教皇フランシスコーひとりひとりの人間への愛の眼差し

教皇フランシスコの口からは、教会の伝統的な教義や組織としての教会の体面に固執する聖職者や信者たちの心を震撼させる言葉が次から次へと飛び出してくる。同性愛者を裁いてきたことにたいした謝罪しなければならないという発言も、その一つである。
「われわれキリスト教徒には、謝らねばならないことがたくさんある。今回のこと(同性愛者の待遇)に限らないが、私たちは許しを乞わなければならない。謝罪するだけでなく――許しを」「そうした状態(同性愛)の人が善良な人物で、神を求めているとしたら、その人を裁く資格が私たちにあるだろうか」と。
「カトリック教会が謝罪すべき対象は、傷つけられてきた同性愛者たちだけではない。貧しい人々や、搾取されてきた 女性たち、労働を強いられてきた子どもたちにも、教会は謝らなければならない」
恐らく、教皇は、教皇になるまでに、複雑で過酷な現実の中で、教会の伝統的な教え、枠組の中に沿っては生きていくことが出来ない多くの人々と交わりながら生きてきたに違いない。またそうした人々に対して教会が、教義の物差しにしたがって冷たく裁いてきてしまっている教会の姿勢に心を痛めてきていたに違い兄。流現実も生きている多くの人々に接して来ていたに違いない。伝統的な教義よりも、そしてまた組織としての教会よりも、かけがえのない一人ひとりの人間への愛のまなざし。その点で、現教皇にはぶれがない。 (もりかずひろ・司教、真生会館理事長)