森司教のことば⑥「どこか遠いところでつくられた信仰様式」からの脱皮-日本の教会の課題-

 日本の福音宣教が思うようにはかどらない現実を直視した日本の司教たちが,その抜本的な見直しを求めて、信徒,司祭,修道者たちも参加する全国会議を開催しようとした事がある。今から30数年も前のことである。開催に先立つ1年前、司教団は、開催の意図を短い文章にまとめ、全国の信者たちに準備と協力を呼びかけた。その中に次のよう一文があった。

 「私たちは、第一回全国会議の課題を『開かれた教会づくり』としました。どこか遠いところでつくられた信仰様式に生活をむりやり会わせる努力をするというのではなく、生活と日本社会を見つめながら,信仰の態度を改め,それを育て,証ししたいと願ったからです。」(1986年12月)

 司教たちは、欧米の教会を介してキリスト教と出会い、キリスト教を学ばざるを得なかった日本の教会の現実を認めながら,日本の教会独自のありようを生み出していかなければならないという課題にあらためて目覚めたということである。

 司教たちのこの呼びかけの真意を理解することは、キリスト教文化圏のなかで育ってきた欧米の信者には、難しい事ではないかと思う。

 「どこか遠い所でつくられた信仰様式」という表現で、司教たちが思い描いていたものは、信仰そのものではない。信仰はあくまでも神からの賜物であり、文化・言語・風習を超えるものである。司教たちが指摘したかったものは、それを伝え表現する形・様式である。具体的には、「教会の中だけで通用する教会用語」、「カテキズム」、「典礼」、「教会建築」などなどである。

 そのまとめの場にオブサーバーとして出席していた外国人宣教師たちの一人の発言は、今もって私の記憶に刻まれている。彼は、日本の教会についての印象を、次のように表現したのである。

 「日本各地の教会を視察するとき、その教会の庭、聖堂、司祭館などを見るだけで、その教会がどこの国の宣教師・修道会によって建てられたか分かる。ルルドのマリア像があればフランス人司祭たち、ファチマのマリア像があればポルトガルやスペインの宣教師たち、司祭館や教会の聖堂が塗装されていれば、米国人司祭たち。実にキリスト教が、宣教師たちの母国の文化様式に包まれて伝えられてきている事が良く分かる」と。

 それは、当初やむを得ない事だったと言えるが、問題は、いまだに多くの日本人に、「キリスト教は外国の宗教であり、自分たちの心情にしっくりしない、異質な何かがある」という印象を与えてしまっていることである。つまり、日本の教会が、「独自な信仰様式を生み出していない」ということである。

 日本には、長い歴史があり、独特の文化・伝統がある。キリスト教が日本の人々に受け入れてもらうためには、日本の教会の独自の信仰様式の創造が必要である。それは,容易なことではない。

 ユダヤ社会で生まれたキリスト教が,西欧で開花するまでに長い歴史が必要だったように、時間がかかることである。

 私がバチカンをはじめとする欧米のカトリック教会の責任者たちに求めることは,「日本の教会を信頼し、そうした日本の教会の努力と歩みをいたずらに抑え込まず、むしろあたたかく、忍耐深く、見守ってほしい」ということである。

(森一弘=もり・かずひろ=司教・真生会館理事長)

このエントリーをはてなブックマークに追加
2017年1月30日 | カテゴリー :