ある人間の生命を暴力的に奪うことは、決して認められることではありません。その蛮行を、強く非難します。
暴力的に生命を奪われた方々の永遠の安息を祈るとともに、怪我をされた方々の一日も早い回復をお祈りいたします。また、祈りのために教会に集まっていた多くの方が、これによって本当に恐怖にさらされたことを考えるとき、スリランカの教会の受けた衝撃と深い傷を思わずにはいられません。スリランカの兄弟姉妹の、いやしのために祈ります。
宗教に生きる者は、どのような理由があるにせよ、生命の尊厳を守り抜き、神の秩序が確立された世界を実現するために、平和への道を選択しなければならないことを、あらためて心に刻みたいと思います。
別途一斉ファックスなどでお知らせしますが、次の日曜日、復活節第二主日のミサでは、是非、大きな被害を受けたスリランカの教会の兄弟姉妹のために、またスリランカにおける平和のために、お祈りをささげてくださるように、お願いいたします。
(菊地功=きくち・いさお=東京大司教)
・菊地大司教の日記㊾復活徹夜祭@東京カテドラル「暗闇の中で光を輝かせる勇気を」
みなさま、御復活おめでとうございます。
関口教会では、土曜日の午後7時から東京カテドラル聖マリア大聖堂で行われた復活徹夜祭において、23名の方が洗礼を受けられました。また2名の方が転会されました。受洗されたみなさま、おめでとうございます。これからも教会共同体の一員として、歩みをともにしてまいりましょう。
以下、本日の説教の原稿です。
私は司祭職のはじめから長年にわたって、いわゆる途上国に関わって参りました。司祭としての最初の任地はアフリカのガーナでしたし、帰国してからは教会の国際的援助組織であるカリタスの業務に関わり、多くの国々を視察などで訪れる機会がありました。その援助活動や宣教の現場で、様々な形をとって具体化している貧しさの現実を目の当たりにしてきました。
貧しさはどちらかと言えば相対的な概念ですから、比較が難しいのですが、それでもいったいどうやって生命をつないでいるのだろうと危機的に感じる貧しさの現実が、確かにあります。絶対的な貧困といえば、たとえば世界銀行は一日の生活を1.9ドル未満で過ごす人たちのことだとしています。世界ではいま7億人ほどの方々が、そのような状況の中で、毎日の生命をつないでいると言われます。
世界第三位と言われる経済大国である私たちの国でも,貧しさはいま大きな問題となっています。確かにアフリカの現実とは異なり、困窮している現実がはっきりと目に見える形ではないのかもしれません。しかし社会の現実はどうでしょう。全体との比較の中で相対的な貧しさのために、教育や就業の機会が奪われていたり、医療や社会保障が十分に受けられなかったり、頼る人がおらず孤立していたりと、貧しさに起因する困難な状況は枚挙にいとまがありません。そして私たちの国で、生命の危機に直面する人は、いまや例外的存在ではありません。
インターネットで貧困について検索すれば,どこにでも判で押したようにこう記されています。「世界第3位の経済大国でありながら、日本には高い貧困率という問題が存在している。7人に1人が貧困にあえぎ、1人親世帯では半数以上が貧困に苦しんでいる」
加えて、少子高齢化の進む中で人手不足が深刻化し、それを補う形で多くの外国籍の方が来日されたり、または生命の保護を求めて来日する方もある中で、厳しい労働環境や住環境、そして法規制という困難に直面しながら、十分な助けのない中で生命をつないでいる方々が増えているという事例は、もう珍しいことではなくなりました。
日本の教会は、21世紀の初めから、人間の生命が危機に直面していると訴えてきました。その始めから終わりまで大切にされ守られなければならない人間の生命が、様々な社会の現実の中で危機にさらされている。しかもその解決を、個々人の責任として放置することは,さらなる生命の危機を生み出すと警告し続けてきました。
障害のある人たちには生きる価値がないとする考えで殺人に走る人や、幼い子どもに虐待を加え生命を奪ってしまう親が存在することは,確かに許されないことですし衝撃的です。しかしそれは、一人加害者が特別な人物だったからではなく、社会に蔓延する生命への価値観そのものを反映した行動だともいえます。
私たちはいったい何を大切にし、何を優先させて生きているのか。
本日のミサで一番最初に朗読されたのは,人類創造を語る創世記でありました。そこにこう書いてあります。
「神はご自分にかたどって人を創造された。神はお造りになったすべてのものをご覧になった。見よ,それは極めて良かった」完全な存在は唯一、神だけです。その完全な存在に限りなく似たものとして,人間の生命は創造されました。そこに人間の尊厳の根源があります。そして人間の生命を含め,すべての被造物は神の目に適うよいものであった。だからこそ神は被造物を,とりわけ人間の生命を限りなく愛されました。
イスラエルのエジプト脱出の出来事も、そしてイエスの受肉と受難と死と復活も,すべてはその生命の誕生を原点として、神のあふれんばかりの愛といつくしみの結果としての救いの計画の中で実現してきました。
この生命が、尊厳あるものとして現実社会の中で大切にされ、十分に生きられるようになることは、神が望まれることではないでしょうか。だからこそ私たち信仰者は、そのためにありとあらゆる手を尽くしていかなくてはなりません。危機に直面している生命を守る努力を続けなくてはなりません。
第二バチカン公会議を契機として、しばしば「開かれた教会」という言葉が聞かれるようになりました。教会は内にこもっていてはいけない、社会に対して開かれていなければならない。それは組織論として、現実において生きる教会の取り組みを強化しようという以上に,信仰者一人一人に社会に開かれた信仰生活を求める回心の呼びかけでもありました。
教皇フランシスコは,そこに留まらず、「出向いてく教会」であることを呼びかけます。とりわけ、貧困や困難のうちに生命の危機に瀕している人のもとへと、積極的に出向いていく教会であれと呼びかけます。門戸を開いて待っているだけではなく,その門から外へ向かって、社会の中心から離れている人たちのもとへと出向いていくことを求められています。
その教皇様は、今年の11月頃には東京にやってこられるのですが、私たちはどんな教会の姿を教皇様にお見せするのでしょうか。
本日洗礼を受けられる皆さん。先ほど朗読されたエゼキエル書に、こう記してありました。
「私はおまえたちに新しい心を与え、おまえたちの中に新しい霊を置く」
洗礼を受けることによって、キリストともに古い自分は終わりを告げ、新しい自分の生き方が始まります。キリストと共に生きる人生の始まりです。共に生きるキリストが,いったい何を大切にしているのか、私たちがどのように生きていくことを望まれるのか、それを心にとめていなければ、キリストと一緒に生きていくことはできません。
教会が社会の中にあって掲げることのできる希望の根源は、生命を守り抜くところにあります。一人一人の生命は、条件なしに,すべてに尊厳があり、神から大切な存在だと言われているのだということを、多くの方々に伝えていきたいと思います。教会は,社会の中にあって希望の光を輝かせる存在でありたいと思います。
復活された主に、暗闇の中で光を輝かせる勇気を願いましょう。復活された主に、信仰における勇気を願いましょう。復活された主に、その死と復活に与り、新たな一歩を踏み出す、信仰における力を願いましょう。復活された主に、神の福音の光を照らし続ける忍耐の力を願いましょう。復活された主に、神のいつくしみを一人でも多くの人に分けていく思いやりの心を願いましょう。
(菊地功=きくち・いさお=東京大司教・「司教の日記」より、ご本人の了解を得て転載)
・Sr.岡のマリアの風㊳ベトナム2泊4日出張の覚書
ベトナム出張覚書(2019年3月28日~31日)
Sr.カリスタ(Sr.C) のお伴で、初のベトナム行き。第三修練期のため、Sr. アントニエッタ(Sr.A)が日本に一時帰ること、ベトナムの姉妹の初の終生誓願式があることなどを、教区の司教さまに報告に行くことが主な目的。日程調整が難しく、28日・木曜早朝に福岡発、31日・日曜未明にベトナム発・帰国という短い出張となる。
【3月28日(木)】
ベトナム行きが決まった時から、ホーチミン在住、パウロ会の山内神父 (Y神父)さまにお会いしたいと思っていた。わたしたちの日程が、かなりギリギリなので、無理かもしれない、と半ばあきらめていたところ、 出発前夜に、ベトナムにいるSr.ビビアンナ(Sr.V )から「ホーチミン空港から直接、神父さまを訪ねることが出来るかもしれない、住所と電話番号を教えてほしい」と連絡が入った。山内神父さまに、その旨メールする。28日出発前、山内神父さまから住所と電話番号を知らせるメールが来ている。急いでプリントアウトして、Sr.Vに連絡する。
28日の早朝4時45分、Sr.マリア・テレサ(Sr.MT)の運転で修道院出発。高速道路がすいていたので、6時45分くらいには福岡空港に着く。チェックインも、搭乗手続きもスムーズ。福岡空港からホーチミン空港への直通便は週二回。飛行時間は、行きは5時間30分、帰りは4時間50分。ベトナム航空は、エコノミークラスでも 一人40kgまで預けられるとか。そういえば、皆さん、大きな荷物を預けている(乗ってみると、そんなに大きな機体ではないが、どこにそんなに荷物が入るのだろうか?)
福岡空港8時50分発。九州はまだ肌寒いくらい。 ゲートの電光掲示板は、「ホーチミン 最高気温35度」と知らせている。機内はすいている。膝掛け毛布が、大きく厚いので暖かい。ベトナムとの時差は、マイナス2時間。ホーチミン空港、12時20分頃着。ひじょうに暑い。 今は乾期、湿気がない。Sr.Vが迎えに来てくれた。タクシーで、Sr.Vの寄宿舎―シャルトルの聖パウロ会修道会敷地内―に移動。
共産国ベトナムでは、ベトナム戦争前からあった修道会は制服 (修道服)着用を許されている。わたしたちのように、新しい修道会は私服である(さらに、わたしたちは少人数なので、修道会としての国への登録手続きはまだ始めていない)。修道院の聖堂では、白い修道服のシスターたちが祈っていた。
修道服着用を認められていないシスターたちは、使徒的活動 出版、教育、医療事業も出来ない。幼稚園や、無料の診療所などは、ある程度許されているらしい。ここシャルトルのシスターたちは、針灸の診療を無料で行っているそうだ。働く時は、白いベールに白いパンタロン。 さっそうとバイクに二人乗りして、出かけていく。 国際修道会は「外国からの資金援助がないと生活出来ない」のが現状とか。同時に政府としては、国際修道会を通して外貨が入れば国家収入になるので、それも容認の理由とか。
Sr.Vの部屋に、ひとまず荷物を置き、パウロ会Y神父さまを訪問する。教えてもらった住所に来たが、修道院らしいものはない。神父さまの携帯に電話をすると、「分かりました、今、降りて行きます」とお店のようなところから階段を下りてくる。結構急な階段を上って二階へ。降りるときは滑り落ちそうだが、そのような「事故」は、まだない、と神父さま。
一か月前に来たという、五島出身のブラザーと、若い神父さまも一緒に懇談。五月初めに、三年の任期を終えて日本に帰るY神父さまに、いろいろとベトナムの事情を伺う。教区のミサには、共同司式はせずに、信徒として預かるそうだ。ミサには、私服の公安警察が来ていて、説教の内容などをチェックしているので、外国人が共同司式をしていると、「あれは誰だ」ということになり、いろいろと調べが入るから。
国も、外貨が入るというメリットがあるため、外国人神父、修道者たちの存在、普通は知らないふりをしているが、宣教活動をしたり、共産主義の批判をしたりすると、目を付けられ、国外追放となり再び戻ってくることは出来なくなる。パウロ会だけれど、出版やメディアを通しての福音宣教は出来ない。Y神父さまは、Sr.Vと同じベトナム語学校に通っていて、そこで海外からの宣教師たちと出会い、情報交換をするという。互いに自分が修道者であることは言わないけれど、一緒にいるうちに、だんだん分かってくるそうだ。Y神父さまは「将来、国の政治を担っていく若者たちの多くが、今、海外で勉強をしているので、ゆっくりではあるけれど、何かが、若者たちから変わっていくでしょう」と言っておられた。
Y神父さまに修道院の中を案内していただき、聖堂、屋上にある食堂などを見せていただいた。Sr.Vの宿舎に戻り、荷物を取り、15時15分頃、姉妹たちの小さな共同体があるドンナイ省に向けて出発。約一時間の距離だが、交通渋滞時にはもっとかかるという。
とにかく、猛烈な数の小型バイクが道を占領して走り、その間を縫って、トラック、車がクラクションを鳴らしながら走っているという感じ。お父さんが運転をし、お父さんの前には小さな子供が座り、その後ろに、赤ちゃん、お母さん…と、四人で乗っているバイクもある。転んだり、事故に会ったらどうするのだろう、とハラハラする。しかし、これが、ベトナムの通常の交通手段らしい(車を買うのは高いので)。
共同体では、Sr.アントニエッタ Sr.A 、志願者二人、フェさん、ハーさんが、出迎えてくれる。 夕の祈り。ベトナム語の祈りは、音程が上がったり下がったり、歌っているように聞こえる。
ドンナイ省は、人口の9割程度がカトリック信者だそうだ。多くの家の庭に、ご像が置いてある。み心(または、いつくしみ)のイエスさま、ヨセフさまのご像が多い 。Sr.Aが「ベトナムにはたくさんの問題があり、人々は苦しんでいる。だから、聖家族の家長であるヨセフさまへの信頼が深いのだと思う」と言う。
ベトナムの朝は早いので、シャワーを浴びて、早めに休む。太陽光を使い始めたので、お湯が出るようになったそうだ(それまでは、水でシャワーをしていたとか)。タイルの上にマットレスのような布団を敷き、その上に寝る。虫対策のための大きな蚊帳を使う
【3月29日(金)】
ベトナムは、日中暑いため、早朝から一日が始まる。午前3時半起床、共同体の祈り。その後、畑を横切って、福音の光修道会の聖堂へ。この修道会は戦前からあったので、シスターたちは修道服を着ている。主に、貧しい子供たちの世話などを無償で行っていて、海外にある本部からの援助を受けながら生活しているそうだ。
5時半ミサ、イエズス会の若い神父さまが司式。ミサの後、神父さま、修道院の院長シスターに挨拶。共同体に帰り、朝食。今朝は洋式で パンとコーヒー。とにかく果物と、畑からの野菜がふんだんに出る。健康的だ。メスのハムスターを飼っていて、名前は「フランシスカ 」。普段はカゴの中にいるが、午前中は畑に放し飼い。畑の野菜も食べるが、体が小さいので、害にはならない。けっこう、好き嫌いがあるらしい。
7時半、共同体があるソンロク教区の、ヨセフ・ダオ司教さまに挨拶するために出発。国道一号、ベトナムの南北を横断する主幹道路を通る。混んでいる。8時半ころ、司教館に着く。温和なダオ司教さまと、一時間くらい懇談。Sr.Cが「わたしたちの修道会のとって、初めてのベトナムの姉妹たちの終生誓願式なので、時間が許せば来てほしい」とお願いする。「まだ予定が分からないけれど、考えてみます」と司教さま。
この教区内には40の修道会があるらしい。「ベトナムで修道会として活動するには、さまざまな困難があるけれど、わたしに出来ることは喜んで協力します」と言ってくださる。五つの色のロザリオ(五大陸のために祈る)を、一人一人にくださり、最後に祝福をいただいた。司教さまの部屋の横にある小聖堂で聖体訪問をして、別れる。広い敷地に、神学校、司教館、大聖堂がある。神学生は現在、450人くらいとか。
ダオ司教さまは、わたしが昔、ローマのウルバノ大学で宣教霊性学を勉強していた時の教授であり、同時に、シスターたちの寮のチャプレンだった。ベトナムでの迫害から逃れて、ローマで国際感覚を培った司教さまが、今も、完全には宗教の自由のないベトナムで、五大陸のロザリオをくださったことに、わたしは、何か深い意味があるような気がした。
その後、再び車に乗り、司教座聖堂まで行き、敷地内の売店で買い物をする。修道院に帰り、昼の祈り、昼食。 酷暑のベトナムでは、昼食後、午後2時頃まで休む。2時から、ロザリオの祈り、いつくしみのイエスさまへの祈りがある。
志願者の二人が、バイクで買い物に行き、サトウキビ100 パーセントのジュースを買って来てくれる。 少し緑がかっている。甘いけれど(当たり前だけど)さっぱりして美味しい。 わたしに飲ませたい、と、大きなココナッツの実も買って来た。「冷やした方が美味しい」と冷蔵庫に入れる。また、”MIT”という、初めて食べる黄色の果物。甘い。
その後、Sr.Aのバイクの後ろに乗って、市場へ。バイクの「軍勢」と共に走る。 信号なしの道路に、クラクションが飛び交い、左折は殆ど無理やり(ベトナムは、車は右側なので、日本で言えば右折)。道の端では、逆流しているバイクも。「事故は起こらないの?」と聞くと、「よく起こるよ。特に、バイクとトラックの事故」とSr.A。市場からの帰りは、小学校が終わり、子供たちの下校時間とかち合い、迎えに来る親のバイク、ぎゅうぎゅう詰めのスクールバス、などで、狭い道はさらに大混乱。「これは毎日のこと」とSr.A。ベトナムの人たちの逞しさに感動 する。
夕食の準備のため、Sr.Vの指揮の下、皆で海苔巻きを作る。 夕の祈りの後、夕食。日本に一年間戻るSr.Aのお別れ会をする。
【3月30日(土)-31日(日)】
午前3時半起床…のつもりが、目覚まし時計のセットをし忘れ、寝坊。ミサに出発する10分前に Sr.Vが起こしに来る。半分寝ぼけながら、慌てて着替える。4時出発。修道院の裏の畑の世話を頼んでいるナムさんの家族は、もう畑の世話、野菜の収穫をしている。きれいに束ねて、市場に出すらしい。今日は、午前4時15分からの教区の教会のミサへ。道の途中で犬が吠える。Sr.Vが「普通は吠えないけれど、今日は吠えるね、シスターたち(Sr.Cとわたし)がいるからかな~」と言う。 こんな暗がりで分かるのか。
教会では、朝4時から信徒たちの意向の祈りが始まっている。前の方の席に座ったので、どのくらいの人々がミサにあずかっていたか分からないが、聖体拝領のために、チボリウムが7つ準備されていた。 司祭一人、信徒のおじさん一人、修道服姿のシスター4人が、聖体拝領の奉仕をしている。ミサが終わると、外は明るくなっている。
主任神父のヨセフ神父さまに挨拶する。静かで穏やかな笑顔の、お年寄りの神父さま。迫害下で投獄された辛い経験を持っておられるという。教会の近くに、ヨセフさまに捧げられた、オープンスペースの祈りの場所がある。ヨセフさまの水曜日には、夕方、ここにたくさんの信徒たちが集まって、祈りの集いがあるそうだ。家族のさまざまな問題を託して祈るのだろう。
朝食は、「ベトナムに来たら、これを食べなければだめです」とSr.Aが言う ベトナムの朝ごはんの定番、 フォー( 牛肉のだしで作ったヌードル)。日本のきしめんくらいの太さ。フィリピンで食べたも
のと似ている。多くのベトナム人は、朝、道端の屋台のようなところで、これを食べるそうだ。食卓の真ん中には、畑からの採りたての、さまざまな生野菜が。名前は覚えきれない。どの野菜も、噛むと、独特、強烈な味がする。果物はドラゴンフルーツ。 赤い皮、中身は白、ゴマのような種が入っている。
朝食後、Sr.Aがバイクで市場に行き、姉妹たちのお土産、ドライフルーツを買って来る(昨日は夕方で、店が閉まっていた)。Sr.Vが「日本の姉妹たちのために」と、二日がかりでキムチを作ってくれた。それを小さなビニール袋に分けて、口を結び、さらにビニール袋を二重にしたものに入れ、新聞紙に包み、大きな袋に入れ、紐でしばり、荷造りテープで止める。ひと仕事した、と時計を見れば、まだ午前10時。 日本の時間感覚では、昼少し前かな〜という感じなのに 太陽が出て、外はかなり暑くなってきた。ベトナムでは、ひと休みの時間帯。納得。
Sr.Vと志願者たちは、昼食のために、昨日の残りの海苔巻きに、卵をつけて、フライパンで焼いている。「これが柔らかく食べるひとつの方法です」とSr.V。昼の祈りの後、昼食。キムチを食べようとして、キムチの汁を服にこぼしてしまう。「シスター、動かないで、そのまま!」とSr.V。 ウエットティッシュと洗剤などで、手早くきれいにしてくれる。さすが。
よく冷やした、昨日買って来てくれたココナッツに穴を開け、ストローをさして飲む。甘すぎず、さわやか。美味しい! 頑張って全部飲んだら、「え~っ、シスター、全部飲んだの?」と言われる(少しずつ飲むものなのか?)。フェさん、ハーさんは、ココナッツの身の白い部分も入れている。
昼食後は通常14時頃までは、みなさん、休憩の時間。ただ、わたしたちは、小刻みに寝るのには慣れていない(ここの共同体の時間割は、夜10時に寝て、朝3時半に起き、昼食後2時間休む)。とても乾燥しているので、服を洗濯し、手で絞って外に干しておけば、2,3時間で乾く。午後2時からのロザリオ 祈りの途中、突然、豪雨のような音。何事かと思えば、隣の人が、暑いから、屋根に水撒きをしているそうだ。屋根が壊れそうなくらいの音だったけれど…。
午後2時半、フェさん、ハーさんと別れを惜しんで、出発。4時20分ころ、Sr.Vの寄宿舎に着く。シスターたちへのお土産など、預ける荷物は全部で七個。それらをすべて、Sr.Vの部屋に運ぶ。その後、マリア大聖堂の近くの売店で、ベトナムの有名な聖母巡礼地、ラバンの聖母のご像、ロザリオ、ベトナムの殉教者たちのご絵などを買う。この辺りは、都会の観光地という雰囲気。大きなスーパーで夕食の果物、パンなども買う。
急いでSr.Vの寄宿舎に戻り、荷物を置き、歩いてすぐのところにある大神学校のキャンパス内の大講堂のような建物での、午後6時からの主日前夜の英語ミサに預かる。福音は、放蕩息子のたとえ話 。わたしたちは、神さまのいつくしみの恵みで(放蕩息子のように)失われていたのに見つかり、死んでいたのに再び生きるものになった。 だから、わたしたちは喜ばなければならない、祝わなければならない、と、力強い説教だった。
ミサの後、再び、Sr.Vの部屋へ。 スーパーで買ったパンと果物で夕食 その後、9時まで休み、9時半出発。たくさんの荷物だが、Sr.Vが、寄宿舎の上の階の学生さんたちを呼び 荷物を階段で降ろし、玄関まで運ぶのを手伝ってもらう。 Sr.Vが呼んでくれた車で空港へ。
空港は、けっこう混んでいて、チェックインのために、長蛇の列が出来ている。わたしたちが乗る飛行機は満席らしい。出発ゲートに着いたのが、午後11時過ぎ 。飛行機は翌日午前零時5分出発予定だったが、空港混雑のため、20分くらい遅れる。前の席のベトナムの小さな女の子が、ぐずって大声で泣いている。夜中だし、眠たいのかな。お母さんが、一生懸命なだめている。この風景は、どこの国でも同じ。それでも、飛行機が飛び立って少しすると、疲れ果てたのか眠ってしまう。お母さん、よかったね!
(岡立子=おか・りつこ=けがれなき聖母の騎士聖フランシスコ修道女会修道女)
・菊地大司教の日記㊽北町教会、茂原教会訪問・4月の予定
3月24日の日曜日は、東京都内の北町教会へ司牧訪問に出かけました。関口の司教館からは車で30分ほどの距離ですが、当日は近隣でマラソン大会があり、道路が規制されていたこともあり、事前にグーグルマップで写真を見ながら道を確認していたとおりには走れず、結構道幅の狭い裏道に入り込み、このまま車の両サイドをするのではないかと心配しながら北町教会の横に無事到着。
北町教会の主任は、教区司祭で教会法の先生でもある田中昇神父様。堅信の準備をしてくださり、この日のミサで11名の方が堅信の秘跡を受けられました。おめでとうございます。
ミサ後には、祝賀会も催され、その中では、皆さんからの質問コーナーもありました。子どもたちから、『日曜は何をしてますか』なんて言う質問もいただいて、そりゃ日曜はこうやって教会に出かけてますよとも思いましたが、思いの外、東京では教区や宣教協力体の合同の行事が午後にあることが多く、そういえば午前中はゆっくりしていることもあるなと思いながら、『時間があるときは、ぼーっとしてます」とお答えしました。ぼーっとする時間も必要です。
準備してくださった皆さん、ありがとうございます。大きくもなくちょうど良いくらいのサイズの共同体です。互いの絆を深めながら、教会共同体を育ててくださいますように。
茂原教会
翌週の3月31日は、千葉県の茂原教会で四旬節の黙想会を行いました。茂原教会は千葉県でも九十九里浜に近い方面にありますので、かなりの距離です。初めてでしたのでナビの言うとおりに出かけましたら、まずはレインボーブリッジを通り、ディズニーランドの横を過ぎて
、いくつかの自動車専用道を経て茂原に到着。1時間40分ほどでした。
主任司祭の安次嶺神父様は、現在は療養中で不在です。安次嶺神父様は、以前新潟教区でも働いてくださいました。近くに桜のきれいな公園のあるすてきな場所に教会はありました。
9時半から講話を一つ、一時間ほど。実は、この直前にウィーンに会議で出かけていましたが、そこでの寒さと飛行機の機内の乾燥などで風邪を引き、体調は今ひとつでしたが、それ以上に、この日は途中から声の出が悪くなりました。ゆるしの秘跡後、11時からミサ。しっかりと歌いました。そして昼食会で質疑応答。ここまで来たら、声が出なくなりました。その後、声はますます出なくなり、月曜日にはまったくアウト。これを書いているのは水曜日の夜ですが、ほんの少し戻ってきたところ。まだ声がまともに出ていません。困りました。
千葉県内の教会は、一つ一つの守備範囲が広い。茂原教会も、かなり広い範囲から信徒の方がおいでになるようです。ここもまたちょうど良いくらいのサイズの共同体ですから、これからさらに結びつきを深めて良い教会共同体を育てられるように願っています。迎える準備をしてくださった皆さんありがとうございます。
【4月の主な予定】
以下、すでに4月になりましたので、4月の主な予定です。
4月3日(水) 東京カトリック神学院開校ミサ (上石神井11時)
4月4日(木) 常任司教委員会 (潮見10時)
4月6日(土) 新潟清心女子中学高校入学式 (新潟)
4月8日(月) 東京教区司教顧問会など (関口)
4月14日(日)受難の主日ミサ (東京カテドラル10時)
4月15日(月)ロゴス図書館会議 (潮見)
4月17日(水)新潟教区聖香油ミサ (新潟)
4月18日(木)東京教区聖香油ミサ (東京カテドラル10:30)、主の晩餐ミサ (東京カテドラル19時)
4月19日(金)聖金曜日主の受難 (東京カテドラル19時)
4月20日(土)復活徹夜祭 (東京カテドラル19時)
4月21日(日)復活祭 (東京カテドラル10時)
4月22日(月)カリタス南相馬法人設立総会 (南相馬)
4月23日(火)カリタスジャパン会議 (潮見)
4月27日(土)イエズス会黙想の家60年ミサ (上石神井11時)
4月28日(日)千葉中央宣教協力体ミサ (鎌取12時)
(菊地功=きくち・いさお=東京大司教)
・菊地大司教の日記㊼東京カテドラルの晩の祈り-教会のために、弱い人間である司祭たちのために
3月24日、東京カテドラルでの晩の祈り
毎週日曜日の午後5時から、東京カテドラル聖マリア大聖堂では、晩の祈りが捧げられています。構内に修道院のあるシスター方と一緒に、教会の祈り(時課の典礼)を唱え、また司式する司祭が、説教も行います。お時間に都合がつく方は、どうぞ毎週日曜夕方の晩の祈りにご参加ください。
3月24日の日曜日夕方5時からは、私が司式して、性虐待被害者のための祈りと償いの日の晩の祈りを捧げました。以下、当日お話しした説教の原稿です。
この世において聖なる存在、善なる存在であるはずの教会は、残念ながら時にその道からはずれ、悪のささやきに身をゆだねてしまうことすらあります。聖なる存在、善なる存在は、常に宣教を妨げようとする悪のささやきにさらされます。その最前線で防波堤となり、悪への傾きから教会を護らなくてはならない牧者。その牧者たるべき聖職者が、自らが護らなくてはならない人々、とりわけ年齢的にも立場的にも弱い人々へ、性的な虐待をすることで、教会を悪のささやきにゆだねてしまった事例が、全世界であまりにもたくさん報告されております。
米国での聖職者による性的虐待問題の報告書や枢機卿の辞任、オーストラリアやフランスなど、各地で自らの犯罪行為や事実の隠蔽に関わったとして、聖職者がその責任を問われています。残念ながら、教会が聖なる道から離れ、善なる存在とは全く異なる過ちを犯した問題が次々と明らかになり、日本でも同様の事例があることも、明らかになっています。
教会において、聖性の模範であるはずの聖職者が、全く反対の行動をとって多くの人の心と体を傷つけ恐怖を与えてきたことを、特に私たち聖職者は真摯に反省しなければなりません。被害を受けられた方々に、また信頼していた存在に裏切られたと感じておられる方々に、心からゆるしをこいねがいます。
教会が今直面する
危機的状況は、単に偶発的に発生している問題ではなく、結局は、これまでの長年にわたる教会の歴史の積み重ねであり、悪のささやきに身を任せて積み重なってきた諸々のつまずきが、あらわになっているのだろうと思います。教皇様を頂点とする教会は、結局のところ、この世における巨大組織体ともなっています。
組織が巨大になればなるほど、その随所で権力の乱用と腐敗が生じます。この世の組織としての教会のあり方をも、私たちは今、真摯に反省し、組織を自己実現のためではなく、神の国の実現のために資する共同体へと育てていかなければならない。そういう「とき」に、私たちは生きているのだと感じています。
そして、虐待の被害に遭われた多くの方が心に抱いている傷の深さに思いを馳せ、ゆるしを願いながら、その心の傷にいやしがもたらされるように、教会はできる限りの努力を積み重ねる決意を新たにしたいと思います。
同時に、積極的で真摯な対応を怠り、事態の悪化を漠然と看過してきた私たち司教も、その怠りの罪を反省し、真摯に対応していく決意を新たにしたいと思います。
私たちは「私の兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、私にしてくれたことなのである」というイエスの言葉のうちに、すべての人、とりわけ弱い立場に置かれた人のうちに主がおられると信じているはずです。虐待の加害者は、残念ながら、被害者の方の心に思いを馳せることができなかっただけでなく、そこにおられる主ご自身をも傷つけてしまいました。
教会は「キリストの光をもってすべての人を照らそうと切に望む」存在であるはずです。教会は、世界にいつくしみを伝え、それを生きる姿で具体的に表す存在であるはずです。教会は「神との親密な交わりと全人類一致のしるし、道具で」あるはずです。
しかし教会は、聖職者自身の犯した罪によって、その輝きを失い、いつくしみを表すことなく、自ら一致ではなく混乱する姿をさらけ出してしまっています。
現代社会こそ、暗闇に輝く光を必要としています。神が賜物として与えられた人間のいのち、神の似姿として尊厳を与えられた人間のいのちが、社会の様々な現実の中で危機にさらされている様々な現実を目の当たりにするとき、まさしくわたしたちは暗闇の中に生きていると感じさせられます。
その暗闇の中で、教会こそは、キリストの光を輝かせる存在でなくてはならない。果たしてその役割を真摯に果たしているのだろうか。
また現代社会の様々な現実を客観的に見るならば、私たちは一致と言うよりも分裂の中に生きていると感じることがあります。教皇様がしばしば指摘されるように、現代社会には排除の論理が横行し、異質な存在を排斥し、時に無視し、自分を中心とした身内だけの一致を護ろうとする傾向が見受けられます。
教皇様は「廃棄の文化」という言葉さえ使われます。弱い立場にある人、助けを必要としている人に手を差し伸べるのではなく、そんな人たちは存在しないものとして、社会の枠から追い出されてしまう、捨てられてしまう。
護るべきいのちの尊厳を、自分中心の考えから、ないがしろにしてしまった聖職者の存在と、その逸脱を許してしまった教会組織が、いのちの尊厳を語る教会から信用と信頼を失わせてしまっています。
2月21日から24日まで、「教会における未成年者の保護」をテーマに、世界中の司教協議会会長が呼び集められ、バチカンで会議が行われました。その閉幕にあたりささげられたミサで教皇様は、「人々の魂を救いに導くために神から選ばれ、自らを奉献した者が、自分の人間的弱さや病的なものに打ち負かされ、無垢な子どもたちさえ犠牲にしてしまう、この虐待問題に、私たちは悪の手を見ることができる」と指摘されました。
その上で、「人々の正当な怒りの中に、教会は、不正直な奉献者に裏切られた神の怒りを見ている」と厳しく指摘し、この問題に真摯に取り組んでいく姿勢を強調されました。
教皇フランシスコは、教会の聖職者による性的虐待の問題、特に児童に対する問題に教会が全体として真摯に取り組み、その罪を認め、ゆるしを願い、また被害に遭った方々と教会がともに歩むことを求めておられます。またそのために、特別の祈りの日を設けるように指示されました。
日本の司教団は、2016年12月14日にメッセージを発表し、その中で日本における「性虐待被害者のための祈りと償いの日」を、四旬節・第二金曜日とすることを公表しております。2019年にあっては、3月22日(金)がこの「性虐待被害者のための祈りと償いの日」にあたります。
聖職者が自らの生き方を顧み、無関心や隠蔽も含め、その罪を真摯に認めなくてはなりません。被害を受けられた方々に、神のいつくしみの手が差し伸べられ、癒やしが与えられるように、祈るだけではなく、教会として具体的な対応をとるように努めたいと思います、被害を受けられた世界中の多くの方々に、心から許しを願います。
そして、教会のために、また弱い人間である司祭たちのために、祈りをお願いいたします。
(「司教の日記」より)
(菊地功=きくち・いさお=東京大司教)
ともあり、新潟教区(秋田。山形、新潟の各県))では最も古い聖堂の一つです。




















