先月コラムの話題としてあげたカレン族の村での体験を、引き続き書かせていただきたい。
私は、K神父と引率者の一人として出会った。「神父」はカレン語で「パド」なので、このコラムではK神父のことを「パド」と呼ぶことにする。パドは男子校の校長先生であり、大学で教えることもしていた。柔和な笑顔と朗らかな笑い声が印象に残っている。
パドは、村に来ることを「心の洗濯」と表現した。村で心をしっかり洗い、真っ白にしてから日本へ戻る、というのを大切にされていた。
何より印象深かったのは、村での最後の分かち合いだった。パドは、自分の深刻な病気について私たちに打ち明けられた。「神父」という立場の人間が、自分の苦しみを赤裸々に語られたのは、私にとって驚きだった。その晩は様々な思いが浮かび、なかなか眠ることができなかった。
翌朝、きれいな冬晴れの空の下、皆で食事をした。その後、パドは、一人で歩いていた私にそっと寄り添い、聖堂の前でこんな話をされた。「麻衣はたくさん苦しんできた。とても、つらかったと思う。けれども、それはきっと誰かの役に立つはずだ。それは誰なのか今は分からないけど、もしかしたら、それは麻衣の子供かもしれない。だから、希望を持ってほしい」。当時の私は信じられなかった。でも、パドの弱さを分かち合ってもらったことで、「前向きになろう」と思ることができた。
数年後にパドに再会したのは、彼のお通夜でだった。献花の順番を待つ私は「次に会うのは天国だ」と寂しく感じ、「永遠に順番が来なければいいのに」と思っていた。でも、パドの顔を見た時、はっとした。とてもキリッとした清々しい表情に見えたからだ。パドの希望の言葉を思い出した時、こう感じた。「生きるとは、誰かのために自分を分け与え、その人の糧となって生かすことなのだ」と。
20年前に体験した村での思い出は、色鮮やかで、まぶしいくらいの輝きを放ち、セピアや白黒に色褪せることは決してないない。「麻衣の経験は、きっと役に立つ」というパドの言葉も、決してきらめきを失わない。私が書く文章も、ささやかながら誰かの糧となりその人を生かせるよう、精進していきたい。
(東京教区信徒・三品麻衣)