Sr.岡のマリアの風⑥ 「心の清い人は幸い、その人は神を見る」

 「心の清い人は幸い、その人は神を見る」(マタイ5・8)…

  年明け早々、アジア・オセアニア地区のマリア論のために働こうと望んでいる人々のグループ(わたしたち)の将来について、メールを通して、(イタリア語、英語が飛び交いながら)、熱く語り合っています。「今、出て行きなさい」という招き、「時のしるし」を、わたしたち皆、感じています。「どのように」「どこに向かって」…?それは、ナザレのマリアのように思い巡らしながら、祈りながら、共に語り合いながら、見えてくるものなのでしょう。

  今まで、教皇庁立国際マリアン・アカデミー(PAMI)のアジア・オセアニア部門の日本人は、わたしだけでしたが、今、J修道会のSr.Sが心強い「協働者」となりつつあります。これも「時のしるし」と、謙虚に受け止めていきたいと思います。

 権力とか、知名度とか、そういうものを求めるのではなく、マリア霊性が、教会の歴史の中で、キリストに従う霊性の本質であると確信されてきたことを受け継いで、貧しい方法を通して、イエスのみ国のために働きたいと願っています。

 …でも、時に、自我や、「わたしのやりたいように…」が、わたしの心の中に出て来ます。

   2017年、ファティマの聖母出現百周年。あの人、この人の回心、どこの国の回心、あの罪人、この罪人の救い…その前に、「わたし」の回心、「わたし」の心の清めが求められているのだと、ますます確信しています。それは、教父たちの霊性の中で、そして今でも、東方教会の霊性の中で、特に深められていると思います。

   「わたしのけがれのないみ心が、最後には勝利するでしょう」という、ファティマの聖母の根本メッセージを、わたしたち一人ひとりの中に、「心の清い人は幸い、その人は神を見る」というイエスの招きを呼び起こすものとして、今年一年、特に、思い巡らしていきたいと思っています。

  善い心から善いものが出て、悪い心から悪いものが出る。イエスのみ国のために働くわたしたちの心が、「みことば」を受け入れ、実りをもたらす「善い土地」でありますように。

祈りつつ…

 

(岡立子・おかりつこ・けがれなき聖母の騎士聖フランシスコ修道女会修道女) 「心の清い人は幸い、その人は神を見る」

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2017年1月7日 | カテゴリー :