私は、ここ数年「教会とは何か」を考え続け、今は「 聖職者とは何か」を日々問い続けている。 カトリック教会で私と同じ疑問を持つ信徒と持たない信徒の二極化 は、昔から珍しくなさそうだ。
今、時代の大きな転換期であり、宗教界も曲がり角に立っている。 宗教が持つ倫理観が欠如されつつある問題が後をたたないことも原 因だろう。カトリック教会に於いては、何世紀も前から教会に疑問 を持つ信者がいたにもかかわらず、 その信者たちとは話し合いの場を持たず、 教会上層部だけで解決策を講じてきた印象がある。
そのように「 聖職者主義」と「位階制度」 を推奨するカトリック教会の失態が後を絶たず、 教会の在り方を社会にも問われている今こそ、教会の想いを知りたい 。
教会を考える時には、『イエス・キリストの教えと癒し』を一人ひとりがどのように理解しているのか、を問うことが大事だろう 。次に、幼児洗礼、成人洗礼に関係なく、 初めて出会ったイエスの印象は、どうであったのかを問いたい。 信者として生きるため、 自分を制するためには繰り返し原点に戻らねばならないからだ。
私は幼稚園児の時に聖公会教会の日曜学校でイエス・ キリストに出会った。聖画の美しさに感動し、 熱心に通ったものだ。何よりも嬉しかったのは、 教会にあるオルガンを特別に弾かせていただいたことだ。 純粋に聖なるもへの憧れから、 芸術から宗教への扉を開いてくださったうちの一人だ。 数年前まで行われていたキリスト教一致祈祷会で、 当時の私を知る退職司祭に会うと「 オルガンを弾くやんちゃな子だった。 カトリックに行ってしまったが」 と毎回笑顔で皆の前でからかわれたが、 カトリックとプロテスタントの信者たちの空気が和むために、それは 必要なやりとりだった。そして、それは、 当時の日曜学校の先生方と子供たちの自然体のやりとりを思い出す 場面でもあった。
第二バチカン 公会議を招集された聖ヨハネ23世教皇、その後を継ぎ、公会議を締めくくられた聖パウロ6世教皇は、カトリックとプロテスタントの教会一致を目指され、「キリスト教会の原点」に戻るよう尽力された。