・菊地大司教の日記㉝20回目の新潟教区信徒大会を秋田・大潟村で一泊二日

2018年9月30日 (日)第20回新潟教区信徒大会@秋田

 第20回目となる新潟教区の信徒大会が、9月29日と30日、秋田県の大潟村で開催され、新潟教区各地から170名以上の方々が参加してくださいました。大潟村というのは、八郎潟の干拓地で、広々とした干拓地の一角にあるホテルサンルーラル大潟が、今回の信徒大会の会場となりました。

Kyokutaikai1804 新潟教区は、秋田県、山形県、新潟県の三県からなる教区で、南北に非常に長く、南の端の糸魚川から北の端の大館までは、距離にして560kmにもなります。これをすべて自動車で移動すると、8時間強。鉄道の便も非常に悪い。

 そんな南北に長い教区ですから、なかなか教区全体の行事というのが企画しにくいのです。そこで、3年に一度に絞り、各地区持ち回りで、教区全体の信徒大会を開催しています。今回はその20回目。秋田県が担当でした。

Kyokutaikai1805 教区全体では、統計上は七千人は信徒がおられるので、今回参加した170名は、本当にその一部でしかありませんが、しかし今回は、一番南の端の糸魚川からも、信徒の方々がバスに乗って駆けつけてきてくださいました。全部で30ほどある小教区のうち、21の小教区から代表が参加。

 信徒大会は、昨日午後の基調講演で始まりました。今回のテーマは「愛のよろこび」。もちろん教皇フランシスコの使徒的勧告の表題です。基調講演は、私が務めました。

 その後、小グループに分かれて分かち合い。夕食は懇親会で、各県からの歌や踊りの披露となりました。

 日曜は、まずそれぞれの地区から、都合4名の方が、自らの信仰体験について分かち合ってくださいました。そして最後は派遣ミサ。

Kyokutaikai1803台風も近づいていたこともあり、山形や新潟方面にバスや車で戻る方も多数おられたので、大会は11時半で終了。帰途につきました。 私は、東京まで飛行機で帰る予定でしたが、結局台風のため欠航に。急遽、秋田新幹線で戻りました。

 3年に一度であり、また全員が参加できるわけではないのですが、こういった教区全体の代表が集まって分かち合い、交流を深める大会は、とても大切だと思います。これに参加した個々人が、自分だけのよい思い出として心にしまい込むのではなく、ご自分の小教区に戻ってから、大会で心に残ったことを分かち合ってくださることを期待します。共同体の中での信仰体験の分かちあいから、わたしたちの福音宣教始まります。

 準備してくださった、秋田地区の皆さん、ありがとうございました。東京教区でも、こういった信徒の交わりの集いを、実行してみたいと切に思います。東京教区の皆さん、いかがですか?

(評論)このような行事は、東京教区でも白柳枢機卿・大司教、森補佐司教のもとで、第二バチカン公会議と全国福音宣教推進会議の精神を受けて作られた「生涯養成委員会」(今あるものとは別)で、行われていたものに近い。生涯養成委員会には3グループ、40代から50代の20数人の信徒それに数人の若手司祭がスタッフとして、各小教区から自由意思で集まり、毎月全体会議、グループ会議を開いて企画を立て、東京教区の全信徒を対象に「一泊交流・分かち合いの会」「日帰り黙想会」「教会運営に関する連続講演会」、さらに、特別企画として連続講演会「第二バチカン公会議と私たちの歩むべき道」を開催し、信徒たちの精神的、実質的な意識向上、小教区での具体的な活動に大きな成果を上げてきた。生涯養成委員会の活動は1990年代に10年以上にわたって続けられたが、大司教、補佐司教の交替とともに委員会のスタッフたち関係者に全く何の説明も、通告もなく、カテドラルに置かれていた事務局もろとも”消滅”させられた。その後、このような東京教区挙げての信徒の恒常的な活動はなされていない。別ものの”生涯養成委員会”はあるようだが、小教区にその活動はほとんど知らされず、構成員がどのように選ばれ、どのような方がいるのかも定かでない。そのような経過を知ったうえで、どうするのか。当時のスタッフも高齢化し、どのように再び行動を起こせばいいのか。40代、50代の信徒にかつてのようなこうした活動への熱意をどの様に呼び起こすか、課題は少なくない。(「カトリック・あい」南條俊二)

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2018年10月4日