・神様からの贈り物㉗ 「祖母との思い出ー相手の信仰を尊重する」

 『相手が信じるものを、自分が信じるものと同じように尊重する』という姿勢を教わったのは、母校のシスターたちだった。私たちは修学旅行で厳島神社へ行くのだが、「引率のシスターはどうするのだろう?」と気になっていたが、先輩方に聞いたところ、シスターも厳島神社へ一緒にお参りをして、「深くお辞儀をしていた」と聞いた。

  シスターに倣い、私も、祖父母を思い出す時は、彼らが信じていた仏教の作法を尊重している。それを咎めるほど、神様は冷たい方ではないと思っている。

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  祖母が幼かった頃、一日の始まりには必ずお寺の床を雑巾がけをしたそうだ。「ちゃこ(祖母の名前)が掃除をしたところは、なめるようにきれいだね」と言ってもらえるのが嬉しかったらしい。

 祖母の家へ遊びに行くと、孫である私たちに「まず、仏様にご挨拶しなさいね」と言って、必ず仏壇へ行かせた。私たちは小さな手で恐る恐る線香を立て、おりんを鳴らし、「南無阿弥陀仏」と唱えた。背が届かないうちは、祖母や叔父に抱いてもらいながら手を合わせたのも、よい思い出だ。また、祖母の家に泊まると、朝一番に炊きたてのご飯をまず仏様にあげ、榊の水を替えたりする様子を見た。信仰がごくありふれた日常の中にあった。

  そんなふうに信仰を大事にする祖母の明るい笑い声が大好きだったし、「まいちゃんや」と呼び掛ける声は、もっと好きだった。おそろいのシャワーキャップでお風呂に入ったり、布団に寝転んで本を読んでもらったり、たくさんお世話をしてもらった。

 しかし、いつ頃からだろうか。祖母が丁寧に染めていた髪を染めなくなった。病院へ通うことが多くなり、飲む薬も増えた。家にはヘルパーさんが来るようになり、買い物も一人で行かなくなった。私を「まいちゃん」と呼ぶことも、甲斐甲斐しく構ってくれることも、なくなった。仏様にご飯をあげることもなくなり、榊はいつの間にか飾られなくなっていた。

 そんな祖母が亡くなった、と聞いた時は、実感がわかなかった。夢を見ているようだったし、「まだ祖母は生きている」と信じていたくらいだった。実感はわかなくとも、体は悲しんでいた。しばらくは、食事が美味しいとは思えなかったし、なんとなく眠れない日が続いた。

 その後、私は、仏教のやり方に従って、お彼岸には、祖父母のために、お花を供えることにした。同時に、私自身の悲しみを癒すために、主の祈りとアヴェ・マリアの祈りを唱えた。

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  誰かの死に立ち会う時、「カトリック信者になって、心底良かった」と思う。愛する人が亡くなり、悲しみにうちひしがれ、私たちは、それでも前を見て生きなければならない。そんな時、「愛する人は、今神様のところにいる。一番良いところへ行った」と思うと、ほっとするような気持ちになる。「私はイエス様を信じていて良かった!」と思えた。

 「祖母が極楽浄土で幸せでありますように」と願いながら、「神様、私と祖母が天国で再会できますように」と祈る私がいる。矛盾しているけれど、私は祖母の信仰を尊重したい。私もそうしてほしいから。

(東京教区信徒・三品麻衣)

2025年10月31日

・パトモスの風 ⑤ 元号と西暦という二重の暦を受け入れた日本人には…

 先日、知人から、イエスの言葉を紐解きながら、ローマからキリスト教が世界宗教に至る過程を解説できたら、また、ヨハネ福音書の十字架上イエス、ピラトや百人隊長との関わり、そしてローマの支配、この壮大なテーマをゆっくりと説き明かしたなら、神様の御心がどこにあるのか、どこに導かれるのか、分かりたいことが分かるかもしれない、というご意見をいただいて、私はこのところずっと考えていました。

 新約聖書には、ピラトや百人隊長との関わり、そしてローマの支配といった、現代人にはすぐに理解できない歴史の流れがあります。また、キリスト教がローマから世界宗教に至る過程は、西洋史として学ぶ機会があっても、そこから見える景色は、東の果てにいる日本人の感覚からは程遠いものに感じます。これらを考えると、その過程を解説するのは簡単ではない、と思いました。半面、日本人には、何か地の利があるような気もします。それは、キリスト教の歴史の外側にいたというところからくる、ある種の感じ方かもしれません。

 御言葉を紐解きながら悟らせてくださるのは、聖霊です。聖霊は、すべての人々、一人一人に向き合っておられるので、私たちが自分の地の利をもっとよく知って、それを意識することが、聖霊と共働するうえで、役に立つかもしれない、という期待があります。

 こんな風に考えていた時、ちょうど次のような考察と出会いました。初め些細なことのように見え、通り過ぎようとしたのですが、ふと立ち止まって見直して見ると、日本人の日常を支えている事柄で、案外いいヒントになると思いました。

 日本では元号と西暦が併存しています。私はこの二重の暦によく不便を感じることがありましたが、これまで特別に注目したことはありませんでした。しかし日本人が、時間の感じ方を日常的に二重化して受け取っているという考えに興味が湧きました。私たちが、日本の時間(元号)と世界の時間(西暦)という二つの時間軸の間で生きていることに、改めて注意を向けてみると、不思議な感じがしたのです。

 日本人がこの環境を手にしたのは明治維新後からで、明治6年(西暦1873年)1月1日が日本のグレゴリオ暦導入の日、とされているようです。それから145年後の2018年8月20日付日経新聞には、「政府は2019年5月1日の新元号への切り替えに関し、公文書への西暦表記を義務付けない方針を固めた。和暦と西暦を併記したり、西暦に統一したりする方針は示さず、各省庁や自治体の個別の判断に委ねる」とあると聞いて、これは結構注目に値することだと思いました。21世紀になっても、このような環境に生きている国民は大変少数だそうで、なんだか日本人の性格がこんなところに見えているかもしれない、と思ったのです。

 元号は区切られる時間。「令和」「平成」など、節目ごとに価値を更新し、再出発を示す感じです。一方、西暦は、紀元前46年に導入されたユリウス暦を、1582年にローマ法王グレゴリウス13世が季節とのずれを修正した、より正確な太陽暦です。それはBC → AD → 2025のように直線的な時間を強く感じさせます。

 そこで、日常的に元号と西暦の両方を使う、という二重の暦を受け入れた日本人には、何か「中間的世界観」と言えるような感覚が、初めからあるのではないでしょうか。時間とは、「ただ流れるもの」というだけではなく、「関係を表すもの」 でもあるというような感覚を持っていて、二重の歴を受け入れ、使いこなしているのです。

 西暦だけが当たり前の環境で育まれたカトリックの教えの歴史には、旧約聖書から新約聖書までの壮大なテーマを持って、ローマに都を置くキリスト教が世界宗教に至るような歴史的な時間の中で、直線的に激流のごとく走り抜けてきたような感じがします。またそこには超過密な成長過程があって、日本人がそれをそのまま背負ったら、もう疲れ果ててしまう。だから、ゆっくりと説き明かしたなら、神様の御心が、どこにあるのか、どこに導かれるのか、分かりたいことが分かるかもしれない、という感覚を持つのではないかと思うのです。私はそうです。

 イエスが「その方、すなわち真理の霊が来ると、あなたがたをあらゆる真理に導いてくれる。その方は、勝手に語るのではなく、聞いたことを語り、これから起こることをあなたがたに告げるからである」(ヨハネ福音書16章13節)と言われたように、聖霊は個々人に働きかけます。イエスは、「あなたがたに告げる」というところを、さらに続けた文中で2回繰り返し(16章 14~15節参照)、計3回言っておられるのは、そこが非常に重要だからにちがいありません。

 聖霊が、私たち一人一人を「あらゆる真理に導いてくれる」のです。それは私たち一人一人が聖霊と個人的に関わる中で起こることです。それが共有されて共同体的なものになることがあるとしても、とにかく初めは個々人なのです。神が預言者を通して民に語られた旧約の時代と全く異なり、使徒言行録やパウロの書簡に見られるように、神の計画を知ることを求め、願う信者一人一人が、聖霊と向き合い関わって、それを受け取ってほしい、と神は望んでおられるのです。

 神は、一人一人にゆっくりと説き明かし、ご自分の御心がどこにあるのか、どこに導くのかを知らせたい、と希望されているのです。パウロが宣教した時代にはなかった新約聖書を、信者たちが授かってから800年が経った時、アッシジの聖フランシスコは、「サン・ダミアーノの十字架」と出会いました。そこにはヨハネ福音書の十字架のそばの人々が描かれていて、彼らの下方には、イエスの脇腹を槍でついたローマ兵と、酸いぶどう酒を含ませた海綿を差し出した兵隊がいます。さらに、イエスの左ふくらはぎの横には、ペトロを思い出させるかのように、小さな雄鶏がいます。彼らもまた、百人隊長と同じく、一様に十字架上のイエスに真剣なまなざしを向けています。

 この十字架には、時間とは「ただ流れるもの」というだけではなく、「関係を表すもの」 でもある、という預言が隠されているように見えます。聖フランシスコから800年後の私たちは、それを発見することができるのではないでしょうか。

(横浜教区信徒 Maria K. M)

2025年10月31日

・共に歩む信仰に向けて⑪ フレデリック・マルテルの『ソドム』を読む(その2)

*ヨハネ・パウロ2世教皇と同性愛者たち

 ヨハネ・パウロ 2世教皇の側近たち、教皇の手足となって働いた枢機卿たち、すなわち教理長官のラツィンガー、個人秘書ジヴィシュ、国務長官シルヴェストリーニやソダーノなど多くはゲイで、取材を受けた一人は「聖父を中心に色欲の環ができていました」と語った、と『ソドム』は書いています。

 教皇を取り巻くメキシコ人や南米人、スペイン人、ポーランド人、イタリア人の枢機卿の多くが、実際は二重生活を送っていた。教皇はじめ彼らは、世俗社会に対してはホモフォビア、女性嫌悪の姿勢で臨みました。各地で性的虐待事件が起こっていたにもかかわらず、教皇の元にはそれらの情報は伝えられていなかったのか、あるいは教皇自身が秘密にしたのか。「ゲイに対する十字軍」である、とマルテルは言います。 教理省の組織にいる20人の枢機卿のうち12人ほどはホモフィルか実践的なホモでした。「教理省はバチカンの偽善の中心である」と。

 側近の一人、ソダーノについて『ソドム』が書いていることを簡単に説明しますと、彼は、教皇がパウロ6世だった1977年から南米チリの教皇大使で、約10年間、チリのバチカン代表を務めました。当時のチリはピノチェト軍事独裁政権下にあり、虐殺や数々の暴力がなされていました。

 その国でソダーノは民衆側ではなく、政権側と親しい関係を結びます。「ソダーノは聖職者とはまったく思えませんでした。高額なものと権力が好きでした。とても女性的、女嫌いなのには、驚きました。握手の仕方はとても変わっていて、ぎゅっと握らずに、女性が愛撫するようにそっと握るんです。まるで十九世紀の高級娼婦のようでしたよ」と彼をよく知る人が語っています。
実際、徹底した女嫌いの教皇大使の生活に、女っ気はまったくなく、彼の取り巻きは「身も心も捧げた男性の小姓たち」だった。彼は体制と手を結び、保身のためにピノチェトの”守護天使”になった。

 ソダーノは、「解放の神学」に近い4人の司祭が逮捕され、殺害されても、沈黙を守り、チリのカトリック進歩派のネットワークから批判されるようになる。「ありていに言って、アンジェロ・ソダーノは、チリでファシストとして振舞った。彼はファシストの独裁者の友人だった」と。

 またピノチェトの周囲に真の「ゲイの取り巻き」が存在していましたが、その中に、後に性的虐待で有罪となるチリ人司祭カラディマがおり、ソダーノと密接な関係にありました。「性的虐待をしている」というカラディマに関する噂が何度も流れましたが、ソダーノは彼を守っていました。

 教皇大使ソダーノは「小ピノチェト」というニックネームがつけられていましたが、ヨハネ・パウロ2世教皇のもとで1990年から2006年までバチカンの国務長官を務めています。チリでは司祭の虐待行動に国民は憤慨しつづけますが、ピノチェトのゲイの取り巻きとチリの司教団はカラディマを守り、すべての事件をもみ消しました。ソダーノが国務長官となったバチカンもカラディマをかばい、チリ教会に彼を告発しないようにとさえ命じています。

 

*スイス衛兵

 話変わって、有名なバチカンのスイス衛兵です。彼らには独身の義務があります。また外泊してはならず、女の子を兵舎に連れて来ることも禁じられています。採用試験では高い身長と、イケメンであることが求められているようです。彼らは一部の枢機卿からたびたび、ときにしつこくナンパされるそうです。それゆえか、彼らには「沈黙の掟」があり、セクハラや性的虐待の事例が多いにもかかわらず、沈黙を守らなければならない。

 勤務態度がよければ、スイスで市民生活に戻った時、就職の支援が受けられる。そんな彼らでもマルテルの取材に応じて、教皇庁の風俗や、彼らと付き合っていた多くの枢機卿の二重生活について語っています。バチカンは”特殊な国家”であるようです。

 

 

*ローマ・テルミニ駅

 ローマには移民・難民が主に二つのルートでやって来るといいます。シリアやイラクから中欧へ向かうルートと、アフリカとマグレブからの地中海ルート。そのいずれもがローマ・テルミニ駅を経由する。彼らは普通の仕事を探すが、ない場合は売春をする。「一番の上客は聖職者だ」と、ある移民男性がマルテルに語りました。”ソドムの規則”に「ムスリムの若者」とあるのも、バチカンの枢機卿や司祭が移民を相手に求めるからです。

 「同性愛が処罰の対象から除外され… 同性婚の合法化やゲイの社会化が進んだことから、街頭での男性売春の市場は縮小する傾向にある。ほとんど唯一の例外が、ローマだ。その理由は…この市場を積極的に支える役割を、聖職者たちが担っているのだ。匿名を確保するために、彼らはとりわけ移民を求めている」と『ソドム』で書かれています。イタリアの警察もそれを熟知しているが、「イタリアの法律は個人の売春を禁じていません…」とローマのある警視正はマルテルに語りました。

 

*神学校、神学生の問題

 神学生は男子だけであること、これが、どういう結果をもたらしているか。マルテルはローマにある教皇庁立大学やフランス、スペインなどいくつかの国で神学生、またゲイの神学生を調べました。教皇ベネディクト16世は2005年に「根深い同性愛の傾向」を持つと思われる者を司祭に叙階しないように、通達を出しました。

 しかし同性愛の司祭の叙階が無くなれば、教会は立ち行かなくなるし、ローマの枢機卿はいなくなり、教皇庁に人材はいなくなることが、彼自身にも分かっていました。各国に通達は出しても、神学校において同性愛は野放しで、バチカンに届く報告書を見て「同性愛が常態化している」ことがわかりました。いろいろな形でです。

 そして、取材の結果、神学校を入口としてカトリックのシステムは、同性愛者間の「友情、保護、庇護者」といった「ソドムのコード」によって成り立っていることが明らかになりました。枢機卿や司教の多くが、自らのアシスタントや補佐役、被保護者をもっている。それは「特別の友情」で結ばれ、同性愛の関係に発展することもあるが、「細分化されたヒエラルキー的同盟のシステムとなり、派閥や党派、黒幕グループを形成することもある」と『ソドム』に書いています。

 このような保護する者と保護される者のモデルは、教会や神学校から司教団まであらゆるレベルに存在している。そのような複雑なシステムのなかで聖職者が任命され、教会のヒエラルキーを形成している。だから例えば「聖アンセルモ大学のような教皇庁立の大学では、教員そのものがたいてい同性愛だと見なければなりません」とも。

 取材に応えた元神学生が言うには「聖職者の独身制が存在する限り、ゲイの司祭はヘテロの司祭より教会に受け入れられる。それが現実」。神学校に異性愛の神学生が彼女を連れてきたりすれば、すぐ退学となる。貞潔と独身制は女性に対するものなので、同性愛者には関係ない。「司祭の独身制」があるから、同性愛問題が起こる。異性愛の司祭よりゲイの司祭のほうを教会は選ぶ・好むというシステムになってしまっているので、反ゲイの通達を出したところで、大勢は変わらないのです。

 

*都市ローマの聖職者とエイズ

 1980年代から90年代にかけて聖座とイタリア司教団ではエイズが猛威を振るい、多くの司祭、モンシニョーレ、枢機卿がエイズで死にました。バチカンで義務付けられている年一回の血液検査で、エイズと診断された聖職者も、「陽性」と診断されて隔離された者もいました。

 「カトリック上層部でエイズにかかる人の割合が高いことは、カトリック司祭の死亡証明書をもとにアメリカで行われた統計調査によって裏付けられている」と『ソドム』は指摘します。司祭や神学生にエイズ抗体陽性の者や患者がそれなりにたくさんいるようです。ローマのある皮膚科研究所の教授はそのことを認めており、また聖職者に検査を受けさせようとするが、彼らは「検査を拒否し、コンドームをほとんど使用しないため、現在、カトリックの男性コミュニティに所属する人のエイズ感染のリスクが高まっている… 我々は特に神学校で、性感染症やエイズの感染と治療に関する対話や指導を試みてきた。しかし
、まだきわめて困難だ。エイズのリスクについて話すことは、聖職者が同性愛を実践しているのを認めることになるから。そして教会は当然ながら、この種の予防対策を拒否している」と。

*”ソドムの法則”

 マルテルは取材を進める中で、14の”ソドムの法則”を発見しました。それは以下のようなものです。

 「聖職は長いあいだ、若い同性愛者の理想的な逃げ道だった。同性愛は彼らの召命の鍵の一つだ」

 「同性愛は、教皇庁の中枢に近づくほど広まっている。カトリックのヒエラルキーを上昇するほど、同性愛者の数は多くなる。枢機卿団とバチカンでは、この優先的プロセスが功を奏したようで、同性愛はお定まり、異性愛は例外となっている」

 「親ゲイの高位聖職者ほど、ゲイである可能性は低い。ホモフォビアの高位聖職者ほど、同性愛である可能性が高い」「うわさ、中傷、仕返し、復讐、性的いやがらせが聖座では絶えない。ゲイ問題はこうした陰謀の主要な動機の一つである」

 「多くの性的虐待事件の背後に、自らも同性愛で、スキャンダルになってそれが暴かれるのを恐れ、加害者を守った司祭や司教がいる。教会のなかで同性愛が広まっていることを隠しておくには、秘密を守る文化が必要だった。そのため性的虐待は隠蔽され、加害者は野放しになったのだ」。

 続けます。

 「ローマにおける聖職者とアラブのエスコートとの買売春では、二つの性的に貧しい人々が交わっている。カトリック司祭の底知れない性的フラストレーションが、ムスリムの若者の婚外交渉を困難にしているイスラムの掟と呼応している」

 「バチカンのホモフィルはおおむね貞潔から同性愛へと進化する。同性愛者のたどる道が後退してホモフィルに戻ることは決してない」

「同性愛の聖職者と神学者は異性愛の同僚に比べて、聖職者の独身制を強く支持する傾向がある。彼らは、えてして、貞潔の教えを守らせようとする。しかし貞潔は本質的に不自然である」

「教皇大使の多くは同性愛だが、彼らの外交は本質的にホモフォビアである。彼らは自身がそうであるものを非難している。枢機卿、司教、司祭に関しては、よく旅をする者ほど疑わしい」

「ある枢機卿や高位聖職者が同性愛だといううわさが流されるのは、自らもクローゼットの同性愛である者の仕業のことが多い。彼らはそのようにして、リベラルな反対派を攻撃する。これはゲイがゲイを攻撃するとき、バチカンでよく使われる武器である」

「誰が枢機卿や司教の連れなのか、探す必要はない。彼らの秘書、アシスタント、お気に入りに尋ねればよい。彼らの反応を見れば、本当のことがわかる」。

 あとは、箇条書きにします。

・すでに11世紀にイタリア人司祭ペトロ・ダミアニは『ゴモラの書』で、当時の聖職者のあいだ(枢機卿団も)で同性愛的傾向が広まっていることを非難している。
・コロンビアの大司教トルヒーリョは同性愛者で、保守的なカトリック者と手を結び、政権に加担して暗躍する。他の多くの司教は貧者優先、民衆解放、極右の軍事政権を非難したので、トルヒーリョは進歩派の司祭たちを殺害した。のち、ローマへ行って家庭省のトップとなり、世界のあちこちに旅して、同性愛や婚前交渉、ゲイの権利を非難しコンドーム使用を禁じた。ヨハネパウロ2世とベネディクト16世の時だ。
・メキシコの聖職者の同性愛生活はよく知られた現象であり、すでに資料で裏付けられている。枢機卿、大司教、司祭の3分の2以上が「実践的」であると見られている。「メキシコでは少なく見積もっても50%、実際には75%の司祭がゲイ。神学生は同性愛的であり、カトリック上層部は明らかにゲイだ」。

 ペルーの代議士カルロス・ブルースは『ソドム』で語っている—「教会は、地に墜ちたモラルの結果をすべて引き受けなければならないと思う。まず、同意している成人間の同性愛の関係を批判するのをやめ、結婚を認めなければなりません。そして、性的虐待について沈黙するのをやめ、制度化した『隠蔽』の戦略を完全に放棄すること。さらに、これはまさに問題の鍵なの
ですが、聖職者の独身制に終止符を打たなければなりません」。

 

*『ソドム』から見えてきたこと・・結論

 ・まず、男性だけしか司祭になれないという教会法の規定があります。女性排除です。同性愛・同性婚が認められない時代・社会では同性愛者は神学校に入り司祭になる傾向がありました。そのためカトリック教会には同性愛の聖職者が増えた。そして彼らが教会の上層部になっていき、中枢組織であるバチカンを形成した…

 ・同性愛の男性は女性と結婚することは、ほぼ、ないでしょうから、「司祭の独身義務」を守ることは難しいことではない。ただし同性愛の欲望をどうするかという問題は残る。思うに、「男性だけしか司祭になれない」としても、もし「独身義務」がなく結婚が許されるとすると、どうなるでしょうか。その場合、異性愛の男性が増え、同性愛者は肩身が狭くなるでしょう。ですから、女性と結婚する男性(の多く)を排除した上で、「独身義務」を司祭に課したほうが、同性愛者にとっては好都合です。それに同性愛男性に女性は必要ないので、女性は司祭として叙階されない、という制度にする、つまり女性を排除しても
何ら不都合はありません。

 ・このように現在の司祭制度すなわちキャロルの言う二本柱「司祭職からの(女性嫌悪めいた)女性排除」と「司祭の独身の義務」は、同性愛の司祭を守る制度であり、また同性愛傾向の者を多く補充していく制度なのです。(
 ・先般の世界代表司教会議(シノドス)第16回定例総会(2021∼24年)で世界の現地教会から出された「司祭の独身制の義務を排し、女性の司祭叙階を認めよ」という意見は、まさに教会のソドム化を防ぎ
、シノダル(共働的)な教会になっていくための健全な意見、聖霊の促しだったのではないでしょうか。それに蓋をしてしまったシノドス参加者たちの責任は重いと言わざるを得ません。

*フレデリック・マルテル著『ソドム』(河出書房新社、2020年4月初版)

(西方の一司祭)

2025年10月31日

・共に歩む信仰に向けて⑪ フレデリック・マルテルの『ソドム』を読む(その1)

  フレデリック・マルテルの『ソドム』が邦訳されて間もない頃、私はこの本をプロテスタントの牧師夫人から紹介されていましたが、長い間読んではいませんでした。このコラムで教皇制について、ずっと書いてきて、やっと読む時が来た、という感じで読みました。

 『ソドム』という題名自体、スキャンダルの暴露本のようですが、決してそうではありません。ぜひ皆さんにも読んでいただきたいと思います。著者はジャーナリスト、社会学者で、この本の前にすでに数冊のしっかりした本を出している方です。またご自身が性的にはゲイであることも正直に公言しておられます。相手の大部分がゲイなので、取材も受け入れてもらいやすかったとのことです。

*聖職者主義の二本柱の意味すること

 なぜこの本が重要なのかと言いますと、先月紹介したキャロルの説と関係するからです。キャロルは、聖職者主義の二本柱は「司祭職からの女性嫌悪めいた女性排除」と「司祭の独身の義務」だ、と言いました。この二つによってバチカンおよびカトリック教会の司祭制度は成り立っている。その結果はどうでしょうか?

 バチカンはソドムと化し、その影響は世界各地のカトリック教会(特に枢機卿、教皇大使、司教司祭)に及んでおり、カトリック教会が腐敗している… 著者マルテルはそのことを入念かつ公正な調査によって明らかにしているのです。

 

*「バチカンは同性愛者の社会…」

 本書のプロローグでマルテルは言います—「バチカンは世界で最も同性愛者が集まっている場所である」。また「教会は構造的に同性愛化する性質がある」とも言っています。

 「・・フランシスコ(教皇)は正しい情報をつかんでいる。彼のアシスタント、側近の協力者たち、儀典長やその他典礼の専門家たち、神学者や枢機卿。そのなかにも実践的な者は多数いるが、バチカンに呼ばれる者にも、選ばれる者にも、同性愛が多くなることを、彼らは知っている。彼らに話を聞けば、聖職者の結婚が禁じられているから、教会は社会学的に同性愛化するのだとほのめかすことすらある。自然に反する禁欲と秘密の文化を課している教会にも、何万件もの性的虐待が起きている責任の一端があるのだと。彼らはまた性的欲望、とりわけ同性愛の欲望がバチカンの生活の主要な原動力の一つであることを知っている」。

 「私(マルテル)の見るところ、同性愛という視点で読み解かなければ、バチカンもカトリック教会も理解できない。教会に内在する同性愛の側面を見ないで教会を語ろうとすれば、いつまでたっても正しく分析することができない」。イタリアのゲイ文学の教授フランチェスコ・ニェッレは「イタリア最大のゲイ組織はバチカンだ」と言います。

 

*入念かつ公正な調査に基づく『ソドム』

 注記によると、『ソドム』はおよそ20の言語、50か国で出版されました(2019年)。執筆のもとになっているのは、4年以上におよぶ現地調査、バチカンと30か国で1500人近い人々(枢機卿、司教、モンシニョーレ、バチカン大使、外国大使、司祭、神学生、その他現地で働いている人、警官、軍人、男娼その他)へのインタビュー、さらに参考資料や文献、新聞雑誌記事、そして80人の調査員、連絡員、助言者、調整役、翻訳者などを動員しています。本書に関して弁護団もついていて、関係する諸国の弁護士の名前も記されていますので、たとえ訴えられても、内容については揺るがない構えです。時間だけでなく取材に要した経費も相当なものだったでしょう。

 「小神学校(カトリック系の中等学校)から教皇庁の中枢―枢機卿団―にいたるまで、同性愛の二重生活と徹底したホモフォビアの上に打ち立てられたシステムを明らかにする必要がある」というのが本書の目的で、その結果「本書は教会そのものではなく、きわめて特殊なゲイ・コミュニティを批判している。本書が語るのは、枢機卿団とバチカンを構成する大半の人々の物語である」と。

 具体的には、バチカンの内部の人々、教皇やその秘書、教理省長官や国務長官その他について、バチカン周辺、ローマ・テルミニ駅、世界各国の枢機卿や教皇大使、司教その他の動き、小神学校の状況その他、特に彼らの性に関わる動向が調査に基づいて記されています。時代は、第2バチカン公会議の途中で教皇になったパウロ6世(1963~78年)、ヨハネパウロ2世(1978∼2005年)、ベネディクト16世(2005 ∼2013年)、フランシスコ(2013年∼)です。

 本書に出てくる性についての用語を略記しておきます。「ホモフィル」は「ホモ愛」ですから「ホモセクシュアル」や「ゲイ・フレンドリー」と同じこと。「ホモフォビア」は「ゲイ嫌悪」。「クローゼット」(小部屋・箪笥)は「隠れて所属している」こと。「教区」は「ゲイのつながりで生きている人やゲイ・コミュニティ」のこと。各地の小神学校などでの聖職者の性的虐待に関しては「ペドフィリア」(小児性愛)。性的行為をおこなっている場合、「実践的」という言葉が出てきます。

 

*カトリック教会は同性愛を「罪深い悪徳」としてきた

 そもそも同性愛は聖書の世界で認められるものではなく、「罪深い悪徳」として罰せられるものでした。そのため同性愛の男性は、社会で生きていくために将来の職業を考えて、神学校に入るものが多かったようです。カトリック司祭にゲイが多くなるゆえんです。

 2005年にラッツインガーが教皇になったとき、ゲイの結婚はまだ限られていましたが、それから8年後の2013年、彼が辞任する頃にはすでにヨーロッパ、ラテンアメリカでは同性婚が広まりつつありました。ですからベネディクト16世が同性愛、同性婚に対してどういう姿勢を取るか、彼の認識が問われ、結果的にそれは受け入れられなかった、破綻した、彼の辞任はその表れでもあったのです。

*同性婚を認める国が増える中で、カトリック教会に変化は…

 同性婚が社会的に認められたのは、まず2001年オランダ、2003年ベルギー、米国、2005年スペイン、その後もカナダ、南アフリカ、ノルウェー、スウェーデン、2010年ポルトガル、2013年フランス、2015年アイルランド、2016年イタリア・・と広がっていき、2025年現在39か国となっています。それぞれの国で同性愛が社会的に認知されるようになり、運動等が起こり、その後法律的に容認されていきました。

 しかしカトリック教会は、頑なに同性愛、同性婚を認めないでいます。同性愛が容認される社会に近づいた現在、必ずしも神学校に行って司祭になる必要はない、社会の中で生きれる・働けるということになり、神学校志願者は減ってきているのも現実です。さらに特にフランシスコ教皇時代以降は、教会の建て前としてすぐには同性愛を容認できないが、自然な事実として同性愛という「性的指向」があるのは間違いない、だから「彼らを裁くことは止めよう」という姿勢が、今のカトリック教会の趨勢かと思います。

 

*フランシスコ教皇に反対したレイモンド・バーク枢機卿

 先回も述べましたが、伝統を守ろうとするバーク枢機卿は、教皇の反対派の先頭に立っていました。

 マルテルは同行者を連れてバーク枢機卿の住まいでインタビューをしています。部屋には風変わりな祭壇。けばけばしい風変わりな祭服を着たバークの写真。バークは時代がかった身なりをすることで知られています。全米に広がるドラァグクイーン(派手な衣装をまとい厚化粧をしているゲイ)の一人ではないか、とマルテル。

 「バーク枢機卿は伝統主義者のスポークスマン、ローマ教皇庁におけるホモフォビアのリーダー格である。ゲイ問題に関して過激な発言を繰り返しており、まさに反ゲイの急先鋒である」。「教皇であっても、同性愛の行為や結婚の解消の反道徳性に対する教会の教えを勝手に変えることはできない、とバークは批判している」と。この点は先回も述べました。バークは、同性愛は大罪であり、本質的に秩序を乱すものである、と発言してやみません。

 超保守派の組織で政治的ロビー団体があり、そこには枢機卿たち、マルタ騎士団や聖墳墓騎士団の過激派、古くからの典礼の支持者たちなどが参加していて、その会長をバーク枢機卿が務めている。

 「バチカンでは、きわめて保守的で伝統主義的な枢機卿のなかに、どうしてこんなに同性愛者がいるのでだろう?」。また「米国の司教団に通じているバークが、自国のカトリック上層部にいる枢機卿や司教の大半が同性愛であるのを知らないはずがない」。米国では性的虐待に関して「8948人の司祭が告訴され、1万5000人以上の被害者が調査の対象になった」。バークに関しては多くの記述がなされています。

 

*「マリタン・コード」、またはマリタン主義について

 ジャック・マリタン(1882∼1973年)はフランスのカトリック思想家ですが、ゲイでした。マリタンは、ジャン・ギトン、フランソワ・モーリアック、ジャン・コクトー、アンドレ・ジッド、ジュリアン・グリーンなど多くの文化人に影響を与えましたが、彼らも同性愛者でした。

 マリタンの時代は同性愛は「いかがわしいもの」とされていました。マリタンは「福音書は、神の国を作るために自らを去勢するよう勧めている」と考え、「同性愛者は救いのために、それを昇華させ、貞潔を守るほかない」と考え、そのことをこれら同性愛者にも勧めます。

 この「マリタン主義」は、バチカンにおいても、戦後の大多数の枢機卿のなかに追随者を生みました。現在(2018年頃)60歳以上の枢機卿や司教の大半は、こうしたマリタン主義のなかで育ちました。「マリタン主義を昇華された内なる前提条件として読み解かなければ、教皇パウロ6世、ベネディクト16世、ローマ教皇庁の枢機卿の大半も理解できない」と。

 同性愛者は「独身と貞潔」を選択すること、それは司祭コースを選択することにつながりました。<聖職は長い間、若い同性愛者の理想的な逃げ道だった。同性愛は彼らの召命の鍵の一つである>という”規則”が成立します。マルテルが取材を進める中で、多くの枢機卿や司教たちが、マリタン的思想の文学に影響を受けていることが明らかになったのです。ただこの選択は「昇華や抑圧から生み出されたものである」とマルテルは言います。

*パウロ6世と同性愛者たち

 パウロ6世の周りには同性愛者が多くいました。「昇華され、あるいは抑圧された同性愛は、しばしば独身と貞潔の選択、さらに内在化されたホモフォビアに現れる」。パウロ6世もマリタンの影響を受けており、ジャン・ギトンとは仲が良かったので、第2バチカン公会議に招待したくらいです。

 パウロ6世も、ほぼ同性愛のようで、彼の取り巻き、例えば個人秘書や側近や、彼の公式の神学者や儀典長たちはホモフィルとホモセクシュアルでした。さらにパウロ6世の枢機卿たちも「教区」に属する者が多かったとのこと。教皇は2つの回勅「フマネ・ヴィテ」「ペルソナ・フマナ」を出し、その中で結婚と避妊(ピルの禁止)について述べ、風俗の乱れを非難し、貞潔を説き、同棲や婚前交渉や自慰を禁じ、同性愛も禁じました。ホモフォビアの立場です。

 パウロ6世はこのような決断を、「高齢のオッタヴィアーニ枢機卿と新参者のヴォイティワ枢機卿(のちの教皇ヨハネパウロ2世)に代表される保守派を糾合して」行ったのです。聖職者の独身制も維持します。「聖職者の独身制は、歴史的に教会内のホモフィルとホモセクシュアルによって守られてきた価値である」と、マルテルが会った神学者や専門家の多くは指摘しました。

(その2に続く)

(西方の一司祭)

2025年10月31日

・カトリック精神を広める㉓ 勧めたい本紹介・6・岩島忠彦著「イエス・キリストの履歴」

 今回紹介したいのは「イエス・キリストの履歴」(岩島忠彦著、オリエンス宗教研究所、2011年4月15日初版)だ。

 岩島師は現在、上智大学名誉教授。四ツ谷にある聖イグナチオ教会所属のイエズス会司祭である。(ホームページ:https://t-iwashi.la.coocan.jp/index.html

 カトリック誌「福音宣教」の2009年から2年間、「イエスが父と読んだ神」との題で連載された原稿に加筆修正されたものが本書で、著者によれば「信仰者として、修道者として、司祭として、そして長年神学に携わってきた者として、自分の信仰と知識を総動員して、今だから語れることを、精一杯語ろうと心に決めて」執筆された。著者は、「カトリック、プロテスタントを問わず、できるだけ多くの信仰者が本書を読んでくださることを願っている」

 本書は、教会の歩みにおける神学と教理、とくにキリストと彼の父である神についての教理確定の道筋について扱っており、自分が信じているカトリックの信仰について、あやふやな知識を、確かな信仰へと導いてくれる。それぞれの章が興味深いが、特に、三位一体については、既にキリスト復活後から論議され、その論議の歴史が、掘り下げて詳しく記述されている。

 イエス・キリストが、復活後にどのようにして神となっていったのか。既にキリストの復活を契機としてイエスが神の子であるという信仰が確定し、神の子キリストが、唯一の神と並んで神的礼拝の対象とされていった歴史が記述されている。325年に開催されたニカイア公会議では、「神の子キリストは『造られずして生まれ、父と同一本質』のものであるとされ、「子は父である神とその神的本質を共有する存在である」ということが宣言された。

 「キリストは、私たち人間に向けられた神の御顔なのだ」という一文には、身震いする程である。「父と子と聖霊」の関係が良く理解できた。本書では、神の人類に対する壮大な計画が、十分納得いくように説明されており、死後の世界の天国と煉獄、地獄についての説明も十分納得がいく。信仰者が読むべき必読の書と言えよう。

(横浜教区信徒・森川海守 ホームページ https://mori27.com

2025年10月30日

・愛ある船旅への幻想曲(57)結婚するために司祭を辞めて帰国した英語教師と再会して思ったことは

 10月、日本は新しい総理大臣が選出された。私たち国民一人ひとりが思いの一票を投じることができない日本のトップ選びではあるが、トップに立つ人間として国民のために良き働きをなさってくれることを期待したい。

 私は、高校入学と同時に「カトリック教会が高校生と高専生を集めて英語を教えるらしいから参加しない?」と親友から誘いがあり、参加した。この時代は、外国人から英語を学べることが珍しかった為か教会の信徒ホールは学生で満員だった。(40年後に当時のこの教会の女性伝道師から生徒集めに大変苦労したことを聞いた。。)

 若い米国人司祭4人が英語教師として紹介された。私は他に習い事もあったため毎週出席できなかったが、親友は熱心に通い、彼女の家が高専校の近くだったこともあり、高専生の男子グループと親しくしていた。教会の庭で司祭と生徒たちがピクニック?もよくしていたみたいだ。

 ところがある日、突然、その英語クラスが無くなった。熱心な生徒ではなかった私もビックリした。英語クラスが無くなった理由は「司祭2人?3人?が結婚するために、米国に帰ったらしい」と高専生から聞いただけで、この時(も)、教会からはハッキリした説明もなく、うやむや状態。私は当時、司祭の独身制を知らなかったから「結婚おめでとう!」と能天気。

 親友が「いやいや、教会にとっては大変厄介な問題らしいよ」と言ってはいたが、未信者の私たちにとっては、英語クラスが無くなったことの方がショックが大きく、カトリックの教会事情は別世界の話だった。何よりも「男性が愛する女性と結婚するのは当然なこと」と思っていた夢見る高校生女子には、「お相手は誰?」との興味しかなかった訳で、これが世間一般の感覚と今も思っている。

 それから数十年経って、当時の英語指導の元司祭が米国から妻の里帰りに同伴し、教会に立ち寄った。私が当時の生徒だったことを話すと「こんな所に私の生徒が居たのか!」と大変喜んでくださった。この教会(小教区)で当時、英語クラスに参加した信徒の学生は不思議なことに誰も居なかったみたいだ。元司祭と私は当時の話で盛り上がり、楽しい時間を過ごした。彼は今も家族と米国で幸せに暮らしている。

 今、厄介な教会事情を知る私である。

 司祭の独身制について初めて知った時の私の反応は、「へぇー」だった。あの時、司祭職よりも愛する女性との結婚を選んだ司祭方の葛藤と決断を知り、ドラマのようなロマンチックなHappy Endに以前よりも一層、心から「おめでとう〜!」と言ったものだ。

 今、司祭の性的虐待問題からカトリック教会を去る信徒と、全く何事もなく教会に集う信徒の二分化がある。

 司祭の独身制が性的虐待問題に影響がないとは言えないだろう。私にとって司祭の性的虐待が一件であろうが百件であろうが、数に関係なく、「司祭」という職に裏切られた腹立たしさと恐怖心、そして何よりも被害者への謝罪がない状態は、教会への失望しかない。勇気を持って訴えた被害者を教会内で差別することは信じられないが、教会の悪しき側面がここでも実証されている。

 司祭も人間であり、結婚か独身を選ぶことは本人の自由ではないだろか。カトリック教会では『人間の尊厳』の見解が難しい。教会で独身制を守る組織には、独特の男性性と女性性が確立され、そこには神への尊厳がある…。

 2025年の今、神は「人間の成熟」を望んでおられるのではないだろうか。人間としての成熟は、如何にして養われるのか。ここからのスタートだと私は思っている。今行われている”シノドスの道”の歩みが、信徒参加を特別に強調するのであれば、教会と信徒の現実の姿を幅広く知った人が、誠意をもって「人間の尊厳」をしっかり論議した上で、イエスの信仰を自由に生きる教会の改革へと導いて欲しい。そう切に願う私である

(西の憂うるパヴァーヌ)

2025年10月30日

・Sr.阿部の「乃木坂の修道院から」⑰タイから帰って、受けたのは「福音宣教に駆り立てられるショック」

 「カルチャーショックを受けませんでしたか?」

 先日、葬儀場からの帰りの車の中で、若い神父様から尋ねられました。昨年4月、「30年にわたるタイでの宣教奉仕から帰ってきました」と自己紹介したところ、タイのカトリック教会の事などが話題になり、こう質問されたのです。

 私の答えは「いいえ」でした。その余韻が体の中にこだまして残り、「どうしてかなぁ」と自問自答しました。本当に、全然、ショック受けていないのです。むしろ、どんどん挑戦して順応、福音宣教に燃えて出かけて行く自分に感心してしまうぐらいです。

 派遣されて今日まで福音宣教の使命をフル回転で生きてきて、急ブレーキは掛かりませんよね。状況環境が変わっても、言葉や文化が違っても、内にたぎるイエスの福音への思いは、どんどん溢れ出て来ます。

 今の社会の中にいると、多くの人に”福音への渇き”を感じます。道であり真理であり、命である師イエスの人々に寄せる気持ちで、私の心がいっぱいになり、走り出すのです。聖パウロのキリストの愛に駆り立てられる心境に、ほんの少しでも、あずからせていただいているのでしょうか。

 タイで生活していた頃よりも、強く心底から突き動かされるのです。なぜなのか、はっきりは分かりませんが、私を福音のためにお召しくださった方の、行く手に向かう拍車なので身を任せています。

 そうですね、日本の空に比べ、タイの空は高みに抜けていて、地上が圧迫されていないなぁ、と思います。うまく言えませんが、人間の限界の壁を突き抜ける超自然、魂の息吹く空に、抜けていているのです。人々の心には、単純に信仰の世界に羽ばたく感性が生きているのでしょうか。頭脳明晰、高度成長したAIデジタル社会日本では、知識や可能性の領域の層が厚く、単純に夢や信じる空に突き抜けにくいのかも知れません。

 一人ひとりが信じて羽ばたける世界が、見えなくても確かにあるのです。仏教文化が滲み込んだ見えない信仰の領域が、普段の生活圏にあるのです。タイの人達は神様を信じないでどうして生きていられるのか、と信仰を持たない人をいぶかしがります。畏敬の念を持って生きる、これは救いですね。

 久々に日本に帰り、生活して、私が突き動かされる現実は、この辺りにあるのだと思います。祈りにも活動にも、さらに熱がこもり、新しい宣教地に派遣されたような気持ちで日々励んでいます。受けたのは「福音宣教に駆り立てられるショック」でした。

 やっと涼しくなって気持ちの良い秋空、人間を羽ばたかせる夢や信じる力が、理屈や常識の分厚いデジタル層をも突き抜けて、高みに舞い上がり、歓喜の空気を吸えるよう願い、祈っています。

 (阿部羊子=あべ・ようこ=聖パウロ女子修道会会員)

2025年10月5日

(読者投稿)なぜ、日本では”シノドスの道”の歩みが進まないのか?

 日本でほとんど進んでいない“シノドスの道”の歩み。なぜ、こうも進まないのだろうか。

 教区主催のシノドス勉強会と「霊における対話」に参加した。シノドス最終文書を読み、小教区に持ち帰り、生かそうという段階になる… すると、「何をどう進めればよいのか」、明確な指針がないため、何も出来ないのだ。

 そもそも、教会共同体全体の理解や賛同を得ている感じもない。さらに、「誰」が、司祭と”歩み”を進めていくのか、養成担当者なのか、議長団なのか。信徒間に信頼関係があれば良いが、無ければ主導権争いのような競争が水面下で始まる。そうすると、誰かが疎外され、一部の信徒と司祭だけで進めていくような事が起こる。小教区で”シノドスの道”の歩みを進めるためには、司祭によるリーダーシップが不可欠であることははっきりしているが、結局、「どう進めるか、はっきりした指針が無い」という、最初の問題に戻るのだ。

共同体のシノドスの歩みに対する意識はどうだろう。

 若い世代の忙しい信徒たちは、教会で自分や子供の友人を作ることができれば満足なのかもしれない。「日曜だけにしか来られないのだから、教会の奉仕や役割、問題を引き受けるだけの時間も、余裕もない」のだ。

 一方で教会に来る信徒のほとんどを占める高齢のベテラン信徒たちは、「教会での活動の中心に長くおり、精力的な活動」を続けている。だから「自分たちはもう十分に、共に歩んでいる。これ以上、何を求められるのか」といった具合で、新しい変化など求めていない。

 委員会活動、様々なチームでの活動は、確かにシノダリティ(共働性)が形になり、実践されているようだが、私の中にあるシノダリティのビジョンは、もっと繊細な、感性で捉えられるもののようなのだ。ひと言で言うと、「温かみのある教会となるための歩み」を模索している、ということだ。それは一人だけでは為し得ないため、共同体に働きかける良策を探すが、前述のように「共に歩む道」への関心は、多くの信徒から、寄せられないままなのだ。

教皇フランシスコが”シノドスの道”で目指そうとしておられた“共に歩む”教会とは、どのようなものだったか。膨大な量の文章やメッセージが出てはいるが、正直、自分がその核心を捉えているのか、疑わしい。個人的には次のようなことではないかと思っているのだが。
・同じ教会に集う人々が、自分達を ひとつ とみなすこと ・活動や関係のバランスを保つのに、お互いが補い合う力が働くようになること ・批判を分析に置き換えられる冷静さと識別が働くようになること ・感じていることを正直に話し合えるような交わりがもてるようになること ・そうした深い愛が、ひとり一人に呼び起こされ、「共同体の感性」が培われること ・そうして、キリストの生きた“有機体”としての共同体が成長すること…

私がイメージしたのはこのようなものだった。もし、それが”シノドスの道”の歩みの目的から遠くなければ、この歩みは数年で終わるものではない。恐らく私たちは、「その理想とビジョンをつかみ、共有しつつある段階にあり、スタートラインに自分たちが立っている」と自覚したに過ぎないのだ。

多くの信徒にとって教会とは、「神と個人とが繋がる場所」だ。「自分を発達させたい、癒されたい」という願望が、その中心にあるかもしれない。しかし、”シノドスの道”の歩みの狙いは、共同体単位での霊的な前進なのではないだろうか。

 「全体にとって善いことのために、自分は何ができるのか」という問いに、全ての信徒が招かれる。個人的問題は脇に置かなければならない。多くの信徒は無意識のうちに、そこに抵抗を感じるのかも知れない。 ”シノドスの道”の歩みが進まないのは、そうした理由かもしれない、と思い至っている。

 聖霊の導きが豊かに、より明確に得られるよう、皆で祈るしかない

(匿名希望 西方の女性信徒)

2025年10月2日

・神様からの贈り物㉖『ある無名兵士の詩』ー差し出されたものを拒まずに、いつも両手で喜んで受け取りたい

  私は、『ある無名兵士の詩』が好きだ。兵士は、自分が求めたものとは逆のものを、神から与えられたが、『私はあらゆる人の中で、最も豊かに祝福されたのだ』という言葉で結ばれている。

  そのお祈りカードをサンパウロで見つけた時、瞬く間に惹きつけられて、そのままレジへ持っていった。あの日から、もうわからないくらい年月が流れ、紙は黄ばみ始め、所々にシワもあるが、手帳が変わる度に必ず入れ変えている。

  振り返ると、私にも、望むものとは反対の出来事が与えられ、思わぬ恵みとなったことがある。そのひとつを今日は書き記す。

*****

  私の学校の体育祭は、楽しみにする人とそうでない人たちが、クラスの中でもくっきりと二分されていた。しかし、体育委員会のメンバーたちが、何週間も前から頑張っている様子を見ていると、心が動き、協力したい気持ちになった。

  当日は小雨がぱらつき、前日の雨の影響でグラウンドの状態が悪かった。そのため、放送朝礼で、体育祭延期の決定が報告された。しかし、1時間目が終わった頃、晴れ間が出てきたのだ。体育委員の先輩方は、短い休み時間を使って、グラウンドの雑巾がけをした。そして、2時間目になると、すっかり天気は回復したため、体育委員の先輩方は、「今からでも開催できませんか?」と、先生方に直訴した。でも、かなわなかった。がっくり肩を落とした先輩方の後ろ姿は、声をかけるのをためらうほどだった。

  翌日、曇り空のもと、体育祭が決行された。しかし、空は灰色の雲で覆われ、天候は不安定で、お昼前には突然、ボタボタと音がするほどの大粒の雨が降りだした。生徒たちは、先生の指示に従い、体育館へ急遽、バタバタと移動した。昨日のこともあり、みんな不満の色を隠せなかった。

  体育館の中で、体育祭の閉会式が行われた。校長先生の講評があった。校長先生は、お腹の下の辺りで、両手で白いハンカチをぎゅっとにぎりしめて、前へおいでになった。「私の判断で、このようなことになってしまって申し訳なかったです」と深々と頭を下げられた。そのまましばらく顔をあげなかったので、私たちは「どうしたんだろう」と様子を見ていた。

 すると、校長先生は、「皆さんが、汗ではなく、雨に濡れてしまっているのを見たら…」と声を詰まらせた。その先の言葉は続かなかった。私は、大人の校長先生が泣いて謝る様子を見て、初めて、私たち生徒への深い思いを知り、胸が熱くなった。

 この出来事は印象深く、私の胸に深く残り続けている。ハプニングが、相手の誠実さと深い愛情を知る機会になった—「思い通りにいくことと、うまくいくことは違う」と気づいた。私の中に今も残る、思わぬ恵みを受け取った。

*****

 私は、神様からの贈り物をちゃんと受け取れているだろうか? 好みではないからと、差し出されたものを拒んでいないだろうか? いつも喜んで両手で受け取りたい。それは必ず善いものだから、見た目に惑わされないように気を付けたい。

 『求めたものは一つとして与えられなかったが、願いは、すべて聞き届けられた』(『ある無名兵士の詩』より)

 改めて、神に感謝!

(東京教区信徒・三品麻衣)

 

*参考「広島学院中・高等学校」のホームページより

 「ある無名兵士の詩」と呼ばれている詩を紹介します。アメリカの南北戦争の時代に、怪我をした南軍の兵士が病室の壁に書いたといわれているもので、現在は、ニューヨーク州立大学病院の物理療法リハビリテーション研究所の受付の壁に掲げられているそうです。

   大きなことを成し遂げるために力を与えてほしい、と神に求めたのに、謙遜を学ぶように、弱いものとされた。
   より偉大なことができるように健康を求めたのに、よりよいことができるように、と病気をいただいた。
   幸せになろうとして富を求めたのに、賢明であるように、と貧しさを授かった。
   世の中の人々の称賛を得ようとして成功を求めたのに、神を求め続けるように、と弱さを授かった。
   人生を享楽しようとあらゆるものを求めたのに、あらゆることを喜べるように、と命を授かった。
   求めたものは一つとして与えられなかったが、願いは、すべて聞き届けられた。
   神の意に添わぬものであるにもかかわらず、心の中の言い表せない祈りは、すべて叶えられた。
   私はあらゆる人の中で、最も豊かに祝福されたのだ。                   (渡辺和子 訳)

 この詩が多くの人に知られるようになったのは、60年余り前にアメリカの政治家アドレー・スティーブンソンがクリスマスカードに書いて友人に送ったことがきっかけだったそうです。スティーブンソンは、大統領選に2度出馬し、2度ともアイゼンハワーに大差で敗れました。失意の中、ある教会でこの詩を見つけ、深い感銘を受けたとのことです。彼は、この詩によって思慮深い人物に立ち直り、その後はケネディー大統領の下で国連大使として活躍し、「宇宙船地球号」という言葉で、平和のための連帯を世界に呼びかけました。

 私たちはみな、幸せを願って生きています。幸せになるために努力をするし、その努力が報われるように祈ることもあります。しかし、祈り求めた通りには叶えられないことがよくあります。失敗に終わり挫折を味わうことも多いかもしれません。そんな場合でも、がっかりしながらも気を取り直して前に進んでいく中で、祈り求めたものとは別のもっと素晴らしい恵みをいただいていることに気付くことがあるものです。
 この無名兵士も、健康や富や成功など、幸せになるために祈り求めたものは与えられず、病弱や貧しさや弱さを授かりました。「なぜ、どうして」という気持ちになったでしょう。しかしよく振り返ると、謙遜を学び、よりよいことができるようになり、賢明になり、神を求め続けるようになり、あらゆることを喜べるようになっていました。大切なものが与えられていたことに、気付いたのです。幸せになりたいという願いは聞き届けられ、神に感謝しました。

 ところで、マタイ福音書に描かれているクリスマスの場面では、東方の国から、占星術の学者たちが幼子の誕生を祝いにはるばるやって来ます。彼らは、自分の国では、星の動きを調べて世界の動きを予知する役割を担っていて、おそらく高い地位にあったエリートたちです。名誉や富も得て、世俗的には充分に満たされていたと思います。それでも、生きていくための確かな光の到来をずっと期待していました。救い主の誕生を知り、幼子のもとを訪ね、宝物を捧げました。
 世俗的に満たされることは、もちろん悪いことではありません。健康や富や成功を貰ったら、喜び、感謝すればいい。ただ、本当の幸せはもっと別のところにあって、世俗的な満足ばかりをひたすら追い求めていてもそれは得られないと、この占星術の学者たちは感じていたのでしょう。そして「無名兵士」も同じようなことに気付き、この詩を書いたのだと思います。

2025年9月30日

・パトモスの風 ④ 「サン・ダミアーノの十字架」に描かれているのは、イエスの最期の食卓に招かれた人の「幸い」では

 「サン・ダミアーノの十字架」に描かれた百人隊長の話から、なかなか先に行けないのですが、この機会に、もう少しだけ、考察したことを分かち合いたいと思います。

 マタイとルカ福音書の、イエスに子(僕)の癒しを願う百人隊長の言葉は、世界中のミサ典礼において、司祭が掲げるご聖体を前にして、司祭と会衆が共に聖体拝領の招きに答えるという、重要な場面で使われる言葉でもあります。そういう観点から、百人隊長のエピソードを見直してみます。

 両福音書とも、百人隊長は、二つの場面に登場します。イエスに子(僕)の癒しを願う場面と、イエスの十字架のそばに立ってイエスへの信仰を告白する場面です。後者の場面は、マルコ福音書も記載しています。これらの場面に登場する百人隊長が同一人物かどうかは別にしても、百人隊長の言葉には、信仰における2つのステージを見ることができます。

 イエスに子(僕)の癒しを願う場面では、「私をお遣わしになった父が引き寄せてくださらなければ、誰も私のもとに来ることはできない」(ヨハネ福音書6章44節)とイエスが言われた通り、百人隊長は、御父の引き寄せる力によって、イエスのもとへ来ることができました。そして、その信仰によって、イエスに病気の子(僕)を癒していただいたのです。これは信仰における第1のステージです。

 一方、イエスが十字架にかけられた場面のマルコ福音書には、「イエスに向かって立っていた百人隊長は、このように息を引き取られたのを見て、『まことに、この人は神の子だった』と言った」(マルコ福音書15章39節)と書かれています。ここでの百人隊長は、「私は地から上げられるとき、すべての人を自分のもとに引き寄せよう」(ヨハネ福音書12章32節)というイエスの言葉を実証していると考えられます。これが信仰における第2のステージです。

 信仰におけるこれら2つのステージを実際に体験することのない未来の私たちには、最期の食卓で、イエスが御言葉と業によって制定していってくださった、ご聖体がおられます。「私の父の御心は、子を見て信じる者が皆永遠の命を得ることであり、私がその人を終わりの日に復活させることだからである」(ヨハネ福音書6章40節)と言われたイエスの言葉の、「子を見て信じる者」とは、ご聖体が、「私が命のパンである。私のもとに来る者は決して飢えることがなく、私を信じる者は決して渇くことがない」(6章35節)と言われたイエス・キリストご自身であることを信じる者です。

 「カトリック教会のカテキズム」(1997年規範版)には、「この秘跡の偉大さを前にして、信者はただ百人隊長の次の言葉を謙虚にまた熱烈な信仰をもって繰り返す以外にはありません。『主よ、私はあなたをお迎えできるような者ではありません。ただ、一言おっしゃってください。そうすれば、私の魂は癒されます』」(1386項)と書かれています。

 しかし、この百人隊長の言葉は、御父に引き寄せられてイエスの傍に来た第1のステージのものであって、「私は地から上げられる時、すべての人を自分のもとに引き寄せよう」とされたイエスの言葉によって引き寄せられ、イエスの傍に来た私たちキリスト者とは、ステージが異なっている、と言えます。私たち聖霊降臨後の信者は、地上から上げられたイエス、すなわち十字架上のイエスに引き寄せられるのです。

 「カトリック教会のカテキズム」は、これに続いて、聖ヨハネ・クリゾストモの聖典礼での祈りの言葉を紹介しています。それは、イエスと共に十字架にかけられた盗賊の、「主よ、あなたの御国においでになる時には、私を思い出してください」という叫びを含んでいます。この叫びは、いわば、十字架上のイエスに引き寄せられた最初の人の叫びだということができます。聖ヨハネ・クリゾストモの聖典礼は、確かに十字架上のイエスに向かう応答を含んでいますが、この場面は、聖霊が降臨した後の使徒言行録の記述にある百人隊長の場面に行き着くことはないのです。

 そこには、「敬虔な人で、一家そろって神を畏れ、民に多くの施しをし、絶えず神に祈っていた」(使徒言行録10章2節)という百人隊長の姿が描かれています。そして、この百人隊長と使徒ペトロとの関りから(10章1~48節参照)、教会が異邦人の宣教に向かうきっかけが生まれました。

 百人隊長のエピソードが伝える信仰の軌跡には、私たち信者が目指す教会の発展が映し出されているのです。同じカテキズムに、「ミサは十字架上のいけにえが永続する記念であると同時に、主の体と血に与る聖なる会食でもあります。感謝のいけにえの祭儀は、聖体拝領(コムニオ)によるキリストと信者たちとの親密な一致に向けられたものです。聖体拝領とは、私たちのために命を捧げられたキリストご自身をいただくことです」(1382項)と書かれています。

 そのように、私たち信者は、ご聖体という、「この秘跡の偉大さを前にして」する応答に、「本当に、この人は神の子だった」という百人隊長の第2のステージの言葉を応用すべきではないでしょうか。

 「ローマ・ミサ典礼書」による司祭の聖体拝領への招きの言葉は、「世の罪を取り除く神の小羊。神の小羊の食卓に招かれた人は幸い」です。「世の罪を取り除く神の小羊」は、洗礼者ヨハネが自分の方へ来るイエスを見て言った言葉です(ヨハネ福音書1章29節参照)。ゆえに「神の小羊の食卓」は、イエスの最期の食卓を指しています。「サン・ダミアーノの十字架」に明確に描かれているのは、実はここに招かれた人の「幸い」なのではないかと思うのです。

(横浜教区信徒 Maria K. M)

2025年9月30日

・愛ある船旅への幻想曲(56) 率直に意見を述べた信徒を”追放”するような教会が、”シノドスの道”を歩めるだろうか

 日本開催の世界陸上競技選手権大会も終わった。100m走、ハードル、走り高跳びそしてリレー選手として高校まで(ピアノの先生に叱られながら)続けた私である。

 今、中学生の孫が私と全く同じ競技を練習し、沖縄で開かれた第52回全日本中学校 陸上競技選手権大会で110mハードルに出場した。高校生活ではラグビーと陸上の両立は無理だろう。団体競技と個人競技、さてどちらを選ぶのか。1年半前から始めた陸上を真剣に極めたという孫であるが。何事にも真面目に取り組み、前を向いて歩む事が学生には必要だ。中3の孫もコーチとの関係、男女問わずチームメイトとしての友情も育み成長できたことに感謝である。仲間を励まし、互いの努力を認めあうことで信頼関係も生まれ、人間として生きて行く上で、「経験に勝るものなし」である。

 男3人の孫たちは、未信者ではあるがカトリック幼稚園でお世話になった。帰省時は、今も食前の祈りを共にする。私としてはそれで良しである。

・・・・・・・・・・・・・

 亡くなった司教が、これからの司祭像を私に尋ねた。私の答えを聞いた司教の反応に、私は笑ってしまった。そして、これからのシスター像も熱弁された。流石に社会をご存知な司教様である。答えをここで書くことは控えさせていただき、ご想像にお任せしたい。もっと長く生きてて欲しかった司教である

 日本ではほとんど進んでない”シノドスの道”の歩みだが、昨秋の世界代表司教会議(シノドス)総会の最終文書は、何度読んでも「分からない!?」というのが私の印象である。ここに書かれている事を、世界の、日本の教会が、どこまで真剣に分かち合いを進める気があるのか。何よりも、「全ての教会の問題は、同じではない」ことが分かっているのか、疑問である。

 文書に書かれたほとんどの事例を”経験し終わった”教会もあるだろう。そして、某教区で、既に教会を離れた信者たちの中には、はっきりと自分の意見を述べたために、司教から「そのような信徒は教会に必要ありません」と一方的に”通告”された方が実際にいる。(「分かち合い」などなかったのだ)。

 一部の若者たちも、その中にいる。そして今、彼らはプロテスタントの教会に通っている。神から離れられない故の決断であり、時すでに遅し状態である。某教区では教区の方針として、このような信徒は「カトリック信者」としてカウントされない、という事実もある。。

 そうした中でも、今の教会に何の問題も感じることなく、信者生活を送っている方々もいる。これが教会であろう。そして、それぞれの信仰がそこにある。

 もし、言葉が通じない国に行き、毎週日曜日には必ず教会に行きミサに与るとする。言葉が分からないから当然、司祭の説教も理解できないだろう。「だが、それはそれで幸せかもしれない」と考える、今日この頃の私である。

(西の憂うるパヴァーヌ)

2025年9月29日

・「天国の記憶」①宗教芸術を作る際には、それが聖なるものとなるように、神やイエス、聖母、聖人の仲介をうながすことが必須

 

 日本語で文章を書く際に注意をすることは、説得力を持たせないことです。いや、ふざけてるわけではないんです。その代わりに、神髄のある観察力をこっちやあっちに分散させる、とでも言いましょうか。それは、俳句にも見られる日本特有の対話の形なのでしょう。しかし、本質は本質としてどのような形にしろ残るわけで、それがゆえに文化を越えた相互理解が私たち人間には可能なのでしょう。何か、急に大きな話になりましたか?

 では、具体的な私の体験から見てみましょう。

 フィレンツェで洗礼を受けた後、もう10年以上前の話ですが、以前働いていた聖芸術学校で、生徒の一人が、「あなたは聖芸術家です!」(インターナショナルな学校なので、英語で ”You are a sacred artist!”)と私に言った。特に、画家のキャリアをイタリアで始めた時期は主に宗教画制作の注文を受けていたので、もちろん職種という視点から見れば、私は聖芸術家だったのでしょう。

 しかし、もちろん彼女は聖人に言及していたわけではないし、その時点で、では聖芸術って何ですか? と聞かれたら、その本質に触れる回答をできたであろうか?などとも思う。なぜなら、本質は聖芸術の枠内に見つかるだけではなく、そのジャンル外の芸術にも見出せるからです。

 よく出来た「型」は、空手や武術だけでなく、信仰でも芸術でも大切です。それが伝統、または文化などと呼ばれるわけです。それと同時に、信仰の深さは、おそらくどれだけ宗教礼儀に参加しているかという形式的事実を越え、どう実際の生活の中で人との関わりの中で体現されているか、ということに本質を見出せるのでしょう。イエスが聖霊を通じて今も直接私たちに神の愛を示してくれるのが、実際の隣人愛に比例するように。

 芸術でも、宗教芸術という枠にも入らない題材にも、信仰の実が表現されることは可能で、そういった見方で日本伝統芸術または現代芸術を分析してみると、ある箇所はイエスの教えに反するかもしれないが、他の箇所はとてもカトリックであったりする場合があるのです。特に自然の神秘を表現する日本芸術は、神の創造の神秘を称えるものでしょう。実際の例は、また別のコラムで取り上げたいと思いますが、こういった見方で日本芸術を読み返すことはどんなに大切なことでしょう。

 同じことを裏返してみると、すべての宗教芸術が聖なるものかというとまったくそうではありません。もちろん、私が宗教芸術を作る際には聖なるものつまり、聖なる人・顔となるように、自力に制限せず、神や、イエス・聖母・聖人の仲介をうながすことが必須だと、個人的には思います。

 ただ、奇跡を待つ、というわけではなく、天国の記憶とでもいいましょうか、それは受け入れるよう、心と頭の清掃を日々の生活の中で続けることが大切なのでしょう。そのために、どれだけ、秘跡が助けてくれることでしょうか!それでは、また次回のコラムで。

(谷本おさむ=ミラノ在住日本人画家・版画家・3D彫刻家。HP: www.osamutanimoto.com/jp インスタグラム:https://www.instagram.com/osamugiovannitanimoto)

2025年9月29日

・カトリック精神を広める㉒ 勧めたい本紹介・5 「なぜ「神」なのですかー聖書のキーワードのルーツを求めて」

 「なぜ「神」なのですかー聖書のキーワードのルーツを求めて」南條 俊二著、燦葉(さんよう)出版、2011年6月8日初版

 著者は、「カトリックあい」の代表で、読売新聞の経済部記者、ロンドン特派員、論説委員などを務め、半世紀以上もジャーナリストとして活動している。

 本書によれば、著者は、カトリックの洗礼を受けて間もない頃、同じ高校山岳部の友人と冬山に登り、途中で道に迷って、下山中に日暮れになったしまったことがあった。その時、不思議な体験をした。体験の中身については、ネタバレ防止のため、是非本書をお買い求めていただきたいが、この体験が本書執筆のきっかけとなったという。

 本書は、天地を創造された「神」の表記についてのルーツを巡る思索の旅である。旧約聖書では、モーセから尋ねられて、「わたしは「わたしはある」という者である」とお答えになった。それなのに、なぜ「神」が使われているのか。「神」の表記が使われるとどのような問題があるのか。どのような表記がふさわしいのか。

 故森一弘カトリック司教の推薦の言葉が本書の帯に以下のように書かれている。

 「『神』はふさわしい呼び名なのか!!「少年期に抱いた問いを熟年の今、解き明かす、既成宗教のあり方に疑問を持つ方々に、一読を勧めたい」

  司教様が一読をするよう勧めておられる本というのは、寡聞(かぶん)にして知らない。是非一読を。

(横浜教区信徒・森川海守 ホームページ https://mori27.com

2025年9月29日

・共に歩む信仰に向けて➉ J.キャロル著「司祭職を廃止せよ」を読む(その2)

 「その1」で述べたように、「聖職者主義」の二本柱は「司祭の独身制」と「司祭職からの(女性嫌悪めいた)女性排除」でした。この傾向はアウグスティヌスの思想によって強化された、とキャロルは言います。独身制と女性排除はアウグスティヌスだけの責任ではないのですが、アウグスティヌスの思想が後世に大きく影響したことは間違いないでしょう。

 彼は創世記の「アダムとエバの原初の不従順の行為を性的な罪として描いたが、こうした考えは、一人の女性を非難することにつながった… さらにセクシュアリティやそれに関わるものはすべて疑いの目で見られるようになり、最終的には厳格な体制のもとに置かれるようになった。欲求に対する抑圧は、正常な性欲を社会的心理学的な死者の国へと追いやったのである」。

 「さらにそこから、司祭の独身制や、教会の男性主義と女性嫌悪が、教会の構造と不可分となった」とキャロルは指摘しています。

 キャロルの性に関する指摘を述べる前に、もう少しアウグスティヌスの性についての思想を幾つかのウェブサイトから私なりにまとめてみます。

*アウグスティヌスは性を悪とみる・・

 アウグスティヌスは「性と原罪を等しいもの」と考えています。

 「天の園においては、人は汚れた性的情欲なしで子孫を産むことができた。意志の力だけで性的器官は必要な行為を刺激されたので、情欲の誘惑によって駆り立てられることなく、夫も妻も平和な心と平静な体で、種子(精子)を胎に注入し懐胎することができた。性的、情欲的な渇望なしに」「しかし、アダムとエバは神の命令をはねつけ、禁じられた果物を食べた。その果物が知識を与えてくれるに違いない、と思われたので、その果物をエバは欲した(旧約聖書・創世記3章6節)。食べてから、自分たちが裸であることに気付き、恥ずかしく思い、性的部分が裸であることに耐えられず、イチジクの葉で覆った」。

 「原罪は私たちのなかにどのように住んでいるのか?それは性的な情欲を通してである。性的な欲望と性的な快楽が、原罪が私たちの中にあることを暴露している。性交によって性的欲望は原罪を子供に伝える。体のあらゆる部分は、生殖器を除いて、私たちの制御下にある。目にせよ、手足にせよ、心はそれらを制御する。しかし性的器官はそれ自らの生命と意志を有していて、私たちに対して優勢になろうとする」。

 パウロが言うように、「自分の望む善は行わず、望まない悪を行っています… それをしているのは、はもはや私ではなく、私の中に住んでいる罪なのです」(新約聖書・ローマの信徒への手紙7章19~20節)。この性的欲望、情欲の手に負えないこと、不従順はアダムとエバの罪に帰せられ、それは罰として私たちに課せられた。それは邪悪で罪深いものであり、悪魔が人を支配する機会(きっかけ)となる。罪は性的な欲望、情欲にある。性交における性的な情欲は原罪の担い手である」。

 「性的な情欲は咎められるべきものなので、夫婦間の性交も、たとえそれが合法的で尊敬すべきことであっても、非難されるべきと考えられる。結婚自体や子孫や貞潔は良いものであるが、性的な情欲という悪なしには、出産といった結婚の良い目的を果たすことはできない。なので、隠れて、証人もなく、秘密のうちにこの不適切な行為はなされることになる。そして乳児は、罪を犯すことはできないが、罪の感染なしには産まれて来ない」。

 「性的な情欲は結婚においても避けられるべきである。性は子供を出産するためにのみ許される。たとえ結婚している相手との間でも快楽のための性交は罪を含んでいる。従って、結婚している者同士の、子供を産むためでない性交は、小罪(許される、ささいな罪)である」。

 「従って、良きキリスト者は、妻との堕落しやすい夫婦的関係や性交を憎むものである。また、完全なキリスト者の夫婦は、兄弟姉妹として一緒に生活する」。

 以上がアウグスティヌスの考えですが、これは聖書そのものの思想だと言えるでしょうか。ましてや、神の言葉として受けとめるべきでしょうか。しかし歴史的には、こういった思想が教会の倫理を形成していって、その影響が司祭、信徒の間に及んで、以下のような証言も出てくるのです。

*元司祭キャロルの性に関する「証言と独白」A B C

 以下に、キャロルの言葉を3か所、A B Cを 引用します。

A.「私の司祭職。私は罪悪感に苛まれる多くの若者の告解を聞いてきた。それは、彼らが本当に罪深いからではなく、教会によって課せられた性的な抑圧―私はそれを肯定すべき立場だった―ゆえの罪悪感であった。私は・・一般の人が享受するような深く親密な人間関係を欠いた生活に起因するひどい孤独も感じていた… 今なら分かるが、もし私が司祭職にとどまり続けていたなら、私の信仰そのものが腐敗してしまっていたことだろう」

B. この、「離婚して再婚した人の聖体拝領」という扉は、性の革命―これは教会の倫理神学の限界を百年にわたって劇的に示してきた―が取り上げる諸問題の全範囲に通じる扉である… アウグスティヌスに突き動かされて、人間の条件と切り離せない性的な落ち着きのなさを悪魔扱いしたが… カトリック信者の間では性に関する自制は倫理的なスタンダードだったが、それが崩壊したのは… その非人間的で非合理的な重みのためである」

 離婚と再婚の問題について、いかなる変更も行わないよう教皇に警告する内容の手紙をフランシスコに送った「保守派」が懸念しているのは、「離婚と再婚という一つの問題に関して教会規律上の転換を行なうなら、それがセクシュアリティやジェンダー、そしてまさにカトリックの世界観全体に関する他の多くの変化に道を開くのではないか、ということである… これらすべてが、司祭職そのものと、その神学的基盤とを糾弾している。これこそ、問題の核心である。私はもう何年もの間、自分の信仰を腐敗した制度としての教会にゆだねることを拒否してきた。しかし今ここで問題としているのは… 司祭たちそのものである。」

C.「小児愛好者(ペドフィリア)の司祭は比較的少数派であるのに対し、それよりもはるかに多くの司祭が、見て見ぬふりしていた。それは、多くの司祭が、『独身の誓願を守ることは、一時的であれ継続的であれ、不可能だ』と気づいているからである。そのような男性はきわめて危うい状況にある。同性愛者であれ異性愛者であれ、性行為を行っている多くの司祭は、秘密の不貞の構造を支持している。それは、不完全でいることに合意する共謀で、必然的に彼らの道徳的気概を低下させてしまう… 私自身の経験からもわかるのだが、司祭は自分が司祭にふさわしくないと密かに感じるように仕込まれている。その原因が何であれ、罪悪感を抱いた聖職者の道徳的欠陥というサブカルチャーによって、すべての司祭は彼らの状況の奥深い混乱を黙ってごまかすことに加担している… 司祭職そのものが有害である。今では私自身の奉仕もそうだったと思う。『目をそらす』という習性は、当時の私の中では当たり前だった」

*「『隠蔽と秘密主義』は特定司祭による性的虐待だけではなく、司祭全般の司祭自身の性の問題でもある」

 キャロルによるA B Cの指摘は深刻なものです。まずAで、アウグスティヌスの性を、性の生理自体を、汚れたものとする見方は、マニ教や当時の教父たちや教会の「聖性」観や司祭独身制の推進派たち(アンブロシウス、シリキウス教皇)に影響されてもいるでしょう。「汚れたもの」とされる性的な欲求は、抑圧するしかない。司祭も信徒も、とりわけ若者たちもです。教会の性の倫理で若者たちは苦しみ、教会から去ったのです。

 Bは「その1」でも少し引用しました。離婚・再婚者の聖体拝領問題が、フランシスコ教皇の主張のように「神の憐れみと当事者の信仰を生かす方向で許される」ことになれば、ダムの一角が壊れると全体が崩壊するように、他のすべての伝統的な観念が崩壊するのではないか、と保守派が恐れているからです。

 そしてキャロルが言いたいのは、離婚再婚者の聖体拝領如何が問題なのは、その元に「伝統的な性の倫理」があり、それに基づく司祭職があるからです。これらを問い直すことが現代、求められていると言えます。Cは「隠蔽と秘密主義」が特定司祭による性的虐待についてだけではなく、「司祭全般の司祭自身の性の問題でもあるのだ」とキャロルは言い切っています。

 独身制や貞潔に反するようなことがあっても、それは表には出せない、秘密のうちに処理する、処理される。ごまかして生きる。司祭は高い聖性を目指して努力すべきであり、性的な情欲も制御できて、性についての苦悩はないはずである… そうならないとすれば、それは努力や祈りが足りない、そもそも司祭職への召命がなかったのではといった批判にも一理ありますが、理想通りに行っていない現実をキャロルは見て来た上で、「司祭職そのものが有害である」と言っているのです。そもそも独身制を守るのは不可能なことであり、事実上、独身制は破綻しているのではないか、そのことを自覚しているからこそ、隠蔽と秘密主義が蔓延しているのだ、と。

 30年程前のことですが、私が大学院で臨床心理学を専攻していたとき、東京から某大学の心理学者(女性)が夏期集中講義に来ていて、その際、一緒に昼食をしました。私が司祭だということで、「カトリックの司祭は女性と関係を持っていますね」と唐突に言われました。

 教授はご自身クライエントを抱えていますし、他の多くの心理臨床士との会合等で、いろいろ聞くこともあるはずなので、クライエントの中にカトリック女性もいたでしょう。その相談内容には司祭との関係、さらに性的虐待につながるようなこともあったかも知れません。日本でも訴訟中の司祭による性的虐待の事案に至る前に、このような心理臨床的な相談をしていたことも考えられます。

*女性遍歴を重ねた末の回心… 「神の恩寵だけが肉欲の泥沼から救った」とアウグスチヌスは言う

 アウグスティヌスの人生と性を振り返ってみます。アウグスティヌスは16歳から31歳までの16年間、「情事のサルタゴ(大鍋)」と言われるカルタゴで、あるアフリカ人女性と同棲していました。身分上の違いがあるので正式な結婚ではなく、女性はローマ法では「コンクビーナ」の身分でした(現代の妾ではない)。翌年、男子が生まれます。名はアデオダートゥス。385年、母モニカのしつこい要求もあり、この女性と別れます。

 女性は「これからは他の男を知るまい」と誓って、息子を残してアフリカに帰っていきます。アウグスティヌスはモニカの意に添う若い娘と婚約しますが、まだ若いので、あと2年経たなければ一緒になれない。そこでアウグスティヌスは第3の女性をつくります。

 「待つ期間の長さに耐えかねて… 情欲の奴隷であった私は、別の女をこしらえました。もちろん、正妻としてではなく…」(『告白』第6巻第15章)。386年8月、32歳の時に回心。情欲から貞潔へ。もう妻を求めず、この世のいかなる望みも求めず、信仰に生きようとします。このような変化が可能であったのは、最初のアフリカ人女性の真摯な愛と、アウグスティヌスのこの女性への愛があったからこそ、アウグスティヌスは次の段階へと進めたのであり、「ただ神の恩寵だけが彼をこの肉欲の泥沼から救った」。

 アウグスティヌスの絶対恩寵主義は、「この女性との関わりのうちに根源を持っている」と山田晶は言っています。387年のモニカの死、390年の息子の死を経て、391年、37歳でヒッポ・レギウスの司教の懇望により、同地の司祭となり、396年に司教となります。

 ですから、アウグスティヌスの性についての見方は、その同棲生活と息子の誕生の経験があること、現代の司祭司教とは全然違う経路をたどって司教になったことを踏まえて評価しなければならないでしょう。

 また彼の『結婚の善について」や司牧的書簡で述べている性や情欲についての考えは、当時の禁欲的なエリート主義と異なり、もっと「キリスト教の平凡な価値」を擁護しているようです。ですから、後のカトリック教会の偏った教えとは違うのだ、ということに注意すべきだと思います。

*教父テルトゥリアヌスなどの先例が影響している・・

 アウグスティヌスより一世紀前の教父テルトゥリアヌスは、「妻へ」「貞潔の勧めについて」「結婚の一回性について」などを書いています。

 コリントの信徒への手紙1・7章やテモテへの手紙1・5章などで、独身、結婚、やもめのケースなどで、パウロの勧めが述べられていますが、テルトゥリアヌスは、例えば使徒が「再婚してもよい」と言っているのは、「最も神が望んでいるのは再婚せず、貞節を守ることであるから、再婚はしてはいけないと理解すべきだ」という具合の論理で解釈します。

 ですから、「やもめとなった者は再婚しないこと」「独身の者は結婚しないこと」「結婚している者は貞潔を守って性的交渉を持たないこと」が神の意志だ、ということになります。このようにアウグスティヌス以前から、偏屈な論理を用いて偏った解釈の方向へ進んでいく傾向が見られました。潔いといえば、潔いのですが、人間的ではありません。

*信徒と聖職者の違いはなくなるべき・・

 キャロルの言葉、「祭壇での務めを誰がどのような形で司式しようとも」構わない。これまでのようなミサをするとしても「ただ一部の聖職者階級に属する者によって挙行される必要はなくなるだろう… 教会における信徒指導者の段階的な台頭が現実のものとなりつつある。今こそ、この地位向上を意図的に進め、加速させるべき時である」「こうした人々は、他のすべての人と存在論的に平等である」。教会の運営においても「私の予想する教会は、信徒によって統治されているだろう」と。今回の教皇フランシスコが始められた”シノドスの道”の方向とも一致しています。

 思うに、性に関して、「情欲を抱いて女を見る者は誰でも、すでに心の中で姦淫を犯したのである。右の目があなたをつまずかせるなら、えぐり出して捨てなさい」(マタイ福音書5章28∼29節)とイエスは言ったとありますが、この通り実行していけば、いくら体があっても足りないでしょう。

 根本的な問題は、私たちは「キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さがどれほどのものかを悟って」(エフェソの信徒への手紙3章18節)おらず、倫理道徳的な欠点に目が行き、そこに捕われてしまって、福音を喜べないでいるのではないでしょうか。

 「カトリックあい」の「特集」で紹介されたように、レオ14世教皇は性的な事柄に関して、伝統的な家庭観、男女観に固着し、「LGBTQ+の受け入れ等をもっと根本的に見直すつもりはない」と明言しています。これには信者団体「我々が教会」も失望の意を表しています。

「我々が教会」の投稿では、ここにはアウグスティヌスの性への悲観的な神学が反映されているとも述べています。

*アウグスティヌスの性についての思想はCritical Essays Augustine’s View of Sexuality Cliffs Notes. Sex,Sin and Salvation:What Augustin Really Said,David G. Hunter
St Augustine on sexuality https://www.thebodyissacred.org/. from Augustins writing ,about sexuality, Augnet. など幾つかのウェブサイト参照。

『告白』アウグスティヌス(「世界の名著」、山田晶『アウグスティヌス講話』、『テルトゥリアヌス4倫理論文集』など。

(西方の一司祭)

2025年9月29日

・共に歩む信仰に向けて➉ J.キャロルの論考「司祭職を廃止せよ」を読む(その1)

 これまで4回にわたって教皇制について述べてきました。

 教皇の至上権に基づいて異端審問と十字軍が一つに融合すると、キリスト教異端だけでなく他宗教、異教も滅ぼして、世界へ向けて「宣教と征服」がなされました。西欧カトリック教会に合わないものは文化的・習俗的なものも滅ぼして、教会や西洋文化を植え付ける、植民地化する。

 教皇の至上権は、教皇の支配下にある位階制(司教、司祭等)によって集権的、一元的に行使・管理され、権力として行使されます。そこに一般信徒の入る余地はわずかしかありません。なので、そこにあるのは「支配」であり、「暴力」ともなります。

*元司祭で著名な作家、ジャーナリストの論考「司祭職を廃止せよ」に多くの示唆がある

 今回は2019年発表のJ.キャロルの論考「司祭職を廃止せよ」(上智大学神学会誌『神学ダイジェスト138号』に日本語訳が掲載)の内容を紹介します。キャロルは1943年生まれで元カトリック司祭の著名な作家・ジャーナリスト。自分の体験と思索を重ねて書いたのがこの論文です。

*性的虐待は教会の構造的組織的な問題でもある

 まず、多くの国の孤児院、小教区、学校、保護施設等で、カトリック聖職者による子供や少女、女性のレイプや虐待が公的機関によって調査され裁かれた例が示されています。裁判の席で、ある被害者は「これは魂の殺人です」と語ったといいます。にもかかわらず、加害者の属する教区の司教・枢機卿や修道会の長上は事実を否定したり隠蔽したり、「知らなかった」と言う。

 カトリック司祭のいるあらゆる所で性的虐待があり、それらが教会当局によって無視され隠蔽されているので、被害者たちは世俗の当局に訴え、明るみになっているのです。「教会の中で真実を突き止めて解決することができない」ということは、虐待問題が司祭個人の問題であるだけではなく、教会の構造的組織的な問題でもあることを意味します。

*教会は聖職者を中心に回っている

 もし司祭を始め教会全体が自分たちの罪を認めて謝罪すれば、世間に暴露されることなく教会内で済んだのでしょうが、司祭たちが認めない、さらにその長上たちも事実を隠蔽する。なぜ事実を否定し隠蔽することが可能になるのか。それは制度としての教会に「聖職者主義」が浸透しているからです。「聖職者中心主義」と言ってもよいでしょう。「自分たち(司教・司祭)が中心。信徒は従えばよい」ということ。「権力を与えられている聖職者に従え」ということ。

 聖職者は教皇以下、位階制度によって構成されています。司祭は全員が男性で、独身です。女性は排除されている。女性は男性に、一般信徒は司祭に、従属する。そこには性的抑圧、女性嫌悪(ミソジニー)、秘密主義がある、とキャロルは言います。

 「司祭の独身制」によって子供を持たないので、相続の問題は生じません。また叙階の秘跡によって「存在論的に(霊印を帯びるとされる)」司祭は一般信徒よりも優位に立ち、教会構造は男性だけですから、男性主義、秘密主義、女性排除・女性嫌悪といった特徴を帯びます。

*教会は「自身にのみ責任を負う権力構造」

 ですから、隠蔽は可能になる。教会法によると、もし女性がミサを挙げようとすれば破門となるが、他方、小児性愛者の司祭に対しては、そのような刑罰は一切規定されていない。「聖職者主義は、自己実現的で自己充足的である。聖職者主義は秘密主義を糧に繫栄し、自らを守ろうとする」。

 司祭が何か問題を起こしても、「位階制」という構造の中で処理されていくので、「隠蔽」が可能であり、それゆえ秘密主義に覆われます。信徒も外部の人も知りえない。よって外部から裁かれない。位階制の教会は「自身にのみ責任を負う権力構造」なのです。

*聖職者主義により組織的な腐敗が蔓延する

 「聖職者主義」の教会では、司祭による性的虐待や隠蔽、邪悪な行為の否定・否認が起こるのは当たり前。司祭自身が教会の掟を破りながら、罪を認めるどころか責任逃れをしたり、弱い立場の被害者に「誰にもしゃべるな」と口止めするといった事態に。

 教会の教えと、司祭の実践の矛盾。教会の権力構造、すなわち位階制と教会法は、信徒を育て、守るためではなく、聖職者自身の権力の横暴を守り、隠すために役立っているのです。こうして教会の組織的な腐敗が、静かに蔓延していきます。

*禁欲的な修道士などに限られていた司祭の独身制が…

 以上のようなカトリック教会の性質は、アウグスティヌスの「性の神学」によって強化された、といいます。アダムとエバの不従順の行為を「性的な罪」として捉え、その誘惑によって「全人類に苦しみをもたらした」とすることが一人の女性を非難することにつながり、またセクシュアリティやそれに関わるものは、すべて疑いの目で見られるようになり、「欲求に対する抑圧は、正常な性欲を社会的心理学的な死者の国へと追いやった」といいます。

 また司祭の独身制は、禁欲的な修道士などの慣行から発展し、当初は限られた者のため推奨されたものだったが、時代とともに「独身」や「童貞性」が礼賛されるようになり、その後、高位聖職者の子孫からの相続要求を阻止するために、司祭の独身が義務となりました。(性に関しては「その2」で詳しく見ます。)

*聖職者主義を守ろうとする保守派は、何を恐れているのか

 「聖職者主義」は教会の構造や教義その他あらゆる面に浸透して伝統となっており、それを守ろうとする保守的な聖職者は少なくありません。前回紹介したバーク枢機卿もそうです。キャロルも述べているように、フランシスコ教皇と保守派の意見の対立の争点は、「離婚して再婚した人が聖体の秘跡に与ることを認めるか否か」という問題でした。

 フランシスコは「教会は人々を断罪するために存在するのではありません。神の憐れみによる深い愛との出会いをもたらすために存在しているのです」として、認める立場でしたが、保守派はそれを断固として批判しました。なぜか? これを認めてしまうと、それに関連して「セクシュアリティやジェンダー、カトリックの世界観全体に関する他の多くの変化に道を開くのではないか」と恐れるからです。伝統的教会、すなわち「聖職者主義の教会」が崩壊することになるからです。

*聖職者主義の二重の支柱

 聖職者主義を支えている二本の柱は「司祭職からの(女性嫌悪めいた)女性排除」と「司祭の独身の義務」だ、とキャロルは指摘しています。ではなぜ、この二本の柱を取り払わないのか?「女性に平等な地位を与えることは、性をめぐる女性の自律を肯定し、性行為の目的として生殖だけでなく愛と快楽を肯定し、聖職者の結婚を肯定し、避妊を肯定し、そして、同性愛者の完全な受け入れを肯定することにつながるから、と言うのがその理由です。

 「女性に平等な地位を与えることは、男性支配を否定し、聖職者の統治者としての権威を否定し、ダブルスタンダードに反対するからである」。保守派は、信徒のためというより、自分たち聖職者の既存の権益を固守するために、聖職者主義の教会、その根幹である司祭職を現状のまま守ろうとするのです。

*キャロルが本論文を書くきっかけは

 「当初、私には教皇フランシスコが救世主のように思えた」というくらい、キャロルはフランシスコ教皇に大きな期待を寄せていました。ところが、2018年8月にアイルランドを訪問中したフランシスコが、教会改革の必要性や、痛悔の行為に取り組む必要性があることを理解する様子を見せなかったことや、保護施設マグダレン洗濯所のスキャンダルについては「知らなかった」と述べたことで、その期待は崩れました。「知らなかっただって?・・嘘だ、教皇は嘘をついている…」。

 他の事案からもフランシスコ自身が性的虐待隠蔽の共犯であったことが、反対者から暴露されました。「子供への性虐待は、聖職者文化に場を得てきた。教皇はそうした聖職者文化を非難しているが、それを解体するためには何もしていない。教皇は、自身の対応においてこの文化を体現している」「フランシスコのような革命的であるはずの教皇が、『聖職者主義は打破し得ない』ということを個人的に示していることこそ、驚くべき事実である」と。

 さらに「フランシスコは聖職者主義の二重の支柱を頑なに擁護している」、フランシスコ自身も聖職者主義から解放されていないだけでなく、それを擁護していた… この事実にショックを受けたことが、キャロルにこの論文を書かせたようです。

*聖職者主義から解放されることは可能か・・

 必要なのは、先に述べた聖職者主義を支えている二本の柱「司祭職からの(女性嫌悪めいた)女性排除」と「司祭の独身の義務」を取り去ることでしょう。

 キャロルは言います。初期のキリスト教はイエスを愛する人たちが集まって、互いの家で礼拝し、パンを割いた。当時はまだ「司祭職」はなく、運動は平等主義的だった。しかし4世紀になってローマ帝国の宗教となり、帝国そのものの特徴を帯びるようになる。つまり行政単位と同じ「司教区」ができ、教会の建物も(壮大な)バシリカとなり、初代教会では平等主義的で、多様かつ分権的だった教会集団は、集権的で位階的、君主のように統治するローマ司教を擁する、ほぼ帝国の制度のようなものに変わっていき、公会議で決まった信条以外は「異端」とされていった。

 ですから、位階制から平等な集団へと変化していけば、「聖職者主義」から解放される、と。

*聖職者主義の対極にあるのは民主主義である

 「教会の保守派たちは…『自分たちが守ろうとしている聖職者主義の対極が…民主主義だ』ということを、他の誰よりもよく知っている」とキャロルは指摘して、以下のように警告しています。

 「権威主義的で、民主主義的要素に乏しい教会は停滞・腐敗する」「「第二バチカン公会議は教会を『神の民』とし、ヒエラルキー(聖職位階制)を支配者ではなく、奉仕者の共同体として位置付けた」。「カトリック信者は、教会との個人的な関係に対する最終的な権威を、暴君である聖職者に委ねてはならない」。「信徒の役割を高め、宗教的な統治に民主主義的な構造を導入すれば、叙階を受けた人々がすべての優越的な地位を占める位階制を覆すことになるだろう」。

 ちなみに、一昨年、昨年と二度にわたった世界代表司教会議の総会に至る”シノドスの道”の歩みも、「聖職者主義を打破する」ことを目指し、小教区・教区レベル、国レベル、そして大陸レベルで信徒の意見を聴こうとしていたはずですが・・。

*キャロルの望む教会の奉仕者とは・・

 「聖書とパン、祈りと賛歌、黙想など」に奉仕する者。秘跡を行なうとしても、奉仕者には女性も既婚者も含まれる。皆、平等です。すべての人が奉仕者として平等に活動する。「叙階の秘跡」によって信徒より優位に立つ司祭は、必要ない。「信徒と司祭」という関係における「司祭」は要らない。信徒に対する聖職者階級という関係における聖職者、司祭は要らない。聖職者すなわち位階構造の中にある司祭職の担い手、すなわち権力をあたえられた独身男性のみの司祭は要らない。

 キャロルの文章からまとめると、「聖職者は要らない」のです。論文の題名通り「司祭職を廃止せよ」、現行の司祭職を廃止することがカトリック教会の健全化・再生に必要だ、というのが、キャロルの主張だと言えます。

 現体制、現在の司祭職制度の中に「聖職者主義」は生きています。「聖職者主義」だけを抽出して滅却することはできません。長い歴史の中で築かれてきた「司祭職」の制度、位階制を変革することが必要でしょう。

 教会の構造や組織を変えていく、司祭観を変えていくことなどを通して、教会は、現行の「司祭職を廃止」する方向に、教会は進んでいかざるを得ないのではないか、と私は思います。フランシスコ教皇の言葉、「第2千年紀の教会は位階制が中心だったが、第3千年期の教会はシノダルな教会になることが神の御心だ」というのは真実だと思います。キャロルが言うように「キリストは、司式者ではなく共同体全体の信仰を通して経験される」のですし、そもそも初期教会には、位階制に属する「司祭」はいなかったのですから。 「その2」へ続く。

 (西方の一司祭)

2025年9月29日