・菊地大司教の日記㉞真生会館感謝の集いーさらなる信仰養成と学びの場に

2018年10月 6日 (土)

 信濃町にある真生会館が、新しい建物になってから二年。6日の土曜日の午前11時から、二周年を記念して感謝ミサが捧げられました。

  新しいビルの四階には聖堂がありますが、感謝ミサに集まったすべての人を収容するには小さすぎます。そこでミサは、三階のネランホールで行われ、私が司式し、森司教と福島一基師が共同司式してくださいました。

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Shinseikaikan1804 信濃町にある真生会館が、新しい建物になってから二年。本日10月6日の土曜日の11時から、二周年を記念して感謝ミサが捧げられました。

 新しいビルの四階には聖堂がありますが、感謝ミサに集まったすべての人を収容するには小さすぎます。そこでミサは、三階のネランホールで行われ、私が司式し、森司教と福島一基師が共同司式してくださいました。

 

 真生会館には長い歴史があります。ホームページに掲載された理事長の森司教の言葉には、次のように記されています。

 「真生会館が、産声を上げたとき。それは、今から80数年前の1934年。日本全体が軍国主義一色に覆われて行った日本社会に、キリスト教的な価値観に根ざした若い人々の育成の必要性を確信した岩下壮一神父によって、財団法人聖フィリッポ寮として誕生しました」

 1952年からは、学生寮を廃止して、信仰養成の学びの場として真生会館となり、さらに新たな生涯学習の場として、現在の建物での活動は2年前から始まっています。定期的に様々な講座が開かれており、東京教区のみならず関東一円の、信仰養成と学びの場として、重要な役割を果たしてくださっています。

Shinseikaikan1806 神のみ言葉は教会内外の至る所に種まかれていますが、その種がふさわしく健全に育っていくためには、教会共同体の積極的な関与が不可欠です。その意味で、真生会館にかぎらず、信仰の継続養成は不可欠です。それは、一人個人の信仰を深めることに留まるのではなく、教会共同体全体の一致と、その一致がもたらすあかしの働きを深め、社会の中で福音を生きるあかしの共同体を実現するために、欠かすことができません。これからの真生会館の活動と、福音宣教への貢献に期待しています。

 ミサ後、懇親会を挟んで、午後1時半から講演をさせて頂きました。わたし自身のアフリカでの宣教師の体験と、それに続く新潟での体験などから、現代における福音宣教の可能性についてお話しさせて頂きました。(写真は歌っているわけではなく、話しているのです)

Shinseikaikan1803 祈りあい、分かちあい、学びあい、支えあう教会共同体は、必ずや福音を宣教する共同体へと育っていきます。一つの体の部分として、それぞれが与えられた使命に気がつき、自らの役割を忠実に果たしながら、信仰における一致のうちに、福音を告げ知らせる共同体をそだてていきたいと思います。

 さて報道されているように、バチカンではシノドス(世界代表司教会議)が始まっています。今回は「若者、信仰そして召命の識別」をテーマとして、代表の司教たちが青年たちの声に耳を傾けるところから会議が進められているようです。日本の教会からは、札幌教区の勝谷司教が代表として参加しています。会議は10月28日まで開催されます。また、先日、司教任命に関する暫定合意が署名されたと報じられている中国からも、2名の司教が参加しています。(なお暫定合意については、具体的な内容がまだわかりませんので、今の段階では情報は提供できません)

 バチカンニュースによれば、開会のミサ説教で、教皇様は次のように述べられたと言うことです。

「若者たちは、彼らの尊厳ある人生の発展を妨げるすべてのものに対する戦い、創造性・知的な大胆さ・情熱・希望に満ちた献身を、わたしたちに望んでいると述べた教皇は、若者たちの人生を脅かし、そのビジョンを曇らせる死の商人たちの手に、彼らを委ねたままにすることはできない、と話された」

 様々な意味で危機に直面している教会は、これまでの歩みを真摯に振り返り、将来の世代を担う若者たちの声に耳を傾けながら、よりよい道を選び取って行こうとしています。東京教区でも、同じようにできるだけ多くの若者たちの、国籍を超えた若者たちの声に、教区全体が積極的に耳を傾けることができればと思います。

(菊地功=きくち・いさお=東京大司教)(「司教の日記」より許可を得て転載)

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2018年10月7日