・新疆ウイグル自治区での組織的性的虐待を国外脱出のウイグル女性が告発(BW)

*中国政府・共産党が新疆ウイグル自治区で進める「男女がペアとなって、家族を作る」計画

Qelbinur Sidik. She does not show her face for security reasons.

 *欧州に脱出できたが今も性的虐待のトラウマに苦しむ

*ウイグル族の彼女が体験させられた悲劇とは

 そして、ケルビヌルは、彼女の体験を少しづつ話し始めた。昨日のことのように、記憶がよみがえって来た。陳が自治区の統治の座に就くと、多面的な写真を加工した絵のようなドラマが、全域で始まった。変化は気が付かないうちに起きた。ある人が突然、姿を見せなくなり、一週間後の集会に再び姿をみせ、自白文を暗唱する… 「彼は学習に出かけていたのだ」-人々は、やる気がなさそうな動作で中国国旗を掲揚する息子や知人を見ながら、初めのうちは冗談めかして語っていたようだ。

 だが、陳のやり方は次第に陰湿になり、”学習”にでかけた人々の”滞在期間”は長くなり、無料の健康診断の勧めが執拗さを増し、有刺鉄線がさらに威嚇的になり、南京錠がかけられ手封印された空き家が不気味な日常風景になっていった。

 筆記版と名札を下げた役人の集団が団地を歩き回り、胡散臭い連中が斧の柄、警棒、そして中世風のスパイクや槍の穂先がついた長い棒を振り回しながら通りを行進した。他の者は赤い小旗を持って街角に立った。人々は、新疆ウイグル自治区は”戦時体制”にあるのだ、と告げられたー警戒態勢をとらねばならない、と。

 人々がはっきりと気付かないようにして作られていった陳の新体制の中で、「男女がペアとなって家族を作る」計画が実行に移された。すでに、何百万の監視カメラ、顔や音声、歩行の認識システム、空港の保安システム、IDカードの点検装置などを随所に配置し、携帯電話のアプリまで使って住民を監視するだけでは不十分、との判断からか、内部、つまり家庭内から監視することにした。漢族がウイグル族の人々の家庭生活に入り込み、一緒に暮らし、床を共にし、学習することで、人々のあらゆる動きと考えを常に監視する、というわけだ。

*ウイグル族による”3悪阻止”が狙いというが…実は漢族への民族同化

 計画実行のために漢族の”候補生”100万人が動員された。例年5月1日のメーデーの祝日は、新疆ウイグル自治区では既に「民族統一の日」のスタイルに変更されていたが、2016年には、共に食べ、踊り、調理する「民族間活動の日」と合体された。政府職員は、「分離主義」「過激主義」「テロリズム」の「3つの悪の勢力」による妨害活動を阻止することを目的として、現地の住民たちと男女のペアを組む計画を始めた。

 2017年5月、政府は「五個一組」と題した、一週間にわたる「民族間活動の日」の記念計画を発表した。ケルビヌルによると、これは「一緒に暮らす」「一緒に料理をする」「一緒に食事をする」「一緒に学習する」「一緒に寝る」の五つを、地方政府が指名した漢族の者と共にする、というもの。「ウイグル族の女性たちは漢族の幹部候補生と”親戚関係”になり、男性たちは漢族の女性と”親戚関係”にならねばなりませんでした」とケルビヌルは説明した。

 そして「最初は、3か月ごとに1週間は一緒に住まねばならない、と言われ、すぐに毎月に1週間、共に住むことが強制されました… これは私にとって衝撃でした。一緒に仕事をしたり、勉強したり、食事をしたりするのはともかくとして、なぜ一緒に暮らし、床を共にしなければならないのか、と」。その時、彼女は、これは民族同化が狙いだ、と気付いたが、「私たちには、これを受け入れるしか選択肢はなかった。反対することは認められなかったのです」と振り返った。

 中国政府・共産党は北京は2017年12月、「民族間活動の日」を「民族統一週間」に改名する爆弾発表によって、彼女の危惧した”民族同化”の意図を確認し、”姻戚計画”を、100万人の”幹部候補生”を動員して、強制的にウイグル族の人々を彼ら、彼女らと男女ペアにし、親戚関係を結ばせる計画に改めた。ウイグル族の人々は、漢族の来訪者を受け入れねばならず、抵抗すれば”破壊的行為”と見なされることになった。

*共産党機関紙の系列紙は、美談に仕立て上げているが、

 このようなケルビヌルの説明は、中国共産党の機関紙・人民日報の系列紙である環球時報の説明とは大きく異なる。環球時報によれば、異なった民族集団の人々が「民族統一の活動を通じて、党と政府の温かさ」を感じ、住民たちは”招かざる客”を歓迎しようと、四人の”親戚”が家に来る前に部屋を掃除し、暖房機を準備した、ある住民は四人の政府職員のために、新しい電源ソケットをセットし、トイレの外に新品の巻紙を準備した、という。そして、「”親戚”が訪問すると聞いた多くの住民は、自宅を清掃し、布団を用意し、料理を作った。ある者は”涙を流し”、職員たちに去ってほしくない、とまで言った」と書いている。

 だが、ケルビヌルのケースは、これとは全く違う。彼女の夫の56歳になる上司とその妻が、彼女たち夫婦の”親戚”になった。その上司は、一児の父で、初めは妻と一緒に家に来たが、次からは、ケルビヌルに負担を賭けたくない、という理由で、妻は家に来なくなった。だが、一人で来るようになったのは、彼女のベッドに入り込むのが狙いだった。下品な言葉を彼女に浴びせ、キスをし、ベッドに入って温めたい、という上司の要求に、職を失うか、最悪の場合、収容所に入れられるのを恐れた夫は抵抗しなかった。ケルビヌルは、夫の上司である男の気分を害さないようにして、必死に逆らった。

*性的虐待のし放題に夫も抵抗できず…

 彼女は、自分を守るために何もしてくれなかったことで、夫に抗議し、「もし自分が”親戚”と寝床を一緒にさせられたら、彼を殺す」とまで言った。だが、言い争っている姿を、その漢族の男に見られて、夫との喧嘩かを中断し、笑顔を取り繕い、本物の”親戚”がするような彼女に対する振る舞いを許し続けざるをえなかった。「彼は”親戚”なので、私にキスをし、抱きしめ、隣に座ることはできますし… それについては何もできません」。

 そして、息が詰まるような数週間。男は夫の前で彼女の顔を撫で回し、ウイグル料理とウイグル女性をどれだけ愛したかを話した。彼は夫に、「お前は標準中国語が下手だから、俺とお前の妻も会話を良く聴け」と命令し、ケルビヌルを台所で二人でいられるように、料理の仕方やナイフと中華鍋の使い方を教えるように彼女に要求した。そして「私が料理をしている間、彼はパンツを脱いで私に性的嫌がらせをし、夫から離れた機会を利用して彼女を抱きしめ、彼女の手をつかんだ」という。「もし私がそうした行為を拒めば、男は自分を好かない、と非難したでしょう… 彼のために踊るように、一緒に居るように強要し、時には自分の部屋で寝るように求めました。夫がいないと、男はひどく好色な態度を見せましたが、私はなんとかやり過ごしました」。

 男は、政治、宗教、そして共産党に関する考えや意見を、巧妙に引き出そうとし、 「私たちがイスラム教徒なのか、祈ることがあるのか、直接尋ねることはありませんでしたが、気を許すことはできず、私たちはイスラム教徒であることも祈ることも、すべてを否定しなければなりませんでした」。イスラム教では豚肉を食べることが禁じられているが、豚肉に関する質問を受けた場合の答えを用意していた。男が食べろと言えば、笑って、「鶏肉も豚肉の脂肪が体に良くないので、食べないようにしている」と答え、男を納得させた。 「それでも、男は、私たちに少しでも隙があれば、有罪にしようとねらっていました」。

*それでも南部地域の女性たちが受けている虐待、レイプの屈辱に比べれば

 だが、このような扱いを受けても、自分は、新疆ウイグル自治区の南部地域の状況に比べれば、楽なもの、と思ったという。南部地域では、ほとんどのウイグル族の男たちは収容所に連れて行かれ、残された妻や娘たちは、何か月も、場合によっては何年も、政府が送り来む漢族の男たちの餌食にされ続ける、と聞いたからだ。

 ケルビヌルが、遠隔地の村での労働を終えて帰ってきた友人の1人から聞いた話によると、その村で、彼女は中国内陸部から派遣されてきた漢族の男性8人と同宿させられていた。ある晩、夕食の席で、ある晩、夕食の間に、村の子どもたちに中国語を教える、いわゆるボランティアを称するこの男たちに、ひどい扱いと物理的な暴力虐待を受けた。だが、これは、その後のことに比べれば、まだましだった。夜、男たちが記録を比べるために集まった際、村の娘たちを食い物にすることに夢中になった。

 「私の友人によると、男たちは、彼女には娘たちをレイプしたことを話しませんでしたが、家に帰った女の子を”従順な美人たち”と比べ合って皆で喜んでいました… ”親戚”の男が、その家の娘たちを夕方に、抵抗も受けずに順番に二階に連れて行ったことを誇らしげに語った、ということです」と語り、でも彼女たちがどうやって抵抗できるでしょうか。父母も、兄弟も、皆、収容所に入れられていたのです。男たちを拒絶する力はなく、抵抗して、収容所に入れられるのを恐れていたのです」と訴えた。

 性的虐待とレイプは、首都のウルムチで日常的になっている。対策として、ウイグル族の女性3人に、漢族の男を一人配置する、という措置がとられたが、これが、同自治区の南部地域に適用されたことはなく、 「その地域の貧しい女性たちに何が起こり続けたのかを考えるのが怖い」とケルビヌルは言った。

 

*欧州に脱出した今も執拗な追求、夫からは離婚通告

 そしてケルビヌルについて言えば、安全であるはずの欧州に脱出した今も、一人でいることはできない。 6か月のビザを持っているにもかかわらず、欧州に来て1か月後に、中国の警察と彼女が務めていた学校から電話を受け始めたー「いつ帰ってくるのか。もう十分滞在したじゃないのか」としつこく言ってくる。 2月になるまで、「3月1日までに戻ってこなければ年金の支給を停止する」と脅され続けた。夫からも「お前のために、当局から追及を受けるのはもうたくさんだ」と怒りの電話を受け、5月には、「イスラム法に従って、お前を離婚した」と告げられた。

 そして、このBitterWinterのインタビューを受ける一週間前、郷里の家族計画担当者から電話を受け、彼女が使用した避妊器具について質問されたーどの病院で措置されたのか、措置の証明書の写しを持っているか。持ってないなら、なぜか。どこに置いてきたのか。まだ避妊器具をもっているか。持っていないなら、どこで処分したのか。どの病院で処分し、担当医は誰か、などだ。こうした質問にまともに答えれば、多くの関係者に被害が出、避妊器具を処分した医師が収容所に入れられると分かっていたので、答えをはぐらかし、電話を切った。「私が、彼らから自由になることは決してないでしょう」と嘆いた。

*それでも、現地の実情を訴え続ける決意

 だが、ケルビヌルは、他の何百万人のウイグル族女性と同様、まだ生きている。野蛮な避妊措置によって生涯にわたる傷跡を残しながら。眠れぬ夜、長く、苦痛に満ちた日々は、消し去ることのできない過去の記憶で一杯だ。

 今、彼女は本を書いている。彼女は言う。耐えがたい過去の重さの一部でも取り去ることができるなら、中国共産党が隠しておくと決めた秘密を、世界に向けて語り続けることを、決してやめない、と。

(翻訳・編集「カトリック・あい」)

 

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2020年10月17日