日曜正午アンジェラスの祈り、教皇フランシスコ – AFP
「親愛なる兄弟姉妹の皆さん、今日のミサの第一朗読イザヤの預言書は、エルサレムへの帰還を準備するイスラエルの民に、犯した全ての怠りの罪や神の御前でふさわしくなかったあらゆる行動の過ちを認め、悔い改めながら、再び主に向かって歩む道を準備するよう促しています。
私たちの生活の中での怠りの‶隙間〟は、「十分に祈らなかったことやあるいは全く祈りを怠ったこと」かも知れません。今、私たちが過ごしている待降節は、もっと熱心に祈るための、また、霊的なことに専念するための、良い機会です。
別の‶隙間〟も考えられます。それは「隣人に対する愛徳の欠如」です。特に多くの必要に迫られている貧しい人々、物資的に貧しいだけではなく、霊的にも貧しい人々に対する愛徳の欠如です。私たちは皆、隣人の必要にもっと注意を向ける必要があります。愛徳の実行によって私たちも、洗礼者聖ヨハネのように多くの人々の荒れた心の砂漠に、希望の道を開いていくことができるでしょう。
イザヤ預言者は主を迎える準備として傲慢心や高ぶり、権力などへの思いを抑えるよう勧めています。
傲慢、横柄、高ぶり,権力欲のあるところに、主は入ることが出来ません。なぜなら、そこはもう傲慢や権力欲で一杯になっていて、主の入る余地がないないからです。そうならないように、私たちは常に謙遜で柔和な心を持たねばならないのです。声高に叫ぶことなく、人の言葉に耳を傾け、おだやかに話すことです。こうして主の到来に準備します。なぜなら主ご自身その福音の中で言っているように、柔和で心の謙遜な方だからです。
主の一致を妨げるような、あらゆる障碍を取り除きましょう。イエスの到来に向けて大きな喜びをもって準備に励みましょう。
誰か親しい友人を我が家に迎える際に、私たちは喜んで、注意深く、友を迎える準備をするではありませんか。同じように、最も重要な友人である主を迎えるために、周到な準備をしましょう。主がおいでになる時、その豊かな恵みに与ることができるように、最善の注意を込めて、日々、準備に励みましょう」
(バチカン放送の日本語文をもとに、見出しも含めて「カトリック・あい」で編集してあります)
