[ワールドビュー]日系人救った神父の「作戦」(読売新聞)

 

(2017年7月30日 読売新聞 ロサンゼルス支局長 田原 徳容)

 米中西部ネブラスカ州のオマハ周辺で6月、日系人を巡る小さなニュースが話題となった。郊外の林で見つかった複数の空き家が、第2次世界大戦中に強制収容所から助け出された日系人家族の住居と判明したのだ。救出に取り組んだのは、一帯に全米最大の児童福祉の町「ボーイズタウン」を築いた故E・J・フラナガン神父。なぜ、そんなことができたのか。その理由を知りたくて、ボーイズタウンを訪ねた。

 投資家ウォーレン・バフェット氏が生まれ、今も暮らすオマハは、全米屈指の肉質の「オマハ・ビーフ」でも有名な、のどかな町だ。ボーイズタウンはその西の郊外に位置し、1917年に神父が設立した孤児支援施設を軸に整備され、36年に行政的に独立。全米の子供の駆け込み寺のような存在として知られる。

 「神父が日系人を連れてきたのは、子供のためだ」――歴史家で、町の重職も務めるトーマス・リンチさん(57)が言った。大戦中、子供の世話をする職員が戦地に赴き、人手が不足した。神父は強制収容された日系人に目を付け、政府の許可を得て収容所で求人募集を行い、関心を持った人を雇ったという。

 差別を憎み、政府に抗議する熱い逸話を想像していたので拍子抜けした。リンチさんが見透かしたように言った。「神父は政府への協力を示す形で、合理的に救出作戦を展開したということですよ」

 アイルランド移民で差別の苦労を知る神父は、日系人の強制収容に強く反発した。だが、表立って日系人の味方をすれば、非国民扱いされる。そこで、「町が日系人を『収容』する」ことを考えた。

 米政府は、戦時下で特定地域の住民排除の権限を軍に与える大統領令を運用し、西海岸の日系人を強制収容した。神父は日系人を監視したい政府の意図を理解し、「特定地域外」のボーイズタウンで日系人の衣食住を管理すると約束した。神父が監視役というわけだ。

 日系人は求人募集に殺到しなかったのだろうか。リンチさんは答えた。「大工や運転手など特定技能を有する者と家族に限った。神父は政府を刺激せず、少しずつ助けようとしたのです」

 ボーイズタウンに来た日系人は200人超。一部は大戦終結後、定住した。大工だった故マイケル・オオシマ氏の娘、テリー・バーデットさん(66)は、父がこの地に来たいきさつを初めて知り、「神父に感謝します」と泣いた。

 神父の死から約70年。日系人を強制収容に追いやった大統領令の再来とされるトランプ大統領の大統領令が、イスラム教徒への差別を助長しかねない状況に対し、大統領令の是非を審査する司法に合理的な判断を求めるなどして、様々な人たちが彼らを支えている。

 ボーイズタウンは今年、創設100年を迎えた。「私が居ようが居まいが、仕事は続くのです」とは、神父ののこした言葉だ。神父の意志は、町で育った子供たちを中心に、この国で脈々と引き継がれているにちがいない。

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2017年7月30日