菊地大司教の日記④元旦ミサの説教「困難に直面する一人一人に、思いをはせ、その心に寄り添おう」

2018年1月 1日 (月)神の母聖マリア、深夜ミサの説教

  1月1日は、神の母聖マリアの祝日であり、また世界平和の日でもあります。今年は、東京カテドラル関口教会で、新しい年の始まりと同時に、深夜ミサを捧げました。聖堂内は、深夜にもかかわらず、ベンチ部分はいっぱいになるくらい多くの方がミサに与り、一年の始まりを祈りのうちに過ごしました。

 以下、深夜ミサの説教の原稿です。

 お集まりの皆様、新年明けましておめでとうございます。

 新年の第一日目、これから新しい一年という時間を刻み始めるに当たり、教会はこの日を「世界平和の日」と定めています。かつて1968年、ベトナム戦争の激化という時代を背景に、パウロ六世が定められた平和のための祈りの日であります。

 同時に、主の降誕から八日目にあたる今日は、「神の母聖マリア」の祝日でもあります。
神の御言葉、平和の王である主イエスは、聖母マリアを通じて私たちと同じ人となられました。八日目に「イエス」と名付けられた幼子は、聖母マリアの愛情のうちに救い主としての道を歩まれ、神の望まれる道を具体的に私たちに示されました。

 新しい年の初めにあたり、聖母が信仰のうちにイエスと歩みをともにされたように、わたしたちも主の示される道をともに歩む決意を新たにしたいと思います。

 今日、世界の平和を考える時、私たちは日本近隣を含め世界各地で見られる緊張状態や、この十数年間に頻発しまた継続している様々な地域紛争、残忍なテロ事件のことを考えざるを得ません。それ以外にも、全く報道されることのない、ですから私たちが知らない対立や不幸な出来事が、世界各地には数多く存在していることを思うとき、その混乱に巻き込まれ恐れと悲しみの中にある多くの方々、とりわけ子どもたちのことを思わずにはいられません。この新しい年を、希望の見えない不安な状況の中で迎え、いのちの危機にすら直面している多くの人たちに、私たちの心を向けたいと思います。

 この新しい年には、日本をはじめとして、この地域の各国の指導者たちが、さらには世界の国々の指導者たちが、対立と敵対ではなく、対話のうちに緊張を緩和する道を見いだし、さらには相互の信頼を回復する政策を率先してとられることを期待せずにはおられません。一人一人のいのちが等しく大切にされる世界の実現に、一歩でも近づくように祈ります。

 さて激しくグローバル化する世界では、様々な理由から国境を越えて移動する多くの人たちがおります。観光旅行に始まって、留学やビジネスや学術研究や医療など、人が移動し続ける理由は数限りなくありますが、そこには自分が積極的には望まない理由で移動をせざるを得なくなる人たちも多く存在しています。

 一人一人のいのちが、神の前で等しく大切であり、誰一人として忘れられてよい人も無視されてよい人もいないのだと強調され続ける教皇フランシスコは、特に、様々な理由から母国を離れて移住するしか道のなかった人たちの、それぞれの心の悲しみと苦しみに目を向けられます。

 本日の「世界平和の日」にあたって発表された教皇様の平和メッセージのテーマは、「移住者と難民、それは平和を探し求める人々」とされています。

 ともすれば、移住者や難民は、平和を乱す混乱の原因であるかのように見なされます。しかし教皇はそれをあえて、「平和を探し求める人々」なのだといわれます。

 教皇フランシスコは、メッセージの冒頭で次のように指摘されます。
「世界中に2億5千万人以上いる移住者と、その内の2250万人の難民について再び話したいと思います。わたしの敬愛する前任者、ベネディクト十六世が断言しているように、彼らは『平和のうちに過ごすべき場所を求める、男性、女性、子ども、若者、高齢者です』。彼らの多くは平和を見いだすために、いのちをかける覚悟で旅に出ます。その旅は多くの場合、長く険しいものです。そして彼らは苦しみと疲れに見舞われ、目的地から彼らを遠ざけるために建てられた鉄条網や壁に直面します」

 その上で教皇は、聖ヨハネパウロ2世の言葉を引用してこう記します。
「もし、すべての人々が平和な世界という夢を分ち合い、また難民や移住者の貢献が正しく評価されるなら、人類はもっと世界的な家族となり、地球は本当の意味での共通の家となるでしょう」

 教皇フランシスコのこうした呼びかけに応えて、教会の援助救援団体である国際カリタスでは、昨年9月から、難民や移民として困難な旅路に出ざるを得ない人たちと、その旅路を分かち合おうという趣旨のキャンペーンを始め、日本の教会では、カリタスジャパンと難民移住移動者委員会が共同で、「排除ゼロキャンペーン」と題して実施中であります。

 私たちはニュースなどを耳にするとき、難民だとか移住者と、ひとくくりの集団として考えてしまいがちであります。しかしそこには一人一人の大切な存在があり、そこには一人一人のユニークな歴史と物語があります。一人一人の喜びと希望、苦悩と不安が存在します。

 どうしても第二バチカン公会議の現代世界憲章の冒頭を思い起こしてしまいます。
「現代の人々の喜びと希望、苦悩と不安、とくに貧しい人々とすべての苦しんでいる人々のものは、キリストの弟子たちの喜びと希望、苦悩と不安でもある」

 教会は、困難に直面する一人一人に、思いをはせ、その心に寄り添いたいと願っています。

 世界平和の日にあたり、困難に直面している多くの方々の心に思いをはせましょう。平和を実現する道を歩まれたイエスの旅路に、聖母マリアが信仰のうちに寄り添ったように、私たちも神が大切にされている一人一人の方々の旅路に寄り添うことを心がけましょう。聖母マリアのうちに満ちあふれる母の愛が、私たちの心にも満ちあふれるように、マリア様の取り次ぎを求めましょう。

 この一年、いのちの与え主である神が、一人一人の存在を愛おしく思われるように、わたしたちも一人一人を大切にし、その心に寄り添って生きるように、とりわけ困難な状況のうちに生きておられる多くの人たちに寄り添うように、ともに心がけて参りましょう。

 (菊地功=きくち・いさお=東京大司教に12月16日着座)

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