三輪先生の国際関係論⑩「軍事史」の無い日本の大学教育と「失敗の本質」論の流行

 

 大学の教養科目の中に「歴史」は含まれているだろうが、「軍事史」は無いのが普通だろう。日本の場合のことである。しかし私の限られた経験から言うと、アメリカでは当たり前のように思われる。ひょっとすると、大学院に限られたことかもしれないが。

 いずれにしろ、独断のきらいがあるのを承知で、あえて言えば、「失敗の本質」とか、先の戦争に敗北を喫したその原因究明から歴史的教訓を学び取り、現代社会に活かそうとする一つの流行現象の由来の一因は、大学の学部レベルで、普通の事のように「軍事史」が提供されていない為ではないか、と思考するのだが、どうだろう。

 学界には、日本軍事史学会が、でんとして存在している。日本学術会議のメンバーでもあるだろう。かって私が日本カナダ学会の会長を務めていた時、なにかの機会に日本カナダ学会が日本学術会議のメンバーから外れてしまっていることに気付き、登録の復活手続きをしたことがある。

 記憶をたどれば、上智大学の教員として駆け出しの頃、日本国際政治学会の年次大会で知り合ったばかりの三宅正樹さんから、日本軍事史学会の『軍事史学』に論文を寄稿するよう依頼され、「シベリア出兵」時の日米の利害の衝突について書いたことがあった。(ロシアではこれを「ロシア革命干渉戦争」と呼んでいるのだが。)

 しかし、上智大学の史学科に独立した学科目としての「軍事史」はなかった。誰もそれを不満としたり不思議とする様子はなかったようである。当時、私は外国語学部英語学科の専任教員であったから、史学科の事情に通じていたわけではないが。

 そんなわけで、真珠湾攻撃で始まった戦争に、日本が敗北した根本原因から歴史的教訓を得ようとする、出版界や言論界の一種の流行は、起こるべくして起こったとはいえ、なにか戦後日本に独特な「知的怠慢」のように思われるのである。

(三輪公忠=みわ・きみただ=上智大学名誉教授、元上智大学国際関係研究所所長)

 

 

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