(2020。2.19バチカン放送)
教皇フランシスコは19日、水曜恒例の一般謁見で、[山上の説教」(マタイ福音書5章1-11節)についての講話を続けられ、この日は「真福八端」の3番目の教えー「柔和な人々は、幸いである。その人たちは地を受け継ぐ」というイエスの言葉を取り上げられた。
この教えで使われる「柔和」という言葉は、文字通り、「優しい、穏やか、思いやりのある、暴力的でない」などの意味を持つ、と教皇は説明。「『柔和さ』は、争いなど、敵意ある状況の中でこそ、表されるもの。誰もが、平穏な時は柔和でいられても、攻撃されたり、プレッシャーをかけられたりした時に、どのように反応するかが、試されます」と語られた。
「キリストの優しさと心の広さ」(コリントの信徒への手紙2。10章1節)を指摘する聖パウロや、「ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、人を脅さず、正しく裁かれる方にお任せになりました」(ペトロの手紙2,2章3節)という聖ペトロの言葉に、教皇は「受難の中で特に際立つイエスの柔和さ」を観想された。
また、聖書の中でこの「柔和な」という言葉は、「土地を持たない者をも指している」とされ、「真福八端」の中で、この「柔和な人々」が「地を受け継ぐ」と言われていることに深い意味を見出された。
さらに教皇は、詩編でも「憤らないことと、地を継ぐことの関係」が示されている(詩編37章8-11節)ことに目を向けられ、「柔和な人たちは土地を争いで『獲得』するのではなく、神から賜物として『受け継ぐ』のであり、その土地とは単なる地上の所有地ではなく、新たな地ー私たちが向かっている『天の国』のことなのです」と話された。
また「 キリストの弟子は、神から受け継ぐこの『地』を、いつくしみや兄弟愛、信頼や希望と共に守らなければなりませんが、柔和さは、心に打ち勝ち、友情や多くのものを守ります」と述べた教皇は、「憤っても、心を落ち着け、熟考し、再び歩み始めることで、私たちは柔和さと共に、また築いていくことができるでしょう」と説かれた。
(編集「カトリック。あい」)