カトリック東京大司教区が新宣教司牧方針発表

(2020.12.30カトリック・あい)

 東京大司教区が29日、二年にわたって信徒たちの意見などを聴いて準備して来た新宣教司牧方針を発表した。基本理念を説明したうえで、「宣教する共同体」、「交わりの共同体」、「すべてのいのちを大切にする共同体」が宣教司牧方針の三本の柱を立て、それぞれについて具体的な提案を行っている。

【東京大司教区・宣教司牧方針】

 

はじめに  菊地功・東京大司教

「多様性における一致」というモットーを掲げ、東京大司教区の教区司教として着座してすでに 3 年が過ぎました。この間、東京大司教区の信徒の皆さんと共に道を歩んでこられたことに感謝いたします。とりわけ、今年、2020 年は新型コロナウイルス感染症拡大のため、社会も教会も大きな影響を受けました。東京大司教区の宣教司牧方針に向けた小教区、修道会、活動団体からの意見の取りまとめにもその影響が及んだことは大きな打撃でもありましたが、この機会に、教会のありようについてわたしなりに理解を深められたのは神からの恵みであったと思っています。

 これまでの歩みを踏まえて、さらには社会の現状を考慮して、このたび東京大司教区の宣教司牧方針を策定いたしましたので皆さんにお届けいたします。これは、わたしたちの教区のこれからの歩みを方向づける指針となりますので、この宣教司牧方針を身近な方々と分かちあい、学びあうことをお勧めします。このようにして宣教司牧方針が、皆さんの信仰生活にとって大切なものとなることを期待します。

 

宣教司牧方針へのまねき

 

◉◉わたしたちの責務◉◉

 現代社会は大きく変化しています。日本の社会も変わりつつあります。人々の暮らしもかつてと比べると様変わりしました。変化するこの世にあって、わたしたちの教会は主イエス・キリストの福音を伝える責務を担っています。また、社会の中で意識せずとも福音的な価値観で生きている方々との出会いを重ね、喜びを分かち合っていく義務もあります。

 

◉◉今の時代を概観して◉◉

 「交わり」の喪失

 現代社会は「交わり」を欠きつつある社会です。個人の幸せが追求されるあまり、排他的な社会となりました。その結果、社会的な弱者が生まれました。障がいをもった方々、外国籍の勤労者といった人々は「交わり」から排除されつつあります。多くの人々が貧しさの中であえいでいます。とりわけ、子どもたちと高齢者の貧困は大きな問題と言えるでしょう。さらに、わたしたちが生きていく上での「共通なもの」を失いつつあります。地域の人のつながり、信頼のうえに成り立つ小共同体、家族の間に生まれる愛の関係は希薄になりつつあります。多くの人々が孤独と寂しさの中で生きています。

多様化する社会

 個人の幸せが求められる社会でありながらも、その一方で社会は多様化しています。性、言語、文化、習慣、伝統の違いが多様な生き方、多様な暮らし方を求めていきます。自分とは違う隣人、自分とは異なる考えの人とどのように共に生きていくのかがこれほど求められている時代はいまだかつてあったでしょうか ?

地球環境の危機

 大地や海、天候や動植物といった人類にとって大切な「共通なもの」が汚され、変化し、場合によっては消滅しつつあります。「見よ、それは極めて良かった」(創1 章 31 節)と、神はよいものとして被造界をお造りになりました。神が創造されたものを、人間の手で消滅させてはなりません。

 

◉◉教会の取り組み◉◉

 多くの人々がわたしたちカトリック教会に期待をしているのではないかと思います。小教区共同体には司祭がいる、聖堂が日中は開いていて自由に出入りできる、日曜日には祈る人々が集っているというわたしたちの日常の姿は、「交わり」を欠きつつあるこの社会に対してのアピールとなりますし、人々もカトリック教会には何かがあると期待しているのだと思います。そ
れは、恐らくわたしたちの教会の中に「交わり」があるからです。60 年前、第二バチカン公会議は「教会とは、神との親密な交わりと全人類一致のしるし、道具である」(『教会憲章』1 参照)と教会を規定しました。

 教会において人は神と出会い、神との「交わり」の体験をするのです。出会いと「交わり」は一致へと向かいます。教会にこそ多様な立場を乗り越えたところの一致が生まれるはずです。教会には「交わり」の神秘が存在するのです。

 ナザレのイエスは、父から託された使命を果たすにあたって 12 人の弟子を召し出し、宣教活動の協力者とされました。12 人の顔ぶれは多様性に満ちています。使徒言行録 6 章には、この 12 人が 7 人の協力者を選び出すエピソードが描かれていますが、この 7 人の協力者の顔ぶれも興味深いものです。イエスの中には異なるものを一つに集める意図がありました。キリスト者はここにイエスが教会に託された役割を感じ取る必要があります。

 教皇フランシスコは、回勅『ラウダート・シ』において「わたしたちが経験している環境上の課題とその人間的な根源は、わたしたち皆に関係し、影響を及ぼすものであるゆえに、あらゆる人を含む検討が必要です」(14)と訴えています。

 地球環境の危機は現代社会のゆがみの反映でもあり、すべての被造物の生活の基盤が脅かされている状況は、神の創造に対する人間のおごりでもあります。人間のエゴイズムで他の被造物を苦しめてはならないのです。また、地球環境をこれ以上悪化させてはならないのです。「みことば」に基づく生活、おカネやモノではなく神に基盤をおく生活が求められています。とても大きな課題ではありますが、キリスト者以外の方々との協力の始まりとなりうるものでもあります。

◉◉宣教司牧方針に対する共通の認識◉◉

 今回、宣教司牧方針を策定するにあたって、わたしは教皇ベネディクト十六世のことばに力をいただきました。「教会の本質は三つの務めによって表されます。神のことばを告げ知らせること、秘跡を祝うこと、愛の奉仕を行うこと」(回勅『神は愛』 25 参照)。三つの務めは互いに関係しあいます。神のことばを告げ知らせる宣教の前提に秘跡を祝う共同体がなければなりません。秘跡を祝う共同体は愛の奉仕へと突き動かされていきます。愛の奉仕は、主イエス・キリストの生き方を実践することなのです。ですから、この三つの務めをわたしたちの教会がないがしろにしてはならないのです。この三つの務めを行うために、「宣教する共同体」、「交わりの共同体」、「すべてのいのちを大切にする共同体」を造ってまいりましょう。

 この宣教司牧方針を発布するにあたって、皆さんと共通の認識を持ちたいと願っています。まず、共同体についてです。東京大司教区内には数多くの信仰の共同体がすでに存在しています。一番の基礎となるのは「小教区共同体」です。しかし、それ以外にも修道会などによる「信仰共同体」も存在します。宣教司牧方針が関連する範囲は教区内にあるすべての「小教区共
同体」と「信仰共同体」です。

 第二に東京大司教区を構成する人々を考えてみましょう。司教がいます。司教のもとにある司祭団がいます。司祭団のメンバーは教区内にいる教区司教から認められた司祭たちです。各種男女の修道会があります。そして信徒の皆さんがいます。これらが有機的に結び合わされて教区を構成しています。一つでも欠けてしまったら教区となりませんし、司教と司祭団との結びつきがない団体なり個人は教区の構成員とは呼べないのです。

 第三に愛の奉仕について眺めてみると、様々な愛の奉仕がすでに実践されていますが、修道会などが行う各種事業体と信徒などが中心におこなうボランティア活動があります。小教区共同体での活動も愛の奉仕と呼べます。信徒が個人で人々と共に行うボランティア活動も信徒による愛の奉仕の一環と見なすことができるでしょう。

 

【実施をめざして】

 

 前述の通り、「宣教する共同体」、「交わりの共同体」、「すべてのいのちを大切にする共同体」が宣教司牧方針の三本の大切な柱となります。このなかで呼びかけのことば(〜しましょう)で結ばれている文章は、教区内のすべての皆さん(司祭、修道者、信徒)へのお願いです。断定のことば(〜します)で結ばれている文章は司教であるわたしと、教区全体の決意と努力目標です。つまり、この宣教司牧方針は東京大司教区を構成するすべての人々と諸機関に向けられたものです。そして、今後 10 年を目途に実施のための取り組みを行い、10 年後に評価と反省を試みて、教会のさらなる発展に寄与していきたいと考えています。

 

三つの柱 ①宣教する共同体 ②交わりの共同体 ③すべてのいのちを大切にする共同体

 「わたしはいつもあなたがたと共にいる」(『マタイによる福音書』28 章 20 節)。弟子たちを派遣なさった主イエス・キリストのことばに信頼をおきましょう。これは、主の約束のことばであり、高波の中で漕ぎ悩むわたしたちの教会を力づけるいのちのことばでもあります。

 東京大司教区の宣教司牧方針の三つの柱、①「宣教する共同体をめざして」、②「交わりの共同体をめざして」、③「すべてのいのちを大切にする共同体をめざして」は変動するこの世にあって、わたしたちがこころを合わせて向かっていく方向を示しています。そして、その三つの柱は互いに関連しあっています。

 「宣教する共同体」は「義人アベルから最後に選ばれた人に至るまで」ご自分のもとへと集めようとなさる天の御父の救いの想いを反映しています(『教会憲章』2 項参照)。 「交わりの共同体」は神と人、人と人の和解のために十字架へとつけられた御子の生きる姿を映し出します。「すべてのいのちを大切する共同体」は「主であり、いのちの与え主」(『ニケア・コンスタンチノープル信条』参照)である聖霊の働きによって成立します。ですから、この宣教司牧方針は三位一体の神のお姿をこの世にあらわしていくものなのです。

 

①宣教する共同体をめざして

 信仰の共同体は神の国の福音をこの世に伝えるためにあります。教会もまた、宣教を目指す存在です。現在、東京大司教区には 70 を超える小教区共同体が存在します。また、各修道会の共同体も多数存在します。これらの信仰共同体があるということは、地域の人々に、社会に、そしてこの世に対しての宣教の基盤がすでに存在していることになります。今あるものを十分に生かしながら、また場合によっては宣教の拠点を新たに設けながら、主イエス・キリストの福音をさらに伝えていきましょう。

 みことば : 全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい(『マルコによる福音書』16 章 15 節)。

 すべての被造物へと向けた福音宣教であることに注目してください。宣教する共同体はキリスト者を増やすことだけが目的ではありません。すべての被造物が神の恵みの中に生きることを目指します。すべての被造物が主イエス・キリストの救いのわざにあずかり、天の御父のもとに秩序づけられ、お互いに深い関わりの中にあるようになったら神の国は完成を迎えるでしょう。神の国の完成を目指して、わたしたちは福音を伝えていくのです。

*取り組み

 宣教司牧評議会の活性化:宣教司牧評議会を通じて、司教、司祭、修道者、信徒が、それぞれの多様性を認めつつ、東京大司教区として一致していくよう取り組みます。

 司祭団のより堅固な結びつき:東京大司教区では多様な司祭たちが宣教と司牧の務めに従事しています。主キリストと共にある司祭たちは教区司教を中心に強い結びつきを築くように努力します。

 また、小教区共同体における司祭と信徒との関わりを明確にするために「小教区運営に関する規約基本要綱」を作成し、実行します。

 宣教協力体の再編成:すでに東京大司教区では宣教協力体を構築し、近隣の信仰共同体が協力しあう体制を実施してきました。もう一度、宣教協力体の意義と目的を明確にして、現状に見あった宣教協力体へと再編成していきます。

 「愛の奉仕」のネットワーク化:福音宣教は人々に仕えるという「愛の奉仕」を通じても実現されます。これまでも教区と各信仰共同体が愛のわざを実践してきました。それぞれの活動をさらに豊かにしていくために以下のような取り組みを行います。

 教区カリタスの創設:これまでも教区で、小教区共同体、その他の信仰共同体は様々な「愛の奉仕」を実践してきました。特にCTIC を中心とした外国籍の方々への関わりには大きな実りがあったと思います。一人ひとりの働きは小さくとも教区単位でまとまれば大きな実りとなります。様々な愛の奉仕を結び合わせ、教区が愛の奉仕の実施主体となるために教区カリタスを創設します。

 修道会協議会の設立:各種男女の修道会は高齢化と人員不足に悩んでいます。それでも、修道会が示す「愛の奉仕」のミッションは大きな影響を教会と社会にもたらします。東京大司教区内の修道会が連携するような修道会協議会の設立に着手します。

 ミャンマーの人々と共に:東京大司教区はミャンマーの教会の人々への援助をしてきました。それはかつてわたしたちの教区が同じ敗戦国のドイツから援助をいただいたお返しでもあります。今後も援助は続けていきますし、教区の皆さんはミャンマーの兄弟姉妹のことを忘れないでください。

 諸施設へのチャプレンの派遣:制度上の壁もあり、教会が実施している各種の「愛の奉仕」や学校事業に対しては、積極的に関わることが難しいのが現状です。しかしながら、イエスの愛のこころを人々に伝えるために諸施設等にチャプレン(宗教担当者)を派遣することを模索します。

 

②交わりの共同体をめざして

 三位一体の神は「交わり」の神です。教会の本質は「交わり」です。信仰の共同体の中に生じる「交わり」は父と子と聖霊の交わりの神の写し絵です。「交わり」を造りあげ、それを豊かにしてくれるのがわたしたちの共同体でそれぞれに執り行われる典礼です。多様化した社会にあって、多くの人をわたしたちの「交わり」へと招き入れることができるようにしていきましょう。「交わり」の中でこそ、信仰は育まれ、救いと喜びが訪れるのです。

 みことば : 彼らは大喜びでエルサレムに帰り、絶えず神殿の境内にいて、神をほめたたえていた(『ルカによる福音書』24 章 52-53 節参照)。

 ルカ福音書には賛美する人々の姿、共に喜ぶ人々の姿がしばしば登場します。わたしたちの信仰は「賛美」と「喜び」に彩られています。そのどちらも人間の想いで始まったのではありません。天上の教会では主イエス・キリストを中心に聖母マリア、諸天使、諸聖人、そして地上のいのちを終えたすべての被造物が天の御父を「賛美」し、「喜び」に満たされています。その「賛美」と「喜び」の声に合わせて地上の教会のわたしたちも神を「賛美」し、いのちの「喜び」を共同体と共に表すのです。

 典礼と祈りは「賛美」と「喜び」の時であり場面です。共同体の行為です。ともすると個人的な信仰と信心に陥りがちなわたしたちにとって共に「賛美」し、共に「喜び」合う共同体の姿は交わりの共同体の理想となります。

*取り組み

 より豊かな典礼と祈り:教区典礼委員会を拡充し、教区全体で典礼の豊かな体験を目指していきましょう。近年、病気や高齢、勤労を理由に小教区共同体の典礼に集えない方々が増えています。このような方々への配慮を大切にしましょう。数々の霊性運動体については教区と教区司教の指導に従ってください。個人的な信仰や信心ではなく、「交わり」を大切にする信仰へと深まっていきましょう。

 信徒の生涯養成:信仰を深める機会を多く造りましょう。とりわけ新しく洗礼を受けた方々へのフォローアップはぜひ必要です。

 教区カテキスタ制度:すでに教区カテキスタ制度は実施され、少しずつ実りが生まれています。さらに充実させましょう。

 外国籍の信徒への司牧:東京大司教区内には多くの外国籍の信徒がいます。その子どもたちもいます。彼らの住む地域にある小教区共同体との交わりを豊かにするようにしましょう。

 社会的弱者、社会的マイノリティーとの連携:社会の変化は、より弱くされた人々を生み出します。多様化する社会の中で多くの人々を受け入れる小教区共同体となりましょう。

 経済問題の解決:それぞれの信仰の共同体が自分たちの将来を見すえて、責任ある財貨の管理を行ってください。教区としては「経済問題評議会」の助言を受けながら責任ある資産の運用管理に努めていきます。

 また、信徒の皆さんのおかげで司祭たちの生活は支えられています。これまでの皆さんのご協力に感謝します。今後は、特に高齢を迎えて第一線を退いた司祭たちのことも心に留めてください。

 

③すべてのいのちを大切にする共同体をめざして

 社会の多様化の中で、より小さないのち、より弱いいのちがないがしろにされつつあります。神からいただいたいのちを大切にし、それぞれのいのちを尊重しあう共同体をめざしましょう。

みことば :「貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいる」(『ヨハネによる福音書』12 章 8 節)。

 エルサレムに入城する前のベタニアでの出来事で、主イエス・キリストはこのようにおっしゃいました。社会の多様化と変化は貧困を生み出しています。教会は人生に成功した者のためだけにあるのではありません。苦しみ、哀しみ、痛みを抱えた人々が兄弟姉妹となっていく共同体です。貧しい人々の教会です。わたしたちは社会の中で人生を一度に変えてしまうような出来事に直面していきます。多くの人々もそんな出来事に押しつぶされそうになっています。苦しむ人、悲しむ人、貧しい人々と兄弟姉妹となる共同体となっていきましょう。

*取り組み

 パンデミックへの対応:新型コロナウイルス感染症の拡大は、わたしたちの社会、教会、家庭に大きな影響を与えました。今後、このようなパンデミック(感染爆発)に対して、教区と教区司教主導で取り組んでいきます。

 大規模災害への備え:東日本大震災から 10 年を迎え、教区内に災害対応チームを設立しました。地域の人々と共に災害への備えに取り組みましょう。

 正義と平和そして環境保全への取り組み:正義と平和の実現は、すべてのキリスト者に神から与えられた使命です。特定の人々とグループだけに任せるのではなく、それぞれの小教区共同体、信仰共同体で自分たちの実状にあった正義と平和、そしてエコロジーへの取り組みを模索してください。

 

おわりに

 聖母マリアへの祈り

 最後に、新しい宣教司牧方針に基づいて行動するにあたって、わたしたちの母であり、教会の母である聖母マリアへ祈りをささげましょう。聖母マリアが備えている正義と優しさ、観想と他者へと向かう歩みは、福音を宣教する教会の模範となります。「マリアに願います。母としての祈りを通して、わたしたちを助けてください。教会が多くの人の家となり、すべての民の母となって、新しい世界を誕生させることができますように」(教皇フランシスコ、使徒的勧告『福音の喜び』288 項)。

聖なるおとめマリアよ、あなたは聖霊に促され、いのちのことばをその謙虚な信仰の奥底に受け入れ、永遠なるかたにご自分を完全にゆだねられました。

 わたしたちも「はい」といえるように助けてください。わたしたちに今、復活した者としての新しい熱意を与えてください。

 死に打ち勝ついのちの福音をすべての人にもたらすために。わたしたちに新たな道を探す真の勇気を与えてください。消えることのない美の恵みをすべての人に届けるために。

 愛の母、永遠に続く婚姻の宴の花嫁であるマリアよ、どうか教会のために執り成してください。

 教会が決して自己に閉じこもることなく、歩みを止める新しい福音宣教の星であるマリアよ、交わり、奉仕、熱く惜しみない信仰、正義、貧しい者への愛、こういったあかしをもって教会が輝くことができるよう助けてください。

 いのちをもたらす福音の母よ、小さき者の喜びの泉よ、わたしたちのために祈ってください。

 あなたはいつもわたしたちと共に歩んでくださいます。わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

(教皇フランシスコ、使徒的勧告『福音の喜び』より、一部変更)

 

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2020年12月30日