三輪先生の国際関係論 ⑯歴史散策‐3 

 先月号で取り上げた二つの例は、アメリカの有名大学の場合であるが、博士論文審査の過程で見逃される例は、私が関知しているものに日本の有名大学の例がある。学位が授与された課程博士の論文で、中堅出版社から書籍として出版されている場合である。
審査した指導教授も出版社の編集者も見逃した「言語」の過ちである。アメリカのシオドア・ルーズベルト大統領の英文で書かれた信書が引用されているのだが、その翻訳が、おかしいのであった。謙譲語と尊敬語がごちゃごちゃに間違って使われているのである。「私が差し上げましたお手紙を拝見して頂けましたでしょうか」というように。
私自身が関わった研究で、第一級の史料集が収録している文書の中でも、わざわざ「信憑性あり」を示すマークを欄外余白部分に付けている文書を用いた論文で、それが後に「偽書」であると判明した経験をしている。他でもない、私にとっては大発見の大論文であり、「ペリーの『白旗』」という一大論争の一方の火付け役となったことは忘れようも無い大事件であった。

 もう一方の火付け役は松本健一であった。その事情は拙著『隠されたペリーの「白旗」-日米関係のイメージ論的・精神史的研究』(Sophia University Press, 1999 に詳しいのでここでは簡略にフォローするに止めるとしよう。それはこういう事である。東京帝国大学文化大学史料編纂掛編纂『大日本古文書・幕末外国関係文書之一』(1910年)の269‐270頁に「信憑性」ありの印を付して、英語文書の一部が以下のように示されていたのである。

 6月9日(?)米国使節ペリー書簡 我政府へ 白旗差出の件
〇町奉行書類ニハ、初メニ「亜美利加極内密書写」ト題ス 〇高麗環雑記ニハ・・・「艦ヲ退ケ和議可致旨申趣旨之和議二有之」トアリ

 続けてもう一つの翻訳文書では書簡と共に「白旗二流」が箱の中に収められていたと示されている。

 松本健一もこの文書に付された「信憑性」ありの印を信じて、ペリーの白旗に言及した論文「日米『次の一戦』はあるか」を『中央公論』1991年十一月号に発表していたのである。この論文に大きな衝撃を受けたのである。そのわけは、若くしてアメリカに二度までも留学して1950年代中期と60年代中期にジョウジタウン大学とプリンストン大学でそれぞれ、学士、修士と博士の学位を取得していたが、私が学んだアメリカ史のなかで、「ペリーの白旗」などということにはついぞお目にかかったことがなかったのである。
日本側の「第一級」の史料があるのに、アメリカ側には、調べてみても、その痕跡すらないのは一体どうした事か。私は早速電話してみた。相手はこの史料編纂所の元所長だった金井円さんである。金井さんは私と同じ旧制高校の先輩で、しかも同郷人である。ごく親しい研究者仲間であった。言下に金井先輩は「無論信憑性があります」といい、この文書が高麗環の手元に置かれた写し書きであるいわれにも触れてくれた。
オリジナルは江戸の大火で消失していたということだった。「史料編纂所の教授に採用された際に受けた試験ではまさにこの高麗環のことを習った」とさえコメントなさっていた。ここまで確かめても、私には何か胡散臭い感じが残っていた。だってそうではないか、アメリカ側には全くそんな気が発見できないからであった。
日本側でも不思議な現象があった、アメリカ批判の言論に使われてもよさそうなものを、実際使っている文書の筆者は歴史家には一人もいなくて、国際法専門家だけが、ペリーの「白旗」をひきあいに出すのであった。
しかし、ここに一つの驚嘆すべきケースがある。新渡戸稲造の場合である。それは彼にとっては英語でも日本語でも出版された書籍としては、全く第1号に当たるジョンズホプキンス大学の出版局から出されたHistory of Intercourse between Japan and the United States of Americaであった。彼は白旗が事実として記載されている文書を引用しながら、それをペリーが幕府に届けた白旗としてではなく、我が日本国の軍旗が海外で占領地にはためいたもの、に置き換えてしまっているのである。

 それは、この著書の前書きでわざわざ断っているように、日本と個人としての新渡戸自身がアメリカとアメリカ人に対して自覚していなければならない恩義に報いるために書かれたためであった。アメリカの名誉を守ろうとして、このような歴史の歪曲になったのである。
「恩義に報いるため」 として書かれたれ歴史が、結果として「虚偽の歴史」になったのが、日本で最もよく知られた国際人であり、教育者としては、第一高等学校、東京帝国大学で次代の日本を背負った指導者を多数送り出した人物の所業であったことを知って、真底、驚嘆した。

 この驚くべき事実を、彼の薫陶を受けた学者知識人が一言も明かさず世を去ってしまったことに、日本の学界もジャーナリズムも黙過してきたことに、戦慄を覚えた。日本の知的空間にはこのような大きなブラックホールがあるのだ、と。

(三輪公忠=みわ・きみただ=上智大学名誉教授、元上智大学国際関係研究所所長)

このエントリーをはてなブックマークに追加