・愛ある船旅への幻想曲 ㉙若い世代が求めるイエスを中心にした“愛ある教会”への道は…

 早いもので7月になり、カトリック教会も、司祭の移動や委員の交代等から2か月が過ぎ、小教区全体会(総会)も終えたところが多いだろう。

 カトリック教会は、全世界に12億人以上の信徒を有するキリスト教最大の教派である組織として、社会に受け入れられていることは周知の事実である。日本でも子供達はキリスト教は「世界三大宗教の一つ」と教科書から学んでいる。しかし、日本人の多くは宗教、特にキリスト教に関心を持つ人は少ない。宗教二世問題やカトリック教会の性的虐待問題が次々報じられる昨今、宗教に対して益々負のイメージが強くなっていることも、否定できない。宗教を持つ者として、真摯に受け止めねばならない世の中の動きである。

 カトリック信者として襟を正す為にも、報道からの情報には耳を傾け、対処していかねばならない、と私は思っている。しかし、信者歴の長い方ほど性的虐待問題には関心が薄く、話題にも上がらない現状がある。カトリック中央協議会に各教区ハラスメント等対応窓口の案内が発表されたが、「この窓口で正しい対応ができるのだろうか」と案じるのは、私だけであろうか。今、守らねばならないのは何であるのかを考えるなら、これらは親身になって相談を受けてもらえる窓口だろうか、疑いがある。以前の窓口も、形だけの機関だった、と私は思っている。

 カトリック信者としての一人ひとりが持つ信仰の意味、生き方は違って当然であるが、信者としての言動に疑問を持つ場面が最近とにかく多過ぎる。それも、教会の中心で運営する信者たちからだ。私が知る地方の教会は、新年度を迎える時期になると、各小教区評議会議長は声を揃えて「若者が居ないから、自分が議長にならねばならない」とおっしゃる。「若い世代に譲りましょうよ」の私の声など、笑顔で一蹴、である。

 教会が組織ならばビジョンを持って運営し、若い信徒も増えていなければならない。各小教区評議会規約には、必ず教会の目的が明記され、委員の任期も決められている。それを守っていない小教区が多々あることに驚く。

 まさか、小教区規約を担当司祭はじめ議長や代表委員が知らないわけではあるまい。担当司祭が頻繁に変わる教会では、小教区を運営し続けている信徒たちの都合による規約があり、皆がそれで納得しているようだ。全信徒に真の評議会規約の指導が行われていないため、規約に沿わない信徒の発表からは教会が正しく動いてないことが確信できる。これでは、教会共同体の意味さえわからないだろう。

 私が知るこの教区は、当時の司教の考えから、各小教区の状態を発表し合い、司教を交えて会議を繰り返し、共通するルールを置き、それぞれの小教区に鑑みて小教区ごとに数年かけて丁寧に規約の作成に至った経緯がある。私の所属する小教区では、担当司祭も信徒も、なかなか司教に認印をもらえないことに半ば諦めの境地になりながらも、最後までやり通し、やっと認印をもらえた時の安堵感を、今も忘れていない。

 同じ教区でも他の小教区は、このような規約作りの苦労を知らずに教会活動を今日までしてきたのか、と今さら疑問を持つ私である。各小教区には、司教の署名と捺印がある小教区規約が必ず存在する、と思ってきた私にはショックしかない。勿論、信徒数の極端に少ない教会についての対応も話し合い、難しかったことも覚えている。

 あれから20年、とにかく世代交代を呼び掛け、「若者を育てよう」と頑張った司教の思いを受け継いでいるなら、「若いイエス」を中心とする教会の姿がここにあるはずだ。「教会に若者が居ない」と笑顔で言う信者たちに自省の念はなく、教会の活性化は望めない。

 信徒数は、教区の経済にも影響する。若い世代の小教区代表信徒からの「小教区あっての教区ではないのですか?」との問い掛けに、「違う、教区あっての小教区だ」と、”確信”をもって答える司教のお膝元にいる聖職者たち。「カトリック教会ヒエラルキーは、例え三角形が逆になっても権力の強さは変わらない。それがカトリック教会だ」と。どうしても一信徒では満足できず、第二の人生を”権力第一主義”の聖職者への道を選んだ方々の本音の言葉だろう。

 信徒数減少にもポーズだけで危惧し、「なぜ教会がこのような状態になったのか」との反省すらないのである。昨日まで一信徒だったのなら、信徒の気持ちが分かるはずではないか、と言いたい。経済問題を含め、教会(教区)に疑問を持つ若い信徒をことごとく排除し、ヒエラルキーに従う信徒だけの教会は、イエスの求める教会と言えるのだろうか。

 教会での”地位”と”名誉”、役割だけを欲しがる信徒たちに福音は届かないようだ。これでは、若い世代が求めるイエスの愛を中心にする“愛ある教会”への道は遠い。若者は純粋に聖書を読み、純粋にイエスの愛を求めて日々生きていることを、知って欲しい私である。

 今年、そして来年へと“シノドスの道”が正しく続いていく、ということであれば、現代の教会における組織としてのミッションとビジョンを是非とも問い正していただきたい私である。

(西の憂うるパヴァーヌ)

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2023年7月1日