教皇フランシスコが映像回線で上智大学の学生、高校生と対話・概要(カトリック・あい)

(2017.12.18 「カトリック・あい」)

 上智大学が18日夕、映像回線で教皇フランシスコと学生が直接対話する「教皇フランシスコと話そう」を開いた。対話は1時間にわたって、バチカンと四谷キャンパスを映像回線でつないで行われ、上智大学から院生とミャンマーからの留学生を含む学生の5人、上智短大生1人、神奈川・栄光学園と神戸・六甲学院の高校生2人の計8人が教皇に質問し、教皇がそれぞれの質問にお答えになった。主なやり取りの概要は次の通り。

問い「大学における教育で一番大切なのは何でしょうか」

教皇「頭の言葉、心の言葉、手の言葉の三つの言葉を教えることです。それを通して、自分自身のためだけではなく、他者への奉仕を教えなければなりません。現代の競争社会の中で効率主義に陥ることは避けねばなりません」

問い「教皇になられて一番うれしかったことは何ですか」

教皇「うれしかったことは一つではありません。たくさんあります。その中で特にうれしいと感じるのは、多くの人と一緒にいて、挨拶をかわし、話をすること、子供たち、病気の人、お年寄りと一緒にいると、元気な自分が若く感じる。それが私にとって、一番大きな喜びです」

問い「現代の若者たちに対してお持ちになっている最も大きな希望と心配は?」

教皇「若者たちは先に進む力を持っていますが、私が心配するのは、進み方がどんどん早くなっていることです。急ぎ過ぎて、過去の記憶を無くし、自分のルーツを失ってしまわないか。自分の家族の、人間としてのルーツを持たない若者になる・・それが心配です。26年前に私は黒沢監督の「8月の狂詩曲(ラプソディー)」を見たことがありました。ご覧になっていない方に、ご覧になるようにお勧めしたいのですが、その映画では様々な人の出会いが描かれ、中でも印象に残ったのはお年寄りと若者が交流する中で、若者たちが自分のルーツを見つけた、というシーンでした。・・・私は、ルーツの無い若者になってほしくありません。ルーツを見つけるために、『記憶』が必要であり、お年寄りと話をする必要がある。自分のルーツ、家族としてのルーツ、人間としてのルーツが無ければ、花は咲かないのです。過去の記憶、現在、そして将来。この三つの時期を合わせる必要があります。それをすることで、将来、実をつけることができるのです。そのためには、いつも頭と心、体を動かしてルーツにしっかりと根を下ろし、未来を見据えて、現代の課題に挑戦する、そういう若者に希望を託します。動かない若者、老人のような若者、ソファーに座ったままの若者、”博物館”のような若者になってほしくない。いつも動き、課題に挑戦し、将来を見据える、そうした若者は、将来を変えることができると思います」

問い「現代社会で宗教の重要性は何でしょうか」

教皇「宗教は、現在も一部で言われているような阿片、麻薬ではありません。人の持っている良い面を伸ばすもの。長崎で原爆被災者の救援に当たられ、ご自分も白血病にかかって命を落とされた永井博士を知っていますが、自分の限界を超えた他者への奉仕に向かう力となるものです。その重要性は今も変わりません」

問い「教皇は環境回勅『ラウダート・シ』をお出しになっています。複雑に問題が絡み合った現代の世界で、環境を守るにはどうすればいいのでしょうか」

教皇「今、世界は『環境保全を深刻に考え、実行するか』それとも『人類破壊の限界まで進むのか』の選択に迫られています。太平洋の島国の中には、海面上昇で国土が消えてしまう危機を迎えている国もある。北極海では夏に氷が解けて、船が通航できるようになっている。地球上のいろいろなところで、環境破壊が進んでいます。酸素供給に必要な森林がアマゾン地域などで失われ、海洋汚染で魚が十分に育たなくなってきている。こうしたことは経済的な利益だけを追求し、他のすべてを犠牲にする中で起きているのです。私が出した回勅は、環境だけを問題にしているのではありません。環境の均衡を失することが社会の不平等も生んでいる。大規模農業の拡大で、小規模農民の土地が搾取され、生活の場を追われ、年に追いやられ、貧しい生活を強いられている。アルゼンチンでも大規模な大豆生産が進んでいるが、その結果、農地が疲弊してしまう恐れが出ている。以前は、何年か収穫をしたら、農地を休ませ、地力を回復させてから作付けを再開する、というやり方がされていましたが、そういう慣行が失われています。要するに、世界の発展の中心にお金がある。人々は人間的なものを喪失し、貧困に陥る・・のです」

問い「教皇ご自身の自己イメージは何でしょうか」

教皇「それは、鏡に映った自分の顔を見るようなものです。『神がとても愛してくださる罪びと』。それが私のイメージです。あるイタリアの映画でこういうシーンがありました。年取った女性の顔を見て、ある人が皺をとるようにすすめます。でも彼女は「何年もかかって作られたものをとりたくありません」と拒否します。鏡を見て、実体よりも見かけを良くしようとするのはどうでしょうか」

問い「難民・移民についての世界大会が予定されていますが、教皇は『彼らを受け入れる共同体の成長が大事だ』と言われています。難民と難民を受け入れる人々との協調をどうお考えになりますか」

教皇「移民・難民の歴史は人類の歴史と同じくらい長い。欧州の人たちも元は移民です。そして現在の欧州の移民・難民の問題は、国連の関係者が言っておられましたが、第二次大戦後の最大の人類の悲劇です。戦乱や飢餓から逃れてきた人々は、受け入れ、取り込む必要があります。受け入れても、ゲットーのようなところに押し込めてはいけません。そうすることがテロリストを育ててしまう。子供たちを学校に行けるようにし、大人たちが仕事につけるようにし、彼らがその国の中に溶け込んで、生活できるようにしなければならない。過去50年を振り返ると、欧州でそれをやってきたのはスエーデンですが、今はイタリヤ、ギリシャも自国の社会に移民・難民が溶け込めるように努力しています。ラテンアメリカでは『混血』という言葉を使いますが、移民たちが現地の人たちと混血して新しい家族ができ、変わっていく。宗教や文化で壁を作らず、一体になって、家族になっていく必要があるのです。また、欧州は現在、人口の‶冬”を迎えています。人口を維持していくだけの子供が生まれていない。早晩、域外から来る人でカバーせざる終えなくなる、受け入れることがどうしても必要になります」

問い「教皇は日本にどのようなイメージをもっておられますか。日本においでになる予定はありますか」

教皇「私は日本に行ったことがあります。東京にも行きました。日本の国民は宗教的にも優れた能力をもち、非常に勤勉です。また多くの苦しみを経験されてもいます。確かに日本は、競争社会、消費社会など多くの問題を抱えていますが、偉大な国であり、私は尊敬しています。日本訪問の公式の招待をお受けしたいのですが、他にもたくさん訪問すべきところがあり、いつ訪問させていただけるかまだ分かりません。でも、今回のようなやり方でコミュニケーションをとることもできるので、いろいろなやり方を考えてほしいと思います」

(文責・「カトリック・あい」南條俊二)

 

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2017年12月18日