・シノドス最終週:最終文書の草稿をもとに討議、若者たちへの手紙も検討

(2018.10.24 VaticanNews Russell Pollitt, SJ)

 「若者シノドス」最終週の24日は全体会議で最終文書の草稿を基に討議を行った。シノドスから若者たちに宛てた手紙の草稿も読まれた。この手紙は28日のシノドスを締めくくるミサで朗読される予定だ。24日の定例会見での出席者の発言は次の通り。

*アフリカの教会は信徒で一杯、でも教会の外に出た若者は…

 アフリカの教会について、カメルーンのアンドリュー・ンケア・フアンヤ司教は「教会の中は信徒でいっぱいで、若者たち全員を収容するスペースもじゅうぶんではありません」と語ったうえで、「問題は、喜びにあふれた祝典が何時間か続いた後です。若者たちは教会を出て、失業、不十分な医療、貧困、そして戦乱の世界に戻っていくのです」と指摘した。

 一方で、家庭の重要性についての理解は、アフリカでは「まだ、とてもしっかりしている。伝統的な価値は、教会における価値として、世代から次の世代へ伝えられ、若者たちは今でも年長者に従っています」と強調。

 なぜアフリカの教会は盛んなのか、との記者団の問いに対しては、「教会共同体が、アフリカの暮らしの中心にあるからだと思います。アフリカでは、信徒たちは個人主義の”侵入”と闘っている。自分を一度大きな家の中に閉じ込め、高い壁を作ってしまうと、共同体や人と人とのつながりが失われてしまいます。共同体としての教会と家庭は、アフリカではとてもしっかりしている。共同体、人と人とのつながりが失われたら、教会は空になるでしょう」と答えた。

 また、ンケア司教は「教会は、曖昧さのない言葉で話さねばならない。若者たちに真実を話さねばなりません。真実が流されないようにすることが重要です」。そして付け加えた-「とくに、デリケートな問題については」と。

*「神」が、抽象的な概念にとどまっている

 関連して、ポーランドのグレゴシェ・リス大司教は「ポーランドの教会が空、ということはない。若者たちの50パーセントは教会に行き、定期的に告解をしています。しかし、このことが、彼らがイエスを”知っている”ということを必ずしも意味しないのです」とし、多くの若者たちにとって、12年のカテキズムを終えた後、「神」は依然として抽象的概念にとどまっている、と問題を指摘。「若者たちは信仰について少しも分かっていない。若者たちに『価値』について聞くと、『家庭が価値です』と答えます。残念ながら、『信仰』は彼らのリストから外れているのです。たしかに、家庭は、人と人のつながりのゆえに重要ですが」と語り、クリスマスと復活祭という宗教行事を例に挙げ、「若者たちは、こうした行事を重要な『家庭の祝い』であり、宗教的な祝いとは考えないのです」と言い、これは裁くようなことではなく、「考えに入れておくべき重要な点です」と付け加えた。

*若者たちの”実存的”な決断に寄り添う必要

 ドイツのラインハルト・マルクス枢機卿は、まず「教皇フランシスコは、シノドスを教会を前進させる世界全体で取り組むための手段の一つとして使うことを決意されているのです」と前置きして、「15歳から28歳の若者たちを熟視することが重要なカギです。なぜなら、その時期が、人間にとって、実存的な決断をする時だからです」と述べ、「この年頃の若者たちは感受性の強い時期にあり、それを教会は理解せねばなりません」として、「彼らに十分、寄り添わなければ、教会は宣教のための場を失うでしょう」と警告した。

*女性の教会における役割は

 女性の役割について質問された枢機卿は、「変化と進歩なしに、人は前進することはできません」としたうえで、「教会における女性の役割は、教会全体にとって重要な問題です。女性は、教会の政策決定の過程に実際に参加する必要があります」と語り、30年前に、こうした考えは反対を受けたが、「ありがたいことに、私は、それにはまって動けなくなる、ということはありませんでした」と語った。

 さらに、枢機卿は「教会は、時の動きと女性平等の進展を理解せねばならない。それは福音の光の中で、神が教会に与えられた賜物です。女性が潜在的に持っているものを活用しなかったら、私たちは愚か者になっていたでしょう」とし、「私たちが愚かでなかったことを、神に感謝します」と述べた。

*性的行為はイデオロギー的な理由で、不当に利用されてはならない

 シノドスの最終文書に、「LGBTI」という頭文字の言葉(注:生まれつき生殖系の構造に変異がある、あるいは男性あるいは女性を特定する染色体パターンが一般的なものと合致していない人を指し、男性、女性のどちらとしても認知できるし、あるいはいずれの性にも属さないと認知することも可能な人を指す)が使われるのか、という記者団の質問に対しては、ンケア司教は「使用する言葉に注意が必要です。教会はある種のイデオロギーに反対する唯一の声。助けを受けるための妊娠中絶政策に必要とされるプログラムがありますが、それは受け入れられません」としたうえで、「最終文書に『LGBTI』という言葉をつかうことに私は賛成しない。私の教区の若者たちの99.9パーセントは、その意味を知らないでしょう。この言葉が最終文書で使われたら、人々に説明するために、この慣れない言葉に習熟する時間が必要になるでしょう」と否定的な考えを示した。

 また、「性的行為についての説明についてどの様な議論がされたか。ドイツの教会でどのようなやり方がされているか」との問いに対して、マルクス枢機卿は、「シノドスで議論はされましたが、今回のシノドスは性行為が主たるテーマではない。『寄り添い』の一側面としての扱いだった。外部からは、これを話し合うように、との声がありました」としたうえで、性行為の問題はイデオロギー的な理由で使おうとする人々に警鐘を鳴らした。そして「教会は、誰にでも理解できる言葉を使う必要があります。教会は人々に寄り添うものであり、文化を均一にするものではない。今回のシノドスは言葉についての会議ではなく、若者たちに教会としてもっともよく寄り添うことについての会議なのです」と強調。「イエスにとって、性行為は人間全体の一つの側面であり、全体ではありません」と付け加えた。

 聖職者による性的虐待問題については、枢機卿は「このシノドス以前にドイツで協議されました。シノドスでも議論されましたが、教会が姿勢を改める必要がある』と述べ、「虐待は性的なものだけでなく、権力の乱用もあります。教皇フランシスコが繰り返し言われているように」と付言した。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

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2018年10月25日