・Sr.岡のマリアの風㉜9月の初めに:小さな道を歩もう-初心にかえって-

 8月を「聖母の被昇天」の祭日 一年の典礼暦の中で一番大きな聖母の祭日 を祝って終え、9月を、「聖マリアの誕生」の祝日で始める。東方正教会Orthodox Churchでは、9月は、新しい典礼暦の始まりである。

 聖マリアの「誕生」をもって始まる、新しい時。それは、「小さな道」とも言えるだろう。

 聖マリアの誕生の場は、伝統的に、エルサレムの、現在の「聖ステファノの門」の近く、聖アンナ教会があるところだったろうと言われている(諸説あるけれど)。それは、イスラエルの民の宗教の中心地、エルサレムで起こったとしても、当時、ほとんど人目に付かない、宗教の指導者たちの目からは隠された、「小さな」出来事だっただろう。

 7月、ローマの恩師、先輩たちと会い、ヨーロッパにおいても「マイナー」な神学分野であるマリア論の研究を、喜びと熱意をもって続けている姿を見た。また、ローマ出張の後に訪問したポーランドの共同体の姉妹たちの、素朴で力強い信仰と、聖母への、子どものように単純な崇敬を体験した。

 8月、本部修道院では、被昇天の聖母祭日 8月15日 を中心に、祭日前の「9日間の祈り」(ノヴェナ)と、祭日を含む「8日間の祈り」を、姉妹みなで祝った つまり、8月6日から始まり、8月15日で頂点を迎え、8月22日の天の元后聖マリアの記念日までその間、晩の教会の祈りの少し前に聖堂に集まり、聖母賛歌を歌い、聖母の被昇天の神秘に関する教会の伝統を、ゆったりと聞く 今年は特に、教皇フランシスコ、教皇ヨハネ・パウロ二世の講話、祈りを味わった。

 祭日、8月15日には、一時間の「被昇天の聖母の集い」を行った。修道院の長い廊下を通って聖堂まで、聖母像を先頭に聖歌を歌いながら行列し、聖堂では、各々バラの花(シスター手作り)を捧げ、聖母像に触れて祈る。共に「聖母の戴冠式の連祷」を歌う祈りの期間中の主日には、ミサにあずかった障がい者施設の利用者、その他の信徒の方々が ミサの後、それぞれ行列をして聖母に花を捧げた。

 最終日の8月22日、天の元后聖マリアの記念日には、聖堂の大きな聖母像に荘厳に戴冠し、九日間と八日間の祈りの中で捧げてきたものすべて(花、手紙…)を、聖母像の前に捧げた。

 聖母や聖人のご像や絵に触れたり接吻したりするのは、日本的な感覚ではないかもしれない。でも、本部修道院は、ポーランド、韓国、ベトナムの姉妹たちと共に共同生活をしている場。それぞれの国の信仰感覚-それは特に、「民間信心」の中に培われ、温められ、表現される-を共有することによる豊かさを、わたしたちは現に経験している。

 いわゆる「民間信心popular piety」については、教皇フランシスコがたびたび示しているように、パウロ六世の、使徒的勧告『福音宣教Evangelii nuntiandi 1975 -まさに、福音宣教に関する「座右の書」-48項に、簡潔だが深い要約を見ることが出来る。それをさらに、現代のわたしたちにも分かりやすく説明したのが、教皇フランシスコの使徒的勧告『福音の喜びEvangelii gaudium 2013 122 126項(「民間信心がもつ福音化の力」というサブタイトルがついている)だろう。

 付け加えれば、パウロ六世の文書自身、第二バチカン公会議の『教会の宣教活動に関する教令Ad gentes 1965 第2項の、次の要約的一節を深めたものとも言える:「地上を旅する教会は、父である神の計画に従って、御子の派遣と聖霊の派遣とに由来するのであるから、その本質上、宣教的である」。

 教皇フランシスコは、『福音の喜び』の123項で、第二バチカン公会議後の数十年間で「再評価」されるようになった民間信心に「決定的な弾みをつけた」のが、パウロ六世の『福音宣教』であると述べ、次のように要約している:「パウロ六世は、民間信心は『素朴で貧しい人々のみが知りうる、ある神への渇きを示していて』、『信仰告白が問われるときには、人々に自らをささげて、熱心に徳の頂点の至らせる力を与えます』と説明しています」。

 また、125項では、教皇フランシスコ自身の経験を 日常の分かりやすい言葉で表現している:「今、わたしが思い出しているのは、彼ら[貧しい人々]の強い信仰です。信条(クレド)の信仰箇条を知らなくとも、病気の子どものベッドの足元で熱心にロザリオを唱える母親たちのことです。マリアの助けを求めて、質素な家にともされたろうそくに心からの希望を寄せる人々、十字架のキリスト像に親しみを込めたまなざしを向ける人々のことです。神の忠実で聖なる民を愛する人なら、こうした行為は神的なものを求める自然な探求心に過ぎないという見方はしないでしょう。こうした信心行為は、わたしたちの心に注がれた聖霊が働く、み心にかなう生活の表れです(ロ―マの信徒への手紙5 章5節参照)」。

 本部修道院の「聖母賛美」の中で、聖母像に軽く手を触れる人、その顔をやさしくなでる人、何かを語りかける人、手を置きながら、しばらくじっと祈る人… 姉妹の中に、それを「外面的」とか、「迷信的」などと言う人はいない。どの姉妹も真剣。そして、おのおのの、聖母との対話を尊重し合う。そのようにして、賛美の時は深められていく。

 8月中提出の、日本カトリック神学院、神学2年生の「マリア論」レポートの採点をした。毎年のことだが、神学生たちのレポートが入った 版の封筒が届くと、緊張する。

 むやみに開けて、神学生たちのレポートを、その辺に散らばせておく気持ちはなれない。というわけで、結局、8月下旬まで、封をしたまま、作業室に置かれていることになる。採点をする日は、前日から「覚悟」を決め、作業室の机の上の整理をする。当日の朝、(少しは整頓された)作業室で、祈りながら封を開ける。

 なぜ緊張するか、といえば、神学生たちのレポートは、自分の授業を、ある意味で「映し出す」ものとも言えるからだ(少なくともわたしはそう思う)。わたしが伝えたかったことが反映されているのを見たら、素直に感謝。わたしの授業で欠けていたことが反映されているのを見たら、率直に反省、来年度のための参考とする。

 大神学校での授業、初めての年は、もしも落第点を付けなければならないほどのレポートがあったらどうしよう、と心配だった(自分もつい最近まで学生だったから)。しかしこれは杞憂に過ぎないことを、最初の年で分かった。

 点数を付けるというのは、付けられる方もだが、付ける方も、気分のよいものではない。どこまで、自分の好みではなく、客観的に評価できるのか。

 わたしは、採点のために決めた日は、他の仕事で中断せずに、一気に集中してレポートを読むことにしている。全部読んでから、一つ一つ読み直し、また全部読む。採点をした後で、「神学生たちに向けて」、全体的に評価できる点、全体的に欠けていると思われる点を示し、参考のためにアドバイスを書く。 一枚の、簡単なものだが、これがせめてもの、わたしの神学生たちへの感謝の気持ちである。

 今年の神学2年生のレポートも、わたし自身、教えられることが多かった。神さまは、一人ひとりを、ご自分の姿、似た者として造られた。その、一人ひとりが、こんなに違うということは、神さまがいかに、限りなく大きく、広く、深いかを教えてくれる。誰一人欠けても、唯一の方向に向かって歩んでいる「人類家族」の旅路に必要なものが、欠けるだろう。

 「独り言」の始めに戻れば…  わたしのしていることは、何と小さいのか、と、時々思うことがある。

 そういう時には「初心」にもどりたい。わたしの初心だけでなく、キリストの民の初心、そして、神の民の初心。 モーセは、イスラエルの民全体に思い起こす:「あなたの神、主は地上のすべての民の中からあなたを選んで、ご自分の宝とされた主があなたたちに愛情を傾けて、あなたたちを選ばれたのは、あなたたちがほかのどの民よりも数が多かったからではない。事実、あなたたちはすべての民の中で最も数の少ない民であった。しかし、主はあなたたちを愛誌、また先祖に立てた誓いを守られたので、主は強いその手であなたたちを導き出し、どれの家から、エジプトの王 ファラオの手からあなたを贖われた」(申命記7章6~ 8節参照)

 イスラエルの娘、ナザレのマリアは、だから、高らかに宣言する-「主は、身分の低いはしためにも目を留めてくださった」。「身分の低い者を引き上げ」、「飢えた人を良いもので満たす」主、力ある方が「 わたしに偉大なわざを行われた」と(ルカ福音書1章 48 、49、 52、 53節参照)。

 イエス自身、父である神が、「小さい者たち」にご自分を現してくださったこと、それが神の望みであることを知り、喜びにあふれる(同10章 21 、24節参照)。

 6月に訪問した、韓国の「マリアのけがれなきみ心」修道会の総長、Sr.Mにメールを書いた。わたしたちは小さなもので、小さなことしか出来ないけれど、その小さなことを、率直に、単純に、謙虚に積み重ねていきたい、それがマリアに倣う生き方なのだと思う、協力してくださいませんか、と。Sr.Mから、小さな力を分かち合って、よろこんで協力します、と返事が来た。

 父である神が、わたしに、わたしたち一人ひとりに託した「夢」。わたしたちは、その「夢」の実現の協力者なのだろう。そして、神の望みは、すべての人を、ご自分の永遠の命の中に招き入れることである。わたしたちは、神の「夢」を実現しながら、わたしたち一人ひとりの召命を実現していくのだろう。それは、わたしたち一人ひとりが、「わたしたち自身」になること-造り主の神が望んだわたしたちの姿になること-である。

(岡立子=おか・りつこ=けがれなき聖母の騎士聖フランシスコ修道女会修道女)

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2018年8月30日 | カテゴリー :