バチカン放送は、国際放送なので、時差の関係で全ての番組が録音され、放送の時間が来ると、担当の技術者がオン・エアする、という形をとっている。だから録音中にたまに読み間違えても、失敗しても、やり直すことができるから安心。録音をするスタジオと外の副調整室で働くミキサーとは、両方に通じるマイクで交信できる。
原稿を読み違えてしまい、止まって読み直すときに、ミキサーに「あと、何分残っている?」と聞けば、「3分とか2分」と真面目に応えてくれる。ところが「あと何秒?」と聞くと、「まだそんな言葉を覚えているのか?あと1秒」などあり得ない答えが返ってくる。「放送は秒刻み」というのが、日本人の常識だった。だから、わたしたちは時間を厳守するように努めた。
でも、イタリア人にとっては「何秒」などという言葉は、頭の片隅にもない。いくら「日本ではこうなのだから」と説明しても、正確な時間に仕上げようとしても、「あんたたちは時間の奴隷だね。僕たちは自分で時間を支配している」と胸を張る。わたしたちの要求は無視して。
日本に休暇で帰ってきたとき、NHKの国際放送局を訪ねた。その時に、こう言われた「時間にルーズなのは、バチカン放送とブラジルの放送です」。
バチカンに戻り、会議の時にそのことを報告したら、「これは、少なくとも、日本でわたしたちの放送が聞かれている、という証拠だ」と、技術部副部長。唖然として言葉が継げなかった。考えようによっては、イタリア人のこの楽天的でおおらかな国民性が、いわゆる「外国人」と呼ばれる人々を寛大に迎え入れ、いささかの違和感も感じないで、生活できるようにしてくれるのかもしれない。21年間のイタリア滞在で、一回もホームシックにかからず、元気で働き続けることができたのも、そんお蔭かもしれないと、今にして思う。
( 石野澪子・いしの・みおこ・聖パウロ女子修道会修道女、元バチカン放送日本語課記者兼アナウンサー)