中国における〝信教の自由”-教皇の発言と現実の落差(CRUX)

(2017.1.24 CRUXエディター ジョン・L・アレンJr.) 教皇フランシスコの最近のインタビュー報道に対する大方の気を引いているのは、政治的なポピュリズム(大衆迎合主義)とドナルド・トランプについての教皇の言及だ。その一方で、信教の自由の主張についての中国に関する彼の言葉、特に、中国で「宗教を実践」することができる、という言い方は、関係者を当惑させている。

 政治的”救済者”の「壁と鉄線」で危機を解決することを約束する誘惑に対する教皇の警告、あえてアドルフ・ヒトラーになぞらえての警告が、論争を呼ぼうとしている。だが、全世界における信教の自由の大義を重んじる人々にとって、一連のインタビューにおける中国に関する教皇の言動は、眉をひそめさせ、愕然させるものだ。

 スペインの新聞El Paisによるインタビューの英訳版で、教皇は”In China, churches are crowded. In China they can worship freely.(中国では、教会は人々で混みあっています。中国では自由に礼拝できます″と語ったとされている。もとのスペイン語版では、教皇の発言はそれほど直接的な表現にはなっていない。彼の発言は “En China las iglesias están llenas. Se puede practicar la religión en China,”これを直訳すると、“In China the churches are full … one can practice religion in China.(中国では教会は人々でいっぱいです・・中国では宗教を実践できます)” だ。「宗教を実践できる」-つまり、困難と危険にもかかわらず、ということを意味しうる―と言うのと、「自由に礼拝」できる、と言うのとでは、大きな違いがある。

 こうした実際の言葉のニュアンスの差にもかかわらず、教皇フランシスコが「中国における信教の自由の風潮が基本的に肯定的なものだ」と示唆したように見えることは、中国における現実を知り、宗教上の少数者のために働いている人々をいらだたせ、憤慨さえさせるだろう。

Parsing Pope Francis’s puzzling take on religion in China

 教皇の発言の最初の部分、「教会がいっぱいだ」というのは経験的に正しい。中国では、キリスト教は興隆を続けており、それほど遠くない将来、一国として世界最大のキリスト教信者を抱える国になると見られるほどだ。公式には、増加している信者の大半は福音派と聖霊降臨派のプロテスタントで占められており、対照的にカトリック教徒の共同体は、中国の人口増加のテンポからみてせいぜい横ばいだ。

 宗教を実践できる、と教皇が述べている点については、教皇の短い言葉よりも、実情は複雑で、少なくとも課題を認識していないように思われるのは、少々、悩ましいことである。彼が「知らない」というのは、奇妙な話だ。昨年11月にバチカンで、過去一年間に亡くなった司教たちのためにミサを捧げた時に配られた典礼の小冊子には、中国で刑務所あるいは強制労働収容所で働かされ、刑死したか健康を害して釈放後に死亡した5人の司教の名が刻まれていたのだ。

 中国が宗教団体に対して厳しい規制政策をとっている、という情報を入手するのは、たやすい。米国の「世界の宗教の自由に関する委員会」の最新の年次報告は、中国を「特に注意を払うべき国」、つまり信教の自由を侵す度合いが世界の国々の中で最も高い国、に特定すべきだ、としている。報告は、2015年の中国における状況について「中国で信教の自由がひどく侵されている状態は2015年も続いている」とし、「従来と変わらず、中国の中央政府、地方政府は、教会から十字架を力で剥ぎ取り、建物を破壊し続けている。差別を進め、新疆ウイグルの回教徒、チベットの仏教徒を暴力で弾圧し、脅迫し、捕らえ、法輪功の信者や人権擁護の活動家などを投獄している」と明記している。

 キリスト教徒はしばしば、宗教的な威圧、脅迫の矢面に立たされている。教皇がEl Paisのインタビューに答えた日の数日前にも、中国南西部で、大規模教会の牧師が、教会の建物から十字架を撤去する地方政府の方針を支持しなかった、として再逮捕された。これが、キリスト教徒を政府の定める規律従わせようとする恐ろしい合図であり、文化大革命以後のキリスト教弾圧の最も重大なこと、とみる関係者もいる。この牧師は2016年初めにも汚職の容疑をかけられて逮捕され、3か月後に釈放された後、自宅軟禁の状態に置かれていた。同様の容疑をかけられ、逮捕された一般信徒や聖職者は、数百人に上っている。

 教会を管理しようとする政府の動きに反旗を翻すカトリック教徒も、しばしば同じ目にあっている。中国では2016年なかば現在、少なくとも3人の司教と12人以上の司祭が投獄されており、国内の各地で日常的に監視、脅迫、逮捕の脅しが行われている。

 昨年12月末に、中国の宗教担当相は「北京政府はバチカンとの対話に意欲を持っているが、(信教の自由を)認める代価として、中国人カトリック信徒は『愛国の旗を高く掲げ』ねばならない。つまり、信仰生活を政府が管理することに異議を唱えない、ということだ」と言明した。その一週間前、中国政府高官が「〝正当″司教-教皇の同意を得ずに叙階された者を指す―は、北京政府とバチカンがともに同意した2人の新司教の叙階式に出席しなければならない」と命じた際、バチカンはこれを遺憾とする声明を出していた。

 中国は、何万人ものキリスト教徒が強制労働収容所に入れられている北朝鮮と同じではないし、シリアやイラクのようにキリスト教徒が日常的に殺害されている国ではない。それでも、〝宗教の実践″以上のことが実際にできるように言うのは、重大な誇張のように思われる。

 教皇は「空間よりも時を優先」する戦略を採っているのかもしれない。中国との関係進展に、時間をかけて取り組み、挑発的な言動を控え、前向きの変化に影響力を発揮する、という戦略だ。また、教皇は中国の現実の中で暮らすキリスト教徒がこれ以上苦しい目に合わないように神経を使っているのかもしれない。

 それでも今、中国で獄中にいる、さもなければ投獄される恐怖の中にあるカトリック教徒には、教皇が自分たちが払っている犠牲について公然と、明確に語ってくれるよう望む資格があるだろう。その日はいつだろうか。いずれにしても、El Paisのインタビューがあった日でなかったことだけは、はっきりしている。

(翻訳・南條俊二)

 (写真は、香港の中国政府代表部前で、「信教の自由に敬意をはらえ」のプラカードを掲げ、投獄中のマー上海教区補佐司教の釈放を要求するヨゼフ・ゼン枢機卿ら=2012年7月11日=Credit: Kin Cheung/AP.)

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2017年1月27日