今回の祈祷集会は、6月26日に劉氏が刑務所から出されて以来、教区委員会や人権団体による2回目のものとなった。6月27日には、香港の中国政府連絡事務所前で中国政府当局による劉氏の扱いへの抗議行動があった。支援者たちは中国政府当局に対し、劉氏の海外での治療を求めていたが、支援者の中には米国とドイツの医療専門家も含まれており、彼らは「劉氏は肉体的な弱っており、海外への移送に耐えられない」とする中国当局の主張を否定していた。劉氏の治療に当たった中国の医療チームには外国人も二人加わっていた、という。
(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)ウィキペディアによると、チェン枢機卿は1932年、上海市生まれの85歳。12歳で現地でサレジオ会の修道院に入り、1949年に中国共産党が政権を取った後、香港の華南大修道院に移り、トリノで司祭叙階。1976年からマカオサレジオ中学校校長、香港仔工業学校院長。1996年に司教叙階。2006年に枢機卿。2002年から2009年まで香港司教。
中国政府・共産党による香港非民主化の動きに抵抗を続けており、信教の自由や人権の尊重を訴える集会をたびたび主宰。1998年に香港教区協働司教になり、義和団が殺害した宣教師の列聖を支持した後、中国政府によって中国大陸の訪問を6年にわたり禁止された。2004年5月に上海を訪問して6年間の対峙は終わったが、 2004年6月、天安門事件15周年の前夜、香港教区として「民主中国」という名称の活動を開き、「香港は一つの血も流さない『天安門事件の弾圧』を受けており、「中国当局は『銃や戦車はないが頑固な一派、民主派が香港独立を支持している』と有りもしないことで香港市民を批判し、普通選挙を討論するのを阻止している」と語った。2005年11月には、「香港市民は政改方案を支持するかどうかの決定権を持っている」とし、「政府は香港全住民の民意を調査すべきだ」と表明。
2008年には、当時のバチカン国務長官、ベルトーネ枢機卿が教皇が認めた中国大陸の90名の司教に送った書簡で「教皇は中国大陸のすべての司教が、勇敢にその職務を履行して教会の普遍性を示し、政府当局と直接、互いを尊重する対話を展開することで、更に広大な自由の空間を得るよう励まされている」としたのを受け、司教たちに対して団結を促すとともに、中国政府に対して「真に自由に集まり、真に自由に問題を探求する権利」と「司教叙階を教皇庁の認可を受けて進めることへの保証」を要求している。