・バチカンの新教理省長官、「聖職者の性的虐待への対応は、訴えた人を信じ、適正な手続きを踏むこと」

    教皇フランシスコからバチカン教理省長官に任命されたビクトル・マヌエル・フェルナンデス大司教が6日、スペインのカトリックウェブサイトInfoVaticanaのインタビューに応じ、世界的な問題であり続けている聖職者による性的虐待、バチカンから批判されているドイツの”シノダルの道”の取り組み、同性婚への対応、そして自身がこれらの問題や新たな役割にどのように取り組むかについて語った。

 このインタビューで、大司教はまず、自身が教理省関係者に出した書簡で、これまで長官を務めて来たルイス・ラダリア・フェレール枢機卿の神学者としての、そして長官としての業績をたたえたうえで、自分は長官としての職務を、「イタリアの歌のように、『自分のやり方で』やる」と述べたことを明らかにし、「教皇フランシスコが強調される”シノダリティ(共働性)”から、決定を下す前にまず少し(他の人たちの意見に)耳を傾ける必要がありますが、教皇が私に送った手紙から、それに加えて考慮すべき事項があることも確かです」と語った。

*所管事項の聖職者による性的虐待にどう対処するか

 さらに、大司教はこのインタビューで、教皇から教理省長官就任を打診された際、断りの返事をしたことを明らかにし、「まず第一に、自分が(聖職者による性的虐待などに対処する)規律部門の職務を遂行するのに、ふさわしくないと思ったからです。私は教会法の専門家ではない。(アルゼンチンの)ラプラタの大司教になった時、こうした問題にどう対処したらいいか、分からなかったほどです」と、その理由を説明。

 そして、「この問題は複雑です。原則として、未成年虐待について訴えてきた人々を信じなければならないが、その一方で、時間のかかる適正な手続きなしに、司祭に有罪を宣告することはできない。すべての訴えを受ける時に、余計な干渉をしないように、できるだけ少ない言葉で対応する必要があります。ラプラタの大司教としての対応は、教会法の専門家の指導を受けるようにし、学ぶこと。それでも、訴えた人、訴えられた人のいずれかにとって公正でない判断をしてしまうのではないか、と恐れ、たいへん苦しみました」と語った。

 さらに、「教皇が私に『自分が希望するのは、あなたに教理省長官としての規律部門の仕事を任すことです』と言われ、さらに、長官任命の書簡でおっしゃっているように、『神学と信仰の伝達に個人として奉仕するように』と願われたことで、長官としての仕事に自信を感じました」と述べた。

 カトリック教会における性的虐待を追及するグループBishopAccountability.org は、大司教がこれまでラプラタの大司教を務めて来た際の、教区内の聖職者による性的虐待事件への対応に疑念があるとして、教理省長官就任について強い懸念を表明しているが、これに対して、ラプラタ大司教区の大司教付き広報担当者は、、大司教が性的虐待の加害者に寛大だった、という批判は当たらない、と強く否定している。

 ドイツの教会が進めている”シノドスの道”の取り組みの中で、既婚者の司祭叙階や女性の助祭叙階、離婚・再婚者の聖体拝領などを認めようとする動きが出ているのに対して、バチカンから批判が出ていることについては、「今こそ、私がこの問題をフォローし、(関係者の話に)耳を傾け、話し、相談する時が来ていると思います」としたうえで、「まず、ドイツの取り組みには、良いものがない、と思わないことです」と述べ、かつてラダリア現長官が「私たちに信仰を深めよう強制する”異端者”がいたらいい」と言ったことを取り上げ、「(”異端的”なドイツの取り組みは)取り上げられている課題を磨き、明確にし、成熟させる必要がある、としても、私たちに良い物を残してくれるでしょう」と語った。

 

 

*教理省が2年前に出した「同性婚の祝福不可」の判断について

 また、同性間結婚について、教理省が2021年に出した「カトリック教会は同性間結婚を祝福することはできない」とする宣言の有効性について聞かれた大司教は、「混乱をもたらすこと無いやり方で祝福がされるのであれば、そうすることについて分析検討されねばならないでしょう」とし、「私が中絶に断固として反対しているように… また私は、厳格な意味での『結婚』-新たらしい命を生み出す男性と女性という異性の二人の揺らぐことのない結婚―はただ一つの形態しかない、と理解しています」と言明。

 さらに、「このような(異性による)結婚と、比較できるものは他に何もありませんし、結婚という名前を使って他の何かを表現することは、良くもないし、正しくもない」とし、「何か別のことを表現しようとしたり、それを行動で表すようなことは避けねばなりません。ですから、混乱を助長するような典礼や祝福を避けることに大いに注意を払わねばならない、と思います」。ただ、「混乱を招かないような祝福の仕方があれは、分析・検討し、確認すべきでしょう」とも述べた。

 

*若い司祭時代に出した「キスの技法」というタイトルの本は…

 

 インタビューの最後に、大司教は、1990年代半ばの司祭の時に出版した『Heal Me With Your Mouth: The Art of Kissing(あなたの口で私を癒して-キスの技法』)についても批判があることについて、「(本を出したことを)後悔していません。これは神学の解説書ではありません。決して後悔することのない司牧的な試みでした」と述べつつ、出版社に再版しないよう求めたことを明らかにした。

 そして、この本について、「仲間に『なぜ婚前交渉を避けねばならないのか』を説明するのに苦労している若者たちを念頭に置いて書きました。キスは、セックスをしなくても出来る愛情表現のひとつです」と付け加え、「若者司牧のための、このささやかな本にある言葉ひとつを取り上げて、一神学者としての私を判断するのは、悪いやり方だと思いませんか」と逆に問い返している。

(翻訳・編集 南條俊二)

 

 

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2023年7月8日