三輪先生の国際関係論 ④嘘かまことか、歴史はどうとでも書ける?

 

  クリストファー・コロンブスがアメリカ大陸発見の航海に旅立ったのは1492年の事だった。その500周年の1992年アメリカ史は書き換えられた。ヨーロッパ文明中心主義の世界観に変更が迫られたのである。この機会に学生達から異議申し立てがあった。「つまりだ、歴史なんて、どうとでも書ける、ということだ」と。

  大学でアメリカ史を専攻する学生が激減した。政治学専攻に鞍替えした。理論化、数式化で科学性が際立って見えたのである。

  プリンストン大学で私が習ったインテレクチュアル・ヒストリー専攻のエリック・ゴールドマン教授は、ジョンソン大統領のホワイトハウスに日参するようになって、休講が重なり、折角集った学生達を落胆させ、結局そのゼミは解散してしまった。しかし彼はその一度か二度のセッションで、消えがたい印象を残した。「史料は行間を読め、歴史学は芸術(art)だ」といったのだった。

  その頃の仲間の呼びかけで、短いエッセーを集めた学生のための教材が編纂された。今手元に捜しても見つからないので、書名や編集者が誰だったか確かめようが無いが、とにかく「歴史」はどうとでも書けるというようなものではなく、少なくとも人文科学(humanities)としてしっかり学問(discipline)として成り立つものだと訴えたのである。

  その後もアメリカは歴史学の危機に直面し続けていたのだろう。手元にTelling the Truth about History(歴史について真実を語ろう)(1994)とかHistory in Crisis? (歴史学の危機?)(1999)とか、1990年代に出版された学術書が散見する。

  思い起こすままに、心に残った歴史学に関わる事柄を取り上げて見よう。

  それは素晴らしいと感動した歴史の叙述と言うより、読む端からこれはおかしい、何が根拠か示せと言いたくなる様なものとか、史料を使っておきながらそこに書いてない全く逆の物語を仕立ててしまっている場合さえある。

  先ず「歴史認識」から行こうか.そう「南京虐殺」からいこう。

  アイリス・チャンの『レイプ・オヴ・ナンキン』(Iris Chang, The Rape of Nanking)(1997)である。アメリカのメジャーな出版社から出版され、たちまち大ベストセラーになった。週刊誌『タイム』が絶賛していた。ワシントンの日本大使館からは大使自身による、「正史と認めるわけにはいかない」という意味の声明があったと記憶する。私も『タイム』の賞賛振りを苦々しく思ったものである。日本では当然賛否両論があって、良書を手がけている出版社から翻訳版が刷り上ってしまっていたのではなかったか。批判の声の方が声高になったためだろう、店頭に並ぶ事はなかったと記憶する。

  議論は数値に集中していた。アイリス・チャンは中国政府が主張する「30万人」説をとっていたのだ。事件が起った1937年当時、ニューヨーク・タイムズの特派員が「7万人}とし、現地に居合わせたドイツ人ビジネスマンが帰国してヒトラーに問われて答えた数が、それと同じ「7万人」であった。

  何れにしろ、この処女作で、アイリス・チャンのアメリカにおけるドキュメンタリー作家としての位置は確立した如くであった。それから数年、第二作が出版された。それは彼女の祖父の物語を中心にしていた。中国から移民としてアメリカにはいり種々の職域でアメリカの発展に貢献してきたにも拘らず、犬猫以下に扱われた男の苦労話である。

  この新著The Chinese in America (2003)はどのょうに迎えられたか。『タイム』の扱いは『レイプ・オヴ・ナンキン』の真逆であった。当時の中国についての記述が「めちゃくちゃだ」というのだ。アメリカの事情についても同様。「もっとしっかり歴史を学んでから出直せ」と厳しく批判した。この厳しい批評に耐えられなかったのでもあろうか、翌年聞こえてきたのは「彼女が自殺してしまった」というニュースであった。享年三十有六、生命を賭けるほどに、真剣勝負で臨んだのだと思えば、ひときわ哀れを催す。

  アイリス・チャンのことは、「歴史学に素人の失策」と微笑みで迎えてもいいことかもしれない。今月はひとまずこれで終わりにしよう。

  来月は、伊達や疎かにするわけにはいかないアメリカの有名校でおこった博士論文をめぐる問題をとりあげるつもりである。(2017・3・25記)

(三輪公忠=みわ・きみただ=上智大学名誉教授、元上智大学国際関係研究所所長)

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