・Dr.南杏子の「サイレント・ブレス日記」㉝「死の会議」で学ぶこと

 病院では日々、さまざまな会議が開かれる。新しい医療知識や技術を学んだり、ミスになりそうな事案を報告したり、サービス向上を図るために情報共有を進めたり……。

 その一つに、「デスカンファレンス」がある。直訳すれば「死の会議」。「死亡症例検討会」などとも呼ばれ、病院で亡くなられた患者さんの症例を振り返る勉強会のことを言う。多いところでは週に1回、あるいは月1回程度のペースで開催されている。とりわけデスカンファレンスは、手術や治療にかかわる死亡事例が発生した場合に重要度を増す。患者さんが死に至った経緯を細かく検証し、医療の質や完全性を高めることに医療者が意を注ぐためだ。

 デスカンファレンスを開く目的は、別のところにもある。先日筆者が出席したデスカンファレンスで取り上げられた症例は、老衰で亡くなった男性患者・田神さん(85歳)だった。

 入院当初の田神さんは、「僕には仕事が山ほどある。こんなところで、のんびりしていられない。すぐに帰るからタクシーを呼んでくれ!」と繰り返す。「ご家族と相談しましょう」と言うと、「あてになるかっ」とかえって激昂し、パジャマ姿で外に出ようと開いたドアに向かって突進する。「危ないですから」と制止しようとするスタッフを殴りつけた。

 すでに認知症の症状を呈していたゆえだが、デスカンファレンスにある看護師の対応報告は、次のようなものだった。

 「『かしこまりました。車はただいま呼びますので、お茶でも飲んでお待ち下さい』と言って、おやつを出しました。すると、田神さんはお茶を飲み、おやつを食べ、スタッフと雑談しているうちにタクシーのことを忘れてしまいました。夕方になって再び『タクシーを』と言われた際には、『もう暗くなってきましたから、今夜はお泊まりになられては?』とうながすと、穏やかに納得してくださいました」

 すでに多くのスタッフは知っていたことだが、担当していなかったスタッフは大きくうなずく。患者の個々の症状やエピソードを再確認し、それに応じてなされたケアを記憶に刻むことで、今後のよりよいケアにつなげることができる。新人ナースにとっては、ベテラン看護師長の報告を通じて、彼女たちの「技」を学ぶ場でもあるのだ。

 デスカンファレンスはまた、医療スタッフのクリーフケア(悲しみのケア)を行う場でもある。

 長く時間をともに過ごした患者さんが亡くなることで心の痛みを抱えるのは、家族や友人だけではない。医師、看護師、介護士らも同様に悲嘆に襲われ、ときに絶望と孤独を感じる。看取りの事例を静かに振り返り、悲しみを共有することはスタッフにとっても極めて重要だ。

 この点を強く意識して、会議の前に長い瞑想の時間を取るケースもある。さらには、デスカンファレンスに僧侶を招き入れる病院も出始めた。欧米では教会の聖職者が病院と積極的な関わりを持つのが当たり前だが、日本でもようやく変化が生まれつつあるということだろう。

 本稿の前半で、「とりわけデスカンファレンスは、手術や治療にかかわる死亡事例が発生した場合に重要度を増す」と書いた。しかし、覚えておられるだろうか、あの「事件」を。腹腔鏡による高難度の肝臓手術を受けた患者が次々と死亡した群馬大学医学部附属病院の旧・第二外科(消化器外科)では、患者8人が亡くなるまで約3年半にわたってデスカンファレンスが開かれることはなかった――という。

 この事実一つにしても、私たちが学ぶべき点は多い。

(みなみきょうこ・医師、作家: 終末期医療のあり方を問う医療ミステリー『サイレント・ブレス―看取りのカルテ』=幻冬舎=が、昨年7月に文庫化されました。クレーム集中病院を舞台に医療崩壊の危機と医師と患者のあるべき関係をテーマに据えた長編小説『ディア・ペイシェント』=幻冬舎=も好評発売中)

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2019年8月3日