・「女性司祭禁止は教会に”緩やかな死”をもたらす」とアイルランドの閣僚(THE TABLET)

(2019.2.12 Tablet  Sarah Mac Donald)

 カトリック国、アイルランドの閣僚がカトリック教会が女性司祭を禁じている問題を取り上げ、「行き過ぎた差別」であり、教会に「緩やかな死」をもたらすだろう、と批判した。

 首都ダブリンのホテルを会場に今週開かれた「 We Are Church Forum」で、講演者として招かれたジョセファ・マディガン文化、伝統、ゲールタハト(アイルランド語=ゲール語=を公用語とする地域)担当大臣が語ったもの。

 マディガン大臣はこれまでも、シノドス(世界代表司教会議)やバチカンの委員会に出席して、教会における女性の役割拡大を求めてきたが、今回のフォーラムでの大臣の演題は「信仰共同体:なぜカトリック教会が女性に全ての聖職を開放すべきなのか」。

 講演の冒頭、「カトリック信徒としての私の見方では、司祭職を務めることを含めて、女性が祭壇に立つことが驚きであってはなりません」と述べ、自身がカトリック教会の一員として語っていることを強調したうえで、「カトリック教会が女性に基礎をおいているにもかかわらず、神が(司祭になるように呼ばれていると感じている女性を)差別すると、本当に信じますか?」と会衆に問いかけた。

 そして、「指導的役割を女性が担わない教会は弱々しい教会です。教会における指導的役割についての考え方の転換が強く必要とされています」と訴え、「私は娘であり、主婦、母親です。私は女性であり、あなた方に言うことができます。『もし、私たちの娘たちに適した教会を望むのなら、心と頭を変える必要がある』と。女性たちは待っています。女性たちは注意して見守っています」と語った。

 会場の外では、彼女の堕胎についての見方や女性司祭の主張に反対する人々が、教会は彼女を「公けに破門すべきだ」と叫んだ。講演の後、マディガン大臣はTabletのインタビューに答え、「そのような声はいつものことです。別に驚きませんし、傷つきもしません」としたうえで、バチカンからお咎めを受ける司祭たちと違って、自分は「カトリック教会の普通の信徒であり、私が現在の教会について考えている不十分な点と差別について話すのは自由です」と自信をもって語った。

(翻訳・「カトリック・あい」南條俊二)

(Tabletはイギリスのイエズス会が発行する世界的権威のカトリック誌です。「カトリック・あい」は許可を得て翻訳、掲載しています。 “The Tablet: The International Catholic News Weekly. Reproduced with permission of the Publisher”   The Tablet ‘s website address http://www.thetablet.co.uk)

 

 

2019年2月14日

・日本人もメンバーの修道女ロックバンドが世界的な人気、WYD大会でも教皇の前で歌う

(2019.1.31 カトリック・あい)

 チリ、日本、エクアドル、中国、コスタリカ出身の若い修道女たちのロックバンド「シエルバス(Siervas、スペイン語で「しもべ」)」が、動画投稿サイトYouTubeや音楽サービスのSpotify、iTunesでヒット曲を飛ばし、AFP(フランス通信社)など世界のメディアにも取り上げるなど、人気を呼んでいる。27日までパナマで開かれた「世界青年の日(WYD)」大会でも、教皇フランシスコと世界の若者たちの前で歌った⇒https://youtu.be/m1u4SEYNxFcで動画で聞けます。

 メンバーの一人、シスター・イボンヌはAFPに「これは、福音の教えを伝え、私たちの強さを示す新しい手段」「つまり、ロックは私たちが好きな音楽で、私たちがどういう人間かについて多くを表現してくれるのです」、日本人のメンバーでバイオリン担当のシスター・アリサは「私たちが集まったのは、神様のおぼしめしでした」と語っている。

 シエルバスは2014年にリマで多国籍の音楽好きの修道女たちによって結成され、これまで米国を含む11か国で演奏してきた。キリスト教の教えを基にしているが、メロディーはロックそのもの。ペルーの首都リマで高層ビルのヘリパッドを舞台に演奏するミュージックビデオ「トラスト・イン・ゴッド(Trust in God)」は口コミで広がり、ユーチューブで約200万回再生された。(▷をクリックすると演奏が聴けます)

Siervas

 

2019年1月31日

☩「あなた方は『明日』ではない、『神の今』だ」教皇、WYD閉幕ミサで

(2019.1.27 VaticanNews Seàn-Patrick Lovett)

 「世界青年の日(ワールドユースデー、WYD)」パナマ大会」は27日、最終日を迎え、教皇フランシスコは「ワールドユースデー・パナマ大会」の閉会行事として、パナマ市郊外のカンポ・サン・フアン・パブロIIで約70万人の若者たちと共に、記念ミサを祝われた。ミサの終わりに、次回大会を2022年、ポルトガルの首都リスボンで行うと発表された。

 教会は閉会の言葉の中で、「マリアと共に、神が私たちの中に蒔かれた夢に、『はい』と言い続けましょう」と呼びかけられた。そして、この日のミサで読まれたルカ福音書の箇所、「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」を取り上げ、「今日」を「今」と解釈されたうえで、「イエスは神の今を明かされました…イエスにおいて、約束された未来が始まり、命が吹き込まれたのです」と語られた。

 しかし、「残念なことに、私たちは神が明確で日常的、近くに実際におられるということを、いつも信じてはいません」、なぜなら「近くにいつもおられる神、友であり兄弟は、私たちが周囲に関心をもつことを求めれおられるからです」。「神は、愛が真実であるがゆえに、真実なのです」と強調された。

 そして、教皇は「待合室で、お呼びがかかるまで待っている」ような生き方の危険に言及され、大人も若者も「自分の『今』はまだ来ていない」、つまり、夢を抱き、未来のために働くにはまだ若すぎる」と考えるリスクを冒している、と注意された。

 さらに昨年10月に開かれた「若者シノドス(全世界代表司教会議)」を取り上げて、「この会議は『自分たちが他の人を必要としている』ということ、『夢を持ち、明日のために働く、それを今日から始めるように、励まさねばならない』というこを、はっきりと知るのを助けてくれました」。そして、教皇は「明日ではなく、今… あなた方には使命があり、愛する、ということをはっきりと知ってください」と若者たちに求められ、「私たちは何でも手にするでしょう。しかし、愛の気持ちがなければ、何も持つことはできないのです」と力を込めて語られた。

 また、イエスにとって”間を置く”ということはなく、「人生に合間や束の間の熱狂はなく、私たちにお任せになる心の広い愛をもって、招いておられます」。だから、全ての若者たちも「恐怖や排除、憶測や心理的な操作によって麻痺させられてはなりません」「イエスの具体的で、側にある、真実の愛をはっきりと知るように」と諭され、主とその使命は「一時的なものではない。私たちの人生そのものです」と強調された。

 ミサの終わりに、教皇は「パナマで世界青年の日の夢が現実になった」ことに貢献した全ての人に感謝の言葉をかけたが、最後の言葉は若者たち自身へのものだった-「私たちは旅の途上にいます… 歩き続け、信仰を生き続け、そして信仰を分ちあってください」、そして「あなた方は『明日』ではなく、『合間』でもない、あなた方は『Now of God(神の今)』なのです」と改めて強調された。

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

Concluding Mass at Panama(バチカン放送)

教皇、パナマ訪問からバチカン入り、聖マリア大聖堂で祈り

(2019.1.28 バチカン放送)

 教皇フランシスコは、5日間のパナマ司牧訪問を終了し、イタリア時間1月28日午前11時過ぎ、ローマに戻られた。

 教皇は、カトリックの若者たちの祝祭「世界青年の日(ワールドユースデー、WYD)」のパナマ大会に出席のため、1月23日から27日まで、同国を訪れていた。27日午後、パナマでの公式行事を終えた教皇は、トクメン国際空港内でフアン・カルロス・バレーラ大統領と短い会談を行われた。そして、送別式に臨まれた後、バレーラ大統領や現地の教会関係者らに見送られ、特別機でパナマを後にされた。

2 8日、ローマに到着された教皇は、海外訪問などの際に習慣とされているように、市内の聖マリア大聖堂(サンタ・マリア・マッジョーレ)の聖母画「サルス・ポプリ・ロマーニ」の祭壇で、感謝の祈りを捧げ、バチカンにお戻りになった。

2019年1月28日

☩教皇、パコラの少年刑務所訪問「私たちは『決めつけ』に勝る存在であるはず」

(2019.1.25 バチカン放送)

 パナマ訪問中の教皇は25日、パナマ県・パコラ市にある少年刑務所を訪れ少年刑務所の収容者たちと共に過ごされた。

 「見失った羊」のたとえ話(ルカ福音書15章1-7節)の朗読に続く説教で、「罪人と食事するイエスを非難するファリサイ派の人々や律法学者たちの不毛な眼差し」と「人を変容させ、回心へと招くイエスの眼差し」を比べられ、「罪人に寄り添い、新しいチャンスを与えるイエスの選択に対し、罪人に先入観で接し、過去だけでなく未来まで決めつけ、善い人か悪い人に分けてしまうことの方が容易だと思われますが、私たちはこうした決めつけに勝る存在であるはずです」と強調された。

 そして「福音書はこうした『決めつけの眼差し』とは全く別の、『神の御心から生まれた愛の眼差し』に満ちています」と話され、「その愛は変容し、癒され、赦されるための、救いの道へと導いてくれるのです」と説かれた。

 最後に教皇は「人の更生を喜べない社会は病んでいます」と語り、「受容力のある、人に新しい機会・未来を与えるために進んで取り組むことのできる社会」を願われた。

(編集「カトリック・あい」)

2019年1月26日

☩「教会は”cool”ではなく、”love”だ」-WYD歓迎セレモニーで教皇

(2019.1.24 VaticanNews  Seán-Patrick Lovett)

 WYD大会の歓迎セレモニーが24日夕、パナマ市内で数千人の若者たちを集めて開かれ、教皇フランシスコは彼らと夢と愛をもつ教会のあり方を分かち合った。.

 歓声の中を教皇専用車で会場に到着した教皇は、5人のWYD代表者たちを握手を交わし、現地の人の手作りのストールのプレゼントを受け、様々な言語での聖オスカー・ロメロはじめ大会ゆかりの聖人たちの紹介などに聞き入った。

 教皇の挨拶の番が来た時、教皇は「ペトロと教会はあなた方と歩みます」「私たちはあなた方に言いたい。恐れないで、新鮮な活力と止まることの無い動きをもって前に進むように。それが私たちをもっと幸せにし、可能性を広げます…若い人たちの自由奔放なイベントでもっと面白くcoolな横並びの教会を作るためではなく」と話を始めた。

 そして、ここに来るために多くの若者が払った犠牲に注意を向けるとともに、「使徒とは、単に、ある特定の場所に到着した人ではなく、決意をもってその場所から出ていく人、リスクを恐れず、歩み続ける人のことです」「歩み続けることは、大きな喜びなのです」と強調。集まった数千の若者たちの賛同の歓声を受けながら、教皇は彼らに「出会いの文化が夢を共有して生き続けるように、私たちを招いています… 誰にでも、夢を見る機会がある…夢はイエスを指ししています」と語った。

 さらに、聖オスカー・ロメロに関する以前の説教から引用して、「キリスト教は、信じるべき真実、従うべきルール、禁止のルール…の集合体ではありません。キリスト教は『イエスが命を捧げられた夢を追求すること』を意味するのです。イエスが私たちを愛されたのと同じ愛をもって愛すること、です」。

 教皇の挨拶の締めくくりは、愛の定義について。「相手を圧倒したり支配しない、仕舞っておいたり沈黙してしまわない、自尊心を傷つけたりいばりちらさないのが、愛です」と定義され、主の愛は「日々の、分別のある、敬意のこもった愛、自由で、人を解き放つもの、人を癒し、育てる愛です。奉仕のために手を差し伸べるような静かな愛、それ自身に注意を惹かない深い関与です」。さらに「これが、道理にかなった愛、なのです」と強調された。

 そして、パナマのWYDでの教皇と若者たちの最初の出会いは、「主よ、あなたが私たちを愛してくださるように、あなたを愛することを、私にお教えください」と共に祈ることで幕を閉じた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」)

 

*教皇が用意された挨拶の全文英語版以下の通り

Dear Young People, good evening!

How good it is to get together again, this time in a land that receives us with such radiance and warmth! As we gather in Panama, World Youth Day is once more a celebration of joy and hope for the whole Church and, for the world, a witness of faith.

I remember that in Krakow several people asked me if I was going to be in Panama, and I told them: “I don’t know, but certainly Peter will be there. Peter is going to be there”. Today I am happy to say to you: Peter is with you, to celebrate and renew you in faith and hope. Peter and the Church walk with you, and we want to tell you not to be afraid, to go forward with the same fresh energy and restlessness that helps make us happier and more available, better witnesses to the Gospel. To go forward, not to create a parallel Church that would be more “fun” or “cool” thanks to a fancy youth event, as if that were all you needed or wanted. That way of thinking would not respect either you or everything that the Spirit is saying through you.

Not at all! With you, we want to rediscover and reawaken the Church’s constant freshness and youth, opening ourselves to a new Pentecost (cf. SYNOD ON YOUNG PEOPLE, Final Document, 60). As we experienced at the Synod, this can only happen if, by our listening and sharing, we encourage each other to keep walking and to bear witness by proclaiming the Lord through service to our brothers and sisters, and concrete service at that.

I know getting here was not easy. I know how much effort and sacrifice was required for you to participate in this Day. Many weeks of work and commitment, and encounters of reflection and prayer, have made the journey itself largely its own reward. A disciple is not merely someone who arrives at a certain place, but one who sets out decisively, who is not afraid to take risks and keeps walking. This is the great joy: to keep walking. You have not been afraid to take risks and to keep journeying. Today we were all able to “get here” because for some time now, in our various communities, we have all been “on the road” together.

We come from different cultures and peoples, we speak different languages and we wear different clothes. Each of our peoples has had a different history and lived through different situations. We are different in so many ways! But none of it has stopped us from meeting one another and rejoicing to be together. The reason for this, we know, is that something unites us. Someone is a brother to us. You, dear friends, have made many sacrifices to be able to meet one another and in this way you have become true teachers and builders of the culture of encounter. By your actions and your approach, your way of looking at things, your desires and above all your sensitivity, you discredit and defuse the kind of talk that is intent on sowing division, on excluding or rejecting those who are not “like us”. It is because you have that instinct which knows intuitively that “true love does not eliminate legitimate differences, but harmonizes them in a superior unity” (BENEDICT XVI, Homily, 25 January 2006). On the other hand, we know that the father of lies prefers people who are divided and quarrelling to people who have learned to work together.

You teach us that encountering one another does not mean having to look alike, or think the same way or do the same things, listening to the same music or wearing the same football jersey. No, not at all… The culture of encounter is a call inviting us to dare to keep alive a shared dream. Yes, a great dream, a dream that has a place for everyone. The dream for which Jesus gave his life on the cross, for which the Holy Spirit was poured out on the day of Pentecost and brought fire to the heart of every man and woman, in your hearts and mine, in the hope of finding room to grow and flourish. A dream named Jesus, sown by the Father in the confidence that it would grow and live in every heart. A dream running through our veins, thrilling our hearts and making them dance whenever we hear the command: “that you love one another; even as I have loved you, that you also love one another. By this all men will know that you are my disciples, if you have love for one another” (Jn 13:34-35).

A saint from these lands liked to say that, “Christianity is not a collection of truths to be believed, of rules to be followed, or of prohibitions. Seen that way it puts us off. Christianity is a person who loved me immensely, who demands and asks for my love. Christianity is Christ” (cf. Saint Oscar Romero, Homily, 6 November 1977). It means pursuing the dream for which he gave his life: loving with the same love with which he loved us.

We can ask: What keeps us united? Why are we united? What prompts us to encounter each other? The certainty of knowing that we have been loved with a profound love that we neither can nor want to keep quiet about a love that challenges us to respond in the same way: with love. It is the love of Christ that urges us on (cf. 2 Cor 5:14).

A love that does not overwhelm or oppress, cast aside or reduce to silence, humiliate or domineer. It is the love of the Lord, a daily, discreet and respectful love; a love that is free and freeing, a love that heals and raises up. The love of the Lord has to do more with raising up than knocking down, with reconciling than forbidding, with offering new changes than condemning, with the future than the past. It is the quiet love of a hand outstretched to serve, a commitment that draws no attention to itself.
Do you believe in this love? Is it a love that makes sense?

This is the same question and invitation that was addressed to Mary. The angel asked her if she wanted to bear this dream in her womb and give it life, to make it take flesh. She answered: “Behold, I am the handmaid of the Lord; let it be to me according to your word” (Lk 1:38). Mary found the courage to say “yes”. She found the strength to give life to God’s dream. The angel is asking the same thing of each of you, and of me. Do you want this dream to come alive? Do you want to make it take flesh with your hands, with your feet, with your gaze, with your heart? Do you want the Father’s love to open new horizons for you and bring you along paths never imagined or hoped for, dreamt or expected, making our hearts rejoice, sing and dance?

Do we have the courage to say to the angel, as Mary did: Behold the servants of the Lord; let it be done?

Dear young friends, the most hope-filled result of this Day will not be a final document, a joint letter or a programme to be carried out. The most hope-filled result of this meeting will be your faces and a prayer. Each of you will return home with the new strength born of every encounter with others and with the Lord. You will return home filled with the Holy Spirit, so that you can cherish and keep alive the dream that makes us brothers and sisters, and that we must not let grow cold in the heart of our world. Wherever we may be and whatever we may do, we can always look up and say, “Lord, teach me to love as you have loved us”. Will you repeat those words with me? “Lord, teach me to love as you have loved us”.

We cannot conclude this first encounter without giving thanks. Thank you to all those who have prepared this World Youth Day with so much enthusiasm. Thank you for encouraging one another to build up and to welcome, and for saying “yes” to God’s dream of seeing his sons and daughters gathered. Thank you to Archbishop Ulloa and his team who have helped Panama to be today not only a channel that joins oceans, but also a channel where God’s dream continues to find new streams that enable it to grow, to multiply and to spread to every corner of the earth.

Dear friends, may Jesus bless you and Santa Maria Antigua ever accompany you, so that we can say without fear, as she does: “I am here. Let it be done”.

2019年1月25日

・「聖ロメロ大司教に倣い、”謙遜で貧しい教会”になるべき」教皇、中米の司教たちとの集いで

(2019.1.24 バチカン放送)

 教皇フランシスコはパナマ到着翌日の24日午前、中米諸国のカトリック司教たちとお会いになった。

  パナマ市内の聖フランシスコ教会で行われた出会いには、中央アメリカ司教事務局(SEDAC)に属するパナマ、エルサルバドル、コスタリカ、グアテマラ、ホンジュラス、ニカラグアの各国司教が出席。教皇は「貧しく、苦しみながらも素直な信仰を持った中央アメリカの人々に、よりいっそう耳を傾け、理解し、献身的に奉仕するように」と一致した努力を促された。

 そして、中米が生んだ聖人、オスカル・ロメロ大司教を模範として示された教皇は、「慈しみの業を生きるために、苦しみ、自分を完全に捧げ切るまで奉仕するよう召された、その生涯」を思い起こされ、「教会の中に、キリストは生きておられる」と強調。それゆえ「教会は傲慢で、虚栄に満ちたものではなく、謙遜で貧しい教会でなくてはならなりません」と説かれた。

(編集「カトリック・あい」)

2019年1月25日

・「すべての人が明日を夢見れる社会的条件づくりを」教皇、パナマ各界代表者に

(2019.1.24 バチカン放送)

 パナマ訪問中の教皇フランシスコは24日、各界の要人・代表者らと会見された。同日朝、パナマ市内の大統領官邸にフアン・カルロス・バレーラ大統領を表敬訪問された教皇は、続いて、ボリバル宮殿でパナマ国内の政治・経済・社会・文化などを代表する人々、また駐在の外交団に訪問の挨拶をおくられた。

 この中で教皇は、パナマへの期待を「皆が集う出会いの地」「夢に挑戦する地」という観点から語られた。「パナマは恵まれた地理的位置によって、地域だけでなく、世界全体にとって重要な地であり、大洋間をつなぐ橋、出会いに適した天然の地です」とされ、出会いの中で絆や協力関係を創造しながら発展してきた同国と国民の力に言及された。

 そして、パナマがこの出会いの地としての召命により応えるために「誰もが参加できる社会、質の高い教育とふさわしい仕事を通して皆が尊厳を保証される社会の構築」を希望され、このような社会づくりが「人々のダイナミックな創造性を活かし、最も貧しい人々をはじめとする市民の自由と尊厳を守ることにつながるでしょう」と話された。

 また教皇は「パナマの様々な先住民族たちの豊かさ、これらの人々の文化や世界観から学ぶべき多くのことがあります」と指摘され、「パナマを形作る一つひとつの民族、すべての人々に耳を傾け、少数の人の利害を超え、共通善を守ることのできる希望に開かれた未来を編み出す」こと、「人々や世界に対する責任のもとに、正しく誠実、腐敗のない、透明な公益事業が行われる」ことを願われた。

 さらに、「ワールドユースデー」のために、希望や夢を抱いてパナマを訪れている多くの若者たちを歓迎しながら、「パナマもまた、今日、当然と思われるようになっている状況に立ち向かい、他の人々に尊重と共感の眼差しを向けつつ、生き生きとした新しい世界を創造してください」と呼びかける一方、「夢がはかなく終わることのないように、すべての人が明日を夢見ることができる社会的条件づくりに取り組むように、若者たちは私たちを招いています」「未来への権利も、人間の権利の一つです」と話された。

 教皇は、パナマの保護者であるラ・アンティグアの聖母が、同国を祝福し保護してくださるようにと祈られた。

(編集「カトリック・あい」)

2019年1月25日

・「教会の変革はあなた方の手中に」とパナマ大司教-WYD大会開始-教皇23日到着

(2019.1.23 Vatican News Seàn-Patrick Lovett

  第34回「世界青年の日(WYD)」大会が23日、パナマ市でのホセ・ドミンゴ・ウロア・メンディエタ大司教の司式のよる開会ミサで始まり、大司教は、ミサ中の説教で「私たちはあなた方を信じ、あなた方に希望しています」「人と教会が求めている変化と変革はあなた方の手の中にあります」と強調した。

 また大司教は「時として、私たち大人は『若者たちが聴くことを望まない』と考えますが、あなた方は私たちが人生の方向を示し、共に歩むことを必要としている」。そのために何よりも必要なのは、「私たちがあなた方から聴くことです」とし、一方で、若者たちが「容易に感銘を受けない」ことを認めた。

 そして、若者たちは「証人、内容と経験に満ちた参考」、「神について口で語る人よりも、自分の生き方を通してあなた方に神を知らせる人」を探し求めていることを強調。教皇フランシスコが若者たちに繰り返し言われるように、聖なる変革した生き方をしようとするなら「流れに逆らう」ことが重要だ、と述べ、教皇はまた、しばしば、「聖性にはリスク、挑戦、機会が伴う」と言われるが、「私たちは皆、聖人になることができます」とした。

 さらに、大司教は「sanctitiy(神聖)」の定義について触れ、「聖人は移民を守り、正義を求め、祈り、自分たちの共同体社会で暮らし、愛し、喜びにあふれ、ユーモアを理解し、いつも苦闘し、平凡さを脱し、神の慈しみを生き、隣人と分かち合います」と語った。

 最後に、大司教は、教皇の代理として、「DOCAT (カトリック教会の社会教説を若者たちのために分かりやすくまとめたもの)」の本とアプリを「教会の社会教説を良く知ることで皆さんの指導力を強めるために」を若者たちへの特別のプレゼントとすることを発表。「教皇が理想としておられるのは、私たちもまたあなた方若い巡礼者が責任を引き受けること、なぜなら、愛の革命を起こし、正義を現実のものとするために、逆境に立ち向かう一つの道は、教会の社会的な考え方を知ることだからです」と説明した。

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

 

・・・教皇のパナマでのご予定(バチカン放送)・・・

 教皇フランシスコは現地時間23日夕方、WYD大会出席のため同国入りされた。パナマ政府と同国司教団の招きを受けたもので、現地滞在は1月23日から27日まで5日間の予定。パナマ訪問は、ローマ教皇として聖ヨハネ・パウロ2世の1983年3月5日の訪問に次いで2度目。教皇フランシスコにとって26回目の海外司牧訪問となる。

 教皇フランシスコは、23日夕、首都パナマ市のトクメン国際空港に到着され、空港で歓迎式に臨まれた。

 24日は市内の大統領官邸に大統領を表敬訪問、ボリバル宮殿で同国各界要人および駐在外交団との出会いを持たれる。この後、市内の聖フランシスコ教会で中央アメリカの司教たちとお会いになり、夕方、海岸沿いの公園でWYD参加者たちとの最初の出会い、若者たちによる歓迎行事に参加される。

 25日はパナマ県の都市パコラの刑務所で若い受刑者たちと祈りや告解の時を持たれ、夕方、パナマ市内に戻り、若者たちと十字架の道行きをされる。

 26日は朝、パナマ市内のカテドラルで同国の教会関係者らとミサ、正午に神学院でWYD参加者代表と昼食を共にされ、夕方から市内の聖ヨハネ・パウロ2世公園でWYD大会閉会前の前夜祭に参加される。

 大会最終日の27日午前、同公園でWYD閉会ミサを司式され、ミサ後、パナマ市内の医療福祉施設で若い障害者や病者らとお会いになる。午後は、競技場でWYD大会のボランティアたちとの集いに出られ、夕方、トクメン国際空港での送別式を経て、ローマに向けて発ち、バチカン宮殿に戻られる。

(編集「カトリック・あい」)

2019年1月23日

・ラテンアメリカの教会が”センター”にー世界青年の日(WYD)22日から

(2019.1.21 Crux National Correspondent Christopher White)

 パナマ市発=今週始まる世界青年の日でラテンアメリカがホスト役を務めることで、”南”がカトリックを刺激する役割を果たしていることを改めて想起させることになりそうだ。

 パナマが一週間にわたるバチカン後援の若者たちの祭の開催場所となる一方で、ラテンアメリカとカリブの国々もまた、この中央アメリカで初めて開かれる祭りの象徴的な主催者となると考えている。

 米国カトリック司教協議会の若者司牧事務局の副局長を務めるポール・ジャルゼンボウスキー氏は、Cruxの取材に「米国のスペイン系カトリック信徒たちが、昨年9月のEncuentroの集会で注目されたように、WYDは、全世界にとって『スペイン系、ラテン系のカトリック信徒が世界の教会にもたらしている熱烈さ』を一瞥する機会になるでしょう」と語った。

 「ラテンアメリカの教会は、私たちの活力をかき立て」ており、WYDは、「スペイン系カトリック信徒に先導してもらう」ことで起きる素晴らしさを披露することになる、と期待を寄せている。2016年7月の前回WYDの閉幕時に今回のパナマ開催が発表されて以来、ジャルゼンボウスキー氏は、開催支援のために5回、パナマを訪れ、米国から800に近い教区や組織から1万2000人を超す大部隊が参加しても大丈夫なように準備万端を整えた。

 今回のWYDでは、一週間を通して、参加者たちは教理学習、コンサートなどに参加し、23日夕には、教皇フランシスコがおいでになる予定だ。WYDの公式行事に加えて、米国カトリック司教協議会は、米国の信徒団体 Knights of Columbusなどと共催で英語圏の全ての参加者を対象に“U.S. Pilgrim Fiat Festival” を開き、ショーン・オマリー枢機卿とロバート・バロン司教による「聖なる時」も予定されている。

 バチカンが先週発表したところによると、22日から始まるWYDの公式行事への参加登録者は15万人、ここ数年、大幅な減少を続けている。とはいえ、教皇が主宰される27日の日曜ミサには50万人を超える参加者が見込まれている。 大型の教会行事の長年の経験者で国際的なメディアのコーディネーターを務めるジェイミー・リン・ブラック氏はCruxに「今回の大会は当初から、主催者が行事の規模を若干小さくする計画をしていました」と言う。

 「WYDは通常、7月に開かれてきました。それは欧米の参加者たちに合わせたものでしたが、中央アメリカの大部分の若者たちにとっては、学校が休みに入っていないので参加しにくかった。それが、今回は、彼らが”夏休み”中に行事を主催することができるようになったのです」と説明した。

 ジャルゼンボウスキー氏は、人口150万人のパナマ市のエネルギーは人に”伝染”し、ホセ・ドミンゴ・ウオラ・メンディエタ大司教が世界中を回って大会参加を呼び掛けたこともあって、盛会は保障されている、と言う。大司教の熱心な活動と共に、この大会はパナマ政府、ホアン・カルロス・ベレラ・ドロリゲス大統領の強力な支持がある。

 「教皇フランシスコはラテンアメリカ出身で、多くのスペイン語を話す参加者たちにご自分の言葉でお話しになるでしょう。大会の規模が縮小されることとスペイン語は特別の結びつきを作ることでしょう」とブラック氏。 また、今回の大会で主題と予想されるものの中に、教皇のお話しとともに、環境問題が出てくるのではないか、とジャルゼンボウスキー氏は予想する。「今回は、若者たちに取って、教皇の環境回勅 Laudato siを真に受け止める機会となるでしょう」と。

 また、パナマ市の自然の美しさは、それ自体が環境を大切することの重要性を実感する助けになる、と付け加えた。「神の創造されたものが満開になっていることを感じざるをえないでしょうから」。

 氏はまた、エルサルバドルで殉教し昨年10月に列聖されたオスカー・ロメロ師のことから、世界的な迫害に遭っているキリスト教徒を思い起こす機会になる、と期待する。

 ブラック氏は、今回の大会が、世界の400人の若者が参加して先週、パナマ郊外で開かれた「原住民の若者たちの世界会合」の初の大会と連携していること、参加者たちが、WYDに合流することを指摘した。参加者たちは、原住民の人たちと生活体験をし、日々の生活の中に信仰が息づいていることを確かめた。「パナマの人たちは自分たちの食べ物、芸術、民族衣装、それにもちろん、信仰を、他のキリスト教徒たちに披露するのを強く希望しています」とも言う。

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

・・Cruxは、カトリック専門のニュース、分析、評論を網羅する米国のインターネット・メディアです。 2014年9月に米国の主要日刊紙の一つである「ボストン・グローブ」 (欧米を中心にした聖職者による幼児性的虐待事件摘発のきっかけとなった世界的なスクープで有名。映画化され、日本でも昨年、全国上映された)の報道活動の一環として創刊されました。現在は、米国に本拠を置くカトリック団体とパートナーシップを組み、多くのカトリック関係団体、機関、個人の支援を受けて、バチカンを含め,どこからも干渉を受けない、独立系カトリック・メディアとして世界的に高い評価を受けています。「カトリック・あい」は、カトリック専門の非営利メディアとして、Cruxが発信するニュース、分析、評論の日本語への翻訳、転載について了解を得て、掲載します。

2019年1月22日

*北朝鮮、中国、インド…キリスト教徒への迫害急増、2億4500万人に

(2019.1.18 カトリック・あい)

 信仰ゆえに迫害されている世界中の人々を支援するキリスト教系NPO「Open Doors USA 」が16日発表した2019年版「 World Watch Listis 」によると、ひどい迫害を受けているキリスト教徒は世界73か国、2億4500万人で、前年(58か国、2億1500万人)に比べ、13.9パーセントも増えている。

 世界のキリスト教徒9人のうち1人がひどい迫害を受けている計算だ。

 国別で最もひどい迫害を受けているのは北朝鮮で、この状態は18年も続いている。同国のほかに、ひどい迫害がされているワースト11はアフガニスタン、ソマリア、リビア、パキスタン、スーダン、エリトリア、イエメン、イラン、インド、そしてシリアだ。

 迫害による死者は4136人に上り、うち9割の3731人はナイジェリアで占められている。

 宗教的迫害が深刻化する中国は前年の43位から27位に急激にランクを上げ、最近10年以上で最悪となり、「1976年に終わった文化大革命以来の宗教的迫害が起きている」との見方もある。

 アジア全体でみると、キリスト教徒の3人に一人がひどい迫害に直面しているが、今回目立ったのは、インドが初めてトップ10位以内に入ったことだ。インドでは最近、国粋主義が台頭、非ヒンドゥー教徒に対する暴力がひどくなってきており、これが急速な悪化の背景にある。4,5年前までとは様変わりで、「ガンジー師の活躍から非暴力のイメージの強いインドが、このような評価になったのはショックだ」との声も出ている。

 

2019年1月18日

・2018年の世界の宣教中の犠牲者40人、前年の約二倍に

(2019.1.4 VaticanNews Robin Gomes)

  バチカンの通信社Fidesが4日発表したところによると、2018年の一年間で世界中で宣教活動をしている司祭など40人が犠牲となった。これは前年の約二倍。地域別では2017年まで8年連続で最多だった南北アメリカに代わって、アフリカの犠牲者が最も多くなった。

 Fides によると、犠牲者40人の内訳は、司祭が35人で最も多く、神学生1人、一般信徒も4人。地域別ではアフリカが21人で、うち19人が司祭、神学生と一般信徒の女性が各1人。南米が15人(司祭12人、一般信徒3人)、アジアが司祭3人、欧州が司祭1人、となっている。

 犠牲者の多くは、貧困と悪化した社会情勢におかれた人々が凶悪化し、政治の腐敗や治安悪化の中で、暴漢や強盗に襲われて命を落としている。そうした危険にさらされつつ、福音宣教にあたる司祭や修道者、一般信徒たちはどのような場でも、住民たちと同じ暮らしをしながら、希望と平和の印として愛と奉仕に努め、弱い人々の苦しみを和らげ、人としての権利を守り、悪と不正に非難の声をあげている。

 国別の犠牲者は次の通り。

*アフリカ=ナイジェリア6人、中央アフリカ5人、コンゴ民主共和国3人、カメルーン3人、コートジボアール、ケニア、マラウイ各1人

 *南アメリカ=メキシコ7人、コロンビアとニカラグア各2人、ベネズエラ、エクアドル、エルサルバドル、ペルー各1人

*アジア=フィリピン2人、インド1人

*欧州=ドイツ1人

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

 

2019年1月6日

・オプスデイ会員のスペイン人元教員が未成年男子性的虐待で11年の実刑判決(Crux)

(2018.11.19 Crux Rome Bureau Chief  Inés San Martín

 カトリック属人教区・オプスデイ会員信徒でスペイン人の元教員が15日、スペインの裁判所で、未成年を性的に虐待した罪で刑期11年、被害者との接触15年間禁止の有罪判決を受けた。今後5日間で控訴するか否かを判断するという。

 有罪判決を受けたのは北スペインLeioaの男子校Gazteluetaに教員として勤務していたホセ・マリア・マルチネス・サンツ。2008年から2010年にかけ、当時12歳から13歳だった男子生徒に繰り返し性的虐待を加えていた、として起訴されていた。

 当初、父兄から訴えを受けた教会当局と学校が対応したものの、詳細な調査はなされず、検察当局が捜査、逮捕、起訴したが、公判でもマルチネス本人は無罪を主張。検察側も、被害者の訴えの一部に信用できない点があるとして、刑期20か月の軽い刑を求めていた。だが、被害者の弁護士は「被害者は恥辱のゆえに、被害の全容を語っていない」と反論していた。

 スペインの日刊紙El Diario Norteによると、被害者家族は、これまで何年間も被害の訴えが教会などから無視されていたが、裁判所で有罪判決が出たことに「とても満足している」と語った。

 公判中、マルチネスによる犯行当時、副校長だった男子校の校長は、内部調査をしたものの、訴えが真実だという証拠は見つからなかった、とし、マルチネスが、出入り可能な自分の部屋で犯行に及ぶことは”不可能”とも主張。これに対して、被害者の父親は、真実を語ることを宣誓したうえで、学校当局は”何もしてくれなかった”と批判した。

(以下英語本文続く)

After a personal crisis in May, the victim said he was being threatened by his former schoolmates, and he began to verbalize the sexual abuses.

The parents had a meeting at the school where they brought up the allegations against the former students, two of whom have been found guilty by a family court of threatening their former classmate.

Gayarrola was then tasked with investigating the abuse allegations, including accusations that the former tutor had shown the victim pictures of half-naked women with sexual intent. Yet according to the now-headmaster, evidence of those images could not be found on Martínez’s computer. Furthermore, the school had a filter to avoid access to pornographic material.

Yet according to the defendant’s lawyer, Martínez had searched for images of Emma Watson, one of the actresses of Harry Potter, “naked” and even “raped.” There’s also a picture in the computer that is titled “emmawatsonnaked.” She was one of the women the victim claimed the professor had shown him.

In a statement made after the ruling, the Opus Dei school said that they are “committed” to responding to “any circumstance of abuse or harassment that a minor might suffer,” and “determined” to fight this “very grave crime.”

However, they added they’re “very affected” by the sentence, because, the statement says, on several opportunities the case had been internally investigated and found inconsistent.

With no words of support to the former student, the school does say that the sentence can still be appealed and that it’s not “definitive.”

When the case became public in 2012, the school responded with a statement saying that they were “especially hurt by the treatment of the former professor, since the published account of the facts is constructed through a unilateral version of the facts.”

The professor, who at the time was in Australia, had made no statement to the media. The school also said at that time that they had testimony of professors and students which contradicted the alleged facts.

The prosecutor demanded three years in prison, and during the trial even questioned the most serious accusations made by the victim, which included penetration. The prosecutor even suggested an “alternative” sentence of 20 months in prison.

Yet all the medical experts who treated the victim supported his testimony, and underlined that if at the beginning he hadn’t shared all the abuse it was due to fear and because it’s normal that in these cases “reality becomes more evident with time.”

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

・・Cruxは、カトリック専門のニュース、分析、評論を網羅する米国のインターネット・メディアです。 2014年9月に米国の主要日刊紙の一つである「ボストン・グローブ」 (欧米を中心にした聖職者による幼児性的虐待事件摘発のきっかけとなった世界的なスクープで有名。映画化され、日本でも昨年、全国上映された)の報道活動の一環として創刊されました。現在は、米国に本拠を置くカトリック団体とパートナーシップを組み、多くのカトリック関係団体、機関、個人の支援を受けて、バチカンを含め,どこからも干渉を受けない、独立系カトリック・メディアとして世界的に高い評価を受けています。「カトリック・あい」は、カトリック専門の非営利メディアとして、Cruxが発信するニュース、分析、評論の日本語への翻訳、転載について了解を得て、掲載します。

2018年11月20日

・中央アフリカ、カトリック教会運営の難民キャンプで虐殺

(2018.11.16 VaticanNews  Christopher Wells)

 紛争が続く中央アフリカで15日、カトリック教会が運営するアリンダオの難民キャンプが武装集団に襲われ、40人以上が殺害された。武装集団はさらに近くの司教座聖堂と司教の邸宅も攻撃目標にしているという。

 この難民キャンプはアビナオ教区が運営しており、2万5000人の収容能力を持ち、所属宗教の区別なく希望者を受け入れている。2015年に教皇フランシスコが同国を訪問されたのをきっかけに、教会が先導して住民の和合を育てる目的で始められた。

 難民キャンプ襲撃のニュースは、ソーシャルメディアによって15日朝、伝えられた。ローマ在住の中央アフリカ国民、マルセリン・クペオウ神父はアビナオ教区の会計担当から彼らのために祈ってくれるように、とのメッセージを受け取った。現地と話をした際、話をしている相手の背後で銃声が聞こえた、といい、彼らから「自分たちは(武装集団に)包囲されている、周りで起きていることを現地当局に警告してほしい」と頼まれました、と語った。

 現地からの情報によると、武装集団はキャンプのテントに火をつけて回り、人の多くは生きたまま焼かれ、少なくとも40人が命を落としており、最終的にはさらに人数が増えるとみられる。聖職者もアリンダオ教区の司教代理、ブレイズ・マダ神父が殺され、他の1人の神父も襲撃の際に負傷して行方不明、安否が気遣われている。

 武装集団は「UPC(中央アフリカ平和連合)」といわれ、キリスト教系の武装組織「アンチバラカ」に回教徒男性が殺されたことに対する報復だとみられている。同国では政治的な緊張が民族、宗教などで別れた派閥間の闘争に発展しており、国際援助組織の「国境なき医師団」によると、人口450万人の中央アフリカ69万人を超す人々が故郷を追われて国内難民となり、約57万人が周辺国に離散している、という。

 襲撃の直後にVaticanNewsは首都・バンギ大司教区の司教代理、マシュー・ボンドボ神父から話を聴いたが、武装集団は「テントを焼き、殺し、人々の持ち物を略奪した」という。

 また、襲撃は、アリンダオ教区のシルネスト・ヤパウパ司教が脅迫を受けていたころから、計画的とみられるが、襲撃後、司教とは連絡が取れていない。司教は、国連の平和維持軍に脅迫を受けていることについて、報告していたが、襲撃の際、教会施設は無防備で、国連軍は到着したものの、介入しなかった。「(注 :国連軍が頼りにならないので)誰もが、自分の工夫で対応するしかありませんでした。武装集団は、やりたいようにする余裕があり、実際にそうしたのです」とマシュー神父は、国連軍の無責任な対応に怒りを示した。

 そのうえで、神父は「私たちは憤り、心は悲しみで一杯です。人間として、私たちは悲しんでいます。それでも、この襲撃によって、教会が福音宣教の使命を果たすのを妨げられることはありません。教会は強さを保っています。そして、私たちはまだ、生きており、使命を果たし続けます」と言明している。

(翻訳「カトリック・あい」」南條俊二)

 

2018年11月18日

・イタリア司教協議会、性的虐待防止センター開設へ(Crux)

(2018.11.16 Crux Faith and Culture Correspondent Claire Giangravè

 ローマ-イタリア司教協議会は12日から14日まで開いた臨時総会で、聖職者による性的虐待に対処する新ガイドラインと、司教たちを助ける全国助言センターの設置、防止について「より大胆な福音的選択」をする誓約について討議した。

 「子供たちに触れるものは誰であれ許さない!」-イタリア司教協議会(CEI)会長のグアルティエロ・バセッティ枢機卿は15日の記者会見で言明。そして、聖職者による性的虐待は「イタリアの教会が大胆な言葉で解決せねばならない問題です」と述べた。

 教皇フランシスコの要請で、イタリアの司教団は2014年に発表した現在の聖職者の性的虐待対策のガイドラインに追加する形で、虐待防止、情報の取得、教育に絞った新たな指針を作るように求められている。

 臨時総会には、CEIの暫定委員会がまとめた新ガイドライン案が示され、来年5月の次回総会までに、各自の教区で検討することになった。新ガイドラインの内容は次回総会で可決するまで公表されないが、バセッティ会長は、2月の聖職者の虐待に関する全世界司教協議会会長会議で、その内容の一部を説明する、と述べた。

 また、新ガイドラインの中で、一般信徒と聖職者で構成する全国助言センターの設置については既に、CEIの同意を得ており、会長は「このセンターの狙いは、性的虐待の訴えを評価することですが、被害者が置かれた状況に光を当てることもしてもらいます」と説明した。

 会長は、これまで(注:急いて虐待問題を担当する)バチカンの教理省は訴えを受けることしかせず、訴えの信用度についての調査は不十分で、誤った処罰に逃げ込む”日和見主義者”を許してきた、と指摘。

 さらに「これまで、私たちは”スキャンダル”について多く考えすぎました。福音書が言うように、”スキャンダル”は起きるべきではありません。しかし、もしそうしたことをした場合には、それをはっきりさせることで、真理が勝利するでしょう。このことは、私たちすべてに、様式を変えるためにより大きな透明性と教育を確保することを求めているのです」と述べた。

 イタリア国内での性的虐待の件数についての質問には、「そうしたことがどれほど広範に起きているのは分からない」とし、何年かの間に、聖職者による性的虐待の実例が何件が出てきたが、それが「外国メディアの性的虐待に関する報道は”大げさ”で“偏執的”」と見がちな聖職者にとって二の次の問題とされてきたことを認めた。

 ただ「イタリアは米国やアイルランドのようではありません」と語り、イタリアでの性的虐待問題の扱いは”(注:米国などと)異なった文化的、社会的状況”のフィルターを通してなされねばならない、と対応に違いもある、とした。

(以下、英語原文で続く)

The guidelines, which Bassetti described as “exhaustive and complete,” usher in a new chapter in Italy’s handling of sexual abuse, not just with the creation of the center, but also in terms of formation of laity and clergy as well as bishop accountability. The latter has been a significant stumbling block for the Italian Church.

“In Italy this issue is not found on the front pages, judging by the attention that it garners in public opinion and perception,” said German Father Hans Zollner, President of the Center for Child Protection (CCP) during a conference at the Pontifical Gregorian University in Rome Oct. 15.

 “We hope that the Italian Church on this issue may propose something that goes beyond legal issues,” he added.

Zollner and the CCP counseled the Italian bishops on how to address the question of clerical sexual abuse.

Referring to the Pontifical Commission for the Protection of Minors, led by U.S. Cardinal Sean O’Malley of Boston, Bassetti said that the work done so far by the Italian bishops has been “praised.”

“The Vatican verified that we are moving along the right line,” he said, insisting that actions must be taken with “competence, science and conscience.”

Among the drafters of the new guidelines is Italian Father Fortunato Di Noto, a globally renowned figure in the fight against pedophilia, who told Crux “to have much faith” in the national centers that will be set up in every diocese and region.

“It’s a difficult job, for the victims, [because] prevention and formation can’t simply be delegated to the center at the Gregorian,” Di Noto said Nov. 15. “It’s necessary to have formation not only for leaders but also for the people.”

Di Noto is the founder of a non-profit organization, Meter, which has been instrumental in raising awareness and combating sexual abuse globally. Just last week, Meter provided 170 priests and 500 catechism instructors with formation on how to recognize and handle sexual abuse cases.

The new guidelines represent “a journey that must be made with determination, clarity and strong operational transparency,” Di Noto said.

 Meter claimed to be “excited and particularly satisfied” about the creation of the new center. It was 2002 when Di Noto created the first diocesan service for the protection of minors in Italy, and the fact that CEI is furthering that project “is a sign that we are moving, working,” he said.

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

・・Cruxは、カトリック専門のニュース、分析、評論を網羅する米国のインターネット・メディアです。 2014年9月に米国の主要日刊紙の一つである「ボストン・グローブ」 (欧米を中心にした聖職者による幼児性的虐待事件摘発のきっかけとなった世界的なスクープで有名。映画化され、日本でも昨年、全国上映された)の報道活動の一環として創刊されました。現在は、米国に本拠を置くカトリック団体とパートナーシップを組み、多くのカトリック関係団体、機関、個人の支援を受けて、バチカンを含め,どこからも干渉を受けない、独立系カトリック・メディアとして世界的に高い評価を受けています。「カトリック・あい」は、カトリック専門の非営利メディアとして、Cruxが発信するニュース、分析、評論の日本語への翻訳、転載について了解を得て、掲載します。

2018年11月17日

・全米司教協議会、2月の全世界会議に虐待対策具体策を提示へ(Crux)

(2018.11.15 Crux National Correspondent Christopher White)

  米ボルチモア発-ボルチモアで開かれていた全米カトリック司教協議会の総会が14日、最大の課題として注目されていた「聖職者による性的虐待への教会としての緊急行動」について何の決定もないまま閉幕した。

 司教協議会会長のダニエル・ディナルド枢機卿は、閉幕に当たって、危機に対する対応について「できる限り早い時期にできる限り強力な行動をとる」ことを誓い、米国司教団の教皇フランシスコに対する忠誠を改めて確認した。

「私はこの会合をいささかの失望をもって始めたが、希望をもって終えた」と枢機卿は語った。総会では当初、性的虐待問題への対応の一環として、米国の司教たちの説明責任について新たな基準を投票によって決める予定だったが、直前の11日になって、バチカンから来年2月21日から24日に予定する性的虐待に関する全世界司教協議会会長会議の後に延ばすように、との要請を受けていた。

 枢機卿は3日間にわたる総会の締めくくりに、(注:性的虐待をした司祭への対応で責任を問われている)セオドール・マカリック前枢機卿に関する捜査は「継続する」として、司教たちによる性的虐待や対応の誤りについての報告のテンポを緩めるととともに、司教たちの説明責任を明確にする独立した一般信徒主導の手段を検討する、と言明した。

 さらに、「教皇フランシスコの主導の下に、来年2月に世界の教会の代表が行う対話が、私たちの教会から性的虐待の悪を根絶するのを助けてくれることを確信しています」と述べ、「そうして、私たちの米国での努力が世界的なものとなり、世界の見方が私たちを助けてくれるでしょう」と期待を表明した。

 だが、こうした枢機卿の確信に満ちた締めくくりの言葉にもかかわらず、総会最終日の討議は司教たちの間に困惑と不満が噴出した。それは、一言で言えば「マカリック」だった。

 これまで米国の司教たちは、前の枢機卿でワシントン大司教だった人物が、どうして、少なくとも一人は未成年だった神学生たちを性的に虐待している中で教会での位を上げていったのか、についての答えを出そうと繰り返し議論してきた。そして議論の中で、ビガーノ前駐米バチカン大使・大司教の訴え(注:教皇フランシスコはマカリックの行状を知っていながら、適切な措置を取らなかった、とし、教皇に辞任を迫ったこと)を信じる司教たちと、世界のいくつかの国の司教団がしたのと同様に教皇を支持し、米国教会の不一致を遺憾とする司教たちの間で対立が表面化した。

 テキサス州フォートワースのマイケル・オルソン司教は議場で熱意溢れるスピーチをし、全米司教協議会がマカリック自身を総会に公式に出席させない措置と取らなかったこと、教皇フランシスコに対する公式の支持表明をしなかったことを非難した。

 この直後に、彼はCruxに「私たちは、教皇フランシスコがペトロの権威を受け継ぐ教会統治者であり、ビガーノ大司教の教皇辞任要求は恥ずべき行為であることを再確認する必要があります。大司教の教皇への書簡が真実であるなしにかかわらず、彼が教皇に教皇座を放棄するよう求めたことは恥です。カトリックの一致を害するものです」と述べた。さらに「私たちは兄弟の司教として、教皇フランシスコをペトロの後継者として支持する必要があります」「私たちは、彼が十字架を負うのを助け、この問題の大きさと私たちが絶対になすべき事を知るように助ける必要があります」と訴えた。

  オレゴン州ベーカーのリアム・カリー司教も、ジョン・レイの未成年者虐待に関する報告のような、司教たちによる虐待の隠蔽に関する包括的な調査を提案し、オルソン司教にならって、全米司教協議会としてマカリックを公式に非難する必要性を強調。「前米司教協議会として、私たちは、仲間の1人のとった恥ずべき行為と距離を置く公式の措置をとっていないのです」と批判した。

 また、アリゾナ州フェニックスのトーマス・オルムステッド司教、バージニア州リッチモンドのバリー・クネスタウト司教のように、現在の米国の教会の状況を、人工的な受胎調節を禁じた教皇回勅「フマネ・ビテ」に反対するカトリック神学者、司祭、一般信徒たちの異議申し立てと引き比べ、教会の指導性とともに完全な一致と教会の教え全てについての確認を呼び掛ける意見も出された。

 総会最終日の午後の30分以上にわたる議論の後で、司教たちは「バチカンに対し、マカリックに関する教会法上、民法上の見解について文書を出すよう”督促”する」というランシングのアール・ボイア司教の提案を否決した。

 議論の多くは、バチカンがすでに先月、同様のことをすることを誓約する声明を出している、という事実を巡るものだったが、ディナルド枢機卿は最終声明で、司教たちは「様々な調査が公正で時宜を得た形で取りまとめられること」を支持し、先月のバチカンの誓約に感謝を表明した、と述べた。

 総会後に、ジェファソン氏のショーン・マックナイト司教はCruxに、総会前の彼の教区での6回におよぶ聴聞会で分かったことは、マカリック問題が米国の教会にとって最大の懸念だ、ということだった、としたうえで、「今総会の結論についての最大の不満は、マカリックがもたらしている事態について前進が見られなかったことです」と語った。

  総会をまとめようと、ディナルド枢機卿は、総会の開会あいさつで司教たちに意識変革を求めた現駐米バチカン大使のクリストフ・ピエール大司教の言葉をこのように引用した。「いかに優れた、欠くことのできない統治あるいは管理・監督であっても、それだけで、キリストにおいて受けた崇高な呼びかけに従って、弱い私たちが生きることができるようにする仕組みは、存在しません」。

 来年2月の全世界司教協議会会長会議では、ディナルド枢機卿が米国の司教団を代表して出席することになるが、「全米司教協議会は今週から、会議に提案する内容を具体的に固めていくつもりです」と決意を述べた。

 これまでの検討過程で、司教たちが説明責任を果たすための新たな仕組みについて2つの案が出ている。全米で一つの一般信徒による委員会を設置する原案と、今週の討議で浮上してきた新たな提案-主要都市の司教たちの監督下に各地に設置する審査委員会の全国網を整備する案だ。

  マックナイト司教はCruxに「今回の総会の結果を見ると、来年2月の全世界会議が、米国で私たちが必要としているようなものを提供できるのか、できないのか、懸念が強まってきた」と言う。彼は、ディナルド枢機卿がローマから帰国するのを受けて、3月に司教会議を開くという、ブレーズ・キューピック枢機卿の提案に賛意を示し、「3月の会議で、さらに具体的に、深い前進がみられるようにせねばならないでしょう」と述べた。

 総会が当初、自身が考えていたものとは程遠い結果になったものの、ディナルド枢機卿は楽観的な見方で閉幕のあいさつを終えた。「私たちは、できるだけ早い時期に、できるだけ強力な行動をとることを約束して、この場を離れます」「世界の教会との霊的な交わりにおいて、そうします。世界の教会と力を合わせて前進することは、米国の教会をより強くし、世界の教会をより強くするでしょう」と。

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

・・Cruxは、カトリック専門のニュース、分析、評論を網羅する米国のインターネット・メディアです。 2014年9月に米国の主要日刊紙の一つである「ボストン・グローブ」 (欧米を中心にした聖職者による幼児性的虐待事件摘発のきっかけとなった世界的なスクープで有名。映画化され、日本でも昨年、全国上映された)の報道活動の一環として創刊されました。現在は、米国に本拠を置くカトリック団体とパートナーシップを組み、多くのカトリック関係団体、機関、個人の支援を受けて、バチカンを含め,どこからも干渉を受けない、独立系カトリック・メディアとして世界的に高い評価を受けています。「カトリック・あい」は、カトリック専門の非営利メディアとして、Cruxが発信するニュース、分析、評論の日本語への翻訳、転載について了解を得て、掲載します。

2018年11月16日