☩11月の 「第6回貧しい人のための世界祈願日」へー教皇がメッセージ

「第6回貧しい人のための世界祈願日」教皇メッセージ発表「第6回貧しい人のための世界祈願日」教皇メッセージ発表 

(2022.6.14 バチカン放送)

 11月13日のカトリック教会「第6回貧しい人のための世界祈願日」に先立ち、教皇フランシスコが14日、メッセージを発表され、今年度のテーマである聖パウロの言葉ー「主はあなたがたのために貧しくなられた」(コリントの信徒への手紙2・8章9節参照)を取り上げ、「私たちを豊かにするキリストの貧しさ」という”信仰の偉大なパラドックス”を強調された。

 ロシアがウクライナ侵攻を始める前、世界は、新型コロナの大感染で多くの人々の命を失った悲しみを抱えながらも、その嵐から抜け出そうとしていた。失業で貧困に陥った人々の苦しみを和らげる経済回復の兆しが見え始め、ようやく青空がのぞこうとした時、ウクライナ侵攻という新たな悲劇が、「世界に別のシナリオを強いることになりました」と教皇は指摘。

 そして、「戦争は多くの死と破壊と貧困をもたらし、暴力が至る所で無防備で弱い立場の人々を襲っている」とし、「不確実と不安の中に置き去りにされた多くの人々の苦しみを和らげ、平和を取り戻すために、どのような答えを出すことができるでしょうか」と世界の人々に 問いかけている。

(使徒パウロは、コリントの信徒たちに対し、「主は富んでいたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、主の貧しさによって、あなたがたが豊かになるためでした」(コリントの信徒への手紙2・8章9節)と書き送った。そして、この言葉を通して、助けを必要とする兄弟たちへの彼らの慈善の業を、堅固なものにしようとした。

エルサレムを訪問したパウロは、ペトロ、ヤコブ、ヨハネたちと出会った。彼らは貧しい人々を忘れないようにとパウロに頼んだ。実際、エルサレムの共同体は、飢饉のために重大な困難に直面していた。パウロはすぐに貧しい人々のための募金を計画した。コリントの信徒たちは非常に快くそれに協力した。しかし、次第に彼らの最初の熱意が薄れてきたのを感じたパウロは、「心からそう願ったのですから、自分が持っているものでやり遂げることです」(コリントの信徒への手紙2・8章11節)と励ました。)

 教皇は「『連帯』とは、まさに自分が持っているわずかなものを、何も持たない人々と分かち合うことであり、共同体の意識と交わりが育てば育つほど、連帯も成長します」と説かれた。 また、パウロがコリントの信徒たちに慈善の業を強要していない点を指摘された。

 実際、パウロは「こうは言っても、私は命令するのではありません。[…] あなたがたの愛が本物であるか、確かめたいのです」(同8章8節)と、イエスご自身が証しされたように、募金が愛のしるしとして行われることを願っている。

 こうしたことから、教皇は、「貧しい人々を前に、理屈ではなく、自発的に信仰を実践に移すことが大切です」と強調。さらに、「貧しい人々に対して、しばしば心の通わない一方的な支援の態度が見られるが、重要なのは、『誰もが必要なものに欠けることがないように』努力すること、兄弟として貧しい人に寄り添う誠実で寛大な配慮をすること、です」と語られている。

 教皇は「昔も今も、『人を豊かにする貧しさがある』という”パラドックス”を受け入れることは難しい」とされ、「しかし、パウロは、イエスの教えにあるように『虫が食ったり、さび付いたり、盗人が忍び込んで盗み出したりする』(マタイ福音書6章19節)地上に富を積むのではなく、誰も見捨てられたり、疎外されることのない、互いに重荷を背負い合う、相互の愛の中に富を積むように、私たちを促しているのです」と指摘された。

 最後に教皇は、「人を解放する貧しさとは、積み荷を軽くし、本質を見つめるために、私たちに託された責任ある選択のこと」と説かれた。

(編集「カトリック・あい」=引用された聖書の日本語訳は原文の意味に近く、日本語としてもすぐれている「聖書協会・共同訳」に改めてあります)

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2022年6月15日