☩「主の誕生は平和の誕生だ」教皇、主の降誕の”Urbi et Orbi(都市と世界へ)祝福とメッセージ

(2022.12.25 Vatican News  Thaddeus Jones)

   教皇フランシスコは現地時間25日正午(日本時間同日午後8時)、聖ペトロ大聖堂の中央バルコニーから広場に集まった数千人の巡礼者たちに、恒例のクリスマス・メッセージと”Urbi et Orbi(都市=ローマ=と世界へ)の祝福を送られた。

 メッセージで教皇は、イエスの誕生が私たちの暮らしと世界における平和への道をいかに示しているかを強調。私たちの心に平和が生まれ、全ての人とそれを分かちあうことができるよう、幼子イエスの御顔をよく見つめ、神の愛に深く感動することを勧められた。

 

*私たちと共におられる神

 教皇はまず、この日のミサで読まれた福音(ルカ2章1-17節)を思い起こされ、私たちが「ベツレヘムに眼差しを向ける」この日がもたらす喜び、そして、マリアが月満ちた時、宿屋には泊まる所がなかったために、主は馬小屋でこの世に来られ、飼い葉桶に置かれたことを強調され、「真の光、すべての人を教え導く光が、この世界に来たのです」と指摘。

 さらに、「イエスは、私たちの中で生まれました。 イエスは、私たちと共におられる神です。私たちの日々の暮らしを共にされ、私たちの喜びと悲しみ、希望と恐れなど、あらゆることを私たちと分かち合うために来られます… 主は、無力な子供として… 貧しい人々の中でも貧しい方として、私たちの所においでになり、暖かい避難場を得るために心の扉をたたかれます」と語られた。

 

*神が与えてくださったしるしを見よ

 続けて教皇は、クリスマスの真のメッセージに注意を向けられ、私たちのためにお生まれになった神の御子の素晴らしい出来事よりも、”お祭り”と贈り物に皆が気を取られる、この時期の「色彩と喧騒」から超然とするように、信徒たちを促された。

 そして、「主の栄光に周りを照らされたベツレヘムの羊飼いたちのように、私たちも、神が与えてくださったしるしを見に行くことができますように。 私たちが心の眠気に、主の誕生を祝うことを忘れさせる浅薄な休日のきらびやかさに、打ち勝つことができますように」と願われた。

*平和の誕生

また教皇は、「主の誕生は平和の誕生だ」という大教皇、聖レオ一世の言葉を引用され、「イエスは真に私たちの平和であり、世界が与えることのできないもの。イエス・キリストは平和の道でもあります。 イエスは、その顕現、情熱、死、そして復活によって、『敵意と戦争の暗い影に閉ざされ、抑圧された世界』から、『開かれた、友愛と平和の中で自由に生きることのできる世界』への道を開かれました。 その道を進みましょう!」と呼びかけられた。

 さらに、「イエスに従うことは、私たちにのしかかり、障害となりうる重荷をなくすことを意味します。重荷とは、貪欲、プライド、権力の渇望、偽善、そして、クリスマスの恵みから私たちを退け、平和の道の入り口をふさぐ昔から今も変わらぬ問題、です。このような現実の結果が、『戦争の冷たい風』が今日も、人類を傷つけているのです」と嘆かれた。

 そして、「クリスマス、イエスの誕生、そして平和を願うなら、ベツレヘムに眼差しを向け、私たちのために生まれた御子の顔をよく見つめましょう! そして、その幼く、無邪気な顔の中に、世界中で平和を切望しているすべての子供たちの顔を見るようにしましょう」と信徒たちに求められた。

*ウクライナの人々、世界中の苦しむ人たちを助け、和平実現の努力を

 

 そのうえで、教皇は現実の世界に目を転じられ、「今、実際に暗闇と寒さを経験しているウクライナの兄弟姉妹の顔を見つめるように」と、世界のすべての人に呼びかけられた。

 そして主に対して、「苦しんでいるすべての人々を支援するために連帯の具体的な行動をするように私たちを奮い立たせ、武器の雷鳴を静め、この無意味な戦争を即座に終わらせる力を持つ人々の心に働きかけてくださいますように!」と祈られた。

 また、教皇ご自身が繰り返し「第三次世界大戦」と呼ばれている、ウクライナにとどまらず世界中で起きている深刻な「平和の飢饉」が続いていることを批判された。

 特に、何年も続く紛争に苦しむシリアの人々と、ここ数か月で暴力と死傷者が急増している聖地イスラエルに住む人々を思い思い起こされ、主の誕生を目の当たりにしたイスラエルで、イスラエル人とパレスチナ人の相互信頼を築く新たな対話と努力がなされるように、そして「幼子イエスが中東に住むキリスト教共同体を支え、それぞれの国々が異なる信仰を持つ人々が兄弟的共生の素晴らしさを体験できるますように」と祈られた。

 またレバノンの人々を思い起され、国際社会に対し、生き残りの闘いに手を貸すように、サヘル地域(サハラ砂漠の南縁部)をキリストの光が照らし、この地域の紛争を乗り越え、人々の間の平和的共存が再び根付くように、と願われ、さらに、イエメンでの永続的な休戦、ミャンマーとイランでの和解、そしてすべての流血の終結を祈られた。

 またアメリカ大陸においても、特に長年苦しんできたハイチの人々に言及され、、政治当局と大陸中の善意を持つすべての人々が協力して、社会的および政治的緊張を克服するように祈られた。

 

*食料が浪費される一方、戦争が食料の分配を妨げている

 教皇は、ベツレヘムが「パンの家」を意味することを思い起され、世界で多くの食料が浪費され、武器の増強に資源が費やされている今、世界中の飢えている子供たちにもっと関心を持つように、世界の人々に呼びかけられた。そして、穀物輸出国であるウクライナでの戦争が世界の食糧事情を悪化させていること、特にアフガニスタンとアフリカの角などで飢饉が深刻化していることを指摘。ウクライナなどで続いている戦争が、すでに飢えで苦しんでいる人々への食糧分配を困難にしていること、また、食糧を武器として使っている現状を嘆かれた。

 そして、「私たちは『平和の君』から学び、政治的責任を負っている人々を始めすべての人々が、食料をもっぱら平和の道具にすることに専念せねばなりません」と訴え、また、現在の経済危機の中で失業者や貧しい人々が苦しんでいることを思い起こされ、連帯して手を差し伸べるように呼びかけられた。

*避難民や難民に心を開こう

 教皇はさらに、「イエスが無関心と敵意に満ちた世界においでになった時のように、今も外国人や貧しい人々が拒絶に遭っています。快適さ、暖かさ、食べ物を求めて私たちの扉をたたく避難民や難民のために『心の余地』を持つように、すべての人に願われ、「社会の片隅に追いやられた人々、一人暮らしの人々、取り残される危険に遭っている孤児や高齢者、受刑者たちを忘れないようにしましょう」とも呼びかけられた。

 メッセージ最後に教皇は、”ベツレヘム”がどのように、「神の簡素さ」を、「賢く学識のある人々にではなく、取るに足らないと思われていた人々、純粋で開かれた心の人々に、ご自身を表されたこと」を示しているかを説かれ、羊飼いたちのように、私たちが、私たちの救いのために人となられた神の考えられないような出来事に感嘆するように願われ、次のように締めくくられた。

 「すべての善の源である神は、イエスの中でご自分を貧しい者とされ、私たち貧しい人間への施しを求めておられます… 神の愛に深く心を動かされるままにしようではありませんか。 そして、ご自身の完全において私たちに分け前を与えるために、ご自身の栄光を脱ぎ捨てられたイエスに従いましょう」。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

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2022年12月25日