Sr石野のバチカン放送今昔 ⑧「微笑みの教皇」と「空飛ぶ教皇」

  昔、教皇は一般謁見にお出ましになる時、8 人の男性が担ぐ神輿画像検索結果に乗って、高いところから会衆に祝福を与えながら、謁見場に出てこられる習慣があった。

 謙遜で慎み深いヨハネ・パウロ一世は、教皇即位の簡素化を望み、戴冠式を取りやめて、ミサ中に牧者の権能の象徴であるパリウムを受けることだけにとどめられた。「微笑みの教皇」と呼ばれた教皇は、謁見の時神輿に乗ることを望まれなかった。ニコニコなさりながら、人々の間を歩いて謁見に臨まれた。すると、世界中から抗議の手紙がバチカンに殺到した。

 「教皇を一目見たい」、「せっかく遠路はるばるバチカンに来ているのだから、教皇のあの笑顔が見たい」「高いところならよく見える、どうか神輿に乗ってお出ましいただきたい」。そんな声を聞かれた教皇は、「人びとを喜ばせるためなら」と、信徒たちの熱い望みに応えるため、私意に反して神輿に乗ることを受けられた。

  人々は熱狂的に歓迎した。揺れる神輿の上で右手を挙げて熱狂的な会衆を祝福しながらその間をゆっくり進まれる教皇の謙虚なお姿は輝いてさえ見えた。

  ヨハネ・パウロ二世の時も、同じ「お歩きになると見えない」という声が繰り返された。しかしヨハネ・パウロ二世は「みんなが私を見たいけれど見えない?それでは見えるように私が工夫しましょう」と言って、そうした声に屈しなかった。そして元気よく歩いて謁見会場に出てこられた。

  おそらくその頃から、やがて「空飛ぶ教皇」と命名されるほど、世界各地に平和のメッセージを携えて旅をし、世界に平和を訴え、信者たちの信仰を固めることを、考えていらしたのかもしれない。実に26年間の教皇在任期間中に129か国を訪問されたのだった。

 ( 石野澪子・いしの・みおこ・聖パウロ女子修道会修道女)

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2017年2月20日 | カテゴリー :