・Sr.石野の思い出あれこれ⑫ 続々・志願者生活-もう一つの重荷は”シエスタ”

 プロパガンダ(注:キリスト教宣教活動の一環としての書籍の訪問販売)とは全く違った意味で重荷になることが、もう一つあった。それは “シエスタ”。つまり午睡。昼食後に皆、昼寝をしなければならなかったのだ。

 シスターたちは志願者たちに、「あなた方も休みなさい」と言って、志願者にとっては禁域の二階に昇ってしまう。

 イタリアでは初夏になると、“シロッコ”と呼ばれる高温湿潤の風が吹く。これは、アフリカのサハラ砂漠に起こり、地中海を渡ってイタリアに吹着つけてくる。空気は重くなり普段以上に疲れを感じる。このため、よく言えば優雅な生活を好み、悪く言えばあまり働き者でないイタリア人は、シエスタをする。

 修道院では皆よく働くが、この習慣が取り入れられている。だから昼食後は皆、お昼寝をする。日本の文化も事情をまだよく分からないシスターたちは、イタリアのこの習慣をそのまま日本にも適用しようとした。

 ところが私たち志願者は午睡の習慣もなければ、若くて力が溢れているので昼寝などしたくない。押し入れから布団を出して三枚敷くのは面倒くさいので二枚敷き、そこに三人で休もうとしたらそれはならぬ、各人それぞれに布団を敷きなさいとのこと。

 布団を敷いてシスタ-たちが二階に上がるのを静かに待ち、シスターたちの姿が見えなくなると、もうこちらのもの。シエスタはそっちのけで”着衣ごっこ”をした。

 その頃のシスターたちは皆、頭に長いベールをかむり、足のくるぶしまで来る長い服を身に着けていた。そしてこの服のことを修道服と呼んだ。修道服を身に着ける点ではどこの修道会も共通だったが、洋服の生地や形は修道会によって異なり、色もそれぞれで白、黒、ブルーなどさまざまだった。日本で創立された修道会のシスターたちは着物に袴のところもあった。”着衣ごっこ”とは、シーツや風呂敷を使い、頭をひねり、想像を働かせて修道服まがいのものを考え出して身に着けることだった。

 当時、私たち志願者は8人いて、長い廊下で分かれている二つの部屋に4人ずつ休んでいた。一つの部屋の志願者が、考え出した修道服を身に着け、並んで廊下を歩いて他の部屋の志願者たちを訪ねる。その姿は滑稽でよく笑った。二階にシスターたちがいるのも忘れて笑った。重荷だったシエスタの時間は、楽しいリクリエーションの時間に変わった。そして、あっという間に時間が過ぎて行った。

 ところが、あまりに楽しくて、禁を破って内緒ごとをしているのも忘れて笑ってしまい、その笑い声が二階まで聞こえたようだ。ある日、シスターが降りてきて、休まずにお遊びをしている私たちを見て驚き、「おやめなさい」と一言。

 これで着衣ごっこもおしまい。さてどうしよう。シエスタの時間を持て余していた私たちは、勇気を出してシスターに許可を願い出て、休まずに、静かに自習をすることに成功したのだった。

( 石野澪子=いしの・みおこ=聖パウロ女子修道会修道女)

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2019年6月30日