(日本時間2019.9.14 VaticanNews Robin Gomes)
教皇フランシスコは、就任以来32回目の司牧訪問地として、タイと日本に11月19日から26日にお出かけになることになった。教皇としてアジアを訪問されるのは2014年の韓国、2015年のスリランカとフィリピン、2017年のミャンマーとバングラディシュに次いで、4回目となる。また、前々教皇のヨハネ・パウロ二世が日本を38年前に、タイを35年前にそれぞれ歴代教皇として初めて訪問されている。
*日本*
聖ヨハネ・パウロ二世の9回目の海外訪問となったのは1981年2月、11日間でパキスタン、フィリピン、グアム、日本、アラスカ(アンカレッジ)を回られた。当時61歳だった教皇は、2月23日から26日にかけて日本を訪れ、司教、司祭、修道者、キリスト教諸派の代表たち、そして外交団、若者たちとお会いになり、18回にわたる説教、講話をなさった。
=原爆の二つの被爆地、広島と長崎で平和を祈る
日本訪問のハイライトとなったのは、広島、長崎両市への訪問。両市には、1945年8月6日と9日に米軍によって核爆弾と投下され、日本の降伏、第二次世界大戦の終結につながった。
「戦争は人間のしわざです。戦争は人間の生命の破壊です。戦争は死です」-聖ヨハネ・パウロ二世は1981年2月25日、広島の平和記念碑を訪れた際、「広島平和アピール」を発表され、預言的な声を震わせられた。
「この広島の町、この平和記念堂ほど強烈に、この真理を世界に訴えている場所はほかにありません」と語られ、広島と長崎は「人間は信じられないほどの破壊ができる」ということの証として、存在する悲運を担った、世界に類のない町」であり、この2つの町は、「戦争こそ、平和な世界をつくろうとする人間の努力を、いっさい無にする」と、将来の世代に向かって警告しつづける町として、永久にその名をとどめることでしょう」と訴えられた。
そして翌日の26日、長崎を訪れ、浦上の丘で被爆した生存者たちとお会いになり、「皆さんが今日まで堪えてこられた苦悩は、この地球に住む全ての人の心の痛みとなっています。皆さんの生きざまそのものが、全ての善意の人に向けられた最も説得力のあるアピールー戦争反対、平和推進のため最も説得力のあるアピールなのです… 皆さんの上に神の祝福がありますように」と励まされた。
=”大先輩”聖フランシスコ・ザビエルによる宣教開始と殉教の地で祈る
長崎では、市内西坂の日本二十六聖人殉教(1597年)の地に立つ記念碑と記念館を訪れられた。日本には、聖イグナチオ・ロヨラとともにイエズス会を創設した聖ブランシスコ・ザビエルがキリスト教を伝え、後を継いだイエズス会士たちが信仰の種を撒いた。ザビエルと仲間のイエズス会士は1549年に日本に上陸し、いくつものイエズス会の共同体を作った。ポルトガル人を主体とするイエズス会士たちが1570年代に至るまで、継続的に来日した。
今から数十年前、若いイエズス会士だった教皇フランシスコは、この国で宣教師として活動することを夢見たが、十代にかかった結核の治療のため肺の一部を切除したことから健康に問題があるとされ、訪日の夢を果たすことができなかった。
教皇フランシスコの今回の訪日日程はまだ詳細には決まっていないが、聖ヨハネ・パウロ二世の足跡をたどり、広島、長崎を訪問、そして日本の殉教者たちに敬意を表することになりそうだ。
今回の教皇訪日のテーマは「すべてのいのちを守るため 〜 PROTECT ALL LIFE 〜」。2015年に発表された回勅『ラウダート・シ』の巻末にある「被造物とともにささげるキリスト者の祈り」から取られている。このテーマは、核兵器の恐ろしさを実際に体験した日本にとって、特別に意味のあるものだ。