・教皇、環境回勅「Laudato si(ラウダ―ト・シ)」第二部を執筆中ー現在の地球規模の異常気象、災害に焦点

2023.05.22 Storia Laudato si' Ecuador, progetto Otonga

(2023.8.21  Vatican News )

    教皇フランシスコは現在、2015年に公開された環境回勅「Laudato si(ラウダ―ト・シ)」の第二部を、最近の地球規模の異常気象とそれがもたらしている大規模災害に焦点を当てて執筆中だ。

 教皇が21日、欧州評議会加盟国の弁護士代表団と会見された際に明らかにされたもので、教皇は「『ラウダート・シ』の第二部を『現在の問題』に合わせる形で新たに執筆しています」と語られた。

 そして、「『若い世代には、美しく、住みやすい世界を私たちから受け取る権利がある』ということを、私たちは決して忘れてはなりません。このことは、私たちが神の寛大な手から受けた創造物に対して、重大な責任を負っていること、を意味します」と強調された。

 バチカン報道局は、教皇の発言を受けた声明で、「ラウダート・シ」の第二部では、「特に五大陸の人々に影響を与えている最近の異常気象現象や大惨事に焦点を当てることになる」と説明した。

 「ラウダート・シ」は教皇が2013年に就任されて出された2番目の回勅。 2015年6月18日に発表され、執筆日として同年5月24日の聖霊降臨祭の日付が記されている。

 回勅の 「共に暮らす家を大切に」という副題は、聖フランシスコの「生き物の賛美歌」の冒頭から引用されており、次の言葉で始まっている。

 「『“’LAUDATO SI’, mi’ Signore’―私の主よ、あなたは称えられますように』。アッシジの聖フランシスコは、この美しい賛美の言葉の中で、私たちに思い起こさせてくれます―私たちの共通の家は、人生を共にする姉妹のようなものであり、両手を広げて私たちを抱きしめてくれる美しい母親のようなものである、と。主よ、私たちを支え、治め、色とりどりの花やハーブでさまざまな実を結ぶ、私たちの姉妹である母なる地球を通して、あなたが讃えられますように』」(回勅1項参照)。

 回勅が発出された直後に開かれた「現代の奴隷制度と気候変動による都市の取り組み」をテーマにしたワークショップの参加者との会見で教皇は、この回勅の意味について、次のように語られている。

 「環境を大切にする文化は、単なる『グリーン(私は言葉の本当の意味で言います)に対する態度ではなく、それをはるかに超えたものです。 環境を大切にするということは、人間として環境保全に対する姿勢を持つことを意味します。 つまり、人類が”ここ”にいて、創造物、つまり環境が”そこ”にある、ではない。 環境は全体であり、人間もその中にある。 これがこの回勅で、私が表現しようとしたことです。人間は他の存在と切り離すことはできない。 環境が人に与える影響と、人が環境に与える影響、互いに影響を与え合う関係にあるのです。 環境が乱暴に扱われると、その影響は人間に跳ね返ります」

 「 ですから、私はある人に『この回勅は”グリーン回勅”ですか』と尋ねられて、「いいえ、そうではありません。”社会回勅です」と答えました。 なぜなら、社会で、人類の社会生活で、環境への配慮を忘れることはできないからです。 環境に配慮することは社会的な態度であり、環境は何らかの意味で、私たちを社会化します。それぞれの人が環境に自分の選んだ意味を与えることができ、環境が私たちを受け入れることを可能にします。私は、イタリア人が環境について語る時の、このような言い回しが好きです-『被造物、贈り物として私たちに与えられるもの、それはすなわち、環境だ』」。

 この回勅で、教皇は、ご自分の教皇職の導き手、励ましとして「フランシスコ」という名前を選んだことを思い起こされ次のように書いている。

 「 私は信じています。聖フランシスコが傷つきやすい者への気遣いの最良の手本であり、喜びと真心をもって生きた、総合的な環境保全の最高の模範だ、と。彼は環境保全の分野で研究や仕事に携わるすべての人の守護聖人であり、キリスト者でない人々からも深く愛されています。彼は特に、神が創造された物、貧しい人々や見捨てられた人々に思いやりを示しました。愛に生き、その喜び、寛大な献身、開かれた心のために、深く愛されました。飾ることがなく、神と、他者と、自然と、自分自身との見事な調和の中で生きた神秘家、巡礼者でした。自然への思いやり、貧しい人々のための正義、社会への積極的な関り、そして内的な平和―これらの結びつきが、どれほど分かち難いものであるかを、彼は私たちに示してくれます」(同10項参照)

 そして教皇はこの回勅で、「全人類にとってより良い未来を築くため、私たちの共通の家を守ること」と強く訴えられている。

 「私は、『自分たちの地球の未来をどのように形作っていくかに』ついての新たな対話を始めるよう、強く訴えます。 私たちが経験している環境問題とその人間的な根源は、私たち全員に関係し、影響を与えるものであり、私たち全員が参加する対話が必要なのです。 世界的な環境保全のための運動はすでにかなりの進歩を遂げ、環境保全に関する課題に対する人々の意識を高めることに取り組む組織が数多く作られてきました。しかし 残念なことに、環境危機を解決するための具体策を実行しようとする多くの努力は、強い抵抗に遭い、そればかりか広範な、環境問題への関心の欠如のために、結果が出せずにいます。環境保全の努力を阻む動きは、信者の中にも存在し、環境に問題があることの否定から、無関心、あきらめ、技術的な対応への盲信など、多岐にわたります。私たちは、新たな普遍的な連帯を必要としています。南アフリカの司教団が述べているように、『神の創造の御業を人類が濫用して生じさせた傷を修復するには、あらゆる人の才能と関与が必要』なのです。私たちは皆、被造物を養い育てる神の道具として、それぞれの文化、経験、関わり方、才能に応じて、力を合わせることができるのです」(同14項参照)

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

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2023年8月22日