漆原JLMM事務局長の生きるヒント③カンボジアで奉仕する母「ただ隣人でありたい」

 母は、もうかれこれ10年ほどカンボジアのシェムリアップに住み、現地でボランティア活動を続けています。

 約10年前、高校の教員だった父が定年退職を目前に第2の人生をどう送るか、私に相談してきたことがありました。私はすかさず、「カンボジアのシェムリアップに夫婦で移住して自由にのびのび好きなことをしたらいいよ」と提案しました。すると、あっという間にことが運び、2006年からカンボジアへ渡り、ご近所のお坊さんや子どもたちに日本語を教えたり、日本の友人たちの協力を得て農村の学生のための奨学金プログラムなど、ボランティア活動を始めました。

 私も年に何度もシェムリアップで両親に会ってきましたが、水を得た魚のように生き生きし、カンボジアの方々との関わりの中で、今までの自分のあらゆる常識や考え方を変えさせられていくことが楽しくてたまらない、という感じでした。そんな両親の姿を見るのが、私にとっての楽しみでもありました。

 2013年夏、父がシェムリアップで病に倒れ、隣国タイのバンコクの病院に緊急搬送されるも意識が戻らず、帰天しました。最後まで好きなことを追求した素敵な人生でした。

 母はその直後から、日本に帰国する気は全くなく、そのまま「カンボジアに帰りたい」と望むまま、今も現地で元気に暮らしています。

 現地のカンボジア人や日本人の仲間に助けられ、公立の小学校や幼稚園で音楽や図工、絵画などの授業を手伝っています。私はよく母の知り合いから「お母様は偉いわね」などと言われてしまうのですが、決してそんなことはなく、「現地のみなさんに助けてもらいながら、人生をエンジョイしていますよ」とお答えしています。それが実際の姿だと思うからです。

 かつて「どうしてカンボジアにいるのですか」と質問された父が、「この街に住みながら、ここの人々の隣人となりたいんです」と答えていたのをよく思い出します。母もそのような精神で今暮らしていると思います。支援団体からの派遣でもなく、何かのグループを組織するでもなく、あくまでも個人として、隣人であろうとしてそこに暮らすという生き方。

 母が関わっている小学校と幼稚園を私も時々訪問しますが、そこの子どもたちの姿を見ていると、「なんだかわからないけど、近くの街から日本人のおばあちゃんが毎週学校にやってきて、歌やダンスや工作を教えてくれたなぁ。優しくしてもらったなぁ。」とこれから10年後、20年後、もっと後にでもふと思い出すことがあるのだろうなと思います。関わる一人のひとりの子どものこれからの人生に何らかの影響を与えることがあるのでしょう。

 ただ、隣人であろうとする-そんな生き方も素晴らしいなと思います。

(漆原比呂志=うるしばら・ひろし=日本カトリック信徒宣教者会(JLMM)事務局長)

***JLMMについて***

 JLMM は日本カトリック司教協議会公認団体、国際協力NGOセンター(JANIC)正会員で、主にアジア・太平洋地域にレイミッショナリー(信徒宣教者)を派遣しています。派遣されるレイミッショナリーは、派遣地において関わる人々とともに喜びや悲しみを分かち合い、地域の人々に向けたこどもの教育、衛生教育、栄養改善、女性の自立支援などの活動を実施しています。1982年の設立以降、アジア・太平洋、アフリカ諸国16か国に100名以上のレイミッショナリーを派遣されました。現在はカンボジアと東ティモールに3名を派遣しています。

 JLMMでは毎年、派遣候補者を募集しています。賛助会員としてのご支援やご寄付をお願いいたします。またカンボジアスタディツアーやチャリティコンサートの企画、活動報告会やカンボジアハンディクラフト販売にご協力いただけるグループや教会を募集しております。事務局(jlmm@jade.dti.ne.jp)までお問い合わせください。

 

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