◎教皇連続講話「祈りについて」⑩「苦しみの時に祈ることを恥じるな」

Pope Francis at the weekly General AudiencePope Francis at the weekly General Audience  (Vatican Media)

 教皇フランシスコは9日、水曜恒例位の一般謁見で「祈りについて」の講話を続けられその中で「嘆願の祈り」に焦点を当て、特に苦しみのときに湧き上がってくる叫びを大切にするように、信徒たちに強く求められた。

 教皇は講話を、イエスが偉大さと謙虚さを祈る為に、弟子たちにどのようにして「主の祈り」を教えられたかーから始められた。

 「主の祈り」で、「私たちは神に最高の贈り物を求めます。『御名が聖とされますように。御国が来ますように。御心が天に行われるように、地にも行われますように』と。しかし、同じ祈りで、私たちはまた簡明なもの、すなわち「毎日のパン」ー健康、家庭、仕事、そして、キリストに倣う生活に必要な聖体ーを求めるのです」と説かれた。

 *暗闇の中で一筋の光を祈る

 また、主の祈りの「嘆願の祈り」の部分は、「非常に人間的」なもの、と指摘された。「人は皆、人生のある時点で”自給自足の幻想”が崩れます。 人であることは、嘆願。時として、それは叫びとなりますが、叫ぶことを自制することも多い」が、人は皆、孤独や悲しみを経験し、 病気、不正、あるいは裏切りが勝ったように見えるとき、聖書は、最も弱い状態にある人の姿を見せることを躊躇しない、とされた。

 そのうえで、「時には、すべてが崩壊し、これまでの人生が無駄になったように見えます。そうした一見、絶望的な状況で、取ることのできる唯一の方法は、主への叫びー『主よ、助けてください』という祈りです。 祈りは、最も深い暗闇の中に、一筋の光を生むことができるのです」と諭された。

*あらゆる被造物が叫ぶ

 教皇は続けて、「すべての被造物は、嘆願の祈りを共有しています… 被造物のかけらのすべてが、神を願い求め、それが全うされる切望しています」と語られ、信徒たちに、幸せなときに祈ることを学ぶ必要があるが、暗闇にいて、祈る必要を感じたときに、それを恥と思わないように、と注意された。

 そして、「私たちの中で自然に湧き上がってくる嘆願を抑えつけてはなりません…嘆願の祈りは、被造物としての私たちの限界と気質を受け入れることと、歩調を合わせているのです」と説かれ、「たとえ、抑えつけようとしても、深みからの叫びとして、現れるもの」と付け加えられた。

*神の応答を待つ

 講話の最後に、教皇は「聖書が幾重にも明らかにしているように、神は応えてくださる」ことを、全ての人に請け合われた。「私たちの口ごもりながらの問いかけさえも、私たちの心の奥底に残っている問いかけさえも、父なる神は、お聴きになり、私たちに聖霊を送ってくださる、そして聖霊は、祈る人すべてを奮い立たせ、すべてを変容される」。そして、「私たちの仕事は、嘆願の祈りに対する神の応えを、辛抱強く待つことです」と締めくくられた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

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2020年12月9日