Dr.南杏子の「サイレント・ブレス」日記⑧「ひばり、圭子、プレスリー」 

 静けさに満ちた中で、人生の最期をおだやかに過ごす――。終末期医療の現場を預かる医師の日常は、そうした患者や家族の願いに寄り添うことが第一に優先される。

 しかし、病床に身を横たえながらも、自らを待つ「ステージ」に立ち続けることを希望する人たちが少なからずいる。

 今年が生誕80年の節目の年でもある大歌手・美空ひばりは、1987年に慢性肝炎、大腿骨骨頭壊死、脾臓肥大などで福岡県の病院に緊急入院した。再びステージに立つことは絶望視されたが、翌年には東京ドームを舞台にしたワンマンショーで復活を果たし、89年6月に亡くなるまでコンサートに命を燃やし続けた。

 復活後のステージの陰には、目に見えない医師たちのサポートがあった。

 死去する4か月前の89年2月、福岡からスタートした全国公演でのことだ。容体は極めて深刻で、医師たちは公演のキャンセルを進言されたものの、本人は「どうしても、やる」と聞かない。静脈瘤破裂などに備えて緊急入院の準備を整え、楽屋にまで医師と看護師が付き添った。ひばりは極端に痩せ、声も低い。公演の休憩中には、楽屋のベッドに横になって点滴を受けた。

 果たして、美空ひばりはステージをまっとうできるのだろうか? 周囲の者は、大きな不安を胸にしたまま歌姫を送り出す。以下は、楽屋で診療に当たった梶原医師が目撃したコンサートの様子だ。

 <ところが、ひばりは何の異常も表に現わさない。医者の眼で、しかも凝らして見ていてもなおかつまったく分からない。おそらく必死に苦しさに耐えて唄っているのだろうに、と思うと、梶原は「素晴らしい!」と、感服してしまう気持ちを抑えられなかった>(鳥巣清典『美空ひばり最期の795日』より)

 「圭子の夢は夜ひらく」などのヒット曲で知られる藤圭子にも、医師による支えがあった。連日連夜の仕事に追い回され、スケジュールがパンク寸前だったころだ。

 <そんなときの藤圭子は、青ざめた顔をして、まったく声が出ない。だからといって、公演を中止にすることなどできない。地方公演には、主治医の村上一正先生に同行してもらい、必ず注射を打ってもらってステージにあがった>(大下英治『悲しき歌姫』より)

 エルビス・プレスリーやマイケル・ジャクソン、また菅原謙次や三遊亭金馬、加瀬邦彦らにも、公演や楽屋で医師らのサポートを受けたという同様のエピソードが語り継がれている。

 自らの病を押してなおステージを目指す人々と、それを支える医師の姿を小説にしてみたい――。そんな思いで書いた作品「赤黒あげて、白とらない」を5月22日発売の「小説現代6月号」(講談社)に発表した。誰にも晴れの舞台がある。人生にとって大切なステージがある。美空ひばり、藤圭子、エルビス・プレスリーら大スターの物語には及ばなくとも、生と死の舞台で輝く小さな人間模様を、シリーズの形で書きつづっていきたいと考えている。

(みなみきょうこ・医師、作家: 終末期医療のあり方を問う医療ミステリー『サイレント・ブレス』=幻冬舎=は5刷出来。5月24日発売の日本推理作家協会編『ザ・ベストミステリーズ2017』=講談社=に短編「ロングターム・サバイバー」が収録されました。アマゾンへのリンクは、https://www.amazon.co.jp/dp/4344029992?tag=gentoshap-22

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2017年5月25日 | カテゴリー :