・Sr.石野の思い出あれこれ③初めて修道院の門をくぐったころ-洗礼を受けるか迷う

 今から60年以上も前、初めて修道院の門をくぐったころの前々回の話に戻る。

 修道院に行くのに遠慮する必要はない、と分かったわたしは、それからたびたび足を運んだ。お玄関を入っても緊張しなくなった。受付のシスターにご挨拶をして、いつもお話を聴く部屋に通った。

 どんなときにもやさしく、笑顔で迎えてくださるシスターがわたしは大好きだった。修道院の雰囲気にも環境にも慣れ、「公共要理」とやらのお勉強も順調に進んでいた。今までキリスト教のキの字も知らなかったわたしの頭の中に毎日毎日新しいことが飛び込んでくる。すべてが新しく、新鮮だった。でも理解に苦しんだこともたくさんあった。

 そんな私の心を察したのか、シスターが言われた「これは奥義です。人間の知恵で理解することはできません。ただ信じるのです。信じればよいのです」。

 素直にシスターの言葉に従った。でも、復活の話になった時は、そう単純に信じられなかった。亡くなった人が生き返るなんて・・・ある日、信じられない苦しみを胸に、暗くなりかけた道を「どうしたらよいのだろう」と考えながら一人で歩いていた。

 その時、ふと、面白い解決策が頭に浮かんだ。

 シスターはスペインの外交官の娘、毎週修道院に通って来られる神父様はウイーン出身のピアニスト。あの方たちがすべてを捨て、いのちをかけて信じていることがもし本当なら、たとえ、わたしが疑ったとしても、真理は真理として動くことなく存在する。疑うわたしが愚かなのだー未熟で単純な”解決策”だけど、それで納得がいって、心が軽くなるのを感じ、足取り軽く家路を急いだ。

 その頃、修道院には若い女性がたくさん通っていた。公共要理のお勉強が主だった。勉強がひと通り終え、受洗を希望する人が次々と洗礼を受けていた。

 わたしの勉強も終わりに近づいたある日、シスターがおっしゃった。「次に洗礼を受けるグループには石野さんも入れましょうね」。

 わたしはぎょっとした。洗礼のことは一応考えてはいたけれど、まだまだと思っていたし、未だ決心がつきかねていた。洗礼を受けたら一生涯クリスチャンでいなければならない。毎日曜日に教会に行かなければいけない。他にも、カトリックになれば、いろいろ守る掟がある。そんなこと絶対に出来ない、と考えていた。家は、特に父は熱心な仏教徒、死ぬまであるお寺の会計監査役をしていた。そんな両親がわたしの洗礼を許してくれるはずがない。それ以上に、わたしの気持ちがまだ固まっていなかった。

 あまりにも急なシスターの言葉に「洗礼を受けることは、母が赦してくれないと思います」と答えて、一応妥当な返事をしたつもりでいた。ところが、シスターは「洗礼を授けるのは、あなたのお母様ではありません。神様です」と返してこられた。

 これには二の句が継げなかった。シスターはわたしも洗礼を受けることを考えていらっしゃるのか、と思うと憂鬱になった。どうしよう。それでも修道院に通うのを控えることは出来ず、それまで通り、週に二回、ときには三回通った。

( 石野澪子=いしの・みおこ=聖パウロ女子修道会修道女、元バチカン放送日本語課記者兼アナウンサー)

 

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2018年9月28日 | カテゴリー :