2021年03月16日
(2021.3.16 カトリック東京教区)
バンコクのカトリックニュースサイトLICAS・NEWS(LIGHT of CATHOLICS in ASIA)のYouTubeチャンネルに投稿されたヤンゴン大司教チャールズ・マウン・ボ枢機卿のメッセージ動画に日本語字幕を付けたバージョンをご紹介いたします。
2月に国軍がクーデターを実行したミャンマーでは、軍政に反対する民衆のデモが弾圧され、多くの死傷者が出ていると報道されています。ミャンマー最大の都市ヤンゴンから対話、正義、そして平和を訴え続けるボ枢機卿のメッセージに耳を傾けていただければ幸いです。
(メッセージ全訳)
親愛なる兄弟姉妹の皆さん 皆さんに神の祝福がありますように。
始めに、ミャンマーのために祈ってくださっていることに心から感謝します。
昨日は年に一度の「ミャンマーのための世界祈願日」でした。そして今日、CSW(世界キリスト教連帯)の友人たちが、人々が集まってミャンマーの人々のことを考え、祈るためにこの行事を企画しました。時差の関係で、私は皆さんとご一緒できませんが、このようなメッセージを送る機会を与えてくださったことに大変感謝しています。
今日のミャンマーは、暗闇と流血、そして抑圧の新たな段階を迎えています。多くの課題や嵐、雲の中を歩む道のりであった改革と開放の10年を経て、私たちはこの美しい国に昇り始めた太陽と、民主主義、自由、平和、正義の新たな夜明けへの展望を、それがたとえ脆く、風に舞うようなものであったとしても、垣間見ることができたと思っていました。
今日、私たちの10年間はリセットされ、軍事的抑圧、無慈悲、暴力、独裁の悪夢に引き戻されています。
2月1日のクーデター以来、毎日デモに参加する何千人もの人々の姿を通じて、私たちは国民の驚くべき勇気、献身、創造性を目の当たりにしてきました。彼らは、自ら苦労して勝ち取った民主主義と自由、そして平和への希望が奪われることは許さないという決意を示したのです。
それは、民族や宗教の異なる人々が同じ目的のために集まり、一体感と連帯感、そして多様性を示す美しい光景でした。しかし、それには銃弾、殴打、流血、そして悲しみが伴いました。多くの人が通りで殺され、傷つけられました。そして、何千人もの人々が逮捕され、行方不明になりました。
また、私たちの国家では、数年前に(民族間の)停戦協定が結ばれた場所を含め、軍が再び民間人を攻撃し、何千人もの人々が避難し、以前から存在していた人道的危機が、さらに深刻化しています。
しかし、このような暗い暗い時代にあっても、私たちに呼びかける主の声が聞こえます。教会が証人となり、正義と平和と和解の道具となり、主の手と足となって貧しい人々や恐れている人々を助け、愛をもって憎しみに対抗するようにと。
今日、世界中のカトリック教会のミサで第一朗読として読まれるイザヤ書65章17-21節の中にその声が聞こえます。主はこう言われます。
「見よ、私は新しい天と新しい地を創造する。初めからのことを思い起こす者はない。それは誰の心にも上ることはない。
代々とこしえに喜び楽しみ、喜び躍れ。私は創造する。見よ、私はエルサレムを喜び躍るものとして その民を喜び楽しむものとして、創造する。
私はエルサレムを喜びとし 私の民を楽しみとする。泣く声、叫ぶ声は、再びその中に響くことがない。
そこには、もはや若死にする者も 年老いて長寿を満たさない者もなくなる。百歳で死ぬ者は若者とされ 百歳に達しない者は呪われた者とされる。
彼らは家を建てて住み ぶどうを植えてその実を食べる」
今日読まれる詩編30章の冒頭にはこのように書かれています。
「主よ、あなたをあがめます。あなたは敵を喜ばせることなく 私を引き上げてくださいました」
今日のヨハネ福音書は、イエスがガリラヤのカナで王の役人と出会い、この人が病気の息子を癒やしてくださるようにイエスに頼む話を語っています。イエスは彼に言います。「帰りなさい。あなたの息子は生きる」
この3つの箇所の中に、私たちは、私たちの信仰の中心である希望のメッセージを聞きとることができます。私たちミャンマーの教会は、そのメッセージを受け止めましょう。この悲劇の中から新しいミャンマーが生まれるための働きを祈りましょう。
すべての人間が平等な地位と、基本的な自由に対する平等な権利を持っているミャンマー。
民族や宗教の多様性が謳われ、真の平和を享受できるミャンマー。
兵士たちが銃を捨てて権力を手放し、国民を攻撃するのではなく守るために軍隊が存在するミャンマー。
今日の福音書で、瀕死の息子の父親にイエスが言ったように、神から「あなたの息子は生きる」と言われたミャンマー。
灰の中から再び甦るミャンマー。