菊地・新潟司教の日記 ⑬姫路から仙台まで・・カトリック教育・至難の業にどう応える

2017年8月26日 (土)

   今週は火曜日から姫路へ移動、そして金曜日が仙台と、移動の一週間でした。姫路は、水曜日の朝から木曜日の昼まで、姫路にある賢明女子学院中学・高等学校で、教職員の方の宗教研修会。そして金曜日は、仙台の元寺小路教会で、朝は全ベース会議、午後は仙台教区サポート会議でした。

Himeji1703  賢明女子学院は、設立母体が聖母奉献修道会。1796年にフランスで創立された修道女会です。日本には、1948年にカナダから大阪に会員が初めて派遣されてきています。学校は1951年の開校。姫路城のすぐ目の前に、カトリック姫路教会を挟んで、男子校の淳心学院と女子校の賢明があるという配置は、どこか、カトリック南山教会を挟んで、男子部と女子部が配置されている、名古屋の南山中学高校を思い起こさせました。

  教職員の宗教研修会は毎年この時期に行われているとのことで、参加者は、提出していただいたリフレクションペーパーの数から見ると61名。松浦司教のお兄様である松浦校長先生や、理事長のシスター山本も、全日参加してくださいました。

  そして残念なことに現代社会は、様々なレベルで、いのちよりも他の価値観を優先する選択を続けているように思いますし、その傾向はさらに強まっているように感じます。神が善いものとして創造し、完全である自らに似せて創造されたことによって尊厳を与えた賜物であるいのちを優先するとき、どのような社会を構築し、どのような人間関係を構築するのかは、定まってくるように思います。

  とはいえ、現実の社会の中で生きる若い世代に、そのことを直接伝えるのは至難の業であることもその通りだと思います。それでは具体的にどうしたらよいのだろうかという質問も、先生方からたくさんいただきました。

  もちろん人間は一朝一夕で変身はしないので、信仰の立場から主張していることがそのまますぐに受け入れられるとは思いません。でも繰り返しそれを伝え、言葉と行いで「あかし」続けることで、心の片隅に、大切すべき理想はどこにあるのかが残り続けてくれるなら、いざというときにどのような道を選ぶかの道しるべになるのではなかろうかと期待をしています。

Himeji1702  姫路まで招いてくださった先生方、ありがとうございます。真っ白になった姫路城、美しかったです。

  木曜日の夕方にはそのまま姫路から仙台へ移動。金曜日は仙台で、東北大震災の復興支援の定例会議でした。午前中は、各ベースでの活動に関して報告をいただき、午後は、平賀司教を中心に、全国の教会管区代表が集まって情報交換。今回は、平賀司教、幸田司教(東京教会管区)、諏訪司教(大阪教会管区)、浜口司教(長崎教会管区)と私を加えて、関係司教全員がそろいました。

  ところで、その会議でも話が出ましたが、聖座の福音宣教省長官、フィローニ枢機卿が9月末に来日され、一日だけですが仙台にもおいでになります。これは仙台教区から正式に発表されることでしょうが、9月22日(金)には、被災地視察の後、夕方18:30から、カテドラルの元寺小路教会で、枢機卿様も参加してミサが捧げられます。私もご一緒する予定です。

  福音宣教省は、世界の中で、いわゆる宣教地とされている地域を管轄する役所で、大雑把に言えばアジアではフィリピンを除くすべての国が、福音宣教省の管轄です。一般にそのラテン語旧称から「プロパガンダ」と呼ばれます。いわゆるキリスト教国に関しては、司教省が司教の任命などに関して権限を持っていますが、日本などの宣教国では福音宣教省が司教の任命を管轄しています。

  それ以外にも、宣教地での活動の資金的援助や、各地の神学院の管轄でもあります。(なお日本の教会は、すでに何年も前から、福音宣教省からの資金援助は申請していませんが、毎年、世界宣教の日の献金などを通じて、アジアやアフリカの宣教地支援に福音宣教省を通じて貢献しています。)

  バチカンの役所は、実際のローマにある役所本体と、それを支える委員会(メンバー)から成り立っており、枢機卿さんたちはすべて、どこかの役所の(複数の)メンバーとして教皇様から任命されています。それ以外のメンバーも多く任命されており、私も、現在、福音宣教省のメンバーとしての任命をいただいています。

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