『相手が信じるものを、自分が信じるものと同じように尊重する』という姿勢を教わったのは、母校のシスターたちだった。私たちは修学旅行で厳島神社へ行くのだが、「引率のシスターはどうするのだろう?」と気になっていたが、先輩方に聞いたところ、シスターも厳島神社へ一緒にお参りをして、「深くお辞儀をしていた」と聞いた。
シスターに倣い、私も、祖父母を思い出す時は、彼らが信じていた仏教の作法を尊重している。それを咎めるほど、神様は冷たい方ではないと思っている。
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祖母が幼かった頃、一日の始まりには必ずお寺の床を雑巾がけをしたそうだ。「ちゃこ(祖母の名前)が掃除をしたところは、なめるようにきれいだね」と言ってもらえるのが嬉しかったらしい。
祖母の家へ遊びに行くと、孫である私たちに「まず、仏様にご挨拶しなさいね」と言って、必ず仏壇へ行かせた。私たちは小さな手で恐る恐る線香を立て、おりんを鳴らし、「南無阿弥陀仏」と唱えた。背が届かないうちは、祖母や叔父に抱いてもらいながら手を合わせたのも、よい思い出だ。また、祖母の家に泊まると、朝一番に炊きたてのご飯をまず仏様にあげ、榊の水を替えたりする様子を見た。信仰がごくありふれた日常の中にあった。
そんなふうに信仰を大事にする祖母の明るい笑い声が大好きだったし、「まいちゃんや」と呼び掛ける声は、もっと好きだった。おそろいのシャワーキャップでお風呂に入ったり、布団に寝転んで本を読んでもらったり、たくさんお世話をしてもらった。
しかし、いつ頃からだろうか。祖母が丁寧に染めていた髪を染めなくなった。病院へ通うことが多くなり、飲む薬も増えた。家にはヘルパーさんが来るようになり、買い物も一人で行かなくなった。私を「まいちゃん」と呼ぶことも、甲斐甲斐しく構ってくれることも、なくなった。仏様にご飯をあげることもなくなり、榊はいつの間にか飾られなくなっていた。
そんな祖母が亡くなった、と聞いた時は、実感がわかなかった。夢を見ているようだったし、「まだ祖母は生きている」と信じていたくらいだった。実感はわかなくとも、体は悲しんでいた。しばらくは、食事が美味しいとは思えなかったし、なんとなく眠れない日が続いた。
その後、私は、仏教のやり方に従って、お彼岸には、祖父母のために、お花を供えることにした。同時に、私自身の悲しみを癒すために、主の祈りとアヴェ・マリアの祈りを唱えた。
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誰かの死に立ち会う時、「カトリック信者になって、心底良かった」と思う。愛する人が亡くなり、悲しみにうちひしがれ、私たちは、それでも前を見て生きなければならない。そんな時、「愛する人は、今神様のところにいる。一番良いところへ行った」と思うと、ほっとするような気持ちになる。「私はイエス様を信じていて良かった!」と思えた。
「祖母が極楽浄土で幸せでありますように」と願いながら、「神様、私と祖母が天国で再会できますように」と祈る私がいる。矛盾しているけれど、私は祖母の信仰を尊重したい。私もそうしてほしいから。
(東京教区信徒・三品麻衣)
先日、知人から、イエスの言葉を紐解きながら、ローマからキリスト教が世界宗教に至る過程を解説できたら、また、ヨハネ福音書の十字架上イエス、ピラトや百人隊長との関わり、そしてローマの支配、この壮大なテーマをゆっくりと説き明かしたなら、神様の御心がどこにあるのか、どこに導かれるのか、分かりたいことが分かるかもしれない、というご意見をいただいて、私はこのところずっと考えていました。
新約聖書には、ピラトや百人隊長との関わり、そしてローマの支配といった、現代人にはすぐに理解できない歴史の流れがあります。また、キリスト教がローマから世界宗教に至る過程は、西洋史として学ぶ機会があっても、そこから見える景色は、東の果てにいる日本人の感覚からは程遠いものに感じます。これらを考えると、その過程を解説するのは簡単ではない、と思いました。半面、日本人には、何か地の利があるような気もします。それは、キリスト教の歴史の外側にいたというところからくる、ある種の感じ方かもしれません。
御言葉を紐解きながら悟らせてくださるのは、聖霊です。聖霊は、すべての人々、一人一人に向き合っておられるので、私たちが自分の地の利をもっとよく知って、それを意識することが、聖霊と共働するうえで、役に立つかもしれない、という期待があります。
こんな風に考えていた時、ちょうど次のような考察と出会いました。初め些細なことのように見え、通り過ぎようとしたのですが、ふと立ち止まって見直して見ると、日本人の日常を支えている事柄で、案外いいヒントになると思いました。
日本では元号と西暦が併存しています。私はこの二重の暦によく不便を感じることがありましたが、これまで特別に注目したことはありませんでした。しかし日本人が、時間の感じ方を日常的に二重化して受け取っているという考えに興味が湧きました。私たちが、日本の時間(元号)と世界の時間(西暦)という二つの時間軸の間で生きていることに、改めて注意を向けてみると、不思議な感じがしたのです。
日本人がこの環境を手にしたのは明治維新後からで、明治6年(西暦1873年)1月1日が日本のグレゴリオ暦導入の日、とされているようです。それから145年後の2018年8月20日付日経新聞には、「政府は2019年5月1日の新元号への切り替えに関し、公文書への西暦表記を義務付けない方針を固めた。和暦と西暦を併記したり、西暦に統一したりする方針は示さず、各省庁や自治体の個別の判断に委ねる」とあると聞いて、これは結構注目に値することだと思いました。21世紀になっても、このような環境に生きている国民は大変少数だそうで、なんだか日本人の性格がこんなところに見えているかもしれない、と思ったのです。
元号は区切られる時間。「令和」「平成」など、節目ごとに価値を更新し、再出発を示す感じです。一方、西暦は、紀元前46年に導入されたユリウス暦を、1582年にローマ法王グレゴリウス13世が季節とのずれを修正した、より正確な太陽暦です。それはBC → AD → 2025のように直線的な時間を強く感じさせます。
そこで、日常的に元号と西暦の両方を使う、という二重の暦を受け入れた日本人には、何か「中間的世界観」と言えるような感覚が、初めからあるのではないでしょうか。時間とは、「ただ流れるもの」というだけではなく、「関係を表すもの」 でもあるというような感覚を持っていて、二重の歴を受け入れ、使いこなしているのです。
西暦だけが当たり前の環境で育まれたカトリックの教えの歴史には、旧約聖書から新約聖書までの壮大なテーマを持って、ローマに都を置くキリスト教が世界宗教に至るような歴史的な時間の中で、直線的に激流のごとく走り抜けてきたような感じがします。またそこには超過密な成長過程があって、日本人がそれをそのまま背負ったら、もう疲れ果ててしまう。だから、ゆっくりと説き明かしたなら、神様の御心が、どこにあるのか、どこに導かれるのか、分かりたいことが分かるかもしれない、という感覚を持つのではないかと思うのです。私はそうです。
イエスが「その方、すなわち真理の霊が来ると、あなたがたをあらゆる真理に導いてくれる。その方は、勝手に語るのではなく、聞いたことを語り、これから起こることをあなたがたに告げるからである」(ヨハネ福音書16章13節)と言われたように、聖霊は個々人に働きかけます。イエスは、「あなたがたに告げる」というところを、さらに続けた文中で2回繰り返し(16章 14~15節参照)、計3回言っておられるのは、そこが非常に重要だからにちがいありません。
聖霊が、私たち一人一人を「あらゆる真理に導いてくれる」のです。それは私たち一人一人が聖霊と個人的に関わる中で起こることです。それが共有されて共同体的なものになることがあるとしても、とにかく初めは個々人なのです。神が預言者を通して民に語られた旧約の時代と全く異なり、使徒言行録やパウロの書簡に見られるように、神の計画を知ることを求め、願う信者一人一人が、聖霊と向き合い関わって、それを受け取ってほしい、と神は望んでおられるのです。
神は、一人一人にゆっくりと説き明かし、ご自分の御心がどこにあるのか、どこに導くのかを知らせたい、と希望されているのです。パウロが宣教した時代にはなかった新約聖書を、信者たちが授かってから800年が経った時、アッシジの聖フランシスコは、「サン・ダミアーノの十字架」と出会いました。そこにはヨハネ福音書の十字架のそばの人々が描かれていて、彼らの下方には、イエスの脇腹を槍でついたローマ兵と、酸いぶどう酒を含ませた海綿を差し出した兵隊がいます。さらに、イエスの左ふくらはぎの横には、ペトロを思い出させるかのように、小さな雄鶏がいます。彼らもまた、百人隊長と同じく、一様に十字架上のイエスに真剣なまなざしを向けています。
この十字架には、時間とは「ただ流れるもの」というだけではなく、「関係を表すもの」 でもある、という預言が隠されているように見えます。聖フランシスコから800年後の私たちは、それを発見することができるのではないでしょうか。
(横浜教区信徒 Maria K. M)
日本でほとんど進んでいない“シノドスの道”の歩み。なぜ、こうも進まないのだろうか。
教区主催のシノドス勉強会と「霊における対話」に参加した。シノドス最終文書を読み、小教区に持ち帰り、生かそうという段階になる… すると、「何をどう進めればよいのか」、明確な指針がないため、何も出来ないのだ。
そもそも、教会共同体全体の理解や賛同を得ている感じもない。さらに、「誰」が、司祭と”歩み”を進めていくのか、養成担当者なのか、議長団なのか。信徒間に信頼関係があれば良いが、無ければ主導権争いのような競争が水面下で始まる。そうすると、誰かが疎外され、一部の信徒と司祭だけで進めていくような事が起こる。小教区で”シノドスの道”の歩みを進めるためには、司祭によるリーダーシップが不可欠であることははっきりしているが、結局、「どう進めるか、はっきりした指針が無い」という、最初の問題に戻るのだ。
共同体のシノドスの歩みに対する意識はどうだろう。
若い世代の忙しい信徒たちは、教会で自分や子供の友人を作ることができれば満足なのかもしれない。「日曜だけにしか来られないのだから、教会の奉仕や役割、問題を引き受けるだけの時間も、余裕もない」のだ。
一方で教会に来る信徒のほとんどを占める高齢のベテラン信徒たちは、「教会での活動の中心に長くおり、精力的な活動」を続けている。だから「自分たちはもう十分に、共に歩んでいる。これ以上、何を求められるのか」といった具合で、新しい変化など求めていない。
委員会活動、様々なチームでの活動は、確かにシノダリティ(共働性)が形になり、実践されているようだが、私の中にあるシノダリティのビジョンは、もっと繊細な、感性で捉えられるもののようなのだ。ひと言で言うと、「温かみのある教会となるための歩み」を模索している、ということだ。それは一人だけでは為し得ないため、共同体に働きかける良策を探すが、前述のように「共に歩む道」への関心は、多くの信徒から、寄せられないままなのだ。
教皇フランシスコが”シノドスの道”で目指そうとしておられた“共に歩む”教会とは、どのようなものだったか。膨大な量の文章やメッセージが出てはいるが、正直、自分がその核心を捉えているのか、疑わしい。個人的には次のようなことではないかと思っているのだが。
・同じ教会に集う人々が、自分達を ひとつ とみなすこと ・活動や関係のバランスを保つのに、お互いが補い合う力が働くようになること ・批判を分析に置き換えられる冷静さと識別が働くようになること ・感じていることを正直に話し合えるような交わりがもてるようになること ・そうした深い愛が、ひとり一人に呼び起こされ、「共同体の感性」が培われること ・そうして、キリストの生きた“有機体”としての共同体が成長すること…
私がイメージしたのはこのようなものだった。もし、それが”シノドスの道”の歩みの目的から遠くなければ、この歩みは数年で終わるものではない。恐らく私たちは、「その理想とビジョンをつかみ、共有しつつある段階にあり、スタートラインに自分たちが立っている」と自覚したに過ぎないのだ。
多くの信徒にとって教会とは、「神と個人とが繋がる場所」だ。「自分を発達させたい、癒されたい」という願望が、その中心にあるかもしれない。しかし、”シノドスの道”の歩みの狙いは、共同体単位での霊的な前進なのではないだろうか。
「全体にとって善いことのために、自分は何ができるのか」という問いに、全ての信徒が招かれる。個人的問題は脇に置かなければならない。多くの信徒は無意識のうちに、そこに抵抗を感じるのかも知れない。 ”シノドスの道”の歩みが進まないのは、そうした理由かもしれない、と思い至っている。
聖霊の導きが豊かに、より明確に得られるよう、皆で祈るしかない。
(匿名希望 西方の女性信徒)
私は、『ある無名兵士の詩』が好きだ。兵士は、自分が求めたものとは逆のものを、神から与えられたが、『私はあらゆる人の中で、最も豊かに祝福されたのだ』という言葉で結ばれている。
そのお祈りカードをサンパウロで見つけた時、瞬く間に惹きつけられて、そのままレジへ持っていった。あの日から、もうわからないくらい年月が流れ、紙は黄ばみ始め、所々にシワもあるが、手帳が変わる度に必ず入れ変えている。
振り返ると、私にも、望むものとは反対の出来事が与えられ、思わぬ恵みとなったことがある。そのひとつを今日は書き記す。
*****
私の学校の体育祭は、楽しみにする人とそうでない人たちが、クラスの中でもくっきりと二分されていた。しかし、体育委員会のメンバーたちが、何週間も前から頑張っている様子を見ていると、心が動き、協力したい気持ちになった。
当日は小雨がぱらつき、前日の雨の影響でグラウンドの状態が悪かった。そのため、放送朝礼で、体育祭延期の決定が報告された。しかし、1時間目が終わった頃、晴れ間が出てきたのだ。体育委員の先輩方は、短い休み時間を使って、グラウンドの雑巾がけをした。そして、2時間目になると、すっかり天気は回復したため、体育委員の先輩方は、「今からでも開催できませんか?」と、先生方に直訴した。でも、かなわなかった。がっくり肩を落とした先輩方の後ろ姿は、声をかけるのをためらうほどだった。
翌日、曇り空のもと、体育祭が決行された。しかし、空は灰色の雲で覆われ、天候は不安定で、お昼前には突然、ボタボタと音がするほどの大粒の雨が降りだした。生徒たちは、先生の指示に従い、体育館へ急遽、バタバタと移動した。昨日のこともあり、みんな不満の色を隠せなかった。
体育館の中で、体育祭の閉会式が行われた。校長先生の講評があった。校長先生は、お腹の下の辺りで、両手で白いハンカチをぎゅっとにぎりしめて、前へおいでになった。「私の判断で、このようなことになってしまって申し訳なかったです」と深々と頭を下げられた。そのまましばらく顔をあげなかったので、私たちは「どうしたんだろう」と様子を見ていた。
すると、校長先生は、「皆さんが、汗ではなく、雨に濡れてしまっているのを見たら…」と声を詰まらせた。その先の言葉は続かなかった。私は、大人の校長先生が泣いて謝る様子を見て、初めて、私たち生徒への深い思いを知り、胸が熱くなった。
この出来事は印象深く、私の胸に深く残り続けている。ハプニングが、相手の誠実さと深い愛情を知る機会になった—「思い通りにいくことと、うまくいくことは違う」と気づいた。私の中に今も残る、思わぬ恵みを受け取った。
*****
私は、神様からの贈り物をちゃんと受け取れているだろうか? 好みではないからと、差し出されたものを拒んでいないだろうか? いつも喜んで両手で受け取りたい。それは必ず善いものだから、見た目に惑わされないように気を付けたい。
『求めたものは一つとして与えられなかったが、願いは、すべて聞き届けられた』(『ある無名兵士の詩』より)
改めて、神に感謝!
(東京教区信徒・三品麻衣)
*参考「広島学院中・高等学校」のホームページより
「ある無名兵士の詩」と呼ばれている詩を紹介します。アメリカの南北戦争の時代に、怪我をした南軍の兵士が病室の壁に書いたといわれているもので、現在は、ニューヨーク州立大学病院の物理療法リハビリテーション研究所の受付の壁に掲げられているそうです。
大きなことを成し遂げるために力を与えてほしい、と神に求めたのに、謙遜を学ぶように、弱いものとされた。
より偉大なことができるように健康を求めたのに、よりよいことができるように、と病気をいただいた。
幸せになろうとして富を求めたのに、賢明であるように、と貧しさを授かった。
世の中の人々の称賛を得ようとして成功を求めたのに、神を求め続けるように、と弱さを授かった。
人生を享楽しようとあらゆるものを求めたのに、あらゆることを喜べるように、と命を授かった。
求めたものは一つとして与えられなかったが、願いは、すべて聞き届けられた。
神の意に添わぬものであるにもかかわらず、心の中の言い表せない祈りは、すべて叶えられた。
私はあらゆる人の中で、最も豊かに祝福されたのだ。 (渡辺和子 訳)
この詩が多くの人に知られるようになったのは、60年余り前にアメリカの政治家アドレー・スティーブンソンがクリスマスカードに書いて友人に送ったことがきっかけだったそうです。スティーブンソンは、大統領選に2度出馬し、2度ともアイゼンハワーに大差で敗れました。失意の中、ある教会でこの詩を見つけ、深い感銘を受けたとのことです。彼は、この詩によって思慮深い人物に立ち直り、その後はケネディー大統領の下で国連大使として活躍し、「宇宙船地球号」という言葉で、平和のための連帯を世界に呼びかけました。
私たちはみな、幸せを願って生きています。幸せになるために努力をするし、その努力が報われるように祈ることもあります。しかし、祈り求めた通りには叶えられないことがよくあります。失敗に終わり挫折を味わうことも多いかもしれません。そんな場合でも、がっかりしながらも気を取り直して前に進んでいく中で、祈り求めたものとは別のもっと素晴らしい恵みをいただいていることに気付くことがあるものです。
この無名兵士も、健康や富や成功など、幸せになるために祈り求めたものは与えられず、病弱や貧しさや弱さを授かりました。「なぜ、どうして」という気持ちになったでしょう。しかしよく振り返ると、謙遜を学び、よりよいことができるようになり、賢明になり、神を求め続けるようになり、あらゆることを喜べるようになっていました。大切なものが与えられていたことに、気付いたのです。幸せになりたいという願いは聞き届けられ、神に感謝しました。
ところで、マタイ福音書に描かれているクリスマスの場面では、東方の国から、占星術の学者たちが幼子の誕生を祝いにはるばるやって来ます。彼らは、自分の国では、星の動きを調べて世界の動きを予知する役割を担っていて、おそらく高い地位にあったエリートたちです。名誉や富も得て、世俗的には充分に満たされていたと思います。それでも、生きていくための確かな光の到来をずっと期待していました。救い主の誕生を知り、幼子のもとを訪ね、宝物を捧げました。
世俗的に満たされることは、もちろん悪いことではありません。健康や富や成功を貰ったら、喜び、感謝すればいい。ただ、本当の幸せはもっと別のところにあって、世俗的な満足ばかりをひたすら追い求めていてもそれは得られないと、この占星術の学者たちは感じていたのでしょう。そして「無名兵士」も同じようなことに気付き、この詩を書いたのだと思います。
「サン・ダミアーノの十字架」に描かれた百人隊長の話から、なかなか先に行けないのですが、この機会に、もう少しだけ、考察したことを分かち合いたいと思います。
マタイとルカ福音書の、イエスに子(僕)の癒しを願う百人隊長の言葉は、世界中のミサ典礼において、司祭が掲げるご聖体を前にして、司祭と会衆が共に聖体拝領の招きに答えるという、重要な場面で使われる言葉でもあります。そういう観点から、百人隊長のエピソードを見直してみます。
両福音書とも、百人隊長は、二つの場面に登場します。イエスに子(僕)の癒しを願う場面と、イエスの十字架のそばに立ってイエスへの信仰を告白する場面です。後者の場面は、マルコ福音書も記載しています。これらの場面に登場する百人隊長が同一人物かどうかは別にしても、百人隊長の言葉には、信仰における2つのステージを見ることができます。
イエスに子(僕)の癒しを願う場面では、「私をお遣わしになった父が引き寄せてくださらなければ、誰も私のもとに来ることはできない」(ヨハネ福音書6章44節)とイエスが言われた通り、百人隊長は、御父の引き寄せる力によって、イエスのもとへ来ることができました。そして、その信仰によって、イエスに病気の子(僕)を癒していただいたのです。これは信仰における第1のステージです。
一方、イエスが十字架にかけられた場面のマルコ福音書には、「イエスに向かって立っていた百人隊長は、このように息を引き取られたのを見て、『まことに、この人は神の子だった』と言った」(マルコ福音書15章39節)と書かれています。ここでの百人隊長は、「私は地から上げられるとき、すべての人を自分のもとに引き寄せよう」(ヨハネ福音書12章32節)というイエスの言葉を実証していると考えられます。これが信仰における第2のステージです。
信仰におけるこれら2つのステージを実際に体験することのない未来の私たちには、最期の食卓で、イエスが御言葉と業によって制定していってくださった、ご聖体がおられます。「私の父の御心は、子を見て信じる者が皆永遠の命を得ることであり、私がその人を終わりの日に復活させることだからである」(ヨハネ福音書6章40節)と言われたイエスの言葉の、「子を見て信じる者」とは、ご聖体が、「私が命のパンである。私のもとに来る者は決して飢えることがなく、私を信じる者は決して渇くことがない」(6章35節)と言われたイエス・キリストご自身であることを信じる者です。
「カトリック教会のカテキズム」(1997年規範版)には、「この秘跡の偉大さを前にして、信者はただ百人隊長の次の言葉を謙虚にまた熱烈な信仰をもって繰り返す以外にはありません。『主よ、私はあなたをお迎えできるような者ではありません。ただ、一言おっしゃってください。そうすれば、私の魂は癒されます』」(1386項)と書かれています。
しかし、この百人隊長の言葉は、御父に引き寄せられてイエスの傍に来た第1のステージのものであって、「私は地から上げられる時、すべての人を自分のもとに引き寄せよう」とされたイエスの言葉によって引き寄せられ、イエスの傍に来た私たちキリスト者とは、ステージが異なっている、と言えます。私たち聖霊降臨後の信者は、地上から上げられたイエス、すなわち十字架上のイエスに引き寄せられるのです。
「カトリック教会のカテキズム」は、これに続いて、聖ヨハネ・クリゾストモの聖典礼での祈りの言葉を紹介しています。それは、イエスと共に十字架にかけられた盗賊の、「主よ、あなたの御国においでになる時には、私を思い出してください」という叫びを含んでいます。この叫びは、いわば、十字架上のイエスに引き寄せられた最初の人の叫びだということができます。聖ヨハネ・クリゾストモの聖典礼は、確かに十字架上のイエスに向かう応答を含んでいますが、この場面は、聖霊が降臨した後の使徒言行録の記述にある百人隊長の場面に行き着くことはないのです。
そこには、「敬虔な人で、一家そろって神を畏れ、民に多くの施しをし、絶えず神に祈っていた」(使徒言行録10章2節)という百人隊長の姿が描かれています。そして、この百人隊長と使徒ペトロとの関りから(10章1~48節参照)、教会が異邦人の宣教に向かうきっかけが生まれました。
百人隊長のエピソードが伝える信仰の軌跡には、私たち信者が目指す教会の発展が映し出されているのです。同じカテキズムに、「ミサは十字架上のいけにえが永続する記念であると同時に、主の体と血に与る聖なる会食でもあります。感謝のいけにえの祭儀は、聖体拝領(コムニオ)によるキリストと信者たちとの親密な一致に向けられたものです。聖体拝領とは、私たちのために命を捧げられたキリストご自身をいただくことです」(1382項)と書かれています。
そのように、私たち信者は、ご聖体という、「この秘跡の偉大さを前にして」する応答に、「本当に、この人は神の子だった」という百人隊長の第2のステージの言葉を応用すべきではないでしょうか。
「ローマ・ミサ典礼書」による司祭の聖体拝領への招きの言葉は、「世の罪を取り除く神の小羊。神の小羊の食卓に招かれた人は幸い」です。「世の罪を取り除く神の小羊」は、洗礼者ヨハネが自分の方へ来るイエスを見て言った言葉です(ヨハネ福音書1章29節参照)。ゆえに「神の小羊の食卓」は、イエスの最期の食卓を指しています。「サン・ダミアーノの十字架」に明確に描かれているのは、実はここに招かれた人の「幸い」なのではないかと思うのです。
(横浜教区信徒 Maria K. M)
「その1」で述べたように、「聖職者主義」の二本柱は「司祭の独身制」と「司祭職からの(女性嫌悪めいた)女性排除」でした。この傾向はアウグスティヌスの思想によって強化された、とキャロルは言います。独身制と女性排除はアウグスティヌスだけの責任ではないのですが、アウグスティヌスの思想が後世に大きく影響したことは間違いないでしょう。
彼は創世記の「アダムとエバの原初の不従順の行為を性的な罪として描いたが、こうした考えは、一人の女性を非難することにつながった… さらにセクシュアリティやそれに関わるものはすべて疑いの目で見られるようになり、最終的には厳格な体制のもとに置かれるようになった。欲求に対する抑圧は、正常な性欲を社会的心理学的な死者の国へと追いやったのである」。
「さらにそこから、司祭の独身制や、教会の男性主義と女性嫌悪が、教会の構造と不可分となった」とキャロルは指摘しています。
キャロルの性に関する指摘を述べる前に、もう少しアウグスティヌスの性についての思想を幾つかのウェブサイトから私なりにまとめてみます。
*アウグスティヌスは性を悪とみる・・
アウグスティヌスは「性と原罪を等しいもの」と考えています。
「天の園においては、人は汚れた性的情欲なしで子孫を産むことができた。意志の力だけで性的器官は必要な行為を刺激されたので、情欲の誘惑によって駆り立てられることなく、夫も妻も平和な心と平静な体で、種子(精子)を胎に注入し懐胎することができた。性的、情欲的な渇望なしに」「しかし、アダムとエバは神の命令をはねつけ、禁じられた果物を食べた。その果物が知識を与えてくれるに違いない、と思われたので、その果物をエバは欲した(旧約聖書・創世記3章6節)。食べてから、自分たちが裸であることに気付き、恥ずかしく思い、性的部分が裸であることに耐えられず、イチジクの葉で覆った」。
「原罪は私たちのなかにどのように住んでいるのか?それは性的な情欲を通してである。性的な欲望と性的な快楽が、原罪が私たちの中にあることを暴露している。性交によって性的欲望は原罪を子供に伝える。体のあらゆる部分は、生殖器を除いて、私たちの制御下にある。目にせよ、手足にせよ、心はそれらを制御する。しかし性的器官はそれ自らの生命と意志を有していて、私たちに対して優勢になろうとする」。
パウロが言うように、「自分の望む善は行わず、望まない悪を行っています… それをしているのは、はもはや私ではなく、私の中に住んでいる罪なのです」(新約聖書・ローマの信徒への手紙7章19~20節)。この性的欲望、情欲の手に負えないこと、不従順はアダムとエバの罪に帰せられ、それは罰として私たちに課せられた。それは邪悪で罪深いものであり、悪魔が人を支配する機会(きっかけ)となる。罪は性的な欲望、情欲にある。性交における性的な情欲は原罪の担い手である」。
「性的な情欲は咎められるべきものなので、夫婦間の性交も、たとえそれが合法的で尊敬すべきことであっても、非難されるべきと考えられる。結婚自体や子孫や貞潔は良いものであるが、性的な情欲という悪なしには、出産といった結婚の良い目的を果たすことはできない。なので、隠れて、証人もなく、秘密のうちにこの不適切な行為はなされることになる。そして乳児は、罪を犯すことはできないが、罪の感染なしには産まれて来ない」。
「性的な情欲は結婚においても避けられるべきである。性は子供を出産するためにのみ許される。たとえ結婚している相手との間でも快楽のための性交は罪を含んでいる。従って、結婚している者同士の、子供を産むためでない性交は、小罪(許される、ささいな罪)である」。
「従って、良きキリスト者は、妻との堕落しやすい夫婦的関係や性交を憎むものである。また、完全なキリスト者の夫婦は、兄弟姉妹として一緒に生活する」。
以上がアウグスティヌスの考えですが、これは聖書そのものの思想だと言えるでしょうか。ましてや、神の言葉として受けとめるべきでしょうか。しかし歴史的には、こういった思想が教会の倫理を形成していって、その影響が司祭、信徒の間に及んで、以下のような証言も出てくるのです。
*元司祭キャロルの性に関する「証言と独白」A B C
以下に、キャロルの言葉を3か所、A B Cを 引用します。
A.「私の司祭職。私は罪悪感に苛まれる多くの若者の告解を聞いてきた。それは、彼らが本当に罪深いからではなく、教会によって課せられた性的な抑圧―私はそれを肯定すべき立場だった―ゆえの罪悪感であった。私は・・一般の人が享受するような深く親密な人間関係を欠いた生活に起因するひどい孤独も感じていた… 今なら分かるが、もし私が司祭職にとどまり続けていたなら、私の信仰そのものが腐敗してしまっていたことだろう」
B. この、「離婚して再婚した人の聖体拝領」という扉は、性の革命―これは教会の倫理神学の限界を百年にわたって劇的に示してきた―が取り上げる諸問題の全範囲に通じる扉である… アウグスティヌスに突き動かされて、人間の条件と切り離せない性的な落ち着きのなさを悪魔扱いしたが… カトリック信者の間では性に関する自制は倫理的なスタンダードだったが、それが崩壊したのは… その非人間的で非合理的な重みのためである」
離婚と再婚の問題について、いかなる変更も行わないよう教皇に警告する内容の手紙をフランシスコに送った「保守派」が懸念しているのは、「離婚と再婚という一つの問題に関して教会規律上の転換を行なうなら、それがセクシュアリティやジェンダー、そしてまさにカトリックの世界観全体に関する他の多くの変化に道を開くのではないか、ということである… これらすべてが、司祭職そのものと、その神学的基盤とを糾弾している。これこそ、問題の核心である。私はもう何年もの間、自分の信仰を腐敗した制度としての教会にゆだねることを拒否してきた。しかし今ここで問題としているのは… 司祭たちそのものである。」
C.「小児愛好者(ペドフィリア)の司祭は比較的少数派であるのに対し、それよりもはるかに多くの司祭が、見て見ぬふりしていた。それは、多くの司祭が、『独身の誓願を守ることは、一時的であれ継続的であれ、不可能だ』と気づいているからである。そのような男性はきわめて危うい状況にある。同性愛者であれ異性愛者であれ、性行為を行っている多くの司祭は、秘密の不貞の構造を支持している。それは、不完全でいることに合意する共謀で、必然的に彼らの道徳的気概を低下させてしまう… 私自身の経験からもわかるのだが、司祭は自分が司祭にふさわしくないと密かに感じるように仕込まれている。その原因が何であれ、罪悪感を抱いた聖職者の道徳的欠陥というサブカルチャーによって、すべての司祭は彼らの状況の奥深い混乱を黙ってごまかすことに加担している… 司祭職そのものが有害である。今では私自身の奉仕もそうだったと思う。『目をそらす』という習性は、当時の私の中では当たり前だった」
*「『隠蔽と秘密主義』は特定司祭による性的虐待だけではなく、司祭全般の司祭自身の性の問題でもある」
キャロルによるA B Cの指摘は深刻なものです。まずAで、アウグスティヌスの性を、性の生理自体を、汚れたものとする見方は、マニ教や当時の教父たちや教会の「聖性」観や司祭独身制の推進派たち(アンブロシウス、シリキウス教皇)に影響されてもいるでしょう。「汚れたもの」とされる性的な欲求は、抑圧するしかない。司祭も信徒も、とりわけ若者たちもです。教会の性の倫理で若者たちは苦しみ、教会から去ったのです。
Bは「その1」でも少し引用しました。離婚・再婚者の聖体拝領問題が、フランシスコ教皇の主張のように「神の憐れみと当事者の信仰を生かす方向で許される」ことになれば、ダムの一角が壊れると全体が崩壊するように、他のすべての伝統的な観念が崩壊するのではないか、と保守派が恐れているからです。
そしてキャロルが言いたいのは、離婚再婚者の聖体拝領如何が問題なのは、その元に「伝統的な性の倫理」があり、それに基づく司祭職があるからです。これらを問い直すことが現代、求められていると言えます。Cは「隠蔽と秘密主義」が特定司祭による性的虐待についてだけではなく、「司祭全般の司祭自身の性の問題でもあるのだ」とキャロルは言い切っています。
独身制や貞潔に反するようなことがあっても、それは表には出せない、秘密のうちに処理する、処理される。ごまかして生きる。司祭は高い聖性を目指して努力すべきであり、性的な情欲も制御できて、性についての苦悩はないはずである… そうならないとすれば、それは努力や祈りが足りない、そもそも司祭職への召命がなかったのではといった批判にも一理ありますが、理想通りに行っていない現実をキャロルは見て来た上で、「司祭職そのものが有害である」と言っているのです。そもそも独身制を守るのは不可能なことであり、事実上、独身制は破綻しているのではないか、そのことを自覚しているからこそ、隠蔽と秘密主義が蔓延しているのだ、と。
30年程前のことですが、私が大学院で臨床心理学を専攻していたとき、東京から某大学の心理学者(女性)が夏期集中講義に来ていて、その際、一緒に昼食をしました。私が司祭だということで、「カトリックの司祭は女性と関係を持っていますね」と唐突に言われました。
教授はご自身クライエントを抱えていますし、他の多くの心理臨床士との会合等で、いろいろ聞くこともあるはずなので、クライエントの中にカトリック女性もいたでしょう。その相談内容には司祭との関係、さらに性的虐待につながるようなこともあったかも知れません。日本でも訴訟中の司祭による性的虐待の事案に至る前に、このような心理臨床的な相談をしていたことも考えられます。
*女性遍歴を重ねた末の回心… 「神の恩寵だけが肉欲の泥沼から救った」とアウグスチヌスは言う
アウグスティヌスの人生と性を振り返ってみます。アウグスティヌスは16歳から31歳までの16年間、「情事のサルタゴ(大鍋)」と言われるカルタゴで、あるアフリカ人女性と同棲していました。身分上の違いがあるので正式な結婚ではなく、女性はローマ法では「コンクビーナ」の身分でした(現代の妾ではない)。翌年、男子が生まれます。名はアデオダートゥス。385年、母モニカのしつこい要求もあり、この女性と別れます。
女性は「これからは他の男を知るまい」と誓って、息子を残してアフリカに帰っていきます。アウグスティヌスはモニカの意に添う若い娘と婚約しますが、まだ若いので、あと2年経たなければ一緒になれない。そこでアウグスティヌスは第3の女性をつくります。
「待つ期間の長さに耐えかねて… 情欲の奴隷であった私は、別の女をこしらえました。もちろん、正妻としてではなく…」(『告白』第6巻第15章)。386年8月、32歳の時に回心。情欲から貞潔へ。もう妻を求めず、この世のいかなる望みも求めず、信仰に生きようとします。このような変化が可能であったのは、最初のアフリカ人女性の真摯な愛と、アウグスティヌスのこの女性への愛があったからこそ、アウグスティヌスは次の段階へと進めたのであり、「ただ神の恩寵だけが彼をこの肉欲の泥沼から救った」。
アウグスティヌスの絶対恩寵主義は、「この女性との関わりのうちに根源を持っている」と山田晶は言っています。387年のモニカの死、390年の息子の死を経て、391年、37歳でヒッポ・レギウスの司教の懇望により、同地の司祭となり、396年に司教となります。
ですから、アウグスティヌスの性についての見方は、その同棲生活と息子の誕生の経験があること、現代の司祭司教とは全然違う経路をたどって司教になったことを踏まえて評価しなければならないでしょう。
また彼の『結婚の善について」や司牧的書簡で述べている性や情欲についての考えは、当時の禁欲的なエリート主義と異なり、もっと「キリスト教の平凡な価値」を擁護しているようです。ですから、後のカトリック教会の偏った教えとは違うのだ、ということに注意すべきだと思います。
*教父テルトゥリアヌスなどの先例が影響している・・
アウグスティヌスより一世紀前の教父テルトゥリアヌスは、「妻へ」「貞潔の勧めについて」「結婚の一回性について」などを書いています。
コリントの信徒への手紙1・7章やテモテへの手紙1・5章などで、独身、結婚、やもめのケースなどで、パウロの勧めが述べられていますが、テルトゥリアヌスは、例えば使徒が「再婚してもよい」と言っているのは、「最も神が望んでいるのは再婚せず、貞節を守ることであるから、再婚はしてはいけないと理解すべきだ」という具合の論理で解釈します。
ですから、「やもめとなった者は再婚しないこと」「独身の者は結婚しないこと」「結婚している者は貞潔を守って性的交渉を持たないこと」が神の意志だ、ということになります。このようにアウグスティヌス以前から、偏屈な論理を用いて偏った解釈の方向へ進んでいく傾向が見られました。潔いといえば、潔いのですが、人間的ではありません。
*信徒と聖職者の違いはなくなるべき・・
キャロルの言葉、「祭壇での務めを誰がどのような形で司式しようとも」構わない。これまでのようなミサをするとしても「ただ一部の聖職者階級に属する者によって挙行される必要はなくなるだろう… 教会における信徒指導者の段階的な台頭が現実のものとなりつつある。今こそ、この地位向上を意図的に進め、加速させるべき時である」「こうした人々は、他のすべての人と存在論的に平等である」。教会の運営においても「私の予想する教会は、信徒によって統治されているだろう」と。今回の教皇フランシスコが始められた”シノドスの道”の方向とも一致しています。
思うに、性に関して、「情欲を抱いて女を見る者は誰でも、すでに心の中で姦淫を犯したのである。右の目があなたをつまずかせるなら、えぐり出して捨てなさい」(マタイ福音書5章28∼29節)とイエスは言ったとありますが、この通り実行していけば、いくら体があっても足りないでしょう。
根本的な問題は、私たちは「キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さがどれほどのものかを悟って」(エフェソの信徒への手紙3章18節)おらず、倫理道徳的な欠点に目が行き、そこに捕われてしまって、福音を喜べないでいるのではないでしょうか。
「カトリックあい」の「特集」で紹介されたように、レオ14世教皇は性的な事柄に関して、伝統的な家庭観、男女観に固着し、「LGBTQ+の受け入れ等をもっと根本的に見直すつもりはない」と明言しています。これには信者団体「我々が教会」も失望の意を表しています。
「我々が教会」の投稿では、ここにはアウグスティヌスの性への悲観的な神学が反映されているとも述べています。
*アウグスティヌスの性についての思想はCritical Essays Augustine’s View of Sexuality Cliffs Notes. Sex,Sin and Salvation:What Augustin Really Said,David G. Hunter
St Augustine on sexuality https://www.thebodyissacred.org/. from Augustins writing ,about sexuality, Augnet. など幾つかのウェブサイト参照。
『告白』アウグスティヌス(「世界の名著」、山田晶『アウグスティヌス講話』、『テルトゥリアヌス4倫理論文集』など。
(西方の一司祭)
これまで4回にわたって教皇制について述べてきました。
教皇の至上権に基づいて異端審問と十字軍が一つに融合すると、キリスト教異端だけでなく他宗教、異教も滅ぼして、世界へ向けて「宣教と征服」がなされました。西欧カトリック教会に合わないものは文化的・習俗的なものも滅ぼして、教会や西洋文化を植え付ける、植民地化する。
教皇の至上権は、教皇の支配下にある位階制(司教、司祭等)によって集権的、一元的に行使・管理され、権力として行使されます。そこに一般信徒の入る余地はわずかしかありません。なので、そこにあるのは「支配」であり、「暴力」ともなります。
*元司祭で著名な作家、ジャーナリストの論考「司祭職を廃止せよ」に多くの示唆がある
今回は2019年発表のJ.キャロルの論考「司祭職を廃止せよ」(上智大学神学会誌『神学ダイジェスト138号』に日本語訳が掲載)の内容を紹介します。キャロルは1943年生まれで元カトリック司祭の著名な作家・ジャーナリスト。自分の体験と思索を重ねて書いたのがこの論文です。
*性的虐待は教会の構造的組織的な問題でもある
まず、多くの国の孤児院、小教区、学校、保護施設等で、カトリック聖職者による子供や少女、女性のレイプや虐待が公的機関によって調査され裁かれた例が示されています。裁判の席で、ある被害者は「これは魂の殺人です」と語ったといいます。にもかかわらず、加害者の属する教区の司教・枢機卿や修道会の長上は事実を否定したり隠蔽したり、「知らなかった」と言う。
カトリック司祭のいるあらゆる所で性的虐待があり、それらが教会当局によって無視され隠蔽されているので、被害者たちは世俗の当局に訴え、明るみになっているのです。「教会の中で真実を突き止めて解決することができない」ということは、虐待問題が司祭個人の問題であるだけではなく、教会の構造的組織的な問題でもあることを意味します。
*教会は聖職者を中心に回っている
もし司祭を始め教会全体が自分たちの罪を認めて謝罪すれば、世間に暴露されることなく教会内で済んだのでしょうが、司祭たちが認めない、さらにその長上たちも事実を隠蔽する。なぜ事実を否定し隠蔽することが可能になるのか。それは制度としての教会に「聖職者主義」が浸透しているからです。「聖職者中心主義」と言ってもよいでしょう。「自分たち(司教・司祭)が中心。信徒は従えばよい」ということ。「権力を与えられている聖職者に従え」ということ。
聖職者は教皇以下、位階制度によって構成されています。司祭は全員が男性で、独身です。女性は排除されている。女性は男性に、一般信徒は司祭に、従属する。そこには性的抑圧、女性嫌悪(ミソジニー)、秘密主義がある、とキャロルは言います。
「司祭の独身制」によって子供を持たないので、相続の問題は生じません。また叙階の秘跡によって「存在論的に(霊印を帯びるとされる)」司祭は一般信徒よりも優位に立ち、教会構造は男性だけですから、男性主義、秘密主義、女性排除・女性嫌悪といった特徴を帯びます。
*教会は「自身にのみ責任を負う権力構造」
ですから、隠蔽は可能になる。教会法によると、もし女性がミサを挙げようとすれば破門となるが、他方、小児性愛者の司祭に対しては、そのような刑罰は一切規定されていない。「聖職者主義は、自己実現的で自己充足的である。聖職者主義は秘密主義を糧に繫栄し、自らを守ろうとする」。
司祭が何か問題を起こしても、「位階制」という構造の中で処理されていくので、「隠蔽」が可能であり、それゆえ秘密主義に覆われます。信徒も外部の人も知りえない。よって外部から裁かれない。位階制の教会は「自身にのみ責任を負う権力構造」なのです。
*聖職者主義により組織的な腐敗が蔓延する
「聖職者主義」の教会では、司祭による性的虐待や隠蔽、邪悪な行為の否定・否認が起こるのは当たり前。司祭自身が教会の掟を破りながら、罪を認めるどころか責任逃れをしたり、弱い立場の被害者に「誰にもしゃべるな」と口止めするといった事態に。
教会の教えと、司祭の実践の矛盾。教会の権力構造、すなわち位階制と教会法は、信徒を育て、守るためではなく、聖職者自身の権力の横暴を守り、隠すために役立っているのです。こうして教会の組織的な腐敗が、静かに蔓延していきます。
*禁欲的な修道士などに限られていた司祭の独身制が…
以上のようなカトリック教会の性質は、アウグスティヌスの「性の神学」によって強化された、といいます。アダムとエバの不従順の行為を「性的な罪」として捉え、その誘惑によって「全人類に苦しみをもたらした」とすることが一人の女性を非難することにつながり、またセクシュアリティやそれに関わるものは、すべて疑いの目で見られるようになり、「欲求に対する抑圧は、正常な性欲を社会的心理学的な死者の国へと追いやった」といいます。
また司祭の独身制は、禁欲的な修道士などの慣行から発展し、当初は限られた者のため推奨されたものだったが、時代とともに「独身」や「童貞性」が礼賛されるようになり、その後、高位聖職者の子孫からの相続要求を阻止するために、司祭の独身が義務となりました。(性に関しては「その2」で詳しく見ます。)
*聖職者主義を守ろうとする保守派は、何を恐れているのか
「聖職者主義」は教会の構造や教義その他あらゆる面に浸透して伝統となっており、それを守ろうとする保守的な聖職者は少なくありません。前回紹介したバーク枢機卿もそうです。キャロルも述べているように、フランシスコ教皇と保守派の意見の対立の争点は、「離婚して再婚した人が聖体の秘跡に与ることを認めるか否か」という問題でした。
フランシスコは「教会は人々を断罪するために存在するのではありません。神の憐れみによる深い愛との出会いをもたらすために存在しているのです」として、認める立場でしたが、保守派はそれを断固として批判しました。なぜか? これを認めてしまうと、それに関連して「セクシュアリティやジェンダー、カトリックの世界観全体に関する他の多くの変化に道を開くのではないか」と恐れるからです。伝統的教会、すなわち「聖職者主義の教会」が崩壊することになるからです。
*聖職者主義の二重の支柱
聖職者主義を支えている二本の柱は「司祭職からの(女性嫌悪めいた)女性排除」と「司祭の独身の義務」だ、とキャロルは指摘しています。ではなぜ、この二本の柱を取り払わないのか?「女性に平等な地位を与えることは、性をめぐる女性の自律を肯定し、性行為の目的として生殖だけでなく愛と快楽を肯定し、聖職者の結婚を肯定し、避妊を肯定し、そして、同性愛者の完全な受け入れを肯定することにつながるから、と言うのがその理由です。
「女性に平等な地位を与えることは、男性支配を否定し、聖職者の統治者としての権威を否定し、ダブルスタンダードに反対するからである」。保守派は、信徒のためというより、自分たち聖職者の既存の権益を固守するために、聖職者主義の教会、その根幹である司祭職を現状のまま守ろうとするのです。
*キャロルが本論文を書くきっかけは
「当初、私には教皇フランシスコが救世主のように思えた」というくらい、キャロルはフランシスコ教皇に大きな期待を寄せていました。ところが、2018年8月にアイルランドを訪問中したフランシスコが、教会改革の必要性や、痛悔の行為に取り組む必要性があることを理解する様子を見せなかったことや、保護施設マグダレン洗濯所のスキャンダルについては「知らなかった」と述べたことで、その期待は崩れました。「知らなかっただって?・・嘘だ、教皇は嘘をついている…」。
他の事案からもフランシスコ自身が性的虐待隠蔽の共犯であったことが、反対者から暴露されました。「子供への性虐待は、聖職者文化に場を得てきた。教皇はそうした聖職者文化を非難しているが、それを解体するためには何もしていない。教皇は、自身の対応においてこの文化を体現している」「フランシスコのような革命的であるはずの教皇が、『聖職者主義は打破し得ない』ということを個人的に示していることこそ、驚くべき事実である」と。
さらに「フランシスコは聖職者主義の二重の支柱を頑なに擁護している」、フランシスコ自身も聖職者主義から解放されていないだけでなく、それを擁護していた… この事実にショックを受けたことが、キャロルにこの論文を書かせたようです。
*聖職者主義から解放されることは可能か・・
必要なのは、先に述べた聖職者主義を支えている二本の柱「司祭職からの(女性嫌悪めいた)女性排除」と「司祭の独身の義務」を取り去ることでしょう。
キャロルは言います。初期のキリスト教はイエスを愛する人たちが集まって、互いの家で礼拝し、パンを割いた。当時はまだ「司祭職」はなく、運動は平等主義的だった。しかし4世紀になってローマ帝国の宗教となり、帝国そのものの特徴を帯びるようになる。つまり行政単位と同じ「司教区」ができ、教会の建物も(壮大な)バシリカとなり、初代教会では平等主義的で、多様かつ分権的だった教会集団は、集権的で位階的、君主のように統治するローマ司教を擁する、ほぼ帝国の制度のようなものに変わっていき、公会議で決まった信条以外は「異端」とされていった。
ですから、位階制から平等な集団へと変化していけば、「聖職者主義」から解放される、と。
*聖職者主義の対極にあるのは民主主義である
「教会の保守派たちは…『自分たちが守ろうとしている聖職者主義の対極が…民主主義だ』ということを、他の誰よりもよく知っている」とキャロルは指摘して、以下のように警告しています。
「権威主義的で、民主主義的要素に乏しい教会は停滞・腐敗する」「「第二バチカン公会議は教会を『神の民』とし、ヒエラルキー(聖職位階制)を支配者ではなく、奉仕者の共同体として位置付けた」。「カトリック信者は、教会との個人的な関係に対する最終的な権威を、暴君である聖職者に委ねてはならない」。「信徒の役割を高め、宗教的な統治に民主主義的な構造を導入すれば、叙階を受けた人々がすべての優越的な地位を占める位階制を覆すことになるだろう」。
ちなみに、一昨年、昨年と二度にわたった世界代表司教会議の総会に至る”シノドスの道”の歩みも、「聖職者主義を打破する」ことを目指し、小教区・教区レベル、国レベル、そして大陸レベルで信徒の意見を聴こうとしていたはずですが・・。
*キャロルの望む教会の奉仕者とは・・
「聖書とパン、祈りと賛歌、黙想など」に奉仕する者。秘跡を行なうとしても、奉仕者には女性も既婚者も含まれる。皆、平等です。すべての人が奉仕者として平等に活動する。「叙階の秘跡」によって信徒より優位に立つ司祭は、必要ない。「信徒と司祭」という関係における「司祭」は要らない。信徒に対する聖職者階級という関係における聖職者、司祭は要らない。聖職者すなわち位階構造の中にある司祭職の担い手、すなわち権力をあたえられた独身男性のみの司祭は要らない。
キャロルの文章からまとめると、「聖職者は要らない」のです。論文の題名通り「司祭職を廃止せよ」、現行の司祭職を廃止することがカトリック教会の健全化・再生に必要だ、というのが、キャロルの主張だと言えます。
現体制、現在の司祭職制度の中に「聖職者主義」は生きています。「聖職者主義」だけを抽出して滅却することはできません。長い歴史の中で築かれてきた「司祭職」の制度、位階制を変革することが必要でしょう。
教会の構造や組織を変えていく、司祭観を変えていくことなどを通して、教会は、現行の「司祭職を廃止」する方向に、教会は進んでいかざるを得ないのではないか、と私は思います。フランシスコ教皇の言葉、「第2千年紀の教会は位階制が中心だったが、第3千年期の教会はシノダルな教会になることが神の御心だ」というのは真実だと思います。キャロルが言うように「キリストは、司式者ではなく共同体全体の信仰を通して経験される」のですし、そもそも初期教会には、位階制に属する「司祭」はいなかったのですから。 「その2」へ続く。
(西方の一司祭)