理想の新校舎、修道院は閉鎖・司祭の減少の深刻さ目の当たりに+反響

 

 久しぶりに神奈川県の大船にあるイエズス会経営の母校に出かけてみた。横浜で開かれる山岳部のOB会の総会には毎年出席して旧交を温めているが、母校には十数年ぶりだった。目的は、オリンピックスタジアムの設計者としてすっかり有名人になった卒業生の隈研吾氏が設計を監修した新校舎の見学と講演を聴くこと。

 「建築家は理念が先に立って頭でっかちになりがち。それは日本社会にも言える。戦後の高度成長の中で都市化し、自然とのつながりを忘れて、頭でっかちになってしまった。頭でっかちでない、自然とのつながりを取り戻す建築。木や竹など自然素材を、加工が必要な場合も、大工場でなく、どんな田舎の作業場でもできるようなやさしい技術を使って、設計・建築をするように心がけている」という隈氏の話や、実際に数社のコンペを勝ち抜いて新校舎を設計・監理した卒業生で日本設計の担当者の説明を聴き、彼らの案内で新校舎の内外を見て回った。

 「二階建て、木造と鉄筋コンクリートのハイブリッド構造、大地に近く自然に開かれた構造は、緑に囲まれた広大な立地と見事にマッチング。これからの時代、子どもたちが学ぶための理想の環境を追求した『みらいの学校』」と同校のホームページで説明された新校舎。太平洋戦争の終戦直後、横須賀-長浦湾の旧海軍・潜水艦基地の‶廃墟〟を改造し、冬は寒風吹きすさび、暖房なし、冷房なしの校舎で学んだ卒業生としては、まさに天国、理想の校舎のように思われた。

  だが、新校舎の向かい、見上げる形で小高い丘の上に立つ修道院の建物に案内され、入り口に「立ち入り禁止」の張り紙を見て、その感動は一変した。

 高校三年の時に横須賀の先々代の校舎から大船に引っ越し、最初の卒業生となった私たちの時代には、40代、50代のイエズス会士の司祭が10人近くもいて英語、理科、倫理などを教え、修道院は彼らの祈りの場であり宿舎。親しい司祭に会いに、この真新しい4階建ての建物をよく訪れた。その白く聳える修道院は、生徒たちを導く灯台のように思われたものだ。

 案内してくれた後輩によれば、数年前以前から修道院に住む司祭がゼロになり、新校舎建築中は建築・管理の関係者の事務所に使っていたが、完成後は、誰も使っていない。現在の建築基準による耐震構造になっていないのでそのままゲストハウスなどにも使えず、全面的に建て替えようとしても、修道院の敷地は修道会の所有で、学校法人所有の校舎の敷地とは別。出口が公道につながっていないため、建築許可が下りないのだ、という。

 日本を含む先進国では、カトリック司祭が減少を続けており、修道会も例外ではない。イエズス会は、この学校を含めて、日本全国に四つの中高一貫校を経営している。これまでそれぞれに修道院を置き、別法人の理事会を置いて独立経営の形をとってきたが、理事長を務めるべき司祭はいなくなり、修道院は閉鎖。経営も昨年春から、上智大学を経営する学校法人の上智学院に統合を余儀なくされたのだ。そのことは、頭では分かっていたのだが、実際に、修道院の入り口の「立ち入り禁止」を見て、問題の深刻さを肌で知る思いだった。

 同校のホームページにはこうある。「1549年にフランシスコ・ザビエルが日本に蒔いた種は各地で成長していき、16世紀の後半には日本で最初のイエズス会学校が長崎や安土に誕生します。その後キリスト教は弾圧され、『日本にイエズス会学校を』というザビエルたちの願いは300年以上も姿を隠していましたが、その間もまるで地下水脈のように流れ続けていました。1947年の栄光学園の誕生は、ザビエルたちのそうした願いが、再び形として地表にあらわれてきたものです。そして2017年。栄光学園は創立70周年を迎え、ザビエルたちの思いがさらに新しい実を結びます。それが、この新校舎です。この新校舎は、イエズス会教育の理念、21世紀という時代の要請、さらに栄光学園を愛する多くの方々の思いが重なったところに誕生します」。

  理想の新校舎は出来上がった。だが、その中身、肝心の「ザビエルの信仰、思い」を伝える教育は、これからどうなるのだろうか。「思い」は本当に新しい実を結ぶのだろうか。

 半世紀前、卒業を前にして、私に洗礼を授けて下さった司祭に問いかけたことがあった。「この学校は、強い信仰、『他者のために』という強い思いを持ち、社会の底辺を含めてさまざまな場でリーダーとなる人材を育てるところであるはずです。お金持ちの坊やを一流大学に入れることを誇りとするような学校なら、作った意味があるのでしょうか」と。困った顔をした司祭からは、納得いく答えはもらえなかった。だが、今やそのような‶青臭い〟議論を吹っ掛ける相手さえいなくなっているのだ。

 「みらいの学校」をうたい文句にする新校舎を見下ろし、改修もできず、建て替えの展望もなくたたずむ‶元〟修道院の建物。カトリック学校に関わる本質的な問題を象徴しているように思われる。

 (「カトリック・あい」南條俊二)・・・新校舎のカラーグラフは6月15日発売の「週刊新潮」6月22日号に掲載されています。

(閲覧者からの感想)

 この学校を卒業した者として、非常に残念なことですが、卒業生でもなく、信徒でもないような校長が指導する栄光学園には既にその「存在理由」がない、と思っています。新校舎の建設資金の呼びかけには寄付をしませんでした。その後、偶々卒業生が設計することになりましたが、単純なコンペでの選出方法は思想が無く、失望の限りでした。建設一般には興味があるので、どのような新校舎が建ったのかには興味がありますが、未だ新校舎を見ていません。しかし、設計に其れなりの思想と主張があるとのことで、その点は買えます。(横浜在住・X.Y.)

 

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