・共に歩む信仰に向けて⑫ 司祭制度のゆくえ(その1)

2023年の7月号からこのコラムに寄稿してきましたが、そのテーマはシノドス関連でした。教会は福音を生きる人々の集団であるべきなので、組織も運営も福音の精神に則ったものでなければならないからです。

 これまでのようなヒエラルキー中心、「上から下へ」の一方通行、「司祭中心、信徒は従うのみ」という形は、少なくとも日本ではもう通用しないと思います。司祭も信徒も平等主義に基づいた形に変化しようとしない限り、日本での宣教はほぼ不可能だと思います。私は中高一貫のミッション・スクールで10年間働きましたが、洗礼を受ける人は皆無に近い。教義や組織・制度など見直さないと、福音は生かされないでしょう。

*ギャリー・ウィルスという歴史学者の紹介

今回紹介するのはGarry Wills,”Why Priests? A Failed Tradition”です。試訳で、ギャリー・ウィルスの『なぜ司祭が要るのか?誤った伝統』としておきます。著者はピュリッツァー賞を受賞したこともあるノースウェスタン大学の歴史学名誉教授で、1934年生まれのカトリック信徒です。小さい頃はミサの侍者もしており、神学校にも途中まで入っていましたし、今もイエズス会の尊敬する司祭たちとの関係も持っている人です。一度ネットで検索してみてください。

*本の主張は・・

 歴史的に考えて、初期教会に司祭職はありませんでした。その後、集会でパンとブドウ酒を聖別する司祭が、聖別すなわち「パンとブドウ酒」を「キリストの体と血」に聖変化させる能力を持つ存在として特別視されていきました。

 しかし初代(または初期)教会で行われていたのはアガペー(愛餐)という食事であり、聖変化したものをいただくことではなかった。聖変化させる人は司祭として特別な存在、「聖なる人」になっていった。

 旧約聖書に記された聖所での祭司による祭儀(動物犠牲・いけにえ)とメルキゼデクに関する記述を元にした新約聖書の「ヘブライ人への手紙」―以下、文中では『手紙』とだけ記す―の影響で、イエス・キリストは大祭司とされ、その後継者として、集会の司式者が祭司、つまり神と信徒集団の仲介者になっていき、司祭となった。

 このような伝統の展開は誤ったものであり、本来イエスキリストが望んだのは、「平等主義的な信徒の交わり」であり、それが「キリストの体」なのであって、決して「ヒエラルキーや教皇制」といったものではない。ヒエラルキーや教皇制は、キリストと信徒の直接の交わりに不当に介入するものであり、この直接かつ親密な交わりを傷つけるものだということです。

 また「最後の晩餐でイエスはエウカリスチアを制定したのか」という問いには、ポール・ブラッドショーの言葉を引いて、答えは「否」であると述べています。

*「祭司」と「司祭」の違いは・・

 まず読者の皆さんが迷わないように言葉の定義を明確にしておきます。「祭司」とは神と人々とを仲介する存在で、人々の代わりに動物犠牲などを捧げて祈る人です。祭司がいないと、その宗教は成り立たないことになります。

 「司祭」は本来は単なる集会の役務者、奉仕者です。ところが、この名称の者が、カトリック教会では、実質的に「祭司」になって今日に至っています。いくらか「祭司」のニュアンスは弱まってはいますが、根本的には「祭司」だと言えます。

*「祭司なしの運動」から教会は始まった

イエスが復活したあと、初代教会(または初期教会)は、集会を「家」で開いていました。「家の教会」です。中心は共同の食事で、それによってイエスの記念をし、皆で分かち合っていました。また、祈り、賛歌を歌い、困った人を助け(病人の癒しも)など各人の賜物に応じた役割を担いながら集会はなされました。

 その中のどこにも「司祭」「祭司」という役割、役務者はありません。『手紙』にもイエス・キリスト自身が最後の大祭司であって、そのあとを継ぐ祭司が必要であるとは書かれていませんし、「パンとブドウ酒を変化させる」ことについても何の記述もありません。

 初代教会の精神は「平等主義」であり、それはキリスト自身の意向でもありました。福音書やパウロ書簡などに記されている通りです。またアンチオキアのイグナチウスの手紙や『ディダケー』においても聖変化についての記載はありませんし、司祭も登場しません。アガペー(愛餐)という「共同の食事」が、「一つの祭壇」で信徒皆の一致を祝うこと、すなわち「エウカリスチア(感謝」だったのです。

*聖変化をもたらす人は「聖なる人」になった・・

パンとブドウ酒をキリストの体と血に変える「奇跡」を行なう能力を持つ人、それが司祭(祭司)です。この特別な犠牲(いけにえ」を行なう人が司祭と呼ばれます。ミサの中で「最後の晩餐の言葉」とされる「これは私の体である… これは私の血である…」という言葉を司祭が発することによって、聖変化が起きる、とされます。たとえミサに会衆が参加していない司祭一人のミサでも、司祭の言葉でそのようになると規定されています。

 中世盛期のトマス・アクィナスによると、神と人々の仲介者は司祭であるので、旧約時代(旧法)においてだけでなく新約時代(新法)においても、人はキリストに近づくためには、どうしても司祭が必要であるということになります(『神学大全』第3巻26項)。

 初代の教会においては司祭はいなかったのですから、男性司祭が「共同の食事」を司式していたわけではない。「共同の食事」を「犠牲、いけにえ」として食していたわけでもない。教会の中に「聖なる人」の階級ができていくことで、今のミサのような理解になっていきました。のちに「聖なる人」の階級は、ある儀式を通して「霊印」を持った人として特別視されていきました。

*エウカリスチアという奇跡をどう理解するか・・

 司祭の言葉によって、パンとブドウ酒の実体がキリストの体と血の実体に変化するという奇跡を信じるのが、トマス・アクィナス、またカトリック教会の公式見解となるトリエント公会議の教えであり、第二バチカン公会議後の現代まで続いています。「実体変化説」といいます。

 実体が変化するのですから、変化後には「パンとブドウ酒」の実体はもう存在していない。「パンとブドウ酒に見えるけれども、それは実体ではなく属性とか偶有とか言われるものにすぎない」とトマスは強弁します。

 それに反対して異説を唱える人たちもいました。9世紀のコルビエのラトラムヌス、11世紀のトウールのべレンガリウス、同じく11世紀のギベール・ド・ノジャンなど。「イエスはエウカリスチアの中に身体的にではなく象徴的に現存しているのであり、信仰を持って受け止めないと効果がない」といった常識的な見解などです。

 それらは異端として斥けられ、先に述べましたようにトマスの説だけが正統信仰として、例えば1994年の『カトリック教会のカテキズム』でも「聖別によってパンとブドウ酒はキリストの体と血に実体変化す
る」とされてきました。

*アウグスティヌスはどうだったか・・・

 4世紀から5世紀にかけて活躍した教父アウグスティヌスは、エウカリスチアにおけるイエスの実在といわれるものを信じてはいませんでした。ミサの中で変化するのはパンではなく、それを受ける信徒たちであるとはっきりと述べていることをギャリー・ウィルスはアウグスティヌスの著作を引用しながら明らかにします。

 例えば「このパンは、お互いの一致をあなたがどのように愛すべきであるかを明示しています。パンはひとつの穀粒から出来るでしょうか、たくさんの穀粒が必要ではないでしょうか?しかしパンとして結合する前は、それぞれの穀粒は孤立していたのです。それらは一緒に粉にひかれた後、水で溶けてひと塊になったのです。小麦の粒はすりつぶされて、水で湿らせないと、パンという新しい物にはなりません。同様に、あなた方も断食や悪霊祓いなどを通してすりつぶす、という準備をしてから、洗礼の水で溶かされてねりことなり、さらに焼かれてパンという新しい物になります。焼く火は塗油で示される聖霊の神秘です。聖霊があなた方に臨み、焼かれて『キリストの体』であるパンになるのです。あなた方の一致がこのように象徴化されています」。

 これがエウカリスチアの本当の意味だというのです。

*アウグスティヌスを受け継ぐアンリ・ド・リュバック

 そしてこのような見方は実はすでに第二バチカン公会議以前にフランスのイエズス会神学者アンリ・ド・リュバックが主張していたのですが、批判される時期があり、のちに評価されて、指導的な神学者として第二バチカン公会議の神学に影響を及ぼしたとのことです。

 ただ、ド・リュバックは面と向かって「実体変化説」を攻撃することはせず、教会は「神の民」であり、それこそが「キリストの体」であるとしました。そしてエウカリスチアは信徒に提示された徴としての「キリストの体」なのだとしました。

*イエスは祭司(司祭)ではない

 イエスはラディカルなユダヤ人預言者でした。かつてのイザヤ、エレミヤなどと同様に、彼は神殿等で儀式をつかさどっている体制的な司祭たちに反対しました。「神が望んでいるのは動物犠牲(いけにえ)ではなく正義や憐れみだ」と主張しました。

 そのためイエスはサドカイ派、パリサイ派、律法学者、祭司たちから迫害されましたが、そのうち祭司階級が最もイエスを死に追いやった存在です。その祭司制をイエスが弟子たちの中に導入することはないでしょう。

*メルキゼデクから大祭司イエスへ・・

 創世記第14章にアブラハムを祝福した「いと高き神の祭司かつサレムの王」メルキゼデクの話があります。また詩編110章4節に「あなたは永遠の祭司メルキゼデク」とあります。メルキゼデクは非常に謎めいた存在ですが、『手紙』ではイエス・キリストは最後の大祭司とされます。旧約時代のレビ系統の祭司の務めとメルキゼデクの話が微妙な形で融合されて、キリストは永遠の大祭司であるとされています。

 大祭司であると同時に、罪を贖うために自分の体を「いけにえ」として捧げて血を流し、今は永遠に神の右の座に着いておられる。この神の右の座こそが、神殿の至聖所の垂れ幕の内側であり、キリストのお
陰で私たちも入っていけるところで(『手紙』第6~9章)、私たちの祈りや願いが神に届くことになります。

*『手紙』にエウカリスチアは出てこない・・

それでは『手紙』は新約における「祭壇」はどこにあると言っているのでしょうか。13:10以下にしか祭壇についての記述はなく、そこから類推するとキリストの十字架かキリスト自身が祭壇であろうとトマス・アクィナス等は考えているそうです。しかしながらそこにエウカリスチア、パンとブドウ酒についての記述はありません。そもそも『手紙』のどこにもエウカリスチアについての記述はありません。のちのミサにつながる儀式、祭儀について記述は皆無です。

*イエス以降、いけにえも祭司も不要である

『手紙』ではイエスの死をただ一度限りの永遠の「いけにえ」と言っていますので、その後の「いけにえ」はもはや必要ではありません。なので、いけにえを捧げる祭司も不要です。

 イエスは最後の祭司なのです。したがって、彼に続く祭司制度が必要である、とは書いていません。なぜなら彼は一度限りで完全な贖いを成し遂げたからです。

 そもそも神はいけにえを求めはしないし、必要としません。真の神は人間からの贈り物や祈りで動かされることはない。罪人がいたとしても、その身代わり、代償として、誰かの死を神は必要としていません。旧約時代、神殿祭儀(動物犠牲)だけが人間にとって唯一の贖罪の方法だったと考えることはできません。特に預言者たちの思想では一人一人の「悔い改め、打ち砕かれた心」こそが必要な贖罪でした。

  (「その2」に続く)

(西方のある司祭)

2025年12月2日

・パトモスの風 ⑥ サン・ダミアーノの十字架と出会ったアッシジの聖フランシスコと馬小屋 

 クリスマスに初めてご降誕場面の馬小屋を飾ったのは、アッシジの聖フランシスコだということを、私は最近になって知りました。フランシスコは、1223年のクリスマス・イブにイタリアのグレッチョ村で
、イエス・キリストが貧しい馬小屋で生まれた様子を再現したそうです。

 フランシスコにとって、このように誕生した神の幼子であるキリストと、十字架に付けられ死んで復活されたキリスト、そしてご聖体にこもって私たちと共におられるキリストは、その貧しさ、神が人とな
った、という貧しさの真の意味を悟らせる重要なテーマになっていったようです。神が命そのものを人に示しておられるのです。フランシスコが自然のどの部分にも創造主の愛を見出したのは、そこかしこに
神が望まれた命があって、その命が神の愛を現しているからです。命はすべて生きていることで神に栄光を帰しています。

 それを私たちが知ることができるのは、神の子が人となって地上に生まれ、御言葉を語られたからでした。サン・ダミアーノの十字架と出会ったフランシスコは、その悟りに抗うことができませんでした。
彼は自分が知った真理を、見て見ぬふりをして通り過ぎることができなかったのです。彼が受け取った真理は、貧しい馬小屋から始まりました。イエスが誕生し、3人がそろってやっと聖家族となったこの
時と場所の意味に、フランシスコは気付いたのです。

 サン・ダミアーノの十字架に描かれた世界には、過去と現在そして未来が浮き上がって見えます。そこには、時間とは、ただ流れるものというだけではなく、関係を表すものでもあるという何かが隠されています。フランシスコは、それを受け取り、当時、教皇の権威が絶頂期を迎え、政治的な影響力を強めたローマ・カトリックの世界観の中で、ただただ悟ったことを生きて、自分が授かったその悟りを人々に伝えようとしたのだと思います。

 フランシスコが生きた時代は、教会内部や社会の変化に呼応して、托鉢修道会が頭角を現し始めた時代でした。しかし、サン・ダミアーノの十字架から悟りを得たフランシスコは、簡単にその波に乗ることができなかったのではないでしょうか。それは彼が時間に関係性を見出すことができたからに違いありません。すべては、貧しい馬小屋から始まったのです。

 イエスが誕生し、3人がそろった聖家族のその時と場所は、福音書に見られる暗示や示唆によって、ヨハネ福音書の十字架のそばに立った人々の場面につながり(ヨハネ福音書19章25~27参照)、サン・ダミアーノの十字架に反映されています。

 そこには、イエスの母と愛する弟子、そして十字架上のイエスを挟んで、マグダラのマリアとクロパの妻が描かれています。「十字架上のイエスを挟んで」という記述は福音書にはありませんが、視覚的に描かれたものの強みがあるのです。それはイエスと使徒たちが最期の食卓を囲んで座ったイメージを思い起こす重要な表現です。

 ヨハネ福音書は、十字架上のイエスが、母と愛する弟子を親子の絆で結んだことを伝えています(19章26~27節参照)。前晩にイエスは、使徒たちの前でご聖体を制定し、その御業と共に「私の記念として
このように行いなさい」という言葉によって、使徒たちに新約の司祭職を与えました。イエスの母は、そのことの公のしるしとなったと考えられます。この秘跡がイエスによって確かに使徒たちに授けられ
たと、教会は迫害の中でも信者だけに分かるように伝え、福音書はその保証になったのです。

 新約の司祭たちは、男性でありながら、御聖体が生まれるためにイエスの母のように聖霊の力に覆われるのだと思います。彼らは御聖体の誕生をイエスの名によって御父に願い、与えられ、喜びで満たされ
る者になるのです(ヨハネ福音書16章20~24節参照)。司祭職の使命は、胎児を身ごもる女性が人の命に関わるのと同じように、ご聖体の命に関わる使命です。神があるようにと望まれ、女性から生まれ出
る人の命のために、「私はある」と言われた神が、聖霊によって新約の司祭職を授かった男性から生まれ出て、御聖体として人の命に仕えることを望まれたのです。神は、貧しさの極みにおられます。

 イエスの母を自分の家に引き取って、親子の絆を承諾したことを証しした使徒は、受肉の神秘を受け取ったイエスの母の権威の正当な相続者となりました。イエスの母の権威とは、「聖霊があなたに降り、
いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる」(ルカ福音書1章35節)という天使の言葉が実現したことにあります。祭壇の前で司祭にも確かにこの天使の言葉が実
現しています。ですから、そこで「生まれる子」、ご聖体は、「聖なる者、神の子と呼ばれる」のです。

 十字架上でイエスご自身は最期の場面を迎えていました。マグダラのマリアとクロパの妻マリアは、その成り行きをすべて目撃しました。愛する弟子と呼ばれた使徒の名は隠されていました。一方で、ヨハ
ネ福音書にイエスの母の名はありませんが、その名は間違いなくマリアでした。そこで、イエスの母と親子の契りを結んだ使徒は、「マリアの子」となったのです。このように、イエスが言われた「私の教
会」(マタイ福音書16章18節)は、3人のマリアとして誕生することになりました。

 アッシジの聖フランシスコは、自身の視覚を捉えたサン・ダミアーノの十字架から受けたインスピレーションをその後の行動につなげていきました。彼は、イエスの十字架のそばに誕生した教会の召命をどのように受け取ったでしょうか。これからも、少しずつ追っていけたらと思います。

(横浜教区信徒 Maria K. M)

2025年12月2日

・愛ある船旅への幻想曲(58)高齢の方々が参加する”シノドス”勉強会で”学んだ”ことは…

 今年も待降節が始まりました。人間として良き心の準備ができますように、と祈ります。

 2025年12月、“教会”について問い続けねばならなかった私の心のざわつきが、やっと落ち着いたようだ。

 9月以降、『シノドス』についての“勉強会”(?)の案内を見つけると可能な限りそこに出かけたことが良かった。カトリック教会の現実を分かっていても、その場所場所でその空気感を肌で感じることが私にとって必要だった。

 『シノドス』勉強会(?)に参加する信者の少なさは、私の想像をはるかに超えていた。この状態を目の当たりにし、発表する高齢信徒たちからの『シノドス』への率直な意見を聞けたことも収穫である。

 「昔に教えられたことを今まで守ってきた。「シノドス流の教会」(公式文書の原文にはない、華道か茶道になぞらえたつもりか、日本の教会”独自”のふざけた命名だが)と言われても、これまでの教えを今切り替えることは難しい… 例えば、 『神父を神と思え』『カトリック以外の宗教は邪教だ』『神社の鳥居をくぐってはいけない』等々」。

 この言い伝え?教え?は何度もカトリック信徒家族で育ってきた幼児洗礼者や80才90才代の成人洗礼者から聞いてきたが、シノドスの勉強会?で改めて生の声を聞くと「実におもしろい!」としか言いようがない。ただし、この『おもしろい』に多種多様の意味を込めたつもりだ。

 「教会にとって何が一番大切なのか」「信者は何を学び、自分自身の信仰に活かさねばならないのか」「なぜ、信徒は主日のミサに与らねばならないのか」-この問いの答えは今どこにあるのだろう。

 ミサで、主日の福音説教らしきものはなく、説教台から一方的な愚痴を延々と喋り、その場にいる別の聖職者も、信徒たちも、聴いているのか、いないのか黙ったまま… ミサに与る日本人が減り続けて少ないことも然りだが。このような内容のミサがあることを司教団はご存知か。

 以前、ある司教が講演で「自分に合った司祭を見つけなさい」と言われたことが今更ながらよく分かる。今回のシノドス勉強会(?)に参加し、目が開かれたことは、大きな教区の信徒は所属教会ではなく、他の教会のミサに自由に与かれる、ということだ。地方の教区では、こうはいかない。羨ましい限りである

 教会の問題は山積みであるが故に、昨年の世界代表司教会議(シノドス)第16回通常総会は、信者全てに開放されていたと私は思っている。しかし、フランシスコ教皇が始められ、4年目の”シノドスの道”は、大多数の信者にとって、何の興味もなく、今の自分の状態だけに安堵できればそれで良し、だ。

 考えてみると、真剣に教会を考えて改革しようと思った人は、既に、ここには居ないのだろう。「カトリック教会は変わらないでしょう!改革しようと真剣に取り組むことは時間の無駄。無理無理!」と。これが、私の周りにいる、だいたいの信者の決まり文句ではなかろうか。

 ”シノドスの道”もポーズだけの呼び掛けで終わらないことを願ってはいるが、相変わらず、「無理無理」かも知れない。カトリック教会の伝統的制度が社会では不思議がられ、「無理無理!と言われ続けても、教会が何の反応もしないのは、ある意味で”アッパレ”であり、“無理無理サイド”の信徒ととしては、早々に逃げるが勝ちかもしれない… 時間は有効に使いたいものだ。

(西の憂うるパヴァーヌ)

2025年12月2日

・神様からの贈り物㉘ 「恩師が一筆箋でつないでくれた絆」

 毎年欠かさず学園オリジナルのクリスマスカードを送ってくださる先生がいた。私は、今もその先生と文通をしている。

***

 学校での私は、なんでも頑張る”優等生”だった。しかし、能力以上の期待に応えすぎてしまい、高校2年の秋ごろから学校生活が辛くなった。3年に進級してからは、精神的な疲労に加え、薬の副作用も強く、登校そのものが厳しくなった。

 休んだ日には、必ず、母から「今日はどうして行かなかったの?」と聞かれた。母が柔らかい口調を心がけているのは分かったが、態度や空気から、苛立ちやあせりがにじみ出ていた。そんなわけで、あの頃は、家にも居場所がなかった。

 唯一ほっとできる場所は、保健室だった。養護教諭は事情を分かっていたので、いつもすぐにベッドへ案内してくれた。そして、しばらく眠ると、肩の辺りを「とんとん」と叩かれた。ぼんやり目を開けると、担任の先生の顔が見えた。「よく頑張ってきましたね」。私はうなずくことしかできず、また副作用の眠りに落ちた。こんなふうに、恩師は、私が登校できた日には必ず保健室に来て、声をかけてくれた。

 また、毎月初めに、学校のお知らせと先生の一筆箋の入ったお手紙が速達で届いた。万年筆で書かれた文字は、やわらかい形で達筆で、先生の人柄そのものだった。先生の一筆箋に印刷された花は、季節によって変わることに気づいた。

 そこから、20年以上にわたる長い長い文通が始まった。先生は、どんなに忙しくても、必ずお返事をくださった。見捨てることなく、つながり続けてくださった。その後、私が学校を離れ、引越で何度も住所の変更があったが、その度に、先生に転居先の住所を伝え、文通は続いた。どこへ行っても、郵便受けに、あの柔らかく整った文字の書かれた封筒を見つけると、肩の力がふっと抜け、頬が緩んだ。そうやって、私は人を信頼するための軸を少しずつ太くした。

 私が、一筆箋に添えられた学校のお知らせを受け取っていたあの頃から、ずっと、先生は『人生の師』だ。

***

 教育は、すぐに結果がでる分野ではない。簡単に数値で出せるようなものでもないので、必要性や素晴らしさを広げたい時、もどかしい思いをする。けれども、一人ひとりを大切にする教育は、カトリック精神が基盤にある母校ならではの強みだ。私という生徒に対して、『あなたは、世界に一人だけの大切な人間ですよ』というメッセージを送り続けてくださった教師がいることを、ここに書き留めておきたい。

 メリー・クリスマス!!

(東京教区信徒・三品麻衣)

2025年12月2日

・カトリック精神を広める㉔ 勧めたい本紹介・7・チャールズ・ディケンズ著「クリスマス・キャロル」

 クリスマスと言えば、ヴィクトリア朝時代を代表するイギリスの小説家、チャールズ・ディケンズの「クリスマス・キャロル」(村岡花子訳、新潮文庫など)があまりにも有名。映画では、本作品を忠実に映画化した、ディズニーの「クリスマス・キャロル」も有名で、まだ見たことのない人は是非、この冬の鑑賞をお勧めする。

 小説では、クリスマス・イブの夜、ケチケチの守銭奴スクルージのもとに、亡くなったスクルージの同僚、鎖を引きずったマーレイの亡霊が現れ、「このままでは地獄に落ちるぞ」と脅す。「おまえのもとに、3日3晩3人の亡霊が現れ、過去、現在、未来のおまえの姿を案内する」と告げる。

 マーレイの亡霊が現れる最初の出だしの言葉が面白い。Old Marley was as dead as a door-nail(老人マーレイはドア釘のように死んでいた)。Be as dead as a door-nailは、有名な英語の言い回しで「完全に死んでいる」を表している。つまり、スクルージの前に現れたマーレイは、生きてはいない、亡霊であることを、ディケンズは有名な英語の言い回しで語ったのである。

 この小説は、ディケンズが困窮している時期に起死回生を狙って執筆したもので、執筆中度々興奮しては、野外に出て散歩し、泣いたり笑ったりした、という。出版されるや大評判となり、増刷に次ぐ増刷で、ディケンズは困窮から抜け出すことができた。同じような例では、同じ英国の作家、J・K・ローリングが、子連れのシングルマザーとなり、生活保護を受けながら執筆した「ハリー・ポッター」シリーズがある。

 「クリスマス・キャロル」は、英国発の産業革命のただ中、貧富の差が大きくなり、追い詰められた労働者の生活実態を活写している。特に涙を誘うのは、身体が不自由な子供の実態である。寄付をしたくなる、クリスマス必読、必見の小説、映画である。

 

(横浜教区信徒 森川海守=もりかわうみまもる)(HP:https://mori27.com X:https://x.com/UMImamoruken

2025年11月30日

・Sr.阿部の「乃木坂の修道院から」⑱女子パウロ会は本を通じた福音宣教に挑戦を続ける!

 「読ませたくない本、汚い本を売るのは嫌だ」と、本屋勤めを辞めてしまったが、やっぱり本が好き。「良い本を自分で選んで売る本屋をやろう!」。

 そう決心して書店を開き、営業している方に出会ったことがあります。女子パウロ会の新刊を紹介し、取次経由で委託配本の交渉に回っていてる折でした。樽を台に使った喫茶コーナー、腰かけて本を読むコーナーもあり、素敵な本屋さんでした。女子パウロ会発行の本も選ばれて並べてあり嬉しかったです。

 「シスターのパウロ書店には、読みたい本がずらっと並んでいて探さなくても良いですね」とお客さんに言われたことがあります。それはそうです。人の幸せと成長向上を願ってGood News福音を提供する宣教のセンター、元気にしてくれる感動本いっぱい揃えてありますから。

 ところで、タイに派遣されタイ語を学びながら、宣教の先輩方を訪ね導きを仰いだことがありました。

 「シスターたちの宣教で、タイでは生きて行けないよ」と言われ、励ましどころかキックショック受け、内心「よぉ〜し、派遣された使命でしっかり生きて行く、主が必ず導いてくださる

と奮起しました。30余年前、デジタル化以前、まだ印刷媒体が主流の時代でした。

 確かにタイ人はあまり読書が好きじゃない、むしろ視聴覚。でもタイの子供や若者に日本の漫画は大人気で、コミック「ベンハー」の翻訳出版から始め、「クォヴァディス」

「聖書漫画」など 、素敵なinstrumental CD、DVDも次々に発行し、好評でした。遠方まで出かけて、普及に力を入れました。総本部からの設立資金を大事に使いながら、タイの人々に喜ばれ役立つ「心の糧」をどんどん産み出しました。

 当時、既にマルチメディア、ペーパーレスが始まっていましたが、電波も届かない電気もない山岳地帯の僻地にも、漫画「ベンハー」は届けられて行きました。多くの方の援助協力でしっかりと生きて現在に至っています。主のお導きと恵みに感謝と賛美です。

 スマホ、ウェブ、電子ブック、オンライン化が急速に進む中でも、タイ人好みの読書が普及、読書率が一気に上昇している昨今です。第12 回総会を終え、女子パウロ会は挑戦続け、福音宣教に励む覚悟です。愛読者の皆さん、お祈りの熱き声援、お願いいたします。

 (阿部羊子=あべ・ようこ=聖パウロ女子修道会会員)

2025年11月4日

(読者投稿)司祭の不祥事が後を絶たないのは、カトリック教会に「自己修正メカニズム」が存在しないから

 教会の司祭による不祥事等、いまだに後を絶たない。何故なのか?

 現実社会に於ける如何なる組織も必ず、不祥事を犯した本人は何等かの処分を当然受ける。だが、問題はそれだけであろうか。優れた組織には必ず「自己修正プログラム」を有している。これを解り易く言えば「自己点検・自己内的批判・反省」であろう。

 残念ながら、カトリック教会にはそれらを有していない。確かに、教会で不祥事を犯した者を処罰はするが、何故その様な事柄が出現するのか、と言った事にはほとんど、考慮されていなし、言及さえされていない。

 この際、カトリック教会は長きにわたり、「司祭至上主義・司祭中心主義」を守ってきたと言えるだろう。もうこうした事は止めた方がいいのに決まっている。

 じゃあ、プロテスタント教会はどうか、と言った事が出てくる。プロテスタント教会は大まかに言えば「M・ルターの宗教改革」にその本質的な事柄は彼から答えを見出す事が可能である。

 結論を言えば、「司祭がどんな不祥事を犯そうが、『教会』は正しく進んいる」と考えているのだろう。これを突き詰めれば「教会は常に正しい」と言えるのだろう。これらの事柄は不味い事に、「ピオ10世」による「教皇不可謬権」が教会の教理・信条になった。従って、「不可謬の教会は正しく歩む」と言いたいのであろう。

 しかし、その組織の内に「自己点検・自己批判」を有さない組織は当然、「腐敗」する。要するに、カトリック教会には「自己修正メカニズム」が存在しない、と言いたい。

 教会は「希望」云々を言うが、「改革」が無ければ、それは「絵に描いた餅」に過ぎない。カトリック教会に改革を希望するなら、第二ヴァチカン公会議を開催したヨハネ23世教皇、はたまたフランシスコ教皇といった人たちの10倍、否、20倍、30倍の人間力を持った人が必要とされるであろう。

(東京教区信徒 纐纈康兵)

2025年11月4日

・神様からの贈り物㉗ 「祖母との思い出ー相手の信仰を尊重する」

 『相手が信じるものを、自分が信じるものと同じように尊重する』という姿勢を教わったのは、母校のシスターたちだった。私たちは修学旅行で厳島神社へ行くのだが、「引率のシスターはどうするのだろう?」と気になっていたが、先輩方に聞いたところ、シスターも厳島神社へ一緒にお参りをして、「深くお辞儀をしていた」と聞いた。

  シスターに倣い、私も、祖父母を思い出す時は、彼らが信じていた仏教の作法を尊重している。それを咎めるほど、神様は冷たい方ではないと思っている。

*****

  祖母が幼かった頃、一日の始まりには必ずお寺の床を雑巾がけをしたそうだ。「ちゃこ(祖母の名前)が掃除をしたところは、なめるようにきれいだね」と言ってもらえるのが嬉しかったらしい。

 祖母の家へ遊びに行くと、孫である私たちに「まず、仏様にご挨拶しなさいね」と言って、必ず仏壇へ行かせた。私たちは小さな手で恐る恐る線香を立て、おりんを鳴らし、「南無阿弥陀仏」と唱えた。背が届かないうちは、祖母や叔父に抱いてもらいながら手を合わせたのも、よい思い出だ。また、祖母の家に泊まると、朝一番に炊きたてのご飯をまず仏様にあげ、榊の水を替えたりする様子を見た。信仰がごくありふれた日常の中にあった。

  そんなふうに信仰を大事にする祖母の明るい笑い声が大好きだったし、「まいちゃんや」と呼び掛ける声は、もっと好きだった。おそろいのシャワーキャップでお風呂に入ったり、布団に寝転んで本を読んでもらったり、たくさんお世話をしてもらった。

 しかし、いつ頃からだろうか。祖母が丁寧に染めていた髪を染めなくなった。病院へ通うことが多くなり、飲む薬も増えた。家にはヘルパーさんが来るようになり、買い物も一人で行かなくなった。私を「まいちゃん」と呼ぶことも、甲斐甲斐しく構ってくれることも、なくなった。仏様にご飯をあげることもなくなり、榊はいつの間にか飾られなくなっていた。

 そんな祖母が亡くなった、と聞いた時は、実感がわかなかった。夢を見ているようだったし、「まだ祖母は生きている」と信じていたくらいだった。実感はわかなくとも、体は悲しんでいた。しばらくは、食事が美味しいとは思えなかったし、なんとなく眠れない日が続いた。

 その後、私は、仏教のやり方に従って、お彼岸には、祖父母のために、お花を供えることにした。同時に、私自身の悲しみを癒すために、主の祈りとアヴェ・マリアの祈りを唱えた。

*****

  誰かの死に立ち会う時、「カトリック信者になって、心底良かった」と思う。愛する人が亡くなり、悲しみにうちひしがれ、私たちは、それでも前を見て生きなければならない。そんな時、「愛する人は、今神様のところにいる。一番良いところへ行った」と思うと、ほっとするような気持ちになる。「私はイエス様を信じていて良かった!」と思えた。

 「祖母が極楽浄土で幸せでありますように」と願いながら、「神様、私と祖母が天国で再会できますように」と祈る私がいる。矛盾しているけれど、私は祖母の信仰を尊重したい。私もそうしてほしいから。

(東京教区信徒・三品麻衣)

2025年10月31日

・パトモスの風 ⑤ 元号と西暦という二重の暦を受け入れた日本人には…

 先日、知人から、イエスの言葉を紐解きながら、ローマからキリスト教が世界宗教に至る過程を解説できたら、また、ヨハネ福音書の十字架上イエス、ピラトや百人隊長との関わり、そしてローマの支配、この壮大なテーマをゆっくりと説き明かしたなら、神様の御心がどこにあるのか、どこに導かれるのか、分かりたいことが分かるかもしれない、というご意見をいただいて、私はこのところずっと考えていました。

 新約聖書には、ピラトや百人隊長との関わり、そしてローマの支配といった、現代人にはすぐに理解できない歴史の流れがあります。また、キリスト教がローマから世界宗教に至る過程は、西洋史として学ぶ機会があっても、そこから見える景色は、東の果てにいる日本人の感覚からは程遠いものに感じます。これらを考えると、その過程を解説するのは簡単ではない、と思いました。半面、日本人には、何か地の利があるような気もします。それは、キリスト教の歴史の外側にいたというところからくる、ある種の感じ方かもしれません。

 御言葉を紐解きながら悟らせてくださるのは、聖霊です。聖霊は、すべての人々、一人一人に向き合っておられるので、私たちが自分の地の利をもっとよく知って、それを意識することが、聖霊と共働するうえで、役に立つかもしれない、という期待があります。

 こんな風に考えていた時、ちょうど次のような考察と出会いました。初め些細なことのように見え、通り過ぎようとしたのですが、ふと立ち止まって見直して見ると、日本人の日常を支えている事柄で、案外いいヒントになると思いました。

 日本では元号と西暦が併存しています。私はこの二重の暦によく不便を感じることがありましたが、これまで特別に注目したことはありませんでした。しかし日本人が、時間の感じ方を日常的に二重化して受け取っているという考えに興味が湧きました。私たちが、日本の時間(元号)と世界の時間(西暦)という二つの時間軸の間で生きていることに、改めて注意を向けてみると、不思議な感じがしたのです。

 日本人がこの環境を手にしたのは明治維新後からで、明治6年(西暦1873年)1月1日が日本のグレゴリオ暦導入の日、とされているようです。それから145年後の2018年8月20日付日経新聞には、「政府は2019年5月1日の新元号への切り替えに関し、公文書への西暦表記を義務付けない方針を固めた。和暦と西暦を併記したり、西暦に統一したりする方針は示さず、各省庁や自治体の個別の判断に委ねる」とあると聞いて、これは結構注目に値することだと思いました。21世紀になっても、このような環境に生きている国民は大変少数だそうで、なんだか日本人の性格がこんなところに見えているかもしれない、と思ったのです。

 元号は区切られる時間。「令和」「平成」など、節目ごとに価値を更新し、再出発を示す感じです。一方、西暦は、紀元前46年に導入されたユリウス暦を、1582年にローマ法王グレゴリウス13世が季節とのずれを修正した、より正確な太陽暦です。それはBC → AD → 2025のように直線的な時間を強く感じさせます。

 そこで、日常的に元号と西暦の両方を使う、という二重の暦を受け入れた日本人には、何か「中間的世界観」と言えるような感覚が、初めからあるのではないでしょうか。時間とは、「ただ流れるもの」というだけではなく、「関係を表すもの」 でもあるというような感覚を持っていて、二重の歴を受け入れ、使いこなしているのです。

 西暦だけが当たり前の環境で育まれたカトリックの教えの歴史には、旧約聖書から新約聖書までの壮大なテーマを持って、ローマに都を置くキリスト教が世界宗教に至るような歴史的な時間の中で、直線的に激流のごとく走り抜けてきたような感じがします。またそこには超過密な成長過程があって、日本人がそれをそのまま背負ったら、もう疲れ果ててしまう。だから、ゆっくりと説き明かしたなら、神様の御心が、どこにあるのか、どこに導かれるのか、分かりたいことが分かるかもしれない、という感覚を持つのではないかと思うのです。私はそうです。

 イエスが「その方、すなわち真理の霊が来ると、あなたがたをあらゆる真理に導いてくれる。その方は、勝手に語るのではなく、聞いたことを語り、これから起こることをあなたがたに告げるからである」(ヨハネ福音書16章13節)と言われたように、聖霊は個々人に働きかけます。イエスは、「あなたがたに告げる」というところを、さらに続けた文中で2回繰り返し(16章 14~15節参照)、計3回言っておられるのは、そこが非常に重要だからにちがいありません。

 聖霊が、私たち一人一人を「あらゆる真理に導いてくれる」のです。それは私たち一人一人が聖霊と個人的に関わる中で起こることです。それが共有されて共同体的なものになることがあるとしても、とにかく初めは個々人なのです。神が預言者を通して民に語られた旧約の時代と全く異なり、使徒言行録やパウロの書簡に見られるように、神の計画を知ることを求め、願う信者一人一人が、聖霊と向き合い関わって、それを受け取ってほしい、と神は望んでおられるのです。

 神は、一人一人にゆっくりと説き明かし、ご自分の御心がどこにあるのか、どこに導くのかを知らせたい、と希望されているのです。パウロが宣教した時代にはなかった新約聖書を、信者たちが授かってから800年が経った時、アッシジの聖フランシスコは、「サン・ダミアーノの十字架」と出会いました。そこにはヨハネ福音書の十字架のそばの人々が描かれていて、彼らの下方には、イエスの脇腹を槍でついたローマ兵と、酸いぶどう酒を含ませた海綿を差し出した兵隊がいます。さらに、イエスの左ふくらはぎの横には、ペトロを思い出させるかのように、小さな雄鶏がいます。彼らもまた、百人隊長と同じく、一様に十字架上のイエスに真剣なまなざしを向けています。

 この十字架には、時間とは「ただ流れるもの」というだけではなく、「関係を表すもの」 でもある、という預言が隠されているように見えます。聖フランシスコから800年後の私たちは、それを発見することができるのではないでしょうか。

(横浜教区信徒 Maria K. M)

2025年10月31日

・共に歩む信仰に向けて⑪ フレデリック・マルテルの『ソドム』を読む(その2)

*ヨハネ・パウロ2世教皇と同性愛者たち

 ヨハネ・パウロ 2世教皇の側近たち、教皇の手足となって働いた枢機卿たち、すなわち教理長官のラツィンガー、個人秘書ジヴィシュ、国務長官シルヴェストリーニやソダーノなど多くはゲイで、取材を受けた一人は「聖父を中心に色欲の環ができていました」と語った、と『ソドム』は書いています。

 教皇を取り巻くメキシコ人や南米人、スペイン人、ポーランド人、イタリア人の枢機卿の多くが、実際は二重生活を送っていた。教皇はじめ彼らは、世俗社会に対してはホモフォビア、女性嫌悪の姿勢で臨みました。各地で性的虐待事件が起こっていたにもかかわらず、教皇の元にはそれらの情報は伝えられていなかったのか、あるいは教皇自身が秘密にしたのか。「ゲイに対する十字軍」である、とマルテルは言います。 教理省の組織にいる20人の枢機卿のうち12人ほどはホモフィルか実践的なホモでした。「教理省はバチカンの偽善の中心である」と。

 側近の一人、ソダーノについて『ソドム』が書いていることを簡単に説明しますと、彼は、教皇がパウロ6世だった1977年から南米チリの教皇大使で、約10年間、チリのバチカン代表を務めました。当時のチリはピノチェト軍事独裁政権下にあり、虐殺や数々の暴力がなされていました。

 その国でソダーノは民衆側ではなく、政権側と親しい関係を結びます。「ソダーノは聖職者とはまったく思えませんでした。高額なものと権力が好きでした。とても女性的、女嫌いなのには、驚きました。握手の仕方はとても変わっていて、ぎゅっと握らずに、女性が愛撫するようにそっと握るんです。まるで十九世紀の高級娼婦のようでしたよ」と彼をよく知る人が語っています。
実際、徹底した女嫌いの教皇大使の生活に、女っ気はまったくなく、彼の取り巻きは「身も心も捧げた男性の小姓たち」だった。彼は体制と手を結び、保身のためにピノチェトの”守護天使”になった。

 ソダーノは、「解放の神学」に近い4人の司祭が逮捕され、殺害されても、沈黙を守り、チリのカトリック進歩派のネットワークから批判されるようになる。「ありていに言って、アンジェロ・ソダーノは、チリでファシストとして振舞った。彼はファシストの独裁者の友人だった」と。

 またピノチェトの周囲に真の「ゲイの取り巻き」が存在していましたが、その中に、後に性的虐待で有罪となるチリ人司祭カラディマがおり、ソダーノと密接な関係にありました。「性的虐待をしている」というカラディマに関する噂が何度も流れましたが、ソダーノは彼を守っていました。

 教皇大使ソダーノは「小ピノチェト」というニックネームがつけられていましたが、ヨハネ・パウロ2世教皇のもとで1990年から2006年までバチカンの国務長官を務めています。チリでは司祭の虐待行動に国民は憤慨しつづけますが、ピノチェトのゲイの取り巻きとチリの司教団はカラディマを守り、すべての事件をもみ消しました。ソダーノが国務長官となったバチカンもカラディマをかばい、チリ教会に彼を告発しないようにとさえ命じています。

 

*スイス衛兵

 話変わって、有名なバチカンのスイス衛兵です。彼らには独身の義務があります。また外泊してはならず、女の子を兵舎に連れて来ることも禁じられています。採用試験では高い身長と、イケメンであることが求められているようです。彼らは一部の枢機卿からたびたび、ときにしつこくナンパされるそうです。それゆえか、彼らには「沈黙の掟」があり、セクハラや性的虐待の事例が多いにもかかわらず、沈黙を守らなければならない。

 勤務態度がよければ、スイスで市民生活に戻った時、就職の支援が受けられる。そんな彼らでもマルテルの取材に応じて、教皇庁の風俗や、彼らと付き合っていた多くの枢機卿の二重生活について語っています。バチカンは”特殊な国家”であるようです。

 

 

*ローマ・テルミニ駅

 ローマには移民・難民が主に二つのルートでやって来るといいます。シリアやイラクから中欧へ向かうルートと、アフリカとマグレブからの地中海ルート。そのいずれもがローマ・テルミニ駅を経由する。彼らは普通の仕事を探すが、ない場合は売春をする。「一番の上客は聖職者だ」と、ある移民男性がマルテルに語りました。”ソドムの規則”に「ムスリムの若者」とあるのも、バチカンの枢機卿や司祭が移民を相手に求めるからです。

 「同性愛が処罰の対象から除外され… 同性婚の合法化やゲイの社会化が進んだことから、街頭での男性売春の市場は縮小する傾向にある。ほとんど唯一の例外が、ローマだ。その理由は…この市場を積極的に支える役割を、聖職者たちが担っているのだ。匿名を確保するために、彼らはとりわけ移民を求めている」と『ソドム』で書かれています。イタリアの警察もそれを熟知しているが、「イタリアの法律は個人の売春を禁じていません…」とローマのある警視正はマルテルに語りました。

 

*神学校、神学生の問題

 神学生は男子だけであること、これが、どういう結果をもたらしているか。マルテルはローマにある教皇庁立大学やフランス、スペインなどいくつかの国で神学生、またゲイの神学生を調べました。教皇ベネディクト16世は2005年に「根深い同性愛の傾向」を持つと思われる者を司祭に叙階しないように、通達を出しました。

 しかし同性愛の司祭の叙階が無くなれば、教会は立ち行かなくなるし、ローマの枢機卿はいなくなり、教皇庁に人材はいなくなることが、彼自身にも分かっていました。各国に通達は出しても、神学校において同性愛は野放しで、バチカンに届く報告書を見て「同性愛が常態化している」ことがわかりました。いろいろな形でです。

 そして、取材の結果、神学校を入口としてカトリックのシステムは、同性愛者間の「友情、保護、庇護者」といった「ソドムのコード」によって成り立っていることが明らかになりました。枢機卿や司教の多くが、自らのアシスタントや補佐役、被保護者をもっている。それは「特別の友情」で結ばれ、同性愛の関係に発展することもあるが、「細分化されたヒエラルキー的同盟のシステムとなり、派閥や党派、黒幕グループを形成することもある」と『ソドム』に書いています。

 このような保護する者と保護される者のモデルは、教会や神学校から司教団まであらゆるレベルに存在している。そのような複雑なシステムのなかで聖職者が任命され、教会のヒエラルキーを形成している。だから例えば「聖アンセルモ大学のような教皇庁立の大学では、教員そのものがたいてい同性愛だと見なければなりません」とも。

 取材に応えた元神学生が言うには「聖職者の独身制が存在する限り、ゲイの司祭はヘテロの司祭より教会に受け入れられる。それが現実」。神学校に異性愛の神学生が彼女を連れてきたりすれば、すぐ退学となる。貞潔と独身制は女性に対するものなので、同性愛者には関係ない。「司祭の独身制」があるから、同性愛問題が起こる。異性愛の司祭よりゲイの司祭のほうを教会は選ぶ・好むというシステムになってしまっているので、反ゲイの通達を出したところで、大勢は変わらないのです。

 

*都市ローマの聖職者とエイズ

 1980年代から90年代にかけて聖座とイタリア司教団ではエイズが猛威を振るい、多くの司祭、モンシニョーレ、枢機卿がエイズで死にました。バチカンで義務付けられている年一回の血液検査で、エイズと診断された聖職者も、「陽性」と診断されて隔離された者もいました。

 「カトリック上層部でエイズにかかる人の割合が高いことは、カトリック司祭の死亡証明書をもとにアメリカで行われた統計調査によって裏付けられている」と『ソドム』は指摘します。司祭や神学生にエイズ抗体陽性の者や患者がそれなりにたくさんいるようです。ローマのある皮膚科研究所の教授はそのことを認めており、また聖職者に検査を受けさせようとするが、彼らは「検査を拒否し、コンドームをほとんど使用しないため、現在、カトリックの男性コミュニティに所属する人のエイズ感染のリスクが高まっている… 我々は特に神学校で、性感染症やエイズの感染と治療に関する対話や指導を試みてきた。しかし
、まだきわめて困難だ。エイズのリスクについて話すことは、聖職者が同性愛を実践しているのを認めることになるから。そして教会は当然ながら、この種の予防対策を拒否している」と。

*”ソドムの法則”

 マルテルは取材を進める中で、14の”ソドムの法則”を発見しました。それは以下のようなものです。

 「聖職は長いあいだ、若い同性愛者の理想的な逃げ道だった。同性愛は彼らの召命の鍵の一つだ」

 「同性愛は、教皇庁の中枢に近づくほど広まっている。カトリックのヒエラルキーを上昇するほど、同性愛者の数は多くなる。枢機卿団とバチカンでは、この優先的プロセスが功を奏したようで、同性愛はお定まり、異性愛は例外となっている」

 「親ゲイの高位聖職者ほど、ゲイである可能性は低い。ホモフォビアの高位聖職者ほど、同性愛である可能性が高い」「うわさ、中傷、仕返し、復讐、性的いやがらせが聖座では絶えない。ゲイ問題はこうした陰謀の主要な動機の一つである」

 「多くの性的虐待事件の背後に、自らも同性愛で、スキャンダルになってそれが暴かれるのを恐れ、加害者を守った司祭や司教がいる。教会のなかで同性愛が広まっていることを隠しておくには、秘密を守る文化が必要だった。そのため性的虐待は隠蔽され、加害者は野放しになったのだ」。

 続けます。

 「ローマにおける聖職者とアラブのエスコートとの買売春では、二つの性的に貧しい人々が交わっている。カトリック司祭の底知れない性的フラストレーションが、ムスリムの若者の婚外交渉を困難にしているイスラムの掟と呼応している」

 「バチカンのホモフィルはおおむね貞潔から同性愛へと進化する。同性愛者のたどる道が後退してホモフィルに戻ることは決してない」

「同性愛の聖職者と神学者は異性愛の同僚に比べて、聖職者の独身制を強く支持する傾向がある。彼らは、えてして、貞潔の教えを守らせようとする。しかし貞潔は本質的に不自然である」

「教皇大使の多くは同性愛だが、彼らの外交は本質的にホモフォビアである。彼らは自身がそうであるものを非難している。枢機卿、司教、司祭に関しては、よく旅をする者ほど疑わしい」

「ある枢機卿や高位聖職者が同性愛だといううわさが流されるのは、自らもクローゼットの同性愛である者の仕業のことが多い。彼らはそのようにして、リベラルな反対派を攻撃する。これはゲイがゲイを攻撃するとき、バチカンでよく使われる武器である」

「誰が枢機卿や司教の連れなのか、探す必要はない。彼らの秘書、アシスタント、お気に入りに尋ねればよい。彼らの反応を見れば、本当のことがわかる」。

 あとは、箇条書きにします。

・すでに11世紀にイタリア人司祭ペトロ・ダミアニは『ゴモラの書』で、当時の聖職者のあいだ(枢機卿団も)で同性愛的傾向が広まっていることを非難している。
・コロンビアの大司教トルヒーリョは同性愛者で、保守的なカトリック者と手を結び、政権に加担して暗躍する。他の多くの司教は貧者優先、民衆解放、極右の軍事政権を非難したので、トルヒーリョは進歩派の司祭たちを殺害した。のち、ローマへ行って家庭省のトップとなり、世界のあちこちに旅して、同性愛や婚前交渉、ゲイの権利を非難しコンドーム使用を禁じた。ヨハネパウロ2世とベネディクト16世の時だ。
・メキシコの聖職者の同性愛生活はよく知られた現象であり、すでに資料で裏付けられている。枢機卿、大司教、司祭の3分の2以上が「実践的」であると見られている。「メキシコでは少なく見積もっても50%、実際には75%の司祭がゲイ。神学生は同性愛的であり、カトリック上層部は明らかにゲイだ」。

 ペルーの代議士カルロス・ブルースは『ソドム』で語っている—「教会は、地に墜ちたモラルの結果をすべて引き受けなければならないと思う。まず、同意している成人間の同性愛の関係を批判するのをやめ、結婚を認めなければなりません。そして、性的虐待について沈黙するのをやめ、制度化した『隠蔽』の戦略を完全に放棄すること。さらに、これはまさに問題の鍵なの
ですが、聖職者の独身制に終止符を打たなければなりません」。

 

*『ソドム』から見えてきたこと・・結論

 ・まず、男性だけしか司祭になれないという教会法の規定があります。女性排除です。同性愛・同性婚が認められない時代・社会では同性愛者は神学校に入り司祭になる傾向がありました。そのためカトリック教会には同性愛の聖職者が増えた。そして彼らが教会の上層部になっていき、中枢組織であるバチカンを形成した…

 ・同性愛の男性は女性と結婚することは、ほぼ、ないでしょうから、「司祭の独身義務」を守ることは難しいことではない。ただし同性愛の欲望をどうするかという問題は残る。思うに、「男性だけしか司祭になれない」としても、もし「独身義務」がなく結婚が許されるとすると、どうなるでしょうか。その場合、異性愛の男性が増え、同性愛者は肩身が狭くなるでしょう。ですから、女性と結婚する男性(の多く)を排除した上で、「独身義務」を司祭に課したほうが、同性愛者にとっては好都合です。それに同性愛男性に女性は必要ないので、女性は司祭として叙階されない、という制度にする、つまり女性を排除しても
何ら不都合はありません。

 ・このように現在の司祭制度すなわちキャロルの言う二本柱「司祭職からの(女性嫌悪めいた)女性排除」と「司祭の独身の義務」は、同性愛の司祭を守る制度であり、また同性愛傾向の者を多く補充していく制度なのです。(
 ・先般の世界代表司教会議(シノドス)第16回定例総会(2021∼24年)で世界の現地教会から出された「司祭の独身制の義務を排し、女性の司祭叙階を認めよ」という意見は、まさに教会のソドム化を防ぎ
、シノダル(共働的)な教会になっていくための健全な意見、聖霊の促しだったのではないでしょうか。それに蓋をしてしまったシノドス参加者たちの責任は重いと言わざるを得ません。

*フレデリック・マルテル著『ソドム』(河出書房新社、2020年4月初版)

(西方の一司祭)

2025年10月31日

・共に歩む信仰に向けて⑪ フレデリック・マルテルの『ソドム』を読む(その1)

  フレデリック・マルテルの『ソドム』が邦訳されて間もない頃、私はこの本をプロテスタントの牧師夫人から紹介されていましたが、長い間読んではいませんでした。このコラムで教皇制について、ずっと書いてきて、やっと読む時が来た、という感じで読みました。

 『ソドム』という題名自体、スキャンダルの暴露本のようですが、決してそうではありません。ぜひ皆さんにも読んでいただきたいと思います。著者はジャーナリスト、社会学者で、この本の前にすでに数冊のしっかりした本を出している方です。またご自身が性的にはゲイであることも正直に公言しておられます。相手の大部分がゲイなので、取材も受け入れてもらいやすかったとのことです。

*聖職者主義の二本柱の意味すること

 なぜこの本が重要なのかと言いますと、先月紹介したキャロルの説と関係するからです。キャロルは、聖職者主義の二本柱は「司祭職からの女性嫌悪めいた女性排除」と「司祭の独身の義務」だ、と言いました。この二つによってバチカンおよびカトリック教会の司祭制度は成り立っている。その結果はどうでしょうか?

 バチカンはソドムと化し、その影響は世界各地のカトリック教会(特に枢機卿、教皇大使、司教司祭)に及んでおり、カトリック教会が腐敗している… 著者マルテルはそのことを入念かつ公正な調査によって明らかにしているのです。

 

*「バチカンは同性愛者の社会…」

 本書のプロローグでマルテルは言います—「バチカンは世界で最も同性愛者が集まっている場所である」。また「教会は構造的に同性愛化する性質がある」とも言っています。

 「・・フランシスコ(教皇)は正しい情報をつかんでいる。彼のアシスタント、側近の協力者たち、儀典長やその他典礼の専門家たち、神学者や枢機卿。そのなかにも実践的な者は多数いるが、バチカンに呼ばれる者にも、選ばれる者にも、同性愛が多くなることを、彼らは知っている。彼らに話を聞けば、聖職者の結婚が禁じられているから、教会は社会学的に同性愛化するのだとほのめかすことすらある。自然に反する禁欲と秘密の文化を課している教会にも、何万件もの性的虐待が起きている責任の一端があるのだと。彼らはまた性的欲望、とりわけ同性愛の欲望がバチカンの生活の主要な原動力の一つであることを知っている」。

 「私(マルテル)の見るところ、同性愛という視点で読み解かなければ、バチカンもカトリック教会も理解できない。教会に内在する同性愛の側面を見ないで教会を語ろうとすれば、いつまでたっても正しく分析することができない」。イタリアのゲイ文学の教授フランチェスコ・ニェッレは「イタリア最大のゲイ組織はバチカンだ」と言います。

 

*入念かつ公正な調査に基づく『ソドム』

 注記によると、『ソドム』はおよそ20の言語、50か国で出版されました(2019年)。執筆のもとになっているのは、4年以上におよぶ現地調査、バチカンと30か国で1500人近い人々(枢機卿、司教、モンシニョーレ、バチカン大使、外国大使、司祭、神学生、その他現地で働いている人、警官、軍人、男娼その他)へのインタビュー、さらに参考資料や文献、新聞雑誌記事、そして80人の調査員、連絡員、助言者、調整役、翻訳者などを動員しています。本書に関して弁護団もついていて、関係する諸国の弁護士の名前も記されていますので、たとえ訴えられても、内容については揺るがない構えです。時間だけでなく取材に要した経費も相当なものだったでしょう。

 「小神学校(カトリック系の中等学校)から教皇庁の中枢―枢機卿団―にいたるまで、同性愛の二重生活と徹底したホモフォビアの上に打ち立てられたシステムを明らかにする必要がある」というのが本書の目的で、その結果「本書は教会そのものではなく、きわめて特殊なゲイ・コミュニティを批判している。本書が語るのは、枢機卿団とバチカンを構成する大半の人々の物語である」と。

 具体的には、バチカンの内部の人々、教皇やその秘書、教理省長官や国務長官その他について、バチカン周辺、ローマ・テルミニ駅、世界各国の枢機卿や教皇大使、司教その他の動き、小神学校の状況その他、特に彼らの性に関わる動向が調査に基づいて記されています。時代は、第2バチカン公会議の途中で教皇になったパウロ6世(1963~78年)、ヨハネパウロ2世(1978∼2005年)、ベネディクト16世(2005 ∼2013年)、フランシスコ(2013年∼)です。

 本書に出てくる性についての用語を略記しておきます。「ホモフィル」は「ホモ愛」ですから「ホモセクシュアル」や「ゲイ・フレンドリー」と同じこと。「ホモフォビア」は「ゲイ嫌悪」。「クローゼット」(小部屋・箪笥)は「隠れて所属している」こと。「教区」は「ゲイのつながりで生きている人やゲイ・コミュニティ」のこと。各地の小神学校などでの聖職者の性的虐待に関しては「ペドフィリア」(小児性愛)。性的行為をおこなっている場合、「実践的」という言葉が出てきます。

 

*カトリック教会は同性愛を「罪深い悪徳」としてきた

 そもそも同性愛は聖書の世界で認められるものではなく、「罪深い悪徳」として罰せられるものでした。そのため同性愛の男性は、社会で生きていくために将来の職業を考えて、神学校に入るものが多かったようです。カトリック司祭にゲイが多くなるゆえんです。

 2005年にラッツインガーが教皇になったとき、ゲイの結婚はまだ限られていましたが、それから8年後の2013年、彼が辞任する頃にはすでにヨーロッパ、ラテンアメリカでは同性婚が広まりつつありました。ですからベネディクト16世が同性愛、同性婚に対してどういう姿勢を取るか、彼の認識が問われ、結果的にそれは受け入れられなかった、破綻した、彼の辞任はその表れでもあったのです。

*同性婚を認める国が増える中で、カトリック教会に変化は…

 同性婚が社会的に認められたのは、まず2001年オランダ、2003年ベルギー、米国、2005年スペイン、その後もカナダ、南アフリカ、ノルウェー、スウェーデン、2010年ポルトガル、2013年フランス、2015年アイルランド、2016年イタリア・・と広がっていき、2025年現在39か国となっています。それぞれの国で同性愛が社会的に認知されるようになり、運動等が起こり、その後法律的に容認されていきました。

 しかしカトリック教会は、頑なに同性愛、同性婚を認めないでいます。同性愛が容認される社会に近づいた現在、必ずしも神学校に行って司祭になる必要はない、社会の中で生きれる・働けるということになり、神学校志願者は減ってきているのも現実です。さらに特にフランシスコ教皇時代以降は、教会の建て前としてすぐには同性愛を容認できないが、自然な事実として同性愛という「性的指向」があるのは間違いない、だから「彼らを裁くことは止めよう」という姿勢が、今のカトリック教会の趨勢かと思います。

 

*フランシスコ教皇に反対したレイモンド・バーク枢機卿

 先回も述べましたが、伝統を守ろうとするバーク枢機卿は、教皇の反対派の先頭に立っていました。

 マルテルは同行者を連れてバーク枢機卿の住まいでインタビューをしています。部屋には風変わりな祭壇。けばけばしい風変わりな祭服を着たバークの写真。バークは時代がかった身なりをすることで知られています。全米に広がるドラァグクイーン(派手な衣装をまとい厚化粧をしているゲイ)の一人ではないか、とマルテル。

 「バーク枢機卿は伝統主義者のスポークスマン、ローマ教皇庁におけるホモフォビアのリーダー格である。ゲイ問題に関して過激な発言を繰り返しており、まさに反ゲイの急先鋒である」。「教皇であっても、同性愛の行為や結婚の解消の反道徳性に対する教会の教えを勝手に変えることはできない、とバークは批判している」と。この点は先回も述べました。バークは、同性愛は大罪であり、本質的に秩序を乱すものである、と発言してやみません。

 超保守派の組織で政治的ロビー団体があり、そこには枢機卿たち、マルタ騎士団や聖墳墓騎士団の過激派、古くからの典礼の支持者たちなどが参加していて、その会長をバーク枢機卿が務めている。

 「バチカンでは、きわめて保守的で伝統主義的な枢機卿のなかに、どうしてこんなに同性愛者がいるのでだろう?」。また「米国の司教団に通じているバークが、自国のカトリック上層部にいる枢機卿や司教の大半が同性愛であるのを知らないはずがない」。米国では性的虐待に関して「8948人の司祭が告訴され、1万5000人以上の被害者が調査の対象になった」。バークに関しては多くの記述がなされています。

 

*「マリタン・コード」、またはマリタン主義について

 ジャック・マリタン(1882∼1973年)はフランスのカトリック思想家ですが、ゲイでした。マリタンは、ジャン・ギトン、フランソワ・モーリアック、ジャン・コクトー、アンドレ・ジッド、ジュリアン・グリーンなど多くの文化人に影響を与えましたが、彼らも同性愛者でした。

 マリタンの時代は同性愛は「いかがわしいもの」とされていました。マリタンは「福音書は、神の国を作るために自らを去勢するよう勧めている」と考え、「同性愛者は救いのために、それを昇華させ、貞潔を守るほかない」と考え、そのことをこれら同性愛者にも勧めます。

 この「マリタン主義」は、バチカンにおいても、戦後の大多数の枢機卿のなかに追随者を生みました。現在(2018年頃)60歳以上の枢機卿や司教の大半は、こうしたマリタン主義のなかで育ちました。「マリタン主義を昇華された内なる前提条件として読み解かなければ、教皇パウロ6世、ベネディクト16世、ローマ教皇庁の枢機卿の大半も理解できない」と。

 同性愛者は「独身と貞潔」を選択すること、それは司祭コースを選択することにつながりました。<聖職は長い間、若い同性愛者の理想的な逃げ道だった。同性愛は彼らの召命の鍵の一つである>という”規則”が成立します。マルテルが取材を進める中で、多くの枢機卿や司教たちが、マリタン的思想の文学に影響を受けていることが明らかになったのです。ただこの選択は「昇華や抑圧から生み出されたものである」とマルテルは言います。

*パウロ6世と同性愛者たち

 パウロ6世の周りには同性愛者が多くいました。「昇華され、あるいは抑圧された同性愛は、しばしば独身と貞潔の選択、さらに内在化されたホモフォビアに現れる」。パウロ6世もマリタンの影響を受けており、ジャン・ギトンとは仲が良かったので、第2バチカン公会議に招待したくらいです。

 パウロ6世も、ほぼ同性愛のようで、彼の取り巻き、例えば個人秘書や側近や、彼の公式の神学者や儀典長たちはホモフィルとホモセクシュアルでした。さらにパウロ6世の枢機卿たちも「教区」に属する者が多かったとのこと。教皇は2つの回勅「フマネ・ヴィテ」「ペルソナ・フマナ」を出し、その中で結婚と避妊(ピルの禁止)について述べ、風俗の乱れを非難し、貞潔を説き、同棲や婚前交渉や自慰を禁じ、同性愛も禁じました。ホモフォビアの立場です。

 パウロ6世はこのような決断を、「高齢のオッタヴィアーニ枢機卿と新参者のヴォイティワ枢機卿(のちの教皇ヨハネパウロ2世)に代表される保守派を糾合して」行ったのです。聖職者の独身制も維持します。「聖職者の独身制は、歴史的に教会内のホモフィルとホモセクシュアルによって守られてきた価値である」と、マルテルが会った神学者や専門家の多くは指摘しました。

(その2に続く)

(西方の一司祭)

2025年10月31日

・カトリック精神を広める㉓ 勧めたい本紹介・6・岩島忠彦著「イエス・キリストの履歴」

 今回紹介したいのは「イエス・キリストの履歴」(岩島忠彦著、オリエンス宗教研究所、2011年4月15日初版)だ。

 岩島師は現在、上智大学名誉教授。四ツ谷にある聖イグナチオ教会所属のイエズス会司祭である。(ホームページ:https://t-iwashi.la.coocan.jp/index.html

 カトリック誌「福音宣教」の2009年から2年間、「イエスが父と読んだ神」との題で連載された原稿に加筆修正されたものが本書で、著者によれば「信仰者として、修道者として、司祭として、そして長年神学に携わってきた者として、自分の信仰と知識を総動員して、今だから語れることを、精一杯語ろうと心に決めて」執筆された。著者は、「カトリック、プロテスタントを問わず、できるだけ多くの信仰者が本書を読んでくださることを願っている」

 本書は、教会の歩みにおける神学と教理、とくにキリストと彼の父である神についての教理確定の道筋について扱っており、自分が信じているカトリックの信仰について、あやふやな知識を、確かな信仰へと導いてくれる。それぞれの章が興味深いが、特に、三位一体については、既にキリスト復活後から論議され、その論議の歴史が、掘り下げて詳しく記述されている。

 イエス・キリストが、復活後にどのようにして神となっていったのか。既にキリストの復活を契機としてイエスが神の子であるという信仰が確定し、神の子キリストが、唯一の神と並んで神的礼拝の対象とされていった歴史が記述されている。325年に開催されたニカイア公会議では、「神の子キリストは『造られずして生まれ、父と同一本質』のものであるとされ、「子は父である神とその神的本質を共有する存在である」ということが宣言された。

 「キリストは、私たち人間に向けられた神の御顔なのだ」という一文には、身震いする程である。「父と子と聖霊」の関係が良く理解できた。本書では、神の人類に対する壮大な計画が、十分納得いくように説明されており、死後の世界の天国と煉獄、地獄についての説明も十分納得がいく。信仰者が読むべき必読の書と言えよう。

(横浜教区信徒・森川海守 ホームページ https://mori27.com

2025年10月30日

・愛ある船旅への幻想曲(57)結婚するために司祭を辞めて帰国した英語教師と再会して思ったことは

 10月、日本は新しい総理大臣が選出された。私たち国民一人ひとりが思いの一票を投じることができない日本のトップ選びではあるが、トップに立つ人間として国民のために良き働きをなさってくれることを期待したい。

 私は、高校入学と同時に「カトリック教会が高校生と高専生を集めて英語を教えるらしいから参加しない?」と親友から誘いがあり、参加した。この時代は、外国人から英語を学べることが珍しかった為か教会の信徒ホールは学生で満員だった。(40年後に当時のこの教会の女性伝道師から生徒集めに大変苦労したことを聞いた。。)

 若い米国人司祭4人が英語教師として紹介された。私は他に習い事もあったため毎週出席できなかったが、親友は熱心に通い、彼女の家が高専校の近くだったこともあり、高専生の男子グループと親しくしていた。教会の庭で司祭と生徒たちがピクニック?もよくしていたみたいだ。

 ところがある日、突然、その英語クラスが無くなった。熱心な生徒ではなかった私もビックリした。英語クラスが無くなった理由は「司祭2人?3人?が結婚するために、米国に帰ったらしい」と高専生から聞いただけで、この時(も)、教会からはハッキリした説明もなく、うやむや状態。私は当時、司祭の独身制を知らなかったから「結婚おめでとう!」と能天気。

 親友が「いやいや、教会にとっては大変厄介な問題らしいよ」と言ってはいたが、未信者の私たちにとっては、英語クラスが無くなったことの方がショックが大きく、カトリックの教会事情は別世界の話だった。何よりも「男性が愛する女性と結婚するのは当然なこと」と思っていた夢見る高校生女子には、「お相手は誰?」との興味しかなかった訳で、これが世間一般の感覚と今も思っている。

 それから数十年経って、当時の英語指導の元司祭が米国から妻の里帰りに同伴し、教会に立ち寄った。私が当時の生徒だったことを話すと「こんな所に私の生徒が居たのか!」と大変喜んでくださった。この教会(小教区)で当時、英語クラスに参加した信徒の学生は不思議なことに誰も居なかったみたいだ。元司祭と私は当時の話で盛り上がり、楽しい時間を過ごした。彼は今も家族と米国で幸せに暮らしている。

 今、厄介な教会事情を知る私である。

 司祭の独身制について初めて知った時の私の反応は、「へぇー」だった。あの時、司祭職よりも愛する女性との結婚を選んだ司祭方の葛藤と決断を知り、ドラマのようなロマンチックなHappy Endに以前よりも一層、心から「おめでとう〜!」と言ったものだ。

 今、司祭の性的虐待問題からカトリック教会を去る信徒と、全く何事もなく教会に集う信徒の二分化がある。

 司祭の独身制が性的虐待問題に影響がないとは言えないだろう。私にとって司祭の性的虐待が一件であろうが百件であろうが、数に関係なく、「司祭」という職に裏切られた腹立たしさと恐怖心、そして何よりも被害者への謝罪がない状態は、教会への失望しかない。勇気を持って訴えた被害者を教会内で差別することは信じられないが、教会の悪しき側面がここでも実証されている。

 司祭も人間であり、結婚か独身を選ぶことは本人の自由ではないだろか。カトリック教会では『人間の尊厳』の見解が難しい。教会で独身制を守る組織には、独特の男性性と女性性が確立され、そこには神への尊厳がある…。

 2025年の今、神は「人間の成熟」を望んでおられるのではないだろうか。人間としての成熟は、如何にして養われるのか。ここからのスタートだと私は思っている。今行われている”シノドスの道”の歩みが、信徒参加を特別に強調するのであれば、教会と信徒の現実の姿を幅広く知った人が、誠意をもって「人間の尊厳」をしっかり論議した上で、イエスの信仰を自由に生きる教会の改革へと導いて欲しい。そう切に願う私である

(西の憂うるパヴァーヌ)

2025年10月30日

・Sr.阿部の「乃木坂の修道院から」⑰タイから帰って、受けたのは「福音宣教に駆り立てられるショック」

 「カルチャーショックを受けませんでしたか?」

 先日、葬儀場からの帰りの車の中で、若い神父様から尋ねられました。昨年4月、「30年にわたるタイでの宣教奉仕から帰ってきました」と自己紹介したところ、タイのカトリック教会の事などが話題になり、こう質問されたのです。

 私の答えは「いいえ」でした。その余韻が体の中にこだまして残り、「どうしてかなぁ」と自問自答しました。本当に、全然、ショック受けていないのです。むしろ、どんどん挑戦して順応、福音宣教に燃えて出かけて行く自分に感心してしまうぐらいです。

 派遣されて今日まで福音宣教の使命をフル回転で生きてきて、急ブレーキは掛かりませんよね。状況環境が変わっても、言葉や文化が違っても、内にたぎるイエスの福音への思いは、どんどん溢れ出て来ます。

 今の社会の中にいると、多くの人に”福音への渇き”を感じます。道であり真理であり、命である師イエスの人々に寄せる気持ちで、私の心がいっぱいになり、走り出すのです。聖パウロのキリストの愛に駆り立てられる心境に、ほんの少しでも、あずからせていただいているのでしょうか。

 タイで生活していた頃よりも、強く心底から突き動かされるのです。なぜなのか、はっきりは分かりませんが、私を福音のためにお召しくださった方の、行く手に向かう拍車なので身を任せています。

 そうですね、日本の空に比べ、タイの空は高みに抜けていて、地上が圧迫されていないなぁ、と思います。うまく言えませんが、人間の限界の壁を突き抜ける超自然、魂の息吹く空に、抜けていているのです。人々の心には、単純に信仰の世界に羽ばたく感性が生きているのでしょうか。頭脳明晰、高度成長したAIデジタル社会日本では、知識や可能性の領域の層が厚く、単純に夢や信じる空に突き抜けにくいのかも知れません。

 一人ひとりが信じて羽ばたける世界が、見えなくても確かにあるのです。仏教文化が滲み込んだ見えない信仰の領域が、普段の生活圏にあるのです。タイの人達は神様を信じないでどうして生きていられるのか、と信仰を持たない人をいぶかしがります。畏敬の念を持って生きる、これは救いですね。

 久々に日本に帰り、生活して、私が突き動かされる現実は、この辺りにあるのだと思います。祈りにも活動にも、さらに熱がこもり、新しい宣教地に派遣されたような気持ちで日々励んでいます。受けたのは「福音宣教に駆り立てられるショック」でした。

 やっと涼しくなって気持ちの良い秋空、人間を羽ばたかせる夢や信じる力が、理屈や常識の分厚いデジタル層をも突き抜けて、高みに舞い上がり、歓喜の空気を吸えるよう願い、祈っています。

 (阿部羊子=あべ・ようこ=聖パウロ女子修道会会員)

2025年10月5日

(読者投稿)なぜ、日本では”シノドスの道”の歩みが進まないのか?

 日本でほとんど進んでいない“シノドスの道”の歩み。なぜ、こうも進まないのだろうか。

 教区主催のシノドス勉強会と「霊における対話」に参加した。シノドス最終文書を読み、小教区に持ち帰り、生かそうという段階になる… すると、「何をどう進めればよいのか」、明確な指針がないため、何も出来ないのだ。

 そもそも、教会共同体全体の理解や賛同を得ている感じもない。さらに、「誰」が、司祭と”歩み”を進めていくのか、養成担当者なのか、議長団なのか。信徒間に信頼関係があれば良いが、無ければ主導権争いのような競争が水面下で始まる。そうすると、誰かが疎外され、一部の信徒と司祭だけで進めていくような事が起こる。小教区で”シノドスの道”の歩みを進めるためには、司祭によるリーダーシップが不可欠であることははっきりしているが、結局、「どう進めるか、はっきりした指針が無い」という、最初の問題に戻るのだ。

共同体のシノドスの歩みに対する意識はどうだろう。

 若い世代の忙しい信徒たちは、教会で自分や子供の友人を作ることができれば満足なのかもしれない。「日曜だけにしか来られないのだから、教会の奉仕や役割、問題を引き受けるだけの時間も、余裕もない」のだ。

 一方で教会に来る信徒のほとんどを占める高齢のベテラン信徒たちは、「教会での活動の中心に長くおり、精力的な活動」を続けている。だから「自分たちはもう十分に、共に歩んでいる。これ以上、何を求められるのか」といった具合で、新しい変化など求めていない。

 委員会活動、様々なチームでの活動は、確かにシノダリティ(共働性)が形になり、実践されているようだが、私の中にあるシノダリティのビジョンは、もっと繊細な、感性で捉えられるもののようなのだ。ひと言で言うと、「温かみのある教会となるための歩み」を模索している、ということだ。それは一人だけでは為し得ないため、共同体に働きかける良策を探すが、前述のように「共に歩む道」への関心は、多くの信徒から、寄せられないままなのだ。

教皇フランシスコが”シノドスの道”で目指そうとしておられた“共に歩む”教会とは、どのようなものだったか。膨大な量の文章やメッセージが出てはいるが、正直、自分がその核心を捉えているのか、疑わしい。個人的には次のようなことではないかと思っているのだが。
・同じ教会に集う人々が、自分達を ひとつ とみなすこと ・活動や関係のバランスを保つのに、お互いが補い合う力が働くようになること ・批判を分析に置き換えられる冷静さと識別が働くようになること ・感じていることを正直に話し合えるような交わりがもてるようになること ・そうした深い愛が、ひとり一人に呼び起こされ、「共同体の感性」が培われること ・そうして、キリストの生きた“有機体”としての共同体が成長すること…

私がイメージしたのはこのようなものだった。もし、それが”シノドスの道”の歩みの目的から遠くなければ、この歩みは数年で終わるものではない。恐らく私たちは、「その理想とビジョンをつかみ、共有しつつある段階にあり、スタートラインに自分たちが立っている」と自覚したに過ぎないのだ。

多くの信徒にとって教会とは、「神と個人とが繋がる場所」だ。「自分を発達させたい、癒されたい」という願望が、その中心にあるかもしれない。しかし、”シノドスの道”の歩みの狙いは、共同体単位での霊的な前進なのではないだろうか。

 「全体にとって善いことのために、自分は何ができるのか」という問いに、全ての信徒が招かれる。個人的問題は脇に置かなければならない。多くの信徒は無意識のうちに、そこに抵抗を感じるのかも知れない。 ”シノドスの道”の歩みが進まないのは、そうした理由かもしれない、と思い至っている。

 聖霊の導きが豊かに、より明確に得られるよう、皆で祈るしかない

(匿名希望 西方の女性信徒)

2025年10月2日