♰「神の法を守るのは容易でない、神の差し伸べる愛の手を受けよう」

(2020.2.16 VaticanNews Linda Bordoni)

 教皇フランシスコは16日、日曜日正午の祈りの説教で、神は、私たちに恵みをお与えになるためにこの世に来られ、それゆえに、私たちは神のご意思を行うことができる、とし、神の律法を通して、イエスは私たちに真の自由と責任を教えている、と説かれた。

 説教で教皇は、この日の主日のミサで読まれたマタイ福音書の5章17₋37節、イエスが山上の説教で「律法の成就」について語られた箇所を取り上げ、「このことを忘れないようにしましょうー律法を自由の道具として生きることは、私がもっと自由になるのを助け、激情と罪の奴隷にならない助けになることを」とされた。

 そして、「戦争とその結果がもたらす、とてもとても多くの災難​​」を例に挙げ、「それは激情が生み出すもの。戦争をする人々は、自分の激情をどうやってにコントロールしたらいいのか、分からない」、そして、「私たちが誘惑と激情に屈した時、私たちは自分の人生を担うのをあきらめてしまうのです」と語られた。

 続けて、「殺人、姦淫、離婚、偽りの約束を思うことの危険性について、イエスが弟子たちに警告していること」に触れ、「イエスは、これらの問題に関する処方箋を捨てるのではなく、それらのもつ深い意味を説明し、観察せねばならない」とされ、「律法を形式的に、ではなく、実質的に守ることー律法を心から受け入れることを、私たちに勧めておられるのです」と強調された。

 さらに、次のように指摘された。「神の法を心から受け入れることによって、私たちは理解するのですー隣人を愛さない時、私たちは自分自身と他の人たちを幾分か殺している、ということを。なぜなら、憎しみ、対立、分裂は、人間同士の関係の基礎となる兄弟愛を殺してしまうからです… そのことは、戦争だけでなく、うわさ話にも当てはまりますー舌で”殺す”からです」。

 そして、「心から神の法を受け入れることによってのみ、熱望は導かれねばならないことを、私たちは理解することができます。それは、私たちが強く望むもの全てを手に入れることができないから… でも、戒めを心底から、全面的に守って生きることは容易ではないことを、イエスはご存じであり、だからこそ、「私たちに、ご自身の愛の助けをくださるのです」と説かれた。

 「イエスは、律法を成就するためだけでなく、私たちに神の恵み-私たちが、神のご意思、神と私たちの兄弟姉妹を愛することーを行うことのできる恵みーをお与えるために、この世においでになりました… 私たちは、神の恵みを受けて、全てのことができます。実際、聖性は、神が私たちに下さったこの無償の恵みを守ることに、他なりません」と教皇は訴えられた。

 最後に教皇は、正午の祈りに聖ペトロ広場に集まった信徒たちに、神と神の恵みに信頼し、自身を委ね、「私たちの努力と献身が、善と慈しみに満ちた神の助けによって支えられるように、絶えず私たちに差し伸べてくださるその手を、喜んで受けるように」と促された。

 (翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

 

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2020年2月17日