・「教会は、虐待や暴力に苦しむ人の側に立つ」FABC50周年記念総会・ボー会長が閉幕あいさつ

(2022.10.30 カトリック・あい)

 バンコクで10月12日から開かれていたアジア司教協議会連盟(FABC)の50周年記念総会の30日の閉幕にあたって、ボーFABC会長が以下のようにあいさつした。FABC Mediaが伝えた全文以下の通り。

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 私たちの慈悲深い神に感謝の言葉を共に捧げることは、私の幸せな務めです。

 教皇が言及されたように、聖パウロ六世教皇は、アジアで、運命論から人間にふさわしい生活へと、目覚めようとしている貧しい人々の大陸に出会われました。当時のアジアはまた、社会における自分たちの正当な役割に目覚めつつある若者の大陸でもありました。そして、アジアは常に、国々の兄弟的コミュニティ共同体の構築に献身する、古くからの信仰と多様な文化の生まれ故郷でありました。

 ですから、アジアの教会は、自分たちが貧しい人々の教会、若者の教会、対話する教会となるよう召されていることに気づかすにはいられませんでした。私たちは、貧しい人々、様々な文化との対話に携わる一方で、”沈黙の教会”の兄弟姉妹たちのことを悲しみをもって知り、連帯して祈っていました。彼らは、キリストがなさったように十字架を担うことで、抑圧されることが少ない地域に住む渡した死の誰よりも、雄弁に語りました。

 それから50年たち、私たちは貧しい人々の叫びを地球の叫びから切り離すことはできないことに気づいています。したがって、貧しい人々の教会は、被造物と調和した教会にもならねばなりません。先住民コミュニティの兄弟姉妹の知恵に耳を傾け、抑圧された人々の声が私たちの姉妹である母なる大地の声になるようにせねばなりません。

 「へりくだった人々は、幸いである。その人たちは受け継ぐ」(マタイ福音書5章5節)ー 私たちの祖先が荒々しい海に勇敢に立ち向かい、山を征服して新たな居住地を捜し、見つけたのと同じように、50年たった今、若者たちがワールドワイドウェブに住んでいることに気づきました。彼らのおかげで、イエスはすでにウェブ上におられます。”住まい”を変容させ、コミュニティを構築しています。若者たちの教会は、ウェブの新しいフロンティアを泳ぎ、ナビゲートする教会になりました。私たちは、デジタル大陸で直面する多くの危険を認識したうえで、喜々として次のように確認しますー「心の清い人は幸いである。その人たちは神を見る」(同5章8節)。

 50 年たった今、対話が、ますます分断され暴力的な紛争が起こりやすい世界に関わるだけでなく、欠くことのできないものになっていることに、私たちは気付きました。対話する教会は、一層、「橋を架ける教会」にならねばなりません。私たちはイエスと共に、「平和を作る人々は、幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる」(同5章9節)と宣言します。

 50年たった今、信教の自由のための空間が当然のもの、とは見なされ得ないことに、私たちは気付きました。自由は、時には額の汗、殉教者の血によってなされた贖罪によって買い取らねばならないのです。”沈黙の教会”と共に、私たちは神の祝福を願います。私たちは、虐待や暴力に苦しむ人々の側に立ちます。私たちは、子供、女性、移民、難民にとって安全な世界を目指して活動するとともに、次のように祈りますー「義に飢え渇く人々は、幸いである。その人たちは満たされる 」(同5章6節)。”沈黙の教会”は贖いと希望の教会でもあるのです。

 親愛なる友人の皆様、この総会のために時間を割いていただき、ありがとうございます。タイの素晴らしい人々へ、私たちを快く受け入れてくれてありがとう。タイの教会へ,あなたの明るい証しとおもてなしに感謝します。この総会が実り多いものになるように働き、祈ってくれたすべての人に感謝します。神があなたのすべての祈りを聴いてくださいますように。神があなたに健康、繁栄、平和を与えてくださいますように。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二=聖書の引用の日本語訳は「聖書協会・共同訳」を使用)

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2022年10月30日