・三輪先生の時々の思いⅡ⑤愛国心という迷妄:新渡戸稲造の場合⑥新渡戸稲造の『武士道』の由来

⑤愛国心という迷妄:新渡戸稲造の場合

「愛国心の迷妄」を考えるとき、その筆頭に来るのは新渡戸稲造である。

 そもそも彼の研究発表の第一発は、英文の日米交渉史The Intercourse Between the United States and Japan: A Historical Sketch である。1891年をもってジョンズホプキンス大学出版局から出版されている。

   冒頭に出てくる徳川斉昭(1800-1860)の文書の英訳が、まるで出鱈目で、一種の捏造文書になっている。斉昭に、愛国的拡張主義者の発言をさせている。「・・・わが日本国の国旗が他国に翻ったことはあっても、侵略国の国旗が吾が国土に翻った試しは皆無である」ーそういう意味の事を、新渡戸は記しているのである。

 斉昭の原文には「旗」という文字は出てくるが、上記如きことは何も言っていないのである。贔屓の引き倒しも良いところである。学者人生のそもそもの発端で、こんな捏造をしてしまった稲造の公的発言はよくいって「ひねくれたもの」に成らざるを得なかったであろう。悪くすれば「嘘の上塗り」に堕すことになったであろう。

 これが私が新渡戸の公的生涯に下す評価の通奏低音である。

(2021. 5 .1記)

⑥新渡戸稲造の『武士道』の由来

 新渡戸稲造の『武士道』が英語で書き下ろされ、『Bushido:The Soul of Japan』として出版されたのは1900年のことである。

 新渡戸がこの著書を執筆する直接の動機は、たまたま訪れていたベルギーで、地元の法律家、ラブレーから「日本で道徳の基盤となっているのは、何であるか」とたずねられたことだった。

 その答えとして、彼は、欧米の近代的国家の市民は、道徳の基盤をキリスト教に置いていたのに対して、明治維新を経験したばかりの日本という国家の国民は、武士道に置いている、と言うのであった。

 思想としての武士道の構成要素として、日本に土着の祖先崇拝の他に、外来思想の要素として仏教と儒教が挙げられていたのである。(2021.7.6記)

(三輪公忠=みわ・きみただ=上智大学名誉教授、元上智大学国際関係研究所長、プリンストン大博士)

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2021年7月6日